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少し話をしようじゃないか

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姫弥の記憶によると、離れは以前まで使われてはいなかった。
以前ゲゲゲに居た時、一度だけ覗いたことならある。
生活感はないが、そこだけで生活出来るような空間だったと記憶する。幼心に、まるで座敷牢のように感じた。
そこに恐らく5年、ずっと独りで居るという。それも合わせて話を聞いてみたいと思った。

離れの入口に、今度は狐の面のような顔をした青年が立っていた。
「お嬢は中にいるぜ」
姫弥は懐かしい顔に安堵した。
「久しぶりだね、紺(こん)兄ちゃん」
狐は呆れたように笑った。
「おめえ、狐に言われただろ。兄ちゃんなんてのはよせや」
「そんな、簡単に抜けないよ」
「まあいいわ」

離れの玄関には、ずっしりとした銀の鈴が束になってぶら下がっていた。
誰触れておらず、風など吹いてもいないのに、それがシャンシャンと鳴った。そして、誰も触れていない玄関の戸がスッと開いた。
「入んな」

姫弥が玄関に入ると、再び戸がスッ閉まった。狐の姿は消えていた。
玄関を入ってすぐに、居間になっていて、そこにちゃぶ台のようなテーブルと座椅子2つが置いてあった。
その1つに仙月は腰掛けており、ちょうど湯のみに茶を煎れたところであった。
仙月は急須を机の端に置くと「どうぞ」と姫弥を促した。彼もまたそれに従い「お邪魔します」と中に入った。

「これ、紅葉姉さんが」
「うん、知ってる」
猿の面からは表情が分からない。
「なんで猿の面なの」
「猿って言われたから」
「誰に?」
「翔琉に」
「いつ?」
「子供の頃」
「あれは多分君じゃなくて、俺に言ったんだ」

仙月の猿の面の向こうから、小さい笑い声が聞こえた。
「翔琉は悪い子じゃないよ。ちょっとワガママなだけ。少し大人になってから分かった」
「そっか。でも、俺はあんまり好きじゃないや」
「そうかもね」

仙月は料理に手を付けようとしなかった。当たり前か、面を付けているから。それが少し気になった。

「あの、お腹空いてない?」
「お腹空いた」
「じゃあ、食べなよ」

案の定、仙月は面を手で触って言った。
「これ、付けてるから」
「外しなよ」
「気味悪いでしょ」

姫弥は無言で立つと、仙月の背後に回った。面の紐に手を掛けるが、仙月は抵抗もせず、されるがままでいた。そして、面が外された。

「仙月さんは猿でもないし、自分の家族の前で面なんて付ける必要ないと思う」
「……家族……」
「少なくとも、俺はそう思ってる」

姫弥は仙月の向かいに戻ると腰を下ろした。彼女の顔はマジックで塗りつぶされた記憶の彼女と同じだ。やっぱり、記憶の女の子は仙月で間違いないと確信した。

「ごめんけど、顔も存在も思い出せないんだけど、それでも時折このモヤがかった顔が記憶に現れるんだ。多分、ここを離れる時何か約束した気がするんだけど、それも思い出せない、ごめん」

仙月は顔を左右に振った。
「いいの、それだけで。あと、昔は月(ユエ)って呼んでくれてた」
「月さん」
「違う、呼び捨て」
「月」
「よろしい」
仙月が満足そうに料理に箸をつけた。

暫く2人で料理を食べた。
仙月はエビチリが好きらしい。それから、姫弥が甘い卵焼きが好きなのも知っている。あと、姫弥が昔は椎茸と筍が食べられなかったことも知っていた。

「俺の事、よく知ってるね」
「気味が悪い?」
姫弥は首を左右に振った。
「あのさ、存在を奪ったっていう鬼の話。もっと詳しく聞いてもいいかな?」
「なんで?」
姫弥が言葉を飲み込んだ。答えに困っている中、仙月が続けた。
「いいよ、教えてあげる。隠すことでもないし。洋司兄や紅葉姉は鬼って言ってたけど、あれは鬼じゃないよ。本当に呪いなんだ。あの赤い封書を触った女を呪うための」
「それは、月を狙った?」
仙月は否定した。
「誰でもよかったんだと思う。私が術者じゃなかったら、きっと意味が分からずに死んでたと思う。あの呪いは、近いうちに私を狙いに来るよ。目的は存在じゃないなら」
「どこまで知ってるの?」
「存在を取られる時、強く見えた感情だけ。強い悲しみと恨み。あの呪いは、対象者を孤独にして同じ悲しみと恨みを募らせて、自殺させようとしてる。私はあんな呪いに屈しない」
「近いうちにって言うのは?」
仙月は少し躊躇った。 
「時折、あいつの声が聞こえる。まだか、まだか? って。これはまだ誰にも言ってないよ。だから内緒」
「月は独りで解決しようとしてるの?」
仙月は答えなかった。はぐらかすように、姫弥のエビチリを横取りした。

2時間くらいして、広間の方からガヤガヤと声が聞こえてきた。
同時に、紺が現れた。
「お嬢、向こうは終わったぜ」
「そう、ありがとう」
姫弥はハッとした。
「あ、結局戻ってないや」
紺が答えた。
「大丈夫。お嬢に言われて、俺が代わりに居たからな」
仙月が続けた。
「邪魔されたくなかったから」
「家主達と洋司と紅葉だけは気づいてたみたいだけど」

ふっと煙のように、または以前からそこに居たように。紺の隣に狐が現れた。
「姫弥、今日は疲れたでしょう? 仙月様、今晩はこのくらいにしたら」
仙月は少し寂しそうに頷いた。
「うん。じゃあね、おやすみ」

狐が姫弥を部屋へ送ろうと玄関へ誘った。
誰も触れていない戸が開くと、姫弥は仙月の方へ振り向いた。
「じゃあ、また明日」

姫弥が外に一歩踏み出した時、今度は仙月が声を投げた。
「明日。明日は、姫弥の好きな神社の裏のお店のいちご大福用意しとくね!」

そんな事まで知っているなんて。そう姫弥は驚くと同時に、どうしても仙月の事を思い出したいと強く思った。
「うん、楽しみにしてる」

パタンと、扉は閉められた。

姫弥の部屋の前まで、狐は着いてきていた。彼は自分の部屋に入ろうとして、狐におやすみと言おうとしたはずなのに、違う事を言っていた。
「なんで、忘れちゃったのかな」

狐は答えた。
「それは、呪いに存在を奪われたからです」
姫弥は少し拗ねたように呟いた。
「そういう意味じゃないよ」
狐は顔を傾げた。
姫弥は部屋には入ると戸を閉めた。
「ごめん、おやすみ」

狐が離れに戻る途中、紺が現れた。
「わからないって感じだな」
「呪いのせいだから気に病むことはないのに」
紺が不思議そうに言った。
「なあ、狐。おかしいと思わないか? 姫弥だけ忘れたということを認識してるって事は、事実完全に忘れてないってことだろ」
「あら。そうね」 

そこまで話して、2匹は煙のように姿を変えた。
そして、仙月のピアスに下がった陰陽石にそれぞれ吸い込まれるように消えていった。
「それ以上は詮索しちゃダメ」
仙月は少し拗ねたように呟いた。
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