獣(創作男女)

ENZYU

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諦観に囚われている、満たされている

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諦観に囚われていた。

軍の中で、最上位の君の娘の少女に出会ったその日から、ある種の諦観に囚われていた。

それは甘さと絶望を孕んでいた。そして崇拝に値する美しさを伴っていた。

それはもう既に余計なものを捨てた後の、残りの自分の存在を完全に終わらせて捧げることを意味していた。

人を殺めるという時点で人ではないと認識していた。

己の身体が生ける屍と化した時点で更にこの世に生きる存在ではない場所へと堕ちた。

それ以上の、更に奥深い地獄が待っているということに驚いたし、興味深くもあった。

人をやめた者が更に堕ちるとしたらそれはなんだろうか。



恐怖の中、首輪につけられた鎖を引かれるかのように歩を進めて少女の元へと歩み寄る。

膝をつき頭を下げて一礼をした後、既にお互いの名前を知っている男女の間には静寂しか訪れず、そのまま男の手が伸びて少女の手を掴み、そこへ口付けが落とされた。

少女は冷たいけれどどこか慈しみの籠もった視線で男を見つめる。手に入れた。可愛そうで愛しい生贄のような存在だと思った。

暗い興奮が湧き上がる。男の腰に携えられた刀を抜き取る。

特別な刀を授けられた男という話は聞いていた。魔の力の籠もる刀。妖しい光が反射される。

日の沈みかけた薄暗い室内の中。窓から微かに差し込む淡い夕日がどこか強烈な存在感を纏う。

逆光に照らされた少女は男に手を床に置くように命じた。すぐに手が置かれると刀の切っ先で手の甲を撫で始める。

まだ残っている男から少女へと送られた手の甲への口付けの感触を愛おしみながら、そのまま刀を手の甲へと差し込んだ。

貫かれた刃は固い床に触れて赤が滲み溢れていく手の下で鈍い音を立てる。

男は表情一つ変えずにゆっくりと目を閉じた。

ゆっくりと刀を手から抜いていくと、丁寧に腰元へと戻してから、軍帽を奪う。

逆光に照らされた少女の表情は相変わらずわかりにくかったが、まるで血塗られた品と威厳を感じさせる瞳が光を放つように輝いていた。

細められた瞳の色気に、既に屍と化し動くはずのない心臓が鼓動を打つようだった。







二人の間では必要でないにも関わらず、アカツキはジンの部屋へ入る際に扉を数回ノックした。

もちろん音が響いても返事がないということも弁えた上で、ゆっくりとドアノブを回して室内へ入る。



「ただいま帰還しました」



数歩室内を進みアカツキが頭を下げると、ソファに座っていたジンが立ち上がり無言でアカツキへと近づいていく。

ここはジンの父親の書斎だった。いつも彼女はあらゆる本をここで読んでいる。学校へ通う彼女のことを彼は知らないのだった。

彼女が戦場で血に塗れる彼の姿を知らないように。

細くて白い指先がアカツキの顎へと添えられてそのまま上へと持ち上げられる。

ジンの背丈がアカツキより低いのは明瞭で、アカツキが頭を下げても目を合わせようと思えば合うのだが

この場合には頭を下げると同時に伏せられた目を開ける為の行為の意味合いを含んでいた。

開かれた紫色の瞳が未だ微かに興奮でぎらつき、そして瞳の色から感じ取れる欲求不満の意味合いが見事にありありと魅せられる戦後のアカツキの視線はすごく好きだった。

両頬に手を添えて真っ直ぐとその目を覗き込む。疑問を浮かべながらも尚消すことのできないそれにジンは魅入った。

背伸びをして息のかかるほどに距離が縮まり、そのままアカツキの唇へと己のそれを一瞬だけ重ねて、首元に絡みつくように抱き寄せた。

するとアカツキはいつも戸惑いを見せる。それはもう日常茶飯事の出来事だった。



「…いけません」



そして遠慮がちに擦れた儚い声で抗議の声を上げる。

本気で嫌がることなどできないことは知っているし、そういう行為に及んだと父親が知るとアカツキの立場が危うくなるのもわかっていた。

でもどうしてだろう。事柄としてはわかるけれど、自分の中の理屈としてはアカツキは己のものなのにしてはいけないことがあるという現実が不可解なのだ。

少女の中でどうしても疑問が残る。それなら何故くれたのだ。父親のものではない。私のものだ。

現実的な事柄としてすべて共存する物事のはず。なのにその事柄からやってもいい行為とやってはいけない行為は別れる。

それなら邪魔な事柄を消すしかないのか。ああ、面倒だ。

そんな我侭も結果的にはいつも流れていくように通されてしまうのだ。アカツキの心が引き裂かれるような裏切りに苛まれながらも

少女へ募る欲望が抑えられないのは事実だから。

痛いけれど気持ちがいい。まるで生きていることを認識させてくれる自傷のようだと自嘲させられる。

ジンから重ねるだけの口づけが数回された後、今度はアカツキから口付けを落とし後頭部へと手を回して引き寄せると更に激しい口付けを求めジンの唇をアカツキの舌が舐める。

それに応じるように微かにジンが口を開くとそのまま舌を絡ませてお互いの吐息に溺れながら、深く味わうような口付けへと変わる。

控えめで真面目な男がどんどん獣へと変貌する。手が服の隙間へと差し入れられる。微かにジンが笑むと何が楽しいのだろうと微かにアカツキの中で苛立ちが募った。







内臓の一つが、時間をかけて知らない内に蝕まれていく。

時間が経つにつれて目に見えてくる次の症状は、左手の指先からの腐敗。

こんな状況を以前から悟っていた身からすれば、視認できる己を繋ぐ鎖が静かに手放されていくような感覚だった。

苦しいだけの支配。嬉しくない開放。

それだけを認識して、できうる限りはごく普通の生活を送っていた。

隠せる場所は上手く隠せば死者の悪臭が漂うことはないようなので、誰かに気付かれる気配はなかった。

否、たった一つだけ例外があるとすれば少女は男の異変に気付いていたし、男と同様そうなる兆候を感じ取っていた。

だからだろうか、以前より慈しみをもった笑みを浮かべ、毒を送り込むように内側から魅了していくのだ。前よりも濃くなった。

さすがに二人の時間が濃密になればなるほど、体臭で感づかれてしまわないかと以前よりも精神的にあまりよくない状況に身を置かれたのだ。

その結果の身体の”回帰”なのだろうか。

本来なら死んでいるはずの身だ。だから元通りに帰っていくだけ。

人として堕ちた後に堕ちる終着点。それは誰しもが最後には身を委ねる棺のような場所なのだろうか。

皆が当たり前に入る棺ではない、堕ちたものにふさわしい偽者の棺。それは閉鎖的で息苦しいあの存在だ。

とうとう身体を動かしているのが億劫になってきた日々の中で、白いベッドに横たわり窓から外の様子を伺う日々が始まった。

今度は自分が少女の下へ向かうのではなく、少女が自分のところへとやってくるのだ。

以前自分がしていたように意味のなさない扉のノックが二回響き、次にドアノブを回す音が響いて靴音が室内へと響く。

ジンは頭を下げない。ベッドの近くへとやってくると近くの椅子に座りアカツキの様子を覗き込む。

殺風景な部屋の中、静寂と白に包まれたそこはまるで病室のようになっていた。



「…学校は、どうでした」



以前戦場はどんなものかと聞かれたことがある。

いくら彼女が血のような瞳の色をしていても、軍人の娘でも血生臭いこととは無縁にされていた…はずだ。

何もなければ。大体予想は裏切られるので断言することはできない。

ジンはアカツキの質問に答えない。以前アカツキも特に答えることをしなかった。

二人の間で、お互いの日常の様子を語り合い共有するという概念は存在しなかった。

けれども一応世間で当たり前に行われる会話の形だけはなんとなく真似てみる。結局似合わなかったという感想だけが残って静寂に包まれる。

静寂の中で、いつも彼女が学校に向かう前に、私室へと起こしに行き、朝食を用意し、髪を梳かし、着替えを手伝い、靴を履かせ、用意した荷物を持たせる。

世話人としての行動を淡々とこなす中で時々交わる視線越しに無言の会話をするような。そんな時間が基本だ。

アカツキが帰ってきてジンの元へ向かう時は、彼女が本を読んでいるのを見守るだけだ。その後に彼女に誘い込まれて身体を交じり合わせる。

彼女に誘われたからと彼女のせいにするのはいけない、それは許されないことだと固く目を閉じた。

寝返りを打ちアカツキはジンから顔を背けようとする。見られたくない。見られたくない見られたくない見られたくない。

寝たきりになってからというものの、情けなくて恥ずかしくて悔しくて自分がどうあればいいのかわからなくなっている。

できることならもう会いたくない。けれどこれは弱音だ。言えるわけがなかった。

白くて細い指先が伸ばされる。アカツキの黒髪に触れて絡みつくように弄びながら、撫でる。

一度、二度、三度、まるで心の内を読み取って宥めるように。



「姿形など些細な問題であろうに…」



率直に一つだけ言うとしたら、その魂ごとすべて私のものなのだ。

私がこの手で抱いて、私だけがこの手から色々なことを教えることができる。戦場ではわからない物事を。



なんだかやけに眠い。後ろからきつく抱擁されているようで息苦しいのに、気だるい眠気が迫ってきている。

細い指先が離れていく。薄明かりが遮られ暗くなったかと思いきや、左頬に口付けが落とされた。



「寝たいならそのまま寝ればいい」



そういい鞄を漁る音が聞こえた。本でも読もうとしているのだろうか。

寝る、か…この身体になってから睡眠からは離れてしまった。

人間の三大欲求の内の、食事、睡眠は死んだも同然だ。除かれた性欲は彼女によって無理やり引きずり出される。

壊れない程度に掴まれて痛みと諦観を伴って引きずり出される。甘美なそれを貪る度にどんどん終わりを感じていた。

けれど今なら自然に眠れる気がした。瞼が重いのだ。

けれど、けれど……―――

目を覚ます保障はあるのか。俺が把握できないだけでジンはそれを把握した上で眠れと言っているのか。

彼女という棺の中は熱い。熱くて甘美で痛い。

そこでならもう忘れてしまった眠りが訪れるのか。

逡巡した後にゆっくり目を閉じる。本を開きページが捲られて紙が擦れあう音が聞こえた。

そのまま本の物語が始まると同時にアカツキの視界は真っ黒に染まった。



最初の異変は、生理が訪れなくなったことだった。

それなのに体が気だるくてイライラすることが多い。

眠気、眩暈、そろそろ遅れてやってくるんだろうか。

更に一ヶ月経過。お腹の張り、吐き気、そこまで鈍感ではないことから既にこの時点で一つの可能性に着目し始めた。

もしかしたら…

最初に浮かんだのは薄暗い喜びと満足感。

あの後アカツキが起きることがなくなり、どうなったかはわからないが隠され保管でもされているのだろう。

まるで物のようだ。あの悪魔の私物。

自分も娘という立場からそのように扱われる日がくるのだろうか。嫌悪感が募ると同時に頭に響く痛みに眉を顰める。



それよりも、これから訪れるであろう変化をどう生活していくかということを考えていきたいと思う。

とりあえずこの事実は今はまだ誰にも打ち明けることはしない。

お腹を撫でさする。この中に私以外の人がいる、それもアカツキの血を受け継いだ子が。

そう思うとより満たされる。そこからわかることは私は寂しかったんだということ。

それから妊娠したであろうことの初めへと思考が移る。アカツキはそれを防ごうとしていたのは確かだった。

その行動を引き止めて無理やり中に出させたのはほかの誰でもない自分である。

あの時のアカツキの見開かれた瞳と、罪を犯してしまった背徳感と諦めの色を含んだ表情を見せたのと同時に、確かな征服感の色を滲ませたことも知っている。



…脱線してしまっている。これでは未来のことをどうするか考えるのではなく、ただ過去に思いを馳せているだけだ。

まあ構わない。これは確かに重要なことだ。あのアカツキの表情が私は一番好きだった。

罪を重ねた背徳と諦観に陥ることが確定されてしまうが、欲に素直になれるアカツキが好きだった。

周りを気にして私に対して一歩引いて接しようとしているのに、何かを我慢するような表情を見せることが多かったこともある。

心の奥底ではそんな自分を戒めて、散々苦しめてどこの自傷でもしかねない思春期の少女なのかと冷や冷やさせられる事が多々。

そこは男らしく潔さを見せても誰も文句は言うまい。戦場では命をかけてその先にあるものへと繋げる為に刀を抜くはずなのに。

つまりこの先の自分の生活もそういうことだ。人間いつか死ぬのだし潔く物事を成し遂げてしまえれば満足だ。

この歳でなんて、罵詈雑言を受けることを回避するのは難しい事実ではあるが、確かに欲しかったのは欲しかったし好きだったのは好きだったことにかわりがない。

何故だろう。こうどんどん形にしていくと子供っぽい言い訳のようになってくるような気がする。

ならばせめて一言だけ言わせて欲しい。必要なものが消されてしまった後の長い安穏とした未来などいらないのだ。



その後、毎日日付が変わるごとにお腹を撫でてその命を確認をした。

下腹部の中のもう一つの生にも、体の中に響く心臓が宿っていて。

目を閉じてしんとした場所で自分の体の内側に耳を済ませてみても、もちろん自分の心臓の音しか聞こえることはなかった。

一日、一週間、一ヶ月…二ヶ月

こんこんと経過していく時間の中そろそろお腹が膨らんできてもおかしくないのでは、と疑問を示した際に

下着にべったりと付着する赤を目にした。

腹痛と伴い出血なのか、生理なのか判断がつかなかったが、一度だけではなく数日続くことを確認した後これは生理だと認識する。

なんなんだこの変化は。ホルモンバランスが乱れて生理が遅れただけだとでもいうのか。

あんなに期待させた癖にこんなものなのか。いや違う。あの後妊娠検査薬を使ったことも事実だった。予感がちゃんと現実のものとして認識された証拠があるのに。

こんなことがあってたまるものか。もしかしてあの悪魔にでも気付かれて消されたとでもいうのか。こんな簡単に。







人のことを道具だとでも思っているのだろう。そう思うと同時に足は真っ先に限られたものしか入ることの出来なかった父親のいる場所へと少女は向かう。

走っていく中でここをアカツキもいつも通っていたのだろうかと気持ちを満たした。この後意見をはっきり言うことができるようにエネルギーをチャージする為の意味合いもある。

階段を上がっていき、右へ曲がってそのまま真っ直ぐ向かい、左へと進む。

見えてきた目当ての部屋の扉を睨みつけて一直線に近づき、扉を開く。

息を切らしながら、逆光になっている背中を睨みつけた。目を合わせたくなかったことを考えると振り向きもしなかったのは幸いだが、態度として見るといないもののように扱われ腹立たしくもある。



「何か、自分が重大なことをしたという覚えはないか」



静かな声が張り詰めた静寂に包まれた室内へと響く。先に感情のまま自分から腹の内をぶちまけて訴えるのではなく、相手側から暴露させて冷静に理由を問いただすべく言葉を選んだ。



「事態を左右する重大な選択など、いつものように行っているが」



白を切るつもりなのか。苛立ちがこみ上げて尚も背中を向けたままの男を睨みつけたまま歯軋りをする。

整った少女の表情が多少歪むが、それはそれでまたいつもとは違う暗さを伴った美しさを放った。

一歩、二歩と歩みを進めると長い黒髪が揺れる。そのまま近づいていき、距離はその男の背中の後ろへと近づいたが、会話は一向に進まないまま。



「…その一つ一つのことなどいちいち覚えていないと、そう言いたいのか」

「違うな。覚えていないのではなく、お前がさしている点はどれだと、俺はそうきいている」



選んで、自らの口から言葉を発せと。

意地の悪さに嫌悪感を示す。つけられた名前を呼ばれることがないことから、自分には名前がないのだと認識したのは遠い昔のこと。

そうして自分がいつしか名乗る機会が訪れた際には父親の名前を拝借した。

父親の名前を知るものに対しては、旧日本国名での漢字で描く名前と、外国名の違いがあるという説明を加えて。

多分、本質的にも何か自己嫌悪を催す類のものがあるのだろう。血が本当に繋がっているのかどうかは知らないが。

ともかくこういう面倒な輩は心底嫌いだ。



「アカツキのことも、生まれてくる前に消した赤子のことも…全部奪っておいてしれっとして、そんな奴を父親だとは思えない」

「ああ…それか」



その一言と同時に窓辺の悪魔が夕日を背にして振り返った。

瞳が光を発光しているかのごとく赤く光る。

逆光になったその表情は確かに笑んでいた。少女は目の前の男、ジンが動く際に射し込んできた夕日の眩しさに目を細める。



「お前には赤子を育てることなど無理だ。そしてあいつと生きることもままならん」

「どうしてそう勝手に…」

「人生経験だ」



何が人生経験だ。子を育てる気が一番ないのはお前だろう。

そもそもどうしてここまで繁栄させた国が”もうすぐ終わる”のにそこまで冷静でいられる。

まるで死んだ悪魔のような表情をしているぞ。

その言葉をのみこみながら、この男ももうすぐ自分のようにすべてを失うのかと思うと、その喪失感が、どこか諦観を含んだ感情が自分を満足させるものだと今認識した。

今までその支配に耐えていた者達に復讐でも受けるのか。

本願は果たされずに滅びるもの。

それはこの男にも当てはまるのか。





…滑稽だ。
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