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第28話
しおりを挟む庭を少し進むと、良さげな木を見つけた。
その根本に二人で敷物を広げる。
ララはというと、呼べば来てくれるとのことで。
荷物を降ろした後に手綱を離しても、逃げることなく、目が届く範囲で草を食み出した。
いつもの昼食の時間を少し過ぎたぐらいの時間だったため、私たちはさっそくバスケットを開けた。
並んで座り、濡れた布巾で手を拭いて、何気ない会話をしながら食べ始める。
私はサンドイッチを少しと、ナポリサンドを一つ。それにデザートの果物を少し食べたら満足してしまって。多めに作ってしまったかと一瞬焦ったが、アレク様が残りをペロリと食べてくれたので一安心だった。
時折、サラサラと音を立てて、風が木の葉を揺らす。
果実水を飲んで上を見上げれば、青い空と、木の葉の隙間から射し込むキラキラとした光が見えて美しい。
会話を止めてその光景に見入っていると、お腹もいっぱいな事もあり、少し眠くなってきてしまった。横を見ると、若干目をショボショボさせたアレク様の横顔が見える。
「……私の膝で良ければ、お貸ししましょうか?」
その様子がなんだか可愛くて、気が付けば、そう声を掛けてしまっていた。
一瞬、アレク様はキョトンとした顔を見せた。
でも、その後すぐに、「すまないが、……では、少しだけ」と、嬉しそうに笑って頷いたので、私はブランケットと本を持って木の幹にもたれかかった。
笑顔で膝をポンポンとすると、アレク様がいそいそと横になり目を閉じる。
想像以上に顔の距離が近くてギョッとしたが、今更止めましょうとも言えず。気を紛らわせるようにアレク様へブランケットをかけると、私は本を開いたのだった。
*
「……ふぅ」
読み終えてしまった本を閉じ、一息つく。
途中まで読んでいた本ではあったが、想定していた以上に早く読み終えてしまったようだった。太陽の位置を確かめると、さほど時間は経っていないように思える。
ふと、下に視線を移す。
そこには、ぐっすりと眠るアレク様の寝顔があった。
美しいグレーの瞳は閉じられ、長い睫毛が影を落としている。耳を澄ませば、規則正しい寝息が聞こえてきた。
サラサラと流れる黒髪を慎重に撫で梳きながら、私は、まじまじとその寝顔を見てしまった。
(そういえば、アレク様の寝姿を拝見するのは初めてではないかしら)
我が国において、男女が正式に婚約をすると、婚姻を結ぶ前に女性の側が先の家へ入ることが多い。
特に、私のように相手のほうが上位貴族だった場合、求められるマナーや教養のレベルも高く、結婚後にそれらを身につけさせようとしても間に合わない場合が多いからだ。
そして、そのように婚約をした男女が同じ屋根の下で暮せば、所謂そういうコトも、当然ながらある訳で。まぁ、別に、特にそれが問題になる事もない訳である。
だが、私たちは、……まだ夜を共にした事はなかった。
お互い想い合っている事は互いに分かっている。
だが恐らく、私がまだソレに対する心の準備が出来ていないことを、アレク様は見抜いておられるのだろう。
もちろん、私自身、閨事に興味がない訳ではないし、教養として学んだ事もある。特に、私たちは貴族であり後継ぎの問題もあるのだから、尚更、結婚したら避けられないものだという事も頭では理解している。
そう、理解はしているのだ。理解はしているのだが、いざそれを実際に経験するとなると、話は別というか何と言うか……。
結婚式までまだ半年以上あるといっても、アレク様の忙しさを考えると、二人で過ごす実質的な時間はあと僅かしか残っていない。もちろん、その僅かな時間で、そういうコトに至る可能性もゼロではないのだが。
何となくだが、アレク様は初夜までちゃんと待ってくださるような気がしていた。
(……アレク様と、初夜……ッッ~~~~~!!!!)
――それは、名実ともにアレク様のものとなる夜。
その夜をちょっと想像してしまい、羞恥に一人身悶えていると、アレク様が起きる気配がした。
アレク様の寝顔をまじまじと見てしまった上に、頭を撫でてしまった事や、アレク様を相手にちょっと淫らな想像をしていた事、その全てが恥ずかしくて、私は誤魔化すように閉じていた本を慌てて開いた。
膝の上に置かれた頭がもぞりと動く。
本を少しずらして覗き込めば、若干まだ寝ぼけた様子のアレク様と目が合った。
「ああ、マリー、……すまない。……熟睡してしまったようだ」
寝起きの気怠げな様子や、その少し掠れた声が妙に色っぽく、私の羞恥に拍車をかける。
わーーーっとなった心を沈めるために本に顔を埋めて堪えていると、下から手が伸びてきた。
「……マリー? どうしたの。……耳が真っ赤だよ」
そう言ってアレク様が私の耳をスリスリと撫ぜる。
「な、何でもありませんわっ」
貴方を相手にエッチな想像をしていましただなんて、口が裂けても言えない。
「っ! イタっ」
「?! どうした?!」
なんとかしてはぐらかそうと本を閉じようとした瞬間、本のページで指を少し切ってしまった。
私の声を聞いて、すぐにアレク様が慌てた様子で起き上がる。
「あ、だ、大丈夫です。本で指を少し切ってしまっただけですわ」
見ると、人差し指の爪の横辺りに細い線が入っている。
ほんの少し血が滲んではいるが、ちょっとした痛痒さを感じるだけで、深く切れてはいないようだった。
この程度なら舐めてしまえば大丈夫。そう思い、その指先を口元へもってこようとした、その瞬間。
「え?」
その手を掴まれ、アレク様の顔が近付いてきて、……先に舐められてしまった。
「……ッッ」
目の前でアレク様が私の指を口に含み、その温かな口内で丁寧に、ゆっくりと舐めていく。
傷口から指の先端、指の腹まで。
時折吸い上げるようにしながら、れろりと舐められ、そしていつしかそれは怪我した指以外にも及んで。
アレク様は私の反応を観察するように時折私の顔を見ながら、指の間すらも舌を突き出して優しく舐めあげた。
「ア、アレク様……っ、アレク様っ」
何かを連想させるようなその舌の動きは、消毒と呼ぶにはあまりにも淫靡で。私はその光景から目を離すことも出来ず、ただただアレク様の名前を呼び続けることしかできない。
「あのっ、アレク様、……もう……っ」
そしてとうとう、耐えきれなくなった私が制止の声をかけようとした、その時。
アレク様が私の指から舌を離した。
でも、ようやく終わったと内心でホッとできたのは、ほんの一瞬のこと。
「んんッ!!」
次の瞬間には首の後ろに手を回されて、口内を貪られていた。
急に始まった激しいキスに驚き逃げようとしたが、木の幹に阻まれてしまっていて動けない。
先ほどの優しく舌を絡めるようなキスとは違う、私の官能を誘うような深いキス。舌を絡めとられ吸われたかと思ったら歯列をなぞられ、上顎を舌で優しくくすぐられた。
「ん……んんっ、ぁ、ふ……ッ……」
口内はすぐにどちらのものとも分からない唾液で溢れ、それを必死で飲み下せば、いい子と言わんばかりに頸を指で撫でられる。
――どれぐらいそうしていただろう。
アレク様の唇が離れ、出来た隙間から熱い息が漏れる。
目を開ければ、まだ少し開いた私の唇とアレク様の舌との間に、名残惜しむように透明な糸が渡っていた。
ぷつりと糸が切れる。
「……マリーが誘うのがいけない」
視線を上げてアレク様と目が合うと、その美しいグレーの瞳を妖しく煌めかせ、少し意地悪そうに笑ってそう囁かれたのだった。
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