上 下
31 / 61

第29話【Side アレクサンドル】

しおりを挟む


 ――時は遡り、舞踏会の翌朝のこと。


 私はいつものように騎士団の隊舎にある団長用の執務室にいた。

 ……コンコンッ。

 少し眉を寄せて手紙を読んでいると、扉をノックする音が部屋に響く。それに返事をしようと顔を上げた瞬間、私が声を出す前に扉がガチャリと開いた。

「……オスカー。お前のノックには意味がないじゃないか」

「んお?! あれ? アレク、もう来てたのか。早かったな」

「?? ……いつもこの時間には来ている筈だが?」

 オスカーが持っていた書類を私の机に置きながらそう言うので、ポケットから時計を取り出して時間を確認する。
 その時計が示す時間も、やはりいつもの執務室で仕事をしている時間であった。

「いや、昨日、舞踏会だったじゃないか。お前ダンスの後に婚約者様と消えただろ? てっきりお楽しみで、今朝は遅くなるかと思ったんだが……」

「……何故ダンスの後に消えたって知っている? お前も来ていたのか?」

「あー、ああ。昨日は親父から言われて休みを取っていたのは知っているだろ? ……あれな、舞踏会への強制出席のためだったんだよ……」

 そう言って項垂うなだれるオスカーが話す事には。

 親父殿に半強制的に休みを取らされた上、いざ当日の朝になると、舞踏会へ来ていくための燕尾服を渡されたらしい。

 最初は断ったらしいが、同じ歳で、且つ、女嫌いとまで噂されていた私がとうとう婚約したという話を持ち出された挙句、「今日行かなかったら……、どうなっても知らないぞ?」と脅されたんだそうだ。

「もちろん、声を掛けようと思っていたんだがな。なんかお前たちの周りにすごい人集りができててさ、全然近付けなかったんだよ。そんでまぁ、ダンスの後ででいいかと思っていたら、いつの間にか二人とも消えてるしで、結局声をかけられなかったって訳」

「なるほど……」

「あ! そう言えば、見たぞ! お前の婚約者! めっっちゃ可愛いって言うか、美人だな! 会場中の男たちの視線を集めていたじゃないか。俺の知り合いもポーっとして見てたぞ」

 オスカーのその言葉を聞いて、昨夜の会場にいた男共のマリーを見つめる視線を思い出し、不快な気分になる。

 思わず眉を寄せるとオスカーに笑われた。 

「ハハハ! そんな顔するなよ。あれは仕方ないって。ただでさえお前の婚約者ってことで噂になっていたのに、あれだけの容姿と存在感だ。皆が見惚れるのも頷ける。さすがシュヴァリエ侯爵家のお姫様ってところだな」

 そう。昨夜のマリーは一段と美しかった。
 凛とした空気を纏い、常に上級貴族の令嬢らしい微笑みをたたえていて。そして、堂々と振る舞うその姿は、ついこの間社交界デビューを済ませたばかりの令嬢とはとても思えなかった。

「まあ、でも、横にいる騎士団団長様があれだけ周りへの威嚇オーラを放ちつつ姫さんを溺愛する様子を見たら、誰も手を出そうとは思わんだろうけどな」

「……当然だな。もし仮に手を出そうものなら誰であろうと潰してやるさ」

「おー怖っ。ま、それにしてもすごかったな。あんだけ難しい曲を息ピッタリに踊るなんて。お前もだけど、姫さんも相当な腕だろ」

「ああ。確かに。マリーはどんな難しい曲でも優雅に踊るな。まぁ、それだけの努力を今までにしてきたってことなんだろうが。その上でまだ頑張ろうとするから、私もよく驚かされる」

「へぇ、すごいじゃないか。さすがだな。……っていうか、鏡持っていって見せてやりたかったよ、ダンス中の姫さんを見つめるお前の顔。まだお前を狙ってたその辺の令嬢たちもあの顔を見て撃沈してたぞ」

「……顔……?」

「は? もしかして自覚なしか? その前からもだったけど、一曲目が終わるすこし前ぐらいかな? お前、姫さんと何か話してただろ? その時から、もう、姫さん愛してますー!! 姫さんしか眼中に入りませーん!! って顔してたぞ?」

(一曲目が終わるすこし前……?)
  
 そう思って記憶を辿ろうとしたその瞬間。

 ――「……離さないで」――

 マリーのあの時の言葉と様子がブワリと思い出された。

 我ながら、大人気ない嫉妬をしてしまったとすぐに後悔したのだ。なんて器の小さい男だと、こんなことでは彼女に呆れられると思った。

 しかし、その後かけられた彼女からの言葉は、ひどく私の心を満たすもので。

 場所など構わず、その存在の全てが欲しくなった。

 表面に私の色を纏わせるだけでは飽き足らない。彼女の中、その最奥まで、私のモノだという証拠を塗り付けたい。そう、心が暴れそうになるほど愛しくなって。
 そんな中、体を重ね、息を合わせるように踊れば、彼女との夜を想像し、欲しくて欲しくて堪らなくなった。


「……ッッ」

 つられて思い出した唇に残る彼女との甘いキスの感触に、私は思わず口に手を当ててうつむく。

「……何顔真っ赤にして想像してんだよ。つーかその顔、……マジか。やっぱりヤ……「ヤッてない」

「え?」

「……まだ、ヤッてない」

「は? え? だって、お前、姫さんが屋敷に来たのは夏の始め頃じゃなかったか? それからずっとあんな美人と同じ屋根の下にいて、……まだ?」

「うるさい。私だって我慢してるんだ」

「はぁ~?」

「仕方ないじゃないか。休みの日ぐらいしか彼女と過ごす時間はないし。それに、……マリーの気持ちを優先させたいんだよ。私が衝動のままに襲ってしまったら、彼女はきっと傷付く」

「あー……、それは、そうかもしれないなぁ……」

「その上、屋敷の者にも釘を刺されてる。式までにはマリアンヌ様も心の準備をされるでしょうから。とな」

「式までって、まだ先の話じゃないか。……生殺しだな」

 オスカーの憐れむような声に、つい思わず大きなタメ息をついて返してしまった。

「それに、どうやらこれから更にマリーとの時間が取れなくなりそうだ」

「……? なんでだ?」

 いぶかしむ表情のオスカーに、先程読んでいた手紙を渡す。

「シュヴァリエ侯爵からだ。夜会から帰る時に渡された。……読んでみろ」

 オスカーがゆっくりと手紙を開き、中を読む。
 読み終わった後に私に手紙を返すと、彼もまた大きなタメ息をついた。

「どうりで最近第二からの助力要請が多いわけだよ。……ハァァー……、まったく、相変わらずアナトールも為政者いせいしゃに恵まれない国だな。いっそシュヴァリエ侯に潰してもらえばいいのに」

「おい」

「なんだよ。お前だって内心そう思ってるんだろ?」

「……まぁ、な」

 シュヴァリエ侯爵からの手紙には、東国・アナトールの現状と、これから予想されるこの国への影響が書いてあった。

 変な話、東国・アナトールは愚王確率が高い国だ。
 歴史を見ても、好戦的で戦争を仕掛けようとしてくるがことごとく返り討ちにされる王や、なぜ王になれたのかも分からない色狂い、権力に溺れるだけの能無し、賢王かと思っても病弱ですぐに亡くなってしまうなど。正に、呪われているとしか思えない国である。

 さほど大きくはない国なので、何かあってもシュヴァリエ侯爵がなんとかするか、第一騎士団が出て返り討ちにしていたのだが、……今回はどうやら少し面倒なことになっているらしい。

 と言うのも。
 アナトールの現国王が、国民に重い税を課す一方で、自分は豪遊しているという、典型的な唯我独尊ゆいがどくそんタイプの愚王なのである。
 国民がどんどん不満を募らせている上、今年の夏は例年に比べて雨量が少なかったらしく、これから収穫する作物の多くが不作になりそうなのだとか。

 冬はこれからなのに備蓄が少なくては不安も募る。このまま重課税が続けば、国民の不満が爆発するだろうとのこと。

 ――内乱で済めばいいが、今年の冬はどうしても流民が増えるだろう。ある程度はこちらで対処するが、取りこぼした流民や賊が王都に流れ着いてしまうかもしれない。

 「その時はよろしくネ!」で〆られた侯爵からの手紙を睨んでいると、「今年の冬は休みが取れないかもな」と、オスカーが言った。

 たしかに、ただの流民ぐらいなら戦闘を専門としていない第二騎士団でも対処できるだろうが、賊が相手となるとどうしても私たち第一が出なければならない。……私自身が出る事も増えるだろう。

「せっかくマリーといい感じになってきているのに……」

「ははっ。ご愁傷様。まだ休暇が取れる今の内に、せいぜい姫さんとの時間を楽しんでおけよ」

 私がついそう呟くと、オスカーに肩を叩かれた。

(今度の休みはマリーをピクニックにでも誘って、二人でゆっくりしよう)

 オスカーの言う通り、マリーとの時間が取れるのは今の内しかないのだ。
 眉間の皺を揉み解しながら、私は心の中でそう決意したのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

旦那様の様子がおかしいのでそろそろ離婚を切り出されるみたいです。

バナナマヨネーズ
恋愛
 とある王国の北部を治める公爵夫婦は、すべての領民に愛されていた。  しかし、公爵夫人である、ギネヴィアは、旦那様であるアルトラーディの様子がおかしいことに気が付く。  最近、旦那様の様子がおかしい気がする……。  わたしの顔を見て、何か言いたそうにするけれど、結局何も言わない旦那様。  旦那様と結婚して十年の月日が経過したわ。  当時、十歳になったばかりの幼い旦那様と、見た目十歳くらいのわたし。  とある事情で荒れ果てた北部を治めることとなった旦那様を支える為、結婚と同時に北部へ住処を移した。    それから十年。  なるほど、とうとうその時が来たのね。  大丈夫よ。旦那様。ちゃんと離婚してあげますから、安心してください。  一人の女性を心から愛する旦那様(超絶妻ラブ)と幼い旦那様を立派な紳士へと育て上げた一人の女性(合法ロリ)の二人が紡ぐ、勘違いから始まり、運命的な恋に気が付き、真実の愛に至るまでの物語。 全36話

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

この度、仮面夫婦の妊婦妻になりまして。

天織 みお
恋愛
「おめでとうございます。奥様はご懐妊されています」 目が覚めたらいきなり知らない老人に言われた私。どうやら私、妊娠していたらしい。 「だが!彼女と子供が出来るような心当たりは一度しかないんだぞ!!」 そして、子供を作ったイケメン王太子様との仲はあまり良くないようで――? そこに私の元婚約者らしい隣国の王太子様とそのお妃様まで新婚旅行でやって来た! っていうか、私ただの女子高生なんですけど、いつの間に結婚していたの?!ファーストキスすらまだなんだけど!! っていうか、ここどこ?! ※完結まで毎日2話更新予定でしたが、3話に変更しました ※他サイトにも掲載中

【完結】余命三年ですが、怖いと評判の宰相様と契約結婚します

佐倉えび
恋愛
断罪→偽装結婚(離婚)→契約結婚 不遇の人生を繰り返してきた令嬢の物語。 私はきっとまた、二十歳を越えられないーー  一周目、王立学園にて、第二王子ヴィヴィアン殿下の婚約者である公爵令嬢マイナに罪を被せたという、身に覚えのない罪で断罪され、修道院へ。  二周目、学園卒業後、夜会で助けてくれた公爵令息レイと結婚するも「あなたを愛することはない」と初夜を拒否された偽装結婚だった。後に離婚。  三周目、学園への入学は回避。しかし評判の悪い王太子の妾にされる。その後、下賜されることになったが、手渡された契約書を見て、契約結婚だと理解する。そうして、怖いと評判の宰相との結婚生活が始まったのだが――? *ムーンライトノベルズにも掲載

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

【完結】伯爵の愛は狂い咲く

白雨 音
恋愛
十八歳になったアリシアは、兄の友人男爵子息のエリックに告白され、婚約した。 実家の商家を手伝い、友人にも恵まれ、アリシアの人生は充実し、順風満帆だった。 だが、町のカーニバルの夜、それを脅かす出来事が起こった。 仮面の男が「見つけた、エリーズ!」と、アリシアに熱く口付けたのだ! そこから、アリシアの運命の歯車は狂い始めていく。 両親からエリックとの婚約を解消し、年の離れた伯爵に嫁ぐ様に勧められてしまう。 「結婚は愛した人とします!」と抗うアリシアだが、運命は彼女を嘲笑い、 その渦に巻き込んでいくのだった… アリシアを恋人の生まれ変わりと信じる伯爵の執愛。 異世界恋愛、短編:本編(アリシア視点)前日譚(ユーグ視点) 《完結しました》

【完結】身を引いたつもりが逆効果でした

風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。 一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。 平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません! というか、婚約者にされそうです!

夫が「愛していると言ってくれ」とうるさいのですが、残念ながら結婚した記憶がございません

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
【完結しました】 王立騎士団団長を務めるランスロットと事務官であるシャーリーの結婚式。 しかしその結婚式で、ランスロットに恨みを持つ賊が襲い掛かり、彼を庇ったシャーリーは階段から落ちて気を失ってしまった。 「君は俺と結婚したんだ」 「『愛している』と、言ってくれないだろうか……」 目を覚ましたシャーリーには、目の前の男と結婚した記憶が無かった。 どうやら、今から二年前までの記憶を失ってしまったらしい――。

処理中です...