30 / 61
第28話
しおりを挟む庭を少し進むと、良さげな木を見つけた。
その根本に二人で敷物を広げる。
ララはというと、呼べば来てくれるとのことで。
荷物を降ろした後に手綱を離しても、逃げることなく、目が届く範囲で草を食み出した。
いつもの昼食の時間を少し過ぎたぐらいの時間だったため、私たちはさっそくバスケットを開けた。
並んで座り、濡れた布巾で手を拭いて、何気ない会話をしながら食べ始める。
私はサンドイッチを少しと、ナポリサンドを一つ。それにデザートの果物を少し食べたら満足してしまって。多めに作ってしまったかと一瞬焦ったが、アレク様が残りをペロリと食べてくれたので一安心だった。
時折、サラサラと音を立てて、風が木の葉を揺らす。
果実水を飲んで上を見上げれば、青い空と、木の葉の隙間から射し込むキラキラとした光が見えて美しい。
会話を止めてその光景に見入っていると、お腹もいっぱいな事もあり、少し眠くなってきてしまった。横を見ると、若干目をショボショボさせたアレク様の横顔が見える。
「……私の膝で良ければ、お貸ししましょうか?」
その様子がなんだか可愛くて、気が付けば、そう声を掛けてしまっていた。
一瞬、アレク様はキョトンとした顔を見せた。
でも、その後すぐに、「すまないが、……では、少しだけ」と、嬉しそうに笑って頷いたので、私はブランケットと本を持って木の幹にもたれかかった。
笑顔で膝をポンポンとすると、アレク様がいそいそと横になり目を閉じる。
想像以上に顔の距離が近くてギョッとしたが、今更止めましょうとも言えず。気を紛らわせるようにアレク様へブランケットをかけると、私は本を開いたのだった。
*
「……ふぅ」
読み終えてしまった本を閉じ、一息つく。
途中まで読んでいた本ではあったが、想定していた以上に早く読み終えてしまったようだった。太陽の位置を確かめると、さほど時間は経っていないように思える。
ふと、下に視線を移す。
そこには、ぐっすりと眠るアレク様の寝顔があった。
美しいグレーの瞳は閉じられ、長い睫毛が影を落としている。耳を澄ませば、規則正しい寝息が聞こえてきた。
サラサラと流れる黒髪を慎重に撫で梳きながら、私は、まじまじとその寝顔を見てしまった。
(そういえば、アレク様の寝姿を拝見するのは初めてではないかしら)
我が国において、男女が正式に婚約をすると、婚姻を結ぶ前に女性の側が先の家へ入ることが多い。
特に、私のように相手のほうが上位貴族だった場合、求められるマナーや教養のレベルも高く、結婚後にそれらを身につけさせようとしても間に合わない場合が多いからだ。
そして、そのように婚約をした男女が同じ屋根の下で暮せば、所謂そういうコトも、当然ながらある訳で。まぁ、別に、特にそれが問題になる事もない訳である。
だが、私たちは、……まだ夜を共にした事はなかった。
お互い想い合っている事は互いに分かっている。
だが恐らく、私がまだソレに対する心の準備が出来ていないことを、アレク様は見抜いておられるのだろう。
もちろん、私自身、閨事に興味がない訳ではないし、教養として学んだ事もある。特に、私たちは貴族であり後継ぎの問題もあるのだから、尚更、結婚したら避けられないものだという事も頭では理解している。
そう、理解はしているのだ。理解はしているのだが、いざそれを実際に経験するとなると、話は別というか何と言うか……。
結婚式までまだ半年以上あるといっても、アレク様の忙しさを考えると、二人で過ごす実質的な時間はあと僅かしか残っていない。もちろん、その僅かな時間で、そういうコトに至る可能性もゼロではないのだが。
何となくだが、アレク様は初夜までちゃんと待ってくださるような気がしていた。
(……アレク様と、初夜……ッッ~~~~~!!!!)
――それは、名実ともにアレク様のものとなる夜。
その夜をちょっと想像してしまい、羞恥に一人身悶えていると、アレク様が起きる気配がした。
アレク様の寝顔をまじまじと見てしまった上に、頭を撫でてしまった事や、アレク様を相手にちょっと淫らな想像をしていた事、その全てが恥ずかしくて、私は誤魔化すように閉じていた本を慌てて開いた。
膝の上に置かれた頭がもぞりと動く。
本を少しずらして覗き込めば、若干まだ寝ぼけた様子のアレク様と目が合った。
「ああ、マリー、……すまない。……熟睡してしまったようだ」
寝起きの気怠げな様子や、その少し掠れた声が妙に色っぽく、私の羞恥に拍車をかける。
わーーーっとなった心を沈めるために本に顔を埋めて堪えていると、下から手が伸びてきた。
「……マリー? どうしたの。……耳が真っ赤だよ」
そう言ってアレク様が私の耳をスリスリと撫ぜる。
「な、何でもありませんわっ」
貴方を相手にエッチな想像をしていましただなんて、口が裂けても言えない。
「っ! イタっ」
「?! どうした?!」
なんとかしてはぐらかそうと本を閉じようとした瞬間、本のページで指を少し切ってしまった。
私の声を聞いて、すぐにアレク様が慌てた様子で起き上がる。
「あ、だ、大丈夫です。本で指を少し切ってしまっただけですわ」
見ると、人差し指の爪の横辺りに細い線が入っている。
ほんの少し血が滲んではいるが、ちょっとした痛痒さを感じるだけで、深く切れてはいないようだった。
この程度なら舐めてしまえば大丈夫。そう思い、その指先を口元へもってこようとした、その瞬間。
「え?」
その手を掴まれ、アレク様の顔が近付いてきて、……先に舐められてしまった。
「……ッッ」
目の前でアレク様が私の指を口に含み、その温かな口内で丁寧に、ゆっくりと舐めていく。
傷口から指の先端、指の腹まで。
時折吸い上げるようにしながら、れろりと舐められ、そしていつしかそれは怪我した指以外にも及んで。
アレク様は私の反応を観察するように時折私の顔を見ながら、指の間すらも舌を突き出して優しく舐めあげた。
「ア、アレク様……っ、アレク様っ」
何かを連想させるようなその舌の動きは、消毒と呼ぶにはあまりにも淫靡で。私はその光景から目を離すことも出来ず、ただただアレク様の名前を呼び続けることしかできない。
「あのっ、アレク様、……もう……っ」
そしてとうとう、耐えきれなくなった私が制止の声をかけようとした、その時。
アレク様が私の指から舌を離した。
でも、ようやく終わったと内心でホッとできたのは、ほんの一瞬のこと。
「んんッ!!」
次の瞬間には首の後ろに手を回されて、口内を貪られていた。
急に始まった激しいキスに驚き逃げようとしたが、木の幹に阻まれてしまっていて動けない。
先ほどの優しく舌を絡めるようなキスとは違う、私の官能を誘うような深いキス。舌を絡めとられ吸われたかと思ったら歯列をなぞられ、上顎を舌で優しくくすぐられた。
「ん……んんっ、ぁ、ふ……ッ……」
口内はすぐにどちらのものとも分からない唾液で溢れ、それを必死で飲み下せば、いい子と言わんばかりに頸を指で撫でられる。
――どれぐらいそうしていただろう。
アレク様の唇が離れ、出来た隙間から熱い息が漏れる。
目を開ければ、まだ少し開いた私の唇とアレク様の舌との間に、名残惜しむように透明な糸が渡っていた。
ぷつりと糸が切れる。
「……マリーが誘うのがいけない」
視線を上げてアレク様と目が合うと、その美しいグレーの瞳を妖しく煌めかせ、少し意地悪そうに笑ってそう囁かれたのだった。
0
お気に入りに追加
1,370
あなたにおすすめの小説
旦那様の様子がおかしいのでそろそろ離婚を切り出されるみたいです。
バナナマヨネーズ
恋愛
とある王国の北部を治める公爵夫婦は、すべての領民に愛されていた。
しかし、公爵夫人である、ギネヴィアは、旦那様であるアルトラーディの様子がおかしいことに気が付く。
最近、旦那様の様子がおかしい気がする……。
わたしの顔を見て、何か言いたそうにするけれど、結局何も言わない旦那様。
旦那様と結婚して十年の月日が経過したわ。
当時、十歳になったばかりの幼い旦那様と、見た目十歳くらいのわたし。
とある事情で荒れ果てた北部を治めることとなった旦那様を支える為、結婚と同時に北部へ住処を移した。
それから十年。
なるほど、とうとうその時が来たのね。
大丈夫よ。旦那様。ちゃんと離婚してあげますから、安心してください。
一人の女性を心から愛する旦那様(超絶妻ラブ)と幼い旦那様を立派な紳士へと育て上げた一人の女性(合法ロリ)の二人が紡ぐ、勘違いから始まり、運命的な恋に気が付き、真実の愛に至るまでの物語。
全36話
この度、仮面夫婦の妊婦妻になりまして。
天織 みお
恋愛
「おめでとうございます。奥様はご懐妊されています」
目が覚めたらいきなり知らない老人に言われた私。どうやら私、妊娠していたらしい。
「だが!彼女と子供が出来るような心当たりは一度しかないんだぞ!!」
そして、子供を作ったイケメン王太子様との仲はあまり良くないようで――?
そこに私の元婚約者らしい隣国の王太子様とそのお妃様まで新婚旅行でやって来た!
っていうか、私ただの女子高生なんですけど、いつの間に結婚していたの?!ファーストキスすらまだなんだけど!!
っていうか、ここどこ?!
※完結まで毎日2話更新予定でしたが、3話に変更しました
※他サイトにも掲載中
【完結】余命三年ですが、怖いと評判の宰相様と契約結婚します
佐倉えび
恋愛
断罪→偽装結婚(離婚)→契約結婚
不遇の人生を繰り返してきた令嬢の物語。
私はきっとまた、二十歳を越えられないーー
一周目、王立学園にて、第二王子ヴィヴィアン殿下の婚約者である公爵令嬢マイナに罪を被せたという、身に覚えのない罪で断罪され、修道院へ。
二周目、学園卒業後、夜会で助けてくれた公爵令息レイと結婚するも「あなたを愛することはない」と初夜を拒否された偽装結婚だった。後に離婚。
三周目、学園への入学は回避。しかし評判の悪い王太子の妾にされる。その後、下賜されることになったが、手渡された契約書を見て、契約結婚だと理解する。そうして、怖いと評判の宰相との結婚生活が始まったのだが――?
*ムーンライトノベルズにも掲載
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
殿下には既に奥様がいらっしゃる様なので私は消える事にします
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のアナスタシアは、毒を盛られて3年間眠り続けていた。そして3年後目を覚ますと、婚約者で王太子のルイスは親友のマルモットと結婚していた。さらに自分を毒殺した犯人は、家族以上に信頼していた、専属メイドのリーナだと聞かされる。
真実を知ったアナスタシアは、深いショックを受ける。追い打ちをかける様に、家族からは役立たずと罵られ、ルイスからは側室として迎える準備をしていると告げられた。
そして輿入れ前日、マルモットから恐ろしい真実を聞かされたアナスタシアは、生きる希望を失い、着の身着のまま屋敷から逃げ出したのだが…
7万文字くらいのお話です。
よろしくお願いいたしますm(__)m
【完結】伯爵の愛は狂い咲く
白雨 音
恋愛
十八歳になったアリシアは、兄の友人男爵子息のエリックに告白され、婚約した。
実家の商家を手伝い、友人にも恵まれ、アリシアの人生は充実し、順風満帆だった。
だが、町のカーニバルの夜、それを脅かす出来事が起こった。
仮面の男が「見つけた、エリーズ!」と、アリシアに熱く口付けたのだ!
そこから、アリシアの運命の歯車は狂い始めていく。
両親からエリックとの婚約を解消し、年の離れた伯爵に嫁ぐ様に勧められてしまう。
「結婚は愛した人とします!」と抗うアリシアだが、運命は彼女を嘲笑い、
その渦に巻き込んでいくのだった…
アリシアを恋人の生まれ変わりと信じる伯爵の執愛。
異世界恋愛、短編:本編(アリシア視点)前日譚(ユーグ視点)
《完結しました》
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる