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第46話 永遠願う日の終わり

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 それは、空気の冷たい、よく晴れた日の事だった。

 空に向かって白い息を吐き出せば、ふわりと広がって消えてゆき、視線を空から下に戻せば、駅の人混みの向こうに、どこかキラキラとした街並みが見えた。

「クリスマスだなぁ……」

 そう言いながらさらに視線を落とせば、母が好きだったデイジーの花束が視界に入る。

 ――そう。今日はクリスマス・イヴだ。


「市川」

 駅のホームの入口で花束を抱えて立っていると、私の名前を呼ぶ智也先輩の声が聞こえた。今日は午後から先輩と待ち合わせて、一緒に父と母のお墓参りに行くことにしていたのだ。

「智也先輩」

「早かったな。俺も少し早めに着くように出たんだけど。……待った?」

 その言葉に、私は首を振る。

「花屋さんに寄りたくて早めに出たら、そのまま早く着いちゃって。あ、でも、本当にさっき着いたところです」

「そっか。昨日は途中で何も話さなくなったから電話切ったけど、あれから少しは眠れた?」

「あ。ご、ごめんなさい。私寝落ちしちゃったみたいで。先輩の声聞いてたら安心して、……気付いたら朝でした」

「そかそか。それなら良いんだ」

「わざわざ電話もらったのに。本当にすみません」

「俺が心配になって勝手にしただけだから気にすんなって。……っと、そろそろ時間だな。行くか」

 先輩が腕時計を見ながらそう言ったので、私たちは改札へと足を向けた。



 *



 街中から離れた郊外に建つお寺。その境内に、父と母が眠るお墓がある。お寺が管理してくれているためいつも綺麗にされているが、とりあえずと、私たちも軽く掃除をして、花を供え、お線香をあげた。

 先輩と二人並んで手を合わせる。

 ――――。

 顔を上げて横を見れば、同じタイミングで先輩も私を見た。

「……行きましょうか」

「ああ」

 私は笑顔でそう言って、先輩と一緒にお墓を後にした。



 *



「やっぱ、緊張するな」

「……緊張?」

 帰りの電車を待つため二人で駅のベンチに座っていた時のこと。不意に呟かれた先輩の言葉に、私は少し首を傾げた。

「俺にとっては『彼女のご両親に初めてのご挨拶』だった訳じゃん?」

「あ……」

「変なヤツって思われたら嫌だったから、昨日の夜とかめっちゃ服装悩んだわ」

 そう言われて改めて先輩の格好を見ると。
 たしかにいつものラフな格好ではなく、シャツにダークグレーのニットソーを重ねて、ベージュのチノパンに黒のコートとという、ちょっとキレイめのファッションをしていた。

「ふふふ。そうだったんですね。……先輩、そういう格好も似合ってますよ」

 カッコイイです。と、私が笑顔で言うと、先輩がフッと微笑んだ。

「本当はスーツ着ようかなって思ってたんだけど、さすがにアレかなって思って止めた。でもやっぱ、スーツ着てくれば良かったかもな」

「え、なんでですか?」

「や、手合わせてる時さ。万里さんを一生大事にしますって心ん中で言ったんだけど、やっぱこの格好じゃイマイチ締まらなかったかなって」

 恥ずかしげに、口元に手を当てて話す智也先輩。

 私はその言葉に目を見開いた。

「…………一生……?」

 聞き返す私の頬に先輩の手が伸びてきて、優しく触れる。

 ――そう、一生。と、先輩はゆっくり頷いた。

「もう俺さ、市川の事、この先一生大事にするって決めてるんだけど。……ダメだった?」

 口元には柔らかい笑顔を浮かべつつも、どこか不安そうに眉は寄っている。
 その少し染まった目元も、美しいグレーの瞳も、しっかりと見ていたいのに、じわりじわりとぼやけていって。堪えきれずに零れた涙は、優しい指先に拭われた。

「……あ、の、先輩。……私、まだまだ子どもで、……全然、自立もできてなくて……」

「……うん」

「……就活もこれからだし。料理とか、家事とかも、まだ未熟で……」

「うん」

「私、かなりの、寂しがり屋ですよ? 迷惑、かけますよ?」

「そうなの? ……でも、いいよ」

「本当に、周りに、支えてもらってばっかりだし……、頼ってばっかりだし……」

「うん。……なぁ、市川。その『周り』の中に、俺入ってる?」

「っ、入ってますよ。……たぶん、先輩いなくなったら、私生きていけない……」

 もうそれぐらい、先輩のことが好きなんです。と、私が涙声で告白すれば。頭をフワリと抱き寄せられて、頭上で「ハハッ、……熱烈……」と、先輩の嬉しそうな声がした。


「……先輩、好きです」

 ふと、零れる言葉。

「……うん。知ってる」

 それを、きちんと拾って受け止めてくれる人が側にいる。

 その事実が幸せで。
 ただただ幸せで。

 その後は。
 静かに二人で寄り添い合い、電車が来るまでそのままでいた。



 *



「えっと、これからどうする?」

 改札から出た、駅のホーム。
 辺りは既に夜の気配が漂い始め、イヴに帰宅を急ぐ人々が沢山行き交っていた。

「食欲あるなら、メシ食べに行こうか?」

「……予定大丈夫なんですか?」

「……? 今日はイヴだぞ? 目の前に可愛い自分の彼女がいるのに、それ以外に優先する予定がある訳ないじゃん?」

 先輩が怪訝けげんな表情をしている。

「……一緒にいてくれるんですか?」

「いてくれるって言うか、いたいんだけど。……今日は一緒にいさせてくれる?」

 先輩が少し微笑んでそう言った。
 でも、微笑んでいるのに、その顔にはどこか緊張が入り混じっていて。

 その表情を見て、すこし、私の心臓がドクリとした。

「……はい。……一緒にいて下さい」

 声がかすれてしまう。

「じゃあ、まずはメシかな。……って、その前に、市川にお願いがあるんだけど」

「なんですか?」

「あー……あのさ、名前の呼び方なんだけど、……そろそろ市川じゃなくて――――

 それは。

 先輩が私から少し視線を外して、そう話す途中だった。

「……先、……ッ!!?」

 それは。

 途中で言葉を切った先輩を不思議に思い、話しかけようとした瞬間だった。

 先輩に体を押されて。
 尻餅をついて。
 ビックリして顔を上げた。

 その瞬間だった。

 先輩に、黒いパーカーのフードをかぶった人が、ぶつかった。



 *



 その人の顔はフードで隠れて私の位置からはよく見えなかった。

 ただ、その人が先輩から体を離し静かに立ち去るその手に、何か赤い物が握られているのがよく見えた。

「……先輩?」

 なんとか絞り出した私の声に、先輩が私に視線を戻す。

「……市川、……よかっ、た……」

 先輩がそう言った、その次の瞬間には。

 先輩はその場に崩れるようにして倒れていた。

「……え? 先輩? ……智也先輩?!」

 うようにして先輩の側まで行き、呼びかける。

 先輩は脇腹を手で押さえていて。
 見ると、その指の間からは血が溢れ出していた。

「……え、嘘。……嘘、嘘嘘嘘っ!」


 きゃぁああーーー!!!
 うわぁぁ!
 やべぇ! 逃げろ!! 刺されてる!!
 警察! 警察! だれかっ! いやぁぁー! 助けてーー!!
 おい!! 救急車だ! 救急車呼べ!!!!


 音が遠くに聞こえた。
 叫び声と激しい足音を立て、周りにいた多くの人たちが逃げてゆく。

 そんな中で、私は冷たい床に座り込み、自分の腕の中にいる先輩へと必死に声をかける。

「せんぱいっ?! ねぇ! 先輩!!」

 先輩はかたく目を瞑り、眉間に深い皺を寄せ、苦しそうに浅い呼吸を繰り返していた。

 駅のホームに響き渡っているのは、耳をつんざくような怒号と激しい足音で。

「いやだ、目を開けて!! ……誰か助けて、先輩が!! ……ッ……お願い! 死なないで!! 先輩っっ!!」

 いくら張り上げても、自分の声はかき消されて届かない。

 手で必死に押さえても、指の間からドクドクと血があふれ、服の染みを大きくしていく。
 手のひらに感じる温かい血と、対して冷えていく先輩の体温に、私の心も冷えていく。

(嗚呼、お願い神様。先輩を連れて行かないで。……もう私を、一人にしないで――)

「……ッ、先輩、一生大事にするって言ったじゃん! 一人にしないって! 一緒にいてくれるって言ったじゃん!! ねぇ!!!」

 私がそう叫んだ時、先輩がゆっくり目を開けて私を見たので。

 ああ、良かったと思った。
 生きてるって思った。

 でも。
 そう思った私が寄り添おうとしても、何故か先輩が私を押し返そうとする。

 先輩が赤黒い血を吐きながらも、何故か「にげろ」と言う。

 それでも側を離れたくなくて。
 強烈な血の匂いにむせ返りそうになった時。


 ――私の背後に、人が立ったと、気が付いた。


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