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52話

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 翌朝、甲蔵は葛葉と共に部屋を訪ねてきた。
「夢路! 里で人気の団子買ってきたんだ。前に文に書いたろ。一緒に食べよう」
 夢路の姿を見るも、甲蔵は臆せず叫んだ。その姿は一部であるが、最初で最後に皆で集まった時に見ていた為、覚悟は出来ていた。
 あの時のように、頭巾はしていない。布に包まれたマネキンが、着物を着て話をしている、そんな風景だった。見ようによっては、不気味にも思える。
「甲ちゃん、ありがとう。今、お茶いれるね。甲ちゃんは、少し甘いお茶が好きだったよね。普通のお茶は苦手で」
 夢路は懐かしむように、くすりと笑った。
「夢路、普通のお茶でいいよ。甘くなくても、もう飲めるから」
 改めて見てみれば、甲蔵の姿は小さな少年から大きな少年へと変わろうとしていた。
「暫く見ない間に、甲ちゃんは随分大きくなったのね」
「もう、12だ」
「そう。そっか……。この前まで、兄上や父上におぶわれてたのに」
「早く大人になりたい。そうしたら、夢路をお嫁に出来るのに。兄上達みたいに」
「お嫁に……そうね、ありがとう。さあ、お茶が入ったわ」
 葛葉は、その様子を見て少し安心した。
「何かあったら、呼んでおくれ。私は、他にやることがあるからあちらに戻っているよ」
 と、声を掛けると、母屋に戻っていった。
 それから、2人は暗くなるまで夢中で語り合った。
 日が落ちてもなかなか戻ろうとしない甲蔵を気にかけて、葛葉が様子を見に来た頃は、辺りは真っ暗な闇に包まれていた。
「甲蔵、そろそろ就寝の時間だ」
 葛葉の言葉に、甲蔵は不満げな顔を向けた。
「昔は一緒に寝てたし、同じ屋敷なのに、なんでそっちに行かなきゃいけないんだよ。俺は、このまま夢路とこっちにいる」
 葛葉は、困った顔をした。
「それはそうだが……お前は大人になるんだろ。じゃあ、夢路と寝るのはおかしな話だ。それに、夢路も迷惑だろう」
「迷惑か?」
 言われて泣きそうな顔で、甲蔵は夢路に向き直った。
「甲ちゃん、また明日おいで。明日はもっと大切なお話がしたいから。今日は、母上の事を聞いて」
 夢路に説得され、甲蔵は渋々うんと言った。

 翌朝、再び甲蔵が夢路の部屋に来た。この日は1人だった。
「あら、母上は?」
「1人で行ってきていいって」
「そう」
 夢路は表情もなく相槌を打つと、甲蔵を部屋に入れた。
 襖を閉め切り密室を作ると、そこに妙な空気が流れた。急に甲蔵は不安になった。
「どうしたの、夢路?」
「昨日言った大切な話をしたいから」
 言うと夢路は、頭から巻かれた布を外した。
 徐々に現れるその姿に、甲蔵の胸はバクバクと鳴った。恐怖でもない不安でもない、何かわからない感情が蠢くようだった。
 夢路の本来の姿が顕になると、甲蔵は同時に尻餅をついた。
「甲ちゃん、これが今の私。怖いでしょ? 気持ち悪いでしょ?」
 声だけは、優しい夢路だった。
 甲蔵の目から、ぶわっと涙が流れた。
「甲ちゃん、怖がらせてごめんね。私は……」
 夢路は、何かを言いかけて言葉を噤んだ。
 そして
「帰って」
 と、呟いた。その声は、泣いているようだった。
「夢路……」
「もういいよ。帰って。夢路は、もう何処にもいないのよ。ここに居るのは、1人の化け物」
「夢路は化け物なんかじゃないよ」
 甲蔵は、あの頃から色を失っていた。目に映る世界が、全てモノクロに見える。昼も夜も僅かにしか判断出来ない世界の中で同様に、色を持つはずのない夢路だけが輝いて見えていた。
 あの日から、世界が大きく変わったと感じているのは夢路だけではなかった。大きく変わった世界は色だけでなく、その世界そのものが変わってしまったのだと理解した。
「何もかもが変わってしまったんだ。変わってしまっても、俺の目には、夢路は夢路にしか見えないから」
 夢路は着物の袖で顔を覆った。
「ごめんね、甲ちゃん。今日はごめんね」
 甲蔵は、立ち上がった。
「夢路、ねえ。そのままでいいからさ、俺と五目並べやろーよ。兄上達に、教えて貰ったんだ。出来る?」
 夢路は顔を覆ったまま、首を左右に振った。
「じゃあ、俺が教えてあげるよ」
「…………」
 その日は、夜遅くまで五目並べをして遊んだ。夢路は、顔は隠さなかった。

「イタチ、居るのか?」
 甲蔵が帰った後、夢路は庭に向かって声を上げた。
 すると、待ってましたとばかりに、早々にイタチが現れた。
『へい、おりますぜい。とうとう、腹が決まりましたかい?』
 イタチは、ニヤリと笑った。
「ああ、この呪いが解けて本来の姿が戻ると言うなら、あんたの稚児を産んでやってもいい」
 言うが早いか、イタチはひらりと舞うと、人間の姿になった。本来ならば目を見開く程、美しい美青年だった。
『この姿ならば、あんたも満足いきましょう。あっちの方はこう見えても自信がありましてね、またとない快楽を与えて差し上げますぜ』
 イタチはゆらりと夢路に近付くと、優しく唇を重ねた。
『さあて、では始めましょうか』

 初めての相手が妖鼬だなんて、お笑い草だ。笑い過ぎて、死んでしまいそう。けれど、それ程にこの姿が憎かった。憎くて、憎くて。嘘でも、ほんの僅かでも可能性があるなら、それに縋りたかった。

『さあて。子が宿るまで、毎晩あんたを抱きに来ます。きっと、春には可愛い稚児に会えるでしょう。そうすれば、あんたの呪いも解けるはず』
「直ぐにでも解いてよ」
 イタチ男は冗談でしょう、という表情で口元を隠した。
『子が直ぐに宿るとは限らねえですぜ。もし、宿らなければあたしの立場はどうなります? これは、お互いの交換条件ですぜ』
「あんたが、裏切らない保証はあるの? イタチのくせに……」
『その時は、あたしの子を殺せばいい。まあ、あたしは人間との子が喉から手が出る程欲しいんですから、そんなヘマはしませんけどね』
「…………」

 その晩から、イタチは毎晩夢路の寝所に現れるようになった。
 甲蔵が通っているのもあり、葛葉は油断していた。滅多に夢路の元に行くことはなくなったし、甲蔵を通して夢路から心配しなくてもよいと文を貰っていたのもあったせいだ。
 全ての屈辱とも言えるべき計画が、葛葉に知られ、水の泡と消えてしまわないよう夢路が考えた策だった。
 ここで1番危険なのは葛葉である。葛葉にだけは知られまいと、夢路は彼女を遠ざけた。
 が、様子が変わったのはそれから春の兆しが見え隠れした頃だった。
 甲蔵の前で、夢路が頻繁に体調を崩すようになったから。
 甲蔵が夢路が止めるのを振り切って、葛葉を連れてきた。
「夢路……」
 葛葉は、夢路をひと目見ただけで、その違和感に気付いた。
「お前、何をした?」
 夢路を取り巻く霊気が、人のそれではなかったのだ。
「夢路、何をしたのだ?」
 その問いかけは咎めると言うより、泣きそうだった。これには、流石の夢路も胸が酷く傷んだ。
「……私は……」
 ちらりと、甲蔵に目配せすると、気を利かせたように葛葉が甲蔵に母屋に戻るよう告げた。嫌だと言いたかった彼も、異様な雰囲気に呑まれ、渋々了承した。
 葛葉と2人になったことを確信してから、夢路がぶわっと泣き出した。
「私は……私は、この姿が憎い。憎くて、憎くて、仕方がなかったのです。けれど、死ぬ勇気さえなかった。そんな私は、この世に未練を持つ生きる化け物なのです。……数週間前、否、もっと前かも知れません。妖鼬が私の呪いを解いてやると、そう約束をしました。妖鼬の稚児を産むのが条件です」
 葛葉は、真っ青な顔で夢路を抱きしめた。出来ることなら、自分が変わってやりたい、自分の姿をやりたいと強く思ったが、夢路のことを考えると口が裂けても言えなかった。代わりに、唇を噛み締めて声を出さずに泣いた。
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