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60話

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 黄龍は蜃の支度を手伝った。慣れたものだと思う。
「色々変わったな。里だけでなく、お前達も。懐かしくも、少し寂しい」
「蜃様が出ていった時は、私達子供でした」
「黄龍よ、綺麗になったな」
 ポツリと呟いた蜃の言葉に、黄龍の顔が真っ赤に染まった。言葉も出せずに俯いていると、蜃は
「では、行ってくるよ」
 と、相変わらず何事もなかったかのように出て行ってしまった。
(だから、貴方には適わないのですよ)
 憧れから恋へ、恋から憧れへ。憧れの人だけは、変わっていなかった。

 旬介に着いていく。と、ふと昔を思い出した。初めて麒麟に出会った時も、こんな子供だったなと。そして、その時の名前が倅と同じ旬介。
「ネコは、どこにいるのだ?」
「ネコさん! ネコさんは、いつもあっちの森のとこにいるよ」
 小さな手か自分の手を引く。
「そうか」
「ネコさん待ってるよ」
 と、しかし引かれた場所に居たのはネコではなくタヌキだった。みぃみぃと子狸が鳴く。
「旬介、これはネコではなくタヌキだぞ」
 旬介は、ぷぅっと頬を膨らませた。
「しってる。これは、ネコさん!」
「ネコさんって名前を付けたのか?」
 にんまり笑った。
「そうだよ」
 蜃は、呆れて苦笑いを浮かべた。
「もっとちゃんとした名前を付けてやれ」
「みぃみぃ言うからネコさん。ネコみたいでしょ」
 あながち、そこは間違ってもいないが……。

*****

「黄龍よ、俺から兄上に話そうか?」
 麒麟が黄龍に言った。
 蜃が旬介と出て行ってから、暫くの事だった。家事を終え、縁側で一息つきながら溜息を吐く黄龍を見つけてしまい、堪らず声を掛けた。
「あ、ああ。どうした?」
「どうもせんが……まだ、例の話はしていないのだろ」
「そう簡単に話せるわけなかろう」
「まあな。俺から話すよ」
 と言い、去ろうとする麒麟の袖を黄龍が引いて止めた。
「否、私が話す」
「大丈夫か?」
「私が、元凶だ」
「そんな、言い方はするな」
「しかし」
「俺は兄上が苦手だ。けど、話してわからん人ではない」
「わかってるよ」
 するりと、麒麟の袖から黄龍の手が落ちた。
「ありがとう」

*****

 夕方になり、蜃と旬介が帰宅した。
「おかえり。夕餉の用意が出来てるよ」
 足を洗う用意を運びながら、淡々と黄龍が言った。それにふと気付いた蜃が問いかけた。
「黄龍、何かあったのか?」
「というと?」
「暫く会わんでも、お前の事だ。付き合いは長いと思う」
 ぷっと黄龍が笑った。
「蜃様には、適いませんね。後でゆっくり話します」
 黄龍の話は夕餉を終え、旬介を寝かし付けたあとに始まった。
「こんな時間になり、申し訳ございません」
 黄龍は自ら持ち込んだ酒を、お猪口に注いで蜃に渡した。
 客間に布団を引き、寝間着姿の蜃と寝間着姿の黄龍が並べば、少しばかり怪しい雰囲気が漂う。だが、これから始まるのは真面目な話だ。
「旬介は、実の子ではありません」
「ん?」
「これは、いずれ蜃様のお耳にもお入れしなければならないと思っていた 話です」
「その様子だと、あまり宜しくない話のようだな」
「はい。蜃様が離れていた間の話です。竜子や華炎にも子が出来たのに、私達には子が授かりませんでした。どう頑張ってもその気配もなく、私は精神的にも追い詰められていました。麒麟は構わないと言ったけど、それでも私は私が許せなかったんです。だって、彼の妻になると決めた時、立派な男子を産むことが使命だと信じていたから。私は妻として、女として役目が果たせないと自分を責めていました。そんな時、里に忍びが入り込みました。外の人間が、豊富な食糧を運ぶ里の人間を知りたがり、調べさせたのです。私達は里を守る為にその忍びを追い詰め、一家皆殺しという残酷な行動を取りました。全ては里のため……けど、1人だけ殺せませんでした」
「それが、旬介か」
 と言いながら、蜃はお猪口に酒を次ぐと黄龍に飲むように勧めた。
 黄龍は、それを受け取るとグイッと飲み干した。
「本当はあの子も殺すつもりでした。けど、乳飲み子でまだ親の顔も分からない。そんな赤子に刀を向けた時、私はその子を貫けなかった。目をつぶって刺そうとしましたが、その刀はあの子の頬を切り裂いただけ。そのせいで泣き叫ぶあの子を、私は抱きしめていました。その先には、私が切り裂いたこの子の母親が横たわり、私は私が鬼だと思いました」
「それで、あの子を育てると」
 黄龍は、コクリと頷いた。
「あの子が、もしこの事実に気付いたならば、きっと私達を恨むでしょう。親だとすら思わないことでしょう。それでも、私は子が欲しかったんです」
 黄龍は飲み干した空のお猪口を置くと、顔を覆って泣いた。
「黄龍よ、それは麒麟と2人で決めた結論なのだろう」
「はい」
「ならば良い。お前の事だ、全て覚悟の上なのだろう」
 黄龍は、コクリと頷いた。
「麒麟は、あの日……1番の汚れを背負ってくれました。そして、私の罪まで背負ってくれた。けれど、私は何も返せない……どうしたらいいの……?」
 苦しそうに呻いた黄龍の頭に、蜃はそっと手を置いた。
「あれも、いつまでも子供ではない。あれはあれで考えがあってのことだろう。そこは、わかってやれ。いつまでもお前が傍にいること、それがお前の出来ることだ」
「それじゃあ……」
 言いかけた黄龍の言葉を遮るように、蜃は言う。
「俺は、今でもお蝶の事を愛しているよ。これは、きっと死ぬまで変わらん気がする。手に入らずに失ったからこそ、余計にそう思うのかもしれん。出来れば逢いたい、傍に置いておきたい。それも叶わん。もしこの願いが叶うなら、俺は地獄に落ちたって構わないよ。だから、麒麟の気持ちも分かるのだ。お前には、わからんかな?」
「…………」
 黄龍は、言葉を失った。自分が、思っているより愛されていること。幼い頃から共にいるだけに、近すぎて分からなかった愛情が確かにあることに、今更気付いた。
「いつまでも、麒麟をやきもきさせるな。俺がやりづらい」
 蜃は、くすくすと笑ってみせた。
「さて、そろそろ寝ようか。お前は明日も早いのだろう?」
「そうですね。そう言えば、あの子はどうでした? 無理を言ってはいませんでしたか?」
「ああ。それは麒麟で慣れているので大丈夫だが、タヌキにネコさんと付けるネーミングセンスはなかなかのモノだな」
「え? タヌキ?」
「みぃみぃ鳴くから、ネコさんだそうだ」
 黄龍の頬が赤く染った。
「ネコさんは、なかなかの子沢山でな。いつも旬介が世話してるようなのだ。野ざらしの場所に葉っぱで雨避けを作ってやっていてな、なかなか優しい子ではないか。なので一緒に、もう少しマシな住処を作ってやったぞ。いつも旬介は、ああやって遊んでいるのか?」
「多分、麒麟の影響なんですよ。里を走り回ったり森に入ったり、川で泳いだりするのが好きみたい。心配なので、いつも守り札をこっそり襟首に仕込んでやっています。毎日のように札がダメになるので……本当に、どうしたもんかと。けど、止めようとすると麒麟が怒るのです。自由にさせてやれと」
「あいつが、そうして育ってきたようだからな。俺はよく知らないよ、けど父上から聞いたことがあるのだ。母上が監禁されている間に麒麟は拾われた。時々外に出て父上と遊び回るのが楽しみだったが、やがて自分で動き出せるようになると、母上の静止を振り切って飛び出して行ったと。父上にはよく、もっと外で遊びたいと、遠くへ行ってみたいと言っていたようだ。今のお前と同じで、母上も麒麟の服に守り札を仕込んでいたそうだよ」
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