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3話

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晴明は、急に怖くなった。怖くなったが、母の手から毒を握り取った。
 当主となるには、恨みを晴らすには病む負えない犠牲だと、自分自身に強く言い聞かせた。


 法眼と松兵衛は、元服の儀のあと部屋に篭った。とうとう、その時が来てしまったのかもしれないと。
「富子様に現れた闇の影は、日に日に大きくなっております。気を遣ったつもりが、逆に富子様の闇を大きくしてしまったのかもしれません」
「何故、晴明に力が現れなかったのだろうか?」
「わかりませぬが、僅かに宿った力が暴走するのも危険なので、今は儂の力で封じております」
「松兵衛の判断なら、それが正しいのだろう」
「葛葉殿に、医者のような行為をさせるべきではなかったと悔いておりませんか? それは、儂は少し違うように思います。もう少し、晴明殿に……同じようではなく、特別な扱いを考えてやるべきだったのかもしれません」
「松兵衛は、今回の富子の申し出、どう思うか?」
「何か裏があるようにも感じますが、夫婦の件もそうですし、葛葉殿の為にも受けざるおえねばならないかと」
「やはり、断ることは出来ないか」
「この程度の事が出来ぬのに……となっては、次期後継の件にも関わりますから」
「葛葉の力の事は心配しておらん。気になるのは、富子の企みと晴明と葛葉の仲じゃ。幼少の頃から、会わせてしまうべきだったのではないかと」
 「向かわせる前に、一緒に生活させてみるのは如何でしょうか? 葛葉殿を本家に呼ぶのです」
「そうしてみるか……」
 法眼と松兵衛の出した、苦し紛れの案だった。


 富子の提案した鬼退治の件については、元服の儀から3日後と早すぎる出発が決まった。それらは全て、富子の計画だった。
 その間、葛葉は本家の晴明の隣の部屋を与えられ、共に生活し、多少なりともお互いを知るように義務付けられた。
 その日からの食事は、全ていつも通り侍女の手作りで、晴明と2人で食べた。2人だけというのも、法眼のはからいだった。少しでも、会話をする機会を増やすようにと。そうでもしなければ、晴明は外で剣を振り回し、葛葉は部屋で本を読み続けるだけだったから。
「少しは、仲良くなれたか?」
 法眼が、葛葉に聞いてみた。
「晴明殿は、特に何も話しません。私がお嫌いなのかもしれません」
「そうではない、きっと照れてるんだ」
「私は、晴明殿と友達になりたいのです。私に友達はおりませんし……そうですね、お人形遊びなどどうでしょうか? 今度聞いてみようかしら。私のお人形を貸して差し上げたら、喜んでくれますか?」
 法眼は、苦笑いをした。
「葛葉よ、残念ながら晴明に限らず男子と言うものは、人形遊びはせんのだ」
「! 殿方は、お人形遊びはしないのですかっ!! では、どんな遊びをなさるのです?」
 葛葉の驚きっぷりが可笑しく、法眼は少し笑ってしまった。
「そうだなあ、晴明が好きなのは、武芸か……」
 葛葉は、しゅんとした。
「葛葉は、武芸はからっきしです」
「そうだな、では共に歌など読んでみてはどうだろうか?」
「それなら私にも出来ますね」
 しかし
「歌など読まん」
 晴明はキッパリ断ると、葛葉とは目も合わせようとせずに、ひたすら剣を振り回していた。
 藁で出来た人形は既にボロボロに成り果て、それでも晴明の剣は止まらず最後には芯の丸太すら折れてしまった。その度、晴明はその残骸を舌打ちと共に庭の隅に蹴りやった。庭の隅には、晴明のへし折った藁の木人が幾つも転がっている。
「惨い」
 することもないので、それをぼんやり見ていた葛葉がぼそりと口にした。
「惨い? ただの人形じゃ。これでも手加減しておる。大体人形ならば、もう少し耐えてくれんと、稽古にもならんわ」
「稽古と言うより、ストレス発散にも見えるがの」
「うるさい! 邪魔だ、何処かへ消えてくれ」
 怖い人だ、と葛葉は思う。葛葉の言い方もよろしくないとは思うのだが、それもまだ少女の葛葉にはよく分かっていなかった。
「明日、共に旅に出ねばならぬから、せめて少しくらい話をしたかったのですが……」
「なんだ? 聞いてやる」
 言いながら、晴明は次の木人の用意を始めた。
「うむ。私は旅が初めてですし、体力にもあまり自信がありません。晴明殿は如何でしょうか?」
「俺も旅は初めてだ。だが、体力には自信がある。自信がないなら、一人でゆっくり行けば良い。俺の側を歩くな。俺は、葛葉殿の事を守るつもりはない。自分の身くらい自分で守れ」
「冷たい殿方ですね」
「冷たい?」
 晴明が、手にしていた木刀を下ろした。冷たいとは心外である。冷たい世界を生きてきた晴明には、葛葉を嫌う理由が十分にあったから。
「お主は、常に守ってもらえると思っておいでか? 全ての人間が等しく優しく、お主を慕い、なんでもしてくれると。いいご身分であらせますな、姫君」
「……姫君」
 きょとんとする葛葉を他所に、晴明は手にしていた木刀を投げ捨て、その場をあとにした。
 葛葉は、離に住む藤緒の元に駆け、一部始終を話しながら泣いた。
「晴明殿と二人旅など、葛葉には無理でございます。ましてや、夫婦など」
 藤緒は、葛葉を抱きしめた。
「葛葉、夫婦というものは、家のためにするもの。母もそうです。ですから、我儘は通らないのです。二人旅にしても、これは富子様がお決めになり、最終的に法眼様がお決めになったこと。若様がどんなに厳しい方であろうと、耐えなければならないのが、女に生まれた運命」
 藤緒も、その生まれながらの運命に苦しんできた一人だった。
「母上は、逃げたいと思ったことはございませんか?」
 いつも、思っている。そう言いたかった。
「それは叶わぬ事ですから。そう思ってしまったら、これからがずっと辛くなります」
 葛葉の中に絶望が生まれた。何故、自分はこのような家に、生まれて来てしまったのだろうか。贅沢なんていらない、今までのように人を診て生きて行ければよかった。もし、この力のせいならば、それすらもいらないと思った。
  父上に、相談など出来ない。家から逃れたいなどと。もし逃れたとして、一体何処へ行くと言うのか。
 諦めるしかないのだ。
 暗い表情の葛葉を気にして、藤緒が続けた。
「若様は、きっと何か大きな誤解をしていらっしゃるのかもしれませんよ。それは、葛葉も同じ事です。若様の良いところを、見つけて差し上げなさい。若様でないにしろ、友達を作るにはとても大切な事なのですから」
 泣きながら、葛葉はこくりと頷いた。
 夕餉の席に、葛葉は現れなかった。仕方ないので、晴明は独りで食事を済ませた。思えば、必ずその場には母か父か松兵衛か誰かがいたので、独りで食事をするのは始めてだった。
 日も落ち、がらんと静かな座敷での食事は妙に心寂しく感じ、味気ないものだった。母が用意させた食事は、常に晴明が好きなものばかり。
 昼間、少し言い過ぎたか。いつも文句一つ言わないが、葛葉の好きな物はなんだろうか等と考えた。
 晴明は食事を終えると、葛葉のお膳をその場に放置するのも忍びなく、昼間の事も気に掛かり、お膳を彼女の部屋の前まで持って行った。
「食事が冷めてしまった。しかし、母上が折角作って下さったものだ。明日から旅も始まる。ちゃんと食べておけ」
 と言うと、晴明はその場を立ち去った。
 晴明も葛葉同様友達がいない。勿論、兄弟もいない。仲直りがわからなかった。ごめんなさい、という当たり前の言葉は、大人に自分を認めてもらうための一つの言葉でしかなかったから。
 昼間、消えろと言われた葛葉が、夕餉の席を晴明と二人で共にする勇気などなかった。母に泣きつき、けど何の解決にもならず、部屋に閉じこもるのが精一杯だった。
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