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第29話【Side アレクサンドル】
しおりを挟む――時は遡り、舞踏会の翌朝のこと。
私はいつものように騎士団の隊舎にある団長用の執務室にいた。
……コンコンッ。
少し眉を寄せて手紙を読んでいると、扉をノックする音が部屋に響く。それに返事をしようと顔を上げた瞬間、私が声を出す前に扉がガチャリと開いた。
「……オスカー。お前のノックには意味がないじゃないか」
「んお?! あれ? アレク、もう来てたのか。早かったな」
「?? ……いつもこの時間には来ている筈だが?」
オスカーが持っていた書類を私の机に置きながらそう言うので、ポケットから時計を取り出して時間を確認する。
その時計が示す時間も、やはりいつもの執務室で仕事をしている時間であった。
「いや、昨日、舞踏会だったじゃないか。お前ダンスの後に婚約者様と消えただろ? てっきりお楽しみで、今朝は遅くなるかと思ったんだが……」
「……何故ダンスの後に消えたって知っている? お前も来ていたのか?」
「あー、ああ。昨日は親父から言われて休みを取っていたのは知っているだろ? ……あれな、舞踏会への強制出席のためだったんだよ……」
そう言って項垂れるオスカーが話す事には。
親父殿に半強制的に休みを取らされた上、いざ当日の朝になると、舞踏会へ来ていくための燕尾服を渡されたらしい。
最初は断ったらしいが、同じ歳で、且つ、女嫌いとまで噂されていた私がとうとう婚約したという話を持ち出された挙句、「今日行かなかったら……、どうなっても知らないぞ?」と脅されたんだそうだ。
「もちろん、声を掛けようと思っていたんだがな。なんかお前たちの周りにすごい人集りができててさ、全然近付けなかったんだよ。そんでまぁ、ダンスの後ででいいかと思っていたら、いつの間にか二人とも消えてるしで、結局声をかけられなかったって訳」
「なるほど……」
「あ! そう言えば、見たぞ! お前の婚約者! めっっちゃ可愛いって言うか、美人だな! 会場中の男たちの視線を集めていたじゃないか。俺の知り合いもポーっとして見てたぞ」
オスカーのその言葉を聞いて、昨夜の会場にいた男共のマリーを見つめる視線を思い出し、不快な気分になる。
思わず眉を寄せるとオスカーに笑われた。
「ハハハ! そんな顔するなよ。あれは仕方ないって。ただでさえお前の婚約者ってことで噂になっていたのに、あれだけの容姿と存在感だ。皆が見惚れるのも頷ける。さすがシュヴァリエ侯爵家のお姫様ってところだな」
そう。昨夜のマリーは一段と美しかった。
凛とした空気を纏い、常に上級貴族の令嬢らしい微笑みをたたえていて。そして、堂々と振る舞うその姿は、ついこの間社交界デビューを済ませたばかりの令嬢とはとても思えなかった。
「まあ、でも、横にいる騎士団団長様があれだけ周りへの威嚇オーラを放ちつつ姫さんを溺愛する様子を見たら、誰も手を出そうとは思わんだろうけどな」
「……当然だな。もし仮に手を出そうものなら誰であろうと潰してやるさ」
「おー怖っ。ま、それにしてもすごかったな。あんだけ難しい曲を息ピッタリに踊るなんて。お前もだけど、姫さんも相当な腕だろ」
「ああ。確かに。マリーはどんな難しい曲でも優雅に踊るな。まぁ、それだけの努力を今までにしてきたってことなんだろうが。その上でまだ頑張ろうとするから、私もよく驚かされる」
「へぇ、すごいじゃないか。さすがだな。……っていうか、鏡持っていって見せてやりたかったよ、ダンス中の姫さんを見つめるお前の顔。まだお前を狙ってたその辺の令嬢たちもあの顔を見て撃沈してたぞ」
「……顔……?」
「は? もしかして自覚なしか? その前からもだったけど、一曲目が終わるすこし前ぐらいかな? お前、姫さんと何か話してただろ? その時から、もう、姫さん愛してますー!! 姫さんしか眼中に入りませーん!! って顔してたぞ?」
(一曲目が終わるすこし前……?)
そう思って記憶を辿ろうとしたその瞬間。
――「……離さないで」――
マリーのあの時の言葉と様子がブワリと思い出された。
我ながら、大人気ない嫉妬をしてしまったとすぐに後悔したのだ。なんて器の小さい男だと、こんなことでは彼女に呆れられると思った。
しかし、その後かけられた彼女からの言葉は、ひどく私の心を満たすもので。
場所など構わず、その存在の全てが欲しくなった。
表面に私の色を纏わせるだけでは飽き足らない。彼女の中、その最奥まで、私のモノだという証拠を塗り付けたい。そう、心が暴れそうになるほど愛しくなって。
そんな中、体を重ね、息を合わせるように踊れば、彼女との夜を想像し、欲しくて欲しくて堪らなくなった。
「……ッッ」
つられて思い出した唇に残る彼女との甘いキスの感触に、私は思わず口に手を当てて俯く。
「……何顔真っ赤にして想像してんだよ。つーかその顔、……マジか。やっぱりヤ……「ヤッてない」
「え?」
「……まだ、ヤッてない」
「は? え? だって、お前、姫さんが屋敷に来たのは夏の始め頃じゃなかったか? それからずっとあんな美人と同じ屋根の下にいて、……まだ?」
「うるさい。私だって我慢してるんだ」
「はぁ~?」
「仕方ないじゃないか。休みの日ぐらいしか彼女と過ごす時間はないし。それに、……マリーの気持ちを優先させたいんだよ。私が衝動のままに襲ってしまったら、彼女はきっと傷付く」
「あー……、それは、そうかもしれないなぁ……」
「その上、屋敷の者にも釘を刺されてる。式までにはマリアンヌ様も心の準備をされるでしょうから。とな」
「式までって、まだ先の話じゃないか。……生殺しだな」
オスカーの憐れむような声に、つい思わず大きなタメ息をついて返してしまった。
「それに、どうやらこれから更にマリーとの時間が取れなくなりそうだ」
「……? なんでだ?」
訝しむ表情のオスカーに、先程読んでいた手紙を渡す。
「シュヴァリエ侯爵からだ。夜会から帰る時に渡された。……読んでみろ」
オスカーがゆっくりと手紙を開き、中を読む。
読み終わった後に私に手紙を返すと、彼もまた大きなタメ息をついた。
「どうりで最近第二からの助力要請が多いわけだよ。……ハァァー……、まったく、相変わらずアナトールも為政者に恵まれない国だな。いっそシュヴァリエ侯に潰してもらえばいいのに」
「おい」
「なんだよ。お前だって内心そう思ってるんだろ?」
「……まぁ、な」
シュヴァリエ侯爵からの手紙には、東国・アナトールの現状と、これから予想されるこの国への影響が書いてあった。
変な話、東国・アナトールは愚王確率が高い国だ。
歴史を見ても、好戦的で戦争を仕掛けようとしてくるが悉く返り討ちにされる王や、なぜ王になれたのかも分からない色狂い、権力に溺れるだけの能無し、賢王かと思っても病弱ですぐに亡くなってしまうなど。正に、呪われているとしか思えない国である。
さほど大きくはない国なので、何かあってもシュヴァリエ侯爵がなんとかするか、第一騎士団が出て返り討ちにしていたのだが、……今回はどうやら少し面倒なことになっているらしい。
と言うのも。
アナトールの現国王が、国民に重い税を課す一方で、自分は豪遊しているという、典型的な唯我独尊タイプの愚王なのである。
国民がどんどん不満を募らせている上、今年の夏は例年に比べて雨量が少なかったらしく、これから収穫する作物の多くが不作になりそうなのだとか。
冬はこれからなのに備蓄が少なくては不安も募る。このまま重課税が続けば、国民の不満が爆発するだろうとのこと。
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「その時はよろしくネ!」で〆られた侯爵からの手紙を睨んでいると、「今年の冬は休みが取れないかもな」と、オスカーが言った。
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「せっかくマリーといい感じになってきているのに……」
「ははっ。ご愁傷様。まだ休暇が取れる今の内に、せいぜい姫さんとの時間を楽しんでおけよ」
私がついそう呟くと、オスカーに肩を叩かれた。
(今度の休みはマリーをピクニックにでも誘って、二人でゆっくりしよう)
オスカーの言う通り、マリーとの時間が取れるのは今の内しかないのだ。
眉間の皺を揉み解しながら、私は心の中でそう決意したのだった。
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