【本編・改稿版】来世でも一緒に

霜月

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第49話

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 微睡む意識の中で、ふと、アレク様に頭を撫でられる感触がした。

 その手はとても優しくて。
 私のことをとても大事にしているのだとわかる触れ方で。

 撫でられるほどに切なくなって、涙が出そうになった。



 *



 ……コンコン。コンコン。

 扉を叩く音で目を覚ました。
 薄暗い寝室の中、ベッドの上で体を起こし、扉に視線を移す。

「マリアンヌ様、サラです」

「……入ってちょうだい」

 私がそう応えると、サラが扉を開け一礼して入ってきた。

「おはよう、サラ」

「おはようございます、マリアンヌ様。……お身体の調子はいかがですか?」

 サラが水差しの水をグラスに注ぎ、私に渡しながら聞いてきた。

「ええ。大丈夫みたい。二日も眠り続けていたと聞いていたから昨夜は眠れないかと思ったけれど、……いつの間にか眠ってしまったみたいね」

「ずっと熱を出されていましたから当然ですわ。……もう起きられますか? 起きられるなら、カーテンをお開けいたしますが」

「……そうね。起きるわ。カーテンも開けてくれる?」

「はい。かしこまりました」

 サラがカーテンを開けていく。
 いつもより遅い時間のようで、外はかなり明るくなっていた。

「ねぇ、サラ。アレク様は昨日はお戻りになられたの?」

 ベッドから出て、端に腰掛けながら尋ねた。

「はい。昨夜というか、朝方に一度、荷物を取りにお戻りになられました」

「……では、今はもう出ておられるのね」

(……本当にお忙しい方だわ)

 そう思った後、ふと、私の頭を撫でるアレク様の手の感触を思い出し、自分で自身の頭に触れる。

 ――記憶のせいか、長い間アレク様に会っていない気がした。

(……会いたい……)

 無意識に、心が願う。

 実際には数日会っていないだけだと頭では分かっていた。会えない理由も、仕方のないことだとも頭では理解できていた。

(会いたい……)

 今すぐには無理だと、ちゃんと理解できていたのに。

 それでも、……どうしても心がついてこなかった。

(アレク様に、会いたい……っ)

 気付けば目から涙が零れていて、頬を伝っていく。

「マリアンヌ様?! やはり体調が優れませんか?!」

 サラが慌てた様子で声をかけてくる。

 でも、答えようとしても、喉の奥が詰まってなかなか言葉が出てこなくて。私は涙を隠すように両手で顔を覆い、ただ無言で首を横に振った。



 *



 それは、なんとか顔を上げようとした時だった。
 閉ざされた視界の向こうでサラが戸惑っているのを感じ、これ以上心配をかけてはいけないからと、強引にでも涙を拭ってしまおうとした時だった。

「失礼します」

 そうサラの声がしたかと思ったら、ふわりと腕が回され、温かい手が背中を優しくさすった。

「……旦那様もマリアンヌ様のことをとても気に掛けておられるご様子でした。朝方出られる際も、しばらく帰れないかもしれないが、その分できるだけ早く片付けるからと、鬼気迫る雰囲気でおっしゃられて。……だから、大丈夫です。きっとすぐに帰ってこられますよ」

「……ッ……そう。そうね。……取り乱して、ごめんなさい」

 涙を拭い、なんとか顔を上げて笑顔を作る。

「ふふふ。いいんです。それだけマリアンヌ様が旦那様を想ってらっしゃるという事ですもの」

「……そう言ってくれて、ありがとう。サラ」

 サラの優しい言葉に胸がじわりと温かくなったが、それと同時に、言いようのない寂しさも広がった。

(サラに対して時折感じていた懐かしさは、知佳との事だったんだわ……)

 家が隣で、同じ歳で、小さい頃から共に過ごした。
 大好きだった、もう二度と会うことができない幼なじみ。

 たしかに、あの時はもう大人になろうとしていた段階で、お互いに別々の道を歩み出そうとしている段階だった。それぞれに支え合える別の手を見つけ、そっちの手を取ろうとしている段階だった。

 それでも二度と会えないという事実はあまりに重く、優しい彼女はきっと、私の死に心を痛めたことだろう。

(……涼先輩が、支えてくれていたらいいな)

 ――私はもう、彼女の側には行けないから。

「さあ、マリアンヌ様。顔を洗って少し目元を冷やしましょう」

 サラがそう言ったので、私は頷いてバスルームへと向かった。



 *



「マリアンヌ様、シュヴァリエ侯爵夫人が来られています。こちらにお通ししてもよろしいでしょうか?」

 食事をゆっくり摂った後、部屋のソファでゆっくりしているとジルが来てそう言った。

「お母様が?」

「はい」

「わかったわ。お通ししてちょうだい」

 私が頷きながら言うと、「お呼びして参ります」と言って、ジルは部屋から出て行った。

(社交シーズンが終わって、領地に戻っていらっしゃる頃の筈だわ……)

 何故王都にいるのだろうかと考えていれば、扉をノックする音が部屋に響いた。きっと母だろう。

「はい。どうぞ」

 声をかけると同時、扉を開けて母が入ってきた。

「マリー! 倒れたと聞いて心配したわ! ああ! 気分はどう? 大丈夫?」

 ハグをされた後、顔を覗き込まれて尋ねられる。

「私はもう大丈夫ですが……。お母様こそ、どうされたんですか? もう領地に戻っておられる頃ですよね?」

「アドルフに言われて、ちょっとね」

「お父様に?」

「ええ。えっと、マリーは今のアナトールの情勢が不安定なのは知っているわよね?」

「はい。一応」

「それでね。最近、王都にまでアナトールからの流民や賊が流れてきているのよ。その対応にガルシア公が追われている筈だから、マリーが寂しい思いをしているかもしれないと言われたの。結婚前で不安な時に一人では辛いだろうからと、私に王都へ行くよう指示されたのよ」

「まぁ!」

「まったく。もう少しで王都っていうところでガルシア公の屋敷の者とちょうど会ったと思ったら、貴女が倒れたっていう手紙を持っているんだもの。慌ててしまったわ」

「そうだったんですね。……申し訳ありません、ご心配をおかけしてしまいましたわ」

 私が頭を下げると、母が再び優しくハグをしてくれた。

「ああ、マリー。何も謝ることはないわ。……そもそも貴女は一人で頑張りすぎなのよ。もう少し私たちを頼ってくれてもいいのに」

 優しく髪をきながらそう言われて、懐かしい母の香りと温もりに涙が滲む。

 今思えば、マリアンヌは、万里としての記憶を無意識の内に引きずっていたのかもしれない。

 "父"と"母"という、無条件で甘えられる存在を亡くしたことへの絶望感。
 生きているうちに何も返せなかったという後悔。
 自分一人で生きていかなければならないという意識。

 それらが根底にあって、なんとか自分を律しようと懸命になりすぎていた気がする。

「貴女は一人じゃないのよ。私やアドルフ、まだちょっぴり頼りないけれどユーゴもいるし、アンナやマクシムだっているわ。それに、こちらの屋敷にも頼れる人ができているのでしょう?」

 母の言葉に、サラやジル、ソフィ、ポールの顔が浮かぶ。

「今だって、ガルシア公がおられなくて本当は寂しいのではなくて?」

 そしてその顔が浮かんだ瞬間には、キュッと眉が寄った。

(……アレク様……)

 本当はとても恋しくて、どうにかなりそうだった。

 でも、それを口に出したら何かが決壊してしまいそうで。
 怖くて、今まで言葉に出来なかったのだ。

「…………寂しいです、本当は。少し会えていないだけなのに、……寂しくて恋しくて、会いたくて堪らないの。……でも、お母様。これはただの私の我儘ワガママだわ。アレク様はお忙しい方だと分かっているのに、こんなこと言ってはいけないでしょう?」

 顔を上げて見上げると、とても優しい顔をした母と目が合った。

「マリーは、本当にガルシア公の事を愛しているのね」

「……え?」

 母の指が、優しく頬を撫でる。

「帰ってこられたら、言ってごらんなさいな。あなたたちは夫婦になるのでしょう? そういう気持ちは素直に言ったほうがいいものよ。……大丈夫。あの方ならきっと受け止めてくださるわ」

「お母様……」

「ふふふ。でも、すこしガルシア公に嫉妬してしまうわね。あなたは私にもあまり甘える子ではなかったから」

 すこし拗ねたような母の声と、ムギュリムギュリと締まる腕。

「ねぇ、マリー。さっきも言ったけれど、もっと私たちにも甘えていいのよ? たしかに貴女は侯爵家の令嬢で、来年には大公夫人となるけれど、その前に、貴女は私たちの娘なのだから。……ね?」

 そしてその言葉と温かな体温に、目頭が熱くなった。

(……そうよ。まだ私には父と、母と呼べる存在がいるのだわ。まだ生きていて、こうして抱き締めてくれるじゃない)

「……お母様。……大好き」

「まぁ! ふふふ! お母様もよ。マリーを愛しているわ」

「これからも、会えるのよね」

「当然よ。私も会いに来るし、貴女もたまには帰って来なさいな。屋敷のみんなが喜ぶわ」

「ふふふ。みんなを思い出したら、なんだか少し領地に帰りたくなってしまったわ」

「アドルフもとても会いたがっていたのよ。でも今はアナトールの事があるし、ちょっとねぇ。……うーん、それとも、もういっそのこと潰してもらおうかしら」

「え?」

 不穏な言葉が聞こえたので思わず顔を上げると、ニッコリ笑う母の顔があった。

「アナトールがいつまでもゴタゴタしているからいけないのよね。アナトールの事がキレイに片付けば、閣下と貴女が一緒に過ごす時間も増えるし、ウチの領地も落ち着くから私ももっと王都に来やすくなる。
 ……まったく。そうよ。アドルフが面倒くさがってアナトールを野放しにしていたのがいけないのよ。あの人は後処理で忙しくなるかもしれないけれど、それは自業自得というものだわ。……うふふっ。そうと決まれば、アドルフに手紙を書かなくてはね」

「お、お母様?」

「大丈夫よ、マリー。お母様とお父様に任せなさい」

 そう言って私の頭を撫でる母は、とびきりの笑顔を浮かべていて。

 ――笑顔の筈なのに、なんだかとっても怖かったのだった。
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