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21話

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「兄さん、随分お蝶さんと親しげに話すね」
 下品な雰囲気の、侍風の若い男が蜃に話し掛けてきた。
「そう見えますか? 他と変わらぬ世間話のつもりでしたが、そう見えたのならよっぽど相手にされてらっしゃらないので?」
 男が蜃の胸ぐらを掴み、引き寄せた。
「なんだと、このガキ!」
「いい歳した男のヤキモチは、みっともないかと」
 直後、男は蜃に殴り掛かったつもりだったが、気付くと店の外で目を覚ましていた。何があったのかはわからないが、空にはぼんやり月が見えた。男の全身を、訳の分からない恐怖が駆け巡り、男は声にならない悲鳴を上げながら、すたこら立ち去った。
 何があったのか。殴られると察した蜃は、咄嗟にそれを交わすと先に男のうなじに衝撃を与え、男の意識を飛ばすと、店の外に引きずり出してしまった。あまりの手際の良さに、蜃をからかおうと思っていた客達も萎えて、黙って食事に戻ったのだった。
 それを側で見ていたのは、急いで酒を運んできたお蝶であった。
「蜃様、とても武芸に秀でていらっしゃるのですね」
「騒ぎにするつもりはないのだ。すまない」
 お蝶は机に酒を置くと、蜃の為にお猪口に酒を注いだ。
「いえいえ。このところ、よくあるんですよ。こういう騒ぎ。お店が忙しくなって良かったと思ったのに」
 蜃は、ちらりと周りを見渡した。確かに、来ているのは男ばかりだ。そして、先程の男のように、柄の悪そうな連中も度々多い。
「あーあ、蜃様のような用心棒いないかしら」
 蜃は思わず、酒を吹いた。それが可笑しかったのか、お蝶はくすくす笑い始めた。
「冗談ですよ。では、ごゆっくり」
 どういう意味なのだろうか、やはりそういう意味なのだろうか。女の子にモテない筈はないのだ、やっぱりそういう意味かもしれないと蜃の脳味噌が脳内会議を始める。蜃も年頃の男なのだ。最終的には抱きたいという本能的な部分に到達すると、まだ未熟な身体が強ばる。
 次第にお蝶を見るたび、どきどきが止まらなくなるような気がしてならないのだ。
「……今日は、帰るよ」
 半刻半もいなかったかもしれない。
 お蝶は、少し心配になった。
「どうされました? 顔色も少々悪い気がしますよ」
「大丈夫、少し用を思い出しただけだから。また来るよ」

 その晩、お蝶は泰親へと文を書いた。蜃は、武芸に強く秀でている。とてもではないが、里にまで連れていける気がしないと。それを、泰親の式神である目付に渡すと、あっという間に文は届けられた。そして、半刻もせずに返事が戻された。
 女を使えばいいと、少しは頭を使えとあった。最も、お蝶にとっては辛い選択であるも、思い付かない筈はなかったのだが、それ故に避けてきた部分でもあった。
 だが、お蝶は決めた。母の為に、自分が穢れることさえも。その晩は、泣き明かした。

 翌日、それとなく偶然を装い、お蝶は蜃の屋敷へと足を運んだ。町民が武家の家に度々現れるので、あまり良い顔をされていない気がするが、やむを得ない。
 ただ、家の者は不快な顔を向けても、蜃は嬉しそうに飛び出してくる。
「今日は、どうされた?」
「近くに寄りましてね、昨日のお礼も兼ねてご挨拶に伺ったのですよ。それから、これを」
 差し出したのは、羊羹だった。
「おお、すまない。今日は、もう帰られるのか? これから、仕事で?」
 案の定、望んでいた質問が来たとお蝶は唾を飲んだ。
「今日は、お店お休みなのですよ。だから、これから1人で街を歩いて帰ろうと」
「そうか」
「蜃様は、お稽古中で?」
 蜃の服装を見れば、恐らく剣術の稽古の途中だったのだろう。だが
「俺も暇なのだ。邪魔でなければ、ご一緒しようかな?」
「はい、喜んで」
「では、少しばかり俺の部屋で待っててくれ」
 お蝶は蜃に、部屋に案内された。恐らく、周りの目を気にしてくれたんだと感じた。抱かれるのを許せるほど、心を許してはいないが、お優しい人ではあるのだとお蝶は思った。
 蜃の方は、実は剣術の稽古というより、あれからお蝶へのいやらしい考えが消えないので、精神修行を兼ねて木刀を振り回していたのだが、今度は松兵衛の盆栽を割ってしまった。それを松兵衛に知られて逃げ回っていたところだったのだが、丁度お蝶が訪ねてきて助かったと飛び出して来たところだった。
 松兵衛は松兵衛で、たまたま盆栽の手入れのあと人に呼ばれたせいで置きっぱなしにしていたのもあり、いつものように怒るに怒れずで、このタイミングに怒るのを諦めた。
 蜃は着替えを風呂場に持っていくと、軽く身体を流して身支度を整えた。
 お蝶は蜃の部屋で待っている間、不思議な気分だった。
 暫くすると、綺麗になった蜃が現れた。
「待たせたな。全く、誰か茶菓子でも出してくれたら良かったのに」
 1人座るお蝶を見て、蜃が申し訳なさそうに愚痴った。
「いえ、お構いなく。それより、蜃様のお部屋は、いい匂いがしますね」
「ああ、丁子という香だよ」
「どうりで」
「では、行こうか」

 2人で街を歩く。今で言う、デートのようだった。最初は互いに気を使っていたのだが、日が暮れ始めると次第にそれすらも忘れて楽しくなった。憎むべき相手を哀れだと感じてしまうくらい、蜃は無邪気だった。何故、この歳でこの人が狙われなければならないのか。お蝶は、わからなかった。しかし、ここで蜃を選んでは、母が助からない。
「さて、そろそろ暗くなる。今日は楽しかったよ」
 とうとう、その時が来たと、お蝶は覚悟を決めた。決めて、蜃の胸に抱きついた。
「え! え?」
 動揺して、蜃の頭の中は真っ白になる。しかし、次第に物事が自分でも驚く程に冷静に見えてきた。バクバクと自分の心臓が波打つのに気付き、それを聞かれるのが恥ずかしくなった。
「お蝶さん、そんな事しては、襲ってしまいますよ?」
 冗談のつもりだった。
「女が、冗談でこのようなはしたない真似、できませんでしょう」
 近くに、出会い茶屋(今で言うラブホ)が見えた。どんなタイミングかと思う。
「いつまで、こうさせてるおつもりですか」
 お蝶の少し怒ったような声に、蜃ははっとした。
「本当にいいのだな」
 言うが早いが、蜃はお蝶を店に連れ込んだ。
 部屋に案内されると、蜃は刀を抜いて置いた。
「何があったのだ?」
 お蝶は、目を逸らした。
「蜃様を、お慕い申しております」
 嘘といえば嘘であった。だが、まだ子供の蜃にそれは分からない。
「俺は、恥ずかしいが……こういう事は、初めてなので」
「私も、初めてですよ」
「……茶でも、飲もうか」
 怖気付いたのを誤魔化そうと茶を作ろうとする蜃の手を止め、お蝶がそれを代わりにこなした。そこに、蜃に気付かれぬよう薬を混ぜた。お蝶は、予め解毒剤を飲んでいた。
 お蝶の淹れた茶を飲むと、蜃の身体は異状に熱くなった。暗い中、意識さえぼんやりしてくる。そこでお蝶は、蜃に裸を見せた。
「綺麗だ」
 思わず、蜃の口から零れ出た。
「これから、天にも昇るような快楽に満たされますよ」
 何故だろうか、その魅力に魅入られ過ぎたのだろうか。そう思い込む程に、蜃の身体は動かない。
 お蝶の舌が蜃の全身を伝う頃には、もはや意識があるのかないのさえわからなく、その快楽に溺れるようにゆっくり意識は閉じていった。

*****

 どのくらいそうしていたのかはわからない。何時間、もしくは何日経ったのかさえ不明だ。
 酷い頭痛に叩き起されるように目が覚めると、そこは見慣れない部屋だった。ただ、生まれ育った家より立派にも見えるのは、襖に描かれた水墨画や細かい彫りの施された欄間が目に入ったから。
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