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姉と兄と弟と。
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▶︎『二人のその後 - アレク*マリ』のちょっと前。
長男のアルマンくんが、まだマリのお腹の中にいる時のお話です。
【Side ユーゴ】
「お久しぶりです、姉上」
「いらっしゃい、ユーゴ」
「体調はどうですか?」
「大丈夫よ。ちょっと眠いけど、気分も良いわ」
「それは良かった」
季節が春から夏に移り変わろうとしている頃の、ある日の昼下がり。私は自分の姉の様子を見るため、その夫であるガルシア大公閣下の屋敷へと来ていた。
この、私にとって義理の兄となる閣下のこの屋敷にはもう既に何度か訪れていて、ジルやソフィ、サラとも顔馴染みとなっている。
いつものようにジルに通されて入った客間では、姉がソファに座って私を待っていた。
手招きに促されて、隣に座る。
「出迎えられなくて、ごめんなさいね」
私が座ると同時、姉がそう言って謝ってきた。
「いえ、いいんです。気にしないで下さい。……って。ああ、もうかなり大きくなってますね。……すごい」
「ふふふ。もうすこしで生まれる予定だもの」
そう。姉の様子を見に来たのも、出迎えを予め断っていたのも、姉が現在進行形で身重のためである。
子どもが生まれるだろうといわれている日まであと少し……、というところまできていて。姉のお腹は、横から見ているだけでも何だがソワソワしてしまいそうな程大きくなっていた。
「重くて仕方ないわ」
そう言って笑う姉の様子を観察したところ、すこし目の下に隈ができている以外は特に体調が悪いような様子もない。
とりあえず一安心かなと、私は一つ息を吐いた。
「ああ、ジル、ありがとう。……あ、そういえば姉上、今日は閣下は? 休みと聞いていたんですが……」
紅茶を出してくれたジルにお礼を言った後、ちょっと気になっていたことを尋ねる。
「ええ。本当は休みの予定だったんだけれど、朝になってオスカー様に呼び出されちゃってね。ユーゴが来る事は知っているし、昼過ぎには戻るとは言っていたから、もうすぐ帰ってくるとは思うけど……」
「なるほど……」
そうでしたかと答えてから、私は紅茶に口を付けた。
閣下は、ハッキリ言って、超が付くほど姉を溺愛している。そしてそれはもう、結婚前からの周知の事実なのである。生物学上の男は、閣下のいないところで姉と二人きりになってはいけない、というか、なったら後が怖い、というのが周りにおける暗黙の共通認識となっていた。
そしてその対象としては私も例外ではなかった訳で。
姉たちが結婚する前、ウチの領地で一緒に父からの扱きに耐えて打ち解けるまでは、姉と仲の良い私もよくギリギリと睨まれたものだった。
まぁそれが今は、閣下とも仲良くなり、『男』というより『弟』として認識されるようになったのだろう。全く無くなったとまでは言わないが、嫉妬の目を向けられることは少なくなっていた。……しかしそれでも、できるだけ姉と二人きりになるのは避けたほうが無難だ、という事に未だ変わりはないのである。
(今日のところは、閣下の都合でこの状況なのだし、大丈夫かな……?)
そう思いつつ再び姉に視線を戻せば、姉は美味しそうにハーブティーを飲んでいた。
「本当に、楽しみだなぁ……」
「んー? ふふっ。そうね」
「男の子ですかね? それとも、女の子かな?」
「どっちかしらねぇ? すっごく元気だから、男の子かも?」
「そうなんですか」
「起きてる時はグニグニよく動くし、蹴る力もすごいのよ。……ああ、今も。……触ってみる?」
「いいんですか?」
「ふふふっ。ええ」
もちろんよと笑う姉の、そのお腹に手を伸ばす。
「……?? ………………わ。……おぉ……?」
ぐにぃ、と動く姉のお腹がとにかく不思議で、すごくて。無心で手を当てていれば、姉がクスクスと笑った。
「ね? 元気でしょう? 静かな時もあるんだけど、きっとその時は寝ているんでしょうね。起きてる時はこんな感じよ。早く出て来たいのかも?」
「……もうすこし触っていいですか?」
「ええ」
引き寄せられるように姉のお腹に耳を当てて目を閉じれば、コポコポ、トクトクと音がして、時折ドンっと衝撃がある。
(……本当にすごい……)
私には姉以外の兄弟はいないし、私自身もまだ結婚をしていない。そのため、身重の女性と触れ合う機会は姉が初めてで。その、初めて体験する、たしかに感じる新しい生命の気配に心がじわりと温かくなった。
「相変わらず、柔らかい髪ね」
そう言って、姉が笑いながら私の頭を撫でる。
その久々の感触も嬉しくて、口元が緩んだ。
(姉上と閣下の子どもなら、絶対可愛いだろうし。……早く会ってみたいなぁ……)
今まで縁がなかった、小さい子どもと触れ合う機会。それに期待を膨らませ、父上や母上も最近ソワソワしてるんだよなぁ……なんて、お腹に耳を当てながら暢気に考えていた。
その時。
「……ユーゴ」
地を這うような低い声が聞こえて、ハッとして。弾かれたように顔を上げれば、いつの間に帰ってきていたのだろうか、そこにはギリギリと私を睨む閣下がいた。
(うわ。この感じ、懐かしいな……って! あー! これは! マズイ!!)
「お、お帰りなさい! 閣下!!」
「ああ……」
ひぃぃ! という叫び声をなんとか飲み込みつつソファから飛び退く。すると当然の如く、閣下が入れ替わるようにしてそこへ座ったので、私はすごすごと対面のソファへと座り直した。
「ふふ。アレク、お帰りなさい」
「ああ、ただいま。……体調は?」
「大丈夫よ」
(な、んとか……セーフ? ……かな?)
閣下が姉の言葉にふわりと微笑む。
そして、目の前でイチャイチャしだした二人を見ながら、どうやらそれ程怒らせてはいないようだと、私が内心で安堵の息をつこうとした瞬間のこと。
姉を抱き締める閣下と、バチリと目が合った。
(……ん?)
ジト目で睨まれたかと思えば、何かを思案するようにフイと視線を逸らされる。
(……これは何かさせられるな……)
そう思いながら閣下の様子を伺っていれば、何か思いついたのだろう、再びパチリと目が合った。
(やっぱアレかな……)
その瞳の色を見て、もうそんなにエピソードは残っていないんだけどな……などと、私は内心で苦笑した。
*
「……寝てしまいましたね」
「ああ……」
あれからしばらく三人で他愛のない話をしていると、姉が閣下に膝枕された状態で眠ってしまった。サラが持ってきてくれたブランケットを掛けながら、二人でその様子を見守る。
「腹の子が動くと言って、夜も眠りが浅いんだ」
閣下がすこし心配そうに、それでいて、とても愛おしそうに姉の頭を撫でながらそう言った。
姉は元々とてもしっかりした人で、あまりこんな風に人前で眠る事はない。私たちの事を信頼してくれているというのもあるのだろうが、睡眠が不足しているというのが大きいのだろう。
「しばらくは動けないですね」
「ああ。……だが、これくらいしか私にはできないからな。いいんだ」
姉の頭が膝に乗っているため動けない閣下は、「仕方ない」と言いつつも幸せそうである。
その様子に、せっかく私も温かい幸せを感じていたのに、途中、閣下からチロリ流し目を送られてギクリとした。
「……それに、ユーゴが話し相手になってくれるだろう?」
「あー……、やっぱり。いや、閣下、そろそろ私も話のネタが残ってないですって。姉上は小さい頃からしっかりした人だったし。それに今となってはもう、よっぽど閣下のほうが姉上の話を知ってると思いますよ?」
「む。……そうだろうか?」
「そうですって」
私がそう答えると、閣下は何かを考えるように黙ってしまった。
前に一度、閣下から、小さい頃の姉はどんな子だったのかと聞かれた際、ポロっと昔話をしてしまったことがある。すると、どうやらそれがツボに入ったらしいのだ。
それからというもの、姉と話をしていて嫉妬された後などは特に、こうやって昔話をしろと話を振られるようになっていた。
もちろん、弟である私には姉との思い出がたくさんある。
しかし、勝手に話をしている手前、姉が嫌がるような話はできないし。そもそも姉は昔からしっかりしていて、姉付きだったメイドのアンナならまだしも、姉の子ども時代特有の微笑ましい話など私はそんなに持っていなかった。
「うーむ。…………あ……」
そろそろ別の話でも振れないかと思った瞬間、何かを思い付いてしまったらしい閣下が私を見る。
「……どうしました?」
「いや、あー……、そうだ。なあ、ユーゴ」
「はい?」
「……頼みがあるんだが」
改まって頼みがあるだなんて、地味に嫌な予感がする。が、義理の兄とはいえ相手は大公閣下だ。
私は努めて笑顔を貼り付けた。
「……何でしょう?」
「ああ、いや、そろそろな……」
「……??」
「………………『義兄上』と、呼んでくれないか?」
「……へ?」
予想外の言葉に、思わずキョトリとしてしまう。
「いや、だって、せっかく義理とはいえ兄弟になったんだ。……いつまでも『閣下』では、少々……」
そう言って口籠もる目の前の人物が、目元をじわじわと赤くしていくのが見えた。
「……え。あ。え? いいんですか?」
「……当然だろう。私には兄だけで、…………ずっと弟が欲しかったんだ」
「なる、ほど……? では、えーっと……」
遠慮なく……と、口を開いたその時の、「義兄上」と言いかけた時。
――「『兄様』じゃダメなの?」
「「?!!」」
急に聞こえた声に二人で焦って視線を向ければ、まだどこかポヤリとした様子で姉が閣下を見上げていた。
「なっ?! マリ?! いつの間に起きて……?!」
いつも冷静な閣下が、慌てふためく。
「んんー……? えっと、ブランケットを掛けてもらった辺りから、うっすらとだけど意識はあったわ」
「「!!!」」
「ふふっ。ねぇ、兄様じゃダメなの? ……アレク兄様?」
「な゛っ。なんでマリが私を兄様って呼ぶんだ?!」
「ええー、なんとなく。私だって妹気分を味わいたい時ぐらいあるわよ、アレク兄様」
「ーー~~っっ……!!!」
話を聞かれていた恥ずかしさか、姉から「アレク兄様」と呼ばれる気恥ずかしさか。耳まで真っ赤にしながら口元を手で覆い、絶句している閣下を見て。いつもはすごくお強くて格好良い方なのになと思った瞬間、堪らない可笑しさが込み上げた。
「ふっ。……く、ふ、っ、……ふくくっ」
「ユーゴ?! おまっ」
堪えきれずに吹き出してしまうと、再び閣下に睨まれる。
「あー、ははっ、すみません。……っ、はぁ。……えーっと、いや、姉上。私はちゃんと、『義兄上』と呼ばせてもらいますよ」
「あら。そうなの?」
「はい」
閣下のなんとも怖くない視線をかわしつつ、一方でケロリとしている姉を見れば、なんだかデジャブを感じた。
(ここも『奥さん』のほうが強いんだな……)
きっとこの人たちも、あの人たちのようにずっと仲が良いままなんだろうなと改めて思う。
――きっと、この空気感もずっとこのまま続くだろう。
「ふふっ。……ええと、では。……これからもよろしくお願いしますね。義兄上」
「……っ、……ああ。よろしく、ユーゴ」
そう言い合うと、今度は三人で顔を見合わせて。私たちは一緒にぷっと吹き出し、笑い合ったのだった。
長男のアルマンくんが、まだマリのお腹の中にいる時のお話です。
【Side ユーゴ】
「お久しぶりです、姉上」
「いらっしゃい、ユーゴ」
「体調はどうですか?」
「大丈夫よ。ちょっと眠いけど、気分も良いわ」
「それは良かった」
季節が春から夏に移り変わろうとしている頃の、ある日の昼下がり。私は自分の姉の様子を見るため、その夫であるガルシア大公閣下の屋敷へと来ていた。
この、私にとって義理の兄となる閣下のこの屋敷にはもう既に何度か訪れていて、ジルやソフィ、サラとも顔馴染みとなっている。
いつものようにジルに通されて入った客間では、姉がソファに座って私を待っていた。
手招きに促されて、隣に座る。
「出迎えられなくて、ごめんなさいね」
私が座ると同時、姉がそう言って謝ってきた。
「いえ、いいんです。気にしないで下さい。……って。ああ、もうかなり大きくなってますね。……すごい」
「ふふふ。もうすこしで生まれる予定だもの」
そう。姉の様子を見に来たのも、出迎えを予め断っていたのも、姉が現在進行形で身重のためである。
子どもが生まれるだろうといわれている日まであと少し……、というところまできていて。姉のお腹は、横から見ているだけでも何だがソワソワしてしまいそうな程大きくなっていた。
「重くて仕方ないわ」
そう言って笑う姉の様子を観察したところ、すこし目の下に隈ができている以外は特に体調が悪いような様子もない。
とりあえず一安心かなと、私は一つ息を吐いた。
「ああ、ジル、ありがとう。……あ、そういえば姉上、今日は閣下は? 休みと聞いていたんですが……」
紅茶を出してくれたジルにお礼を言った後、ちょっと気になっていたことを尋ねる。
「ええ。本当は休みの予定だったんだけれど、朝になってオスカー様に呼び出されちゃってね。ユーゴが来る事は知っているし、昼過ぎには戻るとは言っていたから、もうすぐ帰ってくるとは思うけど……」
「なるほど……」
そうでしたかと答えてから、私は紅茶に口を付けた。
閣下は、ハッキリ言って、超が付くほど姉を溺愛している。そしてそれはもう、結婚前からの周知の事実なのである。生物学上の男は、閣下のいないところで姉と二人きりになってはいけない、というか、なったら後が怖い、というのが周りにおける暗黙の共通認識となっていた。
そしてその対象としては私も例外ではなかった訳で。
姉たちが結婚する前、ウチの領地で一緒に父からの扱きに耐えて打ち解けるまでは、姉と仲の良い私もよくギリギリと睨まれたものだった。
まぁそれが今は、閣下とも仲良くなり、『男』というより『弟』として認識されるようになったのだろう。全く無くなったとまでは言わないが、嫉妬の目を向けられることは少なくなっていた。……しかしそれでも、できるだけ姉と二人きりになるのは避けたほうが無難だ、という事に未だ変わりはないのである。
(今日のところは、閣下の都合でこの状況なのだし、大丈夫かな……?)
そう思いつつ再び姉に視線を戻せば、姉は美味しそうにハーブティーを飲んでいた。
「本当に、楽しみだなぁ……」
「んー? ふふっ。そうね」
「男の子ですかね? それとも、女の子かな?」
「どっちかしらねぇ? すっごく元気だから、男の子かも?」
「そうなんですか」
「起きてる時はグニグニよく動くし、蹴る力もすごいのよ。……ああ、今も。……触ってみる?」
「いいんですか?」
「ふふふっ。ええ」
もちろんよと笑う姉の、そのお腹に手を伸ばす。
「……?? ………………わ。……おぉ……?」
ぐにぃ、と動く姉のお腹がとにかく不思議で、すごくて。無心で手を当てていれば、姉がクスクスと笑った。
「ね? 元気でしょう? 静かな時もあるんだけど、きっとその時は寝ているんでしょうね。起きてる時はこんな感じよ。早く出て来たいのかも?」
「……もうすこし触っていいですか?」
「ええ」
引き寄せられるように姉のお腹に耳を当てて目を閉じれば、コポコポ、トクトクと音がして、時折ドンっと衝撃がある。
(……本当にすごい……)
私には姉以外の兄弟はいないし、私自身もまだ結婚をしていない。そのため、身重の女性と触れ合う機会は姉が初めてで。その、初めて体験する、たしかに感じる新しい生命の気配に心がじわりと温かくなった。
「相変わらず、柔らかい髪ね」
そう言って、姉が笑いながら私の頭を撫でる。
その久々の感触も嬉しくて、口元が緩んだ。
(姉上と閣下の子どもなら、絶対可愛いだろうし。……早く会ってみたいなぁ……)
今まで縁がなかった、小さい子どもと触れ合う機会。それに期待を膨らませ、父上や母上も最近ソワソワしてるんだよなぁ……なんて、お腹に耳を当てながら暢気に考えていた。
その時。
「……ユーゴ」
地を這うような低い声が聞こえて、ハッとして。弾かれたように顔を上げれば、いつの間に帰ってきていたのだろうか、そこにはギリギリと私を睨む閣下がいた。
(うわ。この感じ、懐かしいな……って! あー! これは! マズイ!!)
「お、お帰りなさい! 閣下!!」
「ああ……」
ひぃぃ! という叫び声をなんとか飲み込みつつソファから飛び退く。すると当然の如く、閣下が入れ替わるようにしてそこへ座ったので、私はすごすごと対面のソファへと座り直した。
「ふふ。アレク、お帰りなさい」
「ああ、ただいま。……体調は?」
「大丈夫よ」
(な、んとか……セーフ? ……かな?)
閣下が姉の言葉にふわりと微笑む。
そして、目の前でイチャイチャしだした二人を見ながら、どうやらそれ程怒らせてはいないようだと、私が内心で安堵の息をつこうとした瞬間のこと。
姉を抱き締める閣下と、バチリと目が合った。
(……ん?)
ジト目で睨まれたかと思えば、何かを思案するようにフイと視線を逸らされる。
(……これは何かさせられるな……)
そう思いながら閣下の様子を伺っていれば、何か思いついたのだろう、再びパチリと目が合った。
(やっぱアレかな……)
その瞳の色を見て、もうそんなにエピソードは残っていないんだけどな……などと、私は内心で苦笑した。
*
「……寝てしまいましたね」
「ああ……」
あれからしばらく三人で他愛のない話をしていると、姉が閣下に膝枕された状態で眠ってしまった。サラが持ってきてくれたブランケットを掛けながら、二人でその様子を見守る。
「腹の子が動くと言って、夜も眠りが浅いんだ」
閣下がすこし心配そうに、それでいて、とても愛おしそうに姉の頭を撫でながらそう言った。
姉は元々とてもしっかりした人で、あまりこんな風に人前で眠る事はない。私たちの事を信頼してくれているというのもあるのだろうが、睡眠が不足しているというのが大きいのだろう。
「しばらくは動けないですね」
「ああ。……だが、これくらいしか私にはできないからな。いいんだ」
姉の頭が膝に乗っているため動けない閣下は、「仕方ない」と言いつつも幸せそうである。
その様子に、せっかく私も温かい幸せを感じていたのに、途中、閣下からチロリ流し目を送られてギクリとした。
「……それに、ユーゴが話し相手になってくれるだろう?」
「あー……、やっぱり。いや、閣下、そろそろ私も話のネタが残ってないですって。姉上は小さい頃からしっかりした人だったし。それに今となってはもう、よっぽど閣下のほうが姉上の話を知ってると思いますよ?」
「む。……そうだろうか?」
「そうですって」
私がそう答えると、閣下は何かを考えるように黙ってしまった。
前に一度、閣下から、小さい頃の姉はどんな子だったのかと聞かれた際、ポロっと昔話をしてしまったことがある。すると、どうやらそれがツボに入ったらしいのだ。
それからというもの、姉と話をしていて嫉妬された後などは特に、こうやって昔話をしろと話を振られるようになっていた。
もちろん、弟である私には姉との思い出がたくさんある。
しかし、勝手に話をしている手前、姉が嫌がるような話はできないし。そもそも姉は昔からしっかりしていて、姉付きだったメイドのアンナならまだしも、姉の子ども時代特有の微笑ましい話など私はそんなに持っていなかった。
「うーむ。…………あ……」
そろそろ別の話でも振れないかと思った瞬間、何かを思い付いてしまったらしい閣下が私を見る。
「……どうしました?」
「いや、あー……、そうだ。なあ、ユーゴ」
「はい?」
「……頼みがあるんだが」
改まって頼みがあるだなんて、地味に嫌な予感がする。が、義理の兄とはいえ相手は大公閣下だ。
私は努めて笑顔を貼り付けた。
「……何でしょう?」
「ああ、いや、そろそろな……」
「……??」
「………………『義兄上』と、呼んでくれないか?」
「……へ?」
予想外の言葉に、思わずキョトリとしてしまう。
「いや、だって、せっかく義理とはいえ兄弟になったんだ。……いつまでも『閣下』では、少々……」
そう言って口籠もる目の前の人物が、目元をじわじわと赤くしていくのが見えた。
「……え。あ。え? いいんですか?」
「……当然だろう。私には兄だけで、…………ずっと弟が欲しかったんだ」
「なる、ほど……? では、えーっと……」
遠慮なく……と、口を開いたその時の、「義兄上」と言いかけた時。
――「『兄様』じゃダメなの?」
「「?!!」」
急に聞こえた声に二人で焦って視線を向ければ、まだどこかポヤリとした様子で姉が閣下を見上げていた。
「なっ?! マリ?! いつの間に起きて……?!」
いつも冷静な閣下が、慌てふためく。
「んんー……? えっと、ブランケットを掛けてもらった辺りから、うっすらとだけど意識はあったわ」
「「!!!」」
「ふふっ。ねぇ、兄様じゃダメなの? ……アレク兄様?」
「な゛っ。なんでマリが私を兄様って呼ぶんだ?!」
「ええー、なんとなく。私だって妹気分を味わいたい時ぐらいあるわよ、アレク兄様」
「ーー~~っっ……!!!」
話を聞かれていた恥ずかしさか、姉から「アレク兄様」と呼ばれる気恥ずかしさか。耳まで真っ赤にしながら口元を手で覆い、絶句している閣下を見て。いつもはすごくお強くて格好良い方なのになと思った瞬間、堪らない可笑しさが込み上げた。
「ふっ。……く、ふ、っ、……ふくくっ」
「ユーゴ?! おまっ」
堪えきれずに吹き出してしまうと、再び閣下に睨まれる。
「あー、ははっ、すみません。……っ、はぁ。……えーっと、いや、姉上。私はちゃんと、『義兄上』と呼ばせてもらいますよ」
「あら。そうなの?」
「はい」
閣下のなんとも怖くない視線をかわしつつ、一方でケロリとしている姉を見れば、なんだかデジャブを感じた。
(ここも『奥さん』のほうが強いんだな……)
きっとこの人たちも、あの人たちのようにずっと仲が良いままなんだろうなと改めて思う。
――きっと、この空気感もずっとこのまま続くだろう。
「ふふっ。……ええと、では。……これからもよろしくお願いしますね。義兄上」
「……っ、……ああ。よろしく、ユーゴ」
そう言い合うと、今度は三人で顔を見合わせて。私たちは一緒にぷっと吹き出し、笑い合ったのだった。
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