上 下
2 / 37

第2話

しおりを挟む
扉を開けると医務室独特のアルコールの匂いが鼻をつく。
部屋の主は僕に気が付くと驚きつつも見ていたカルテを机に置いた。

「あら、サイラスさんじゃないですか。どうかなさいましたか?」
「陛下が寝不足で死にかけていたので寝かせてきたという報告と…ちょっとカリン先生とお喋りしたいと思って来ちゃいました」
「なるほど。では鍵を閉めてくるのでそこの椅子に座って待っていてください」

言われた通りに大人しく座ると彼女は扉の鍵をかけてから僕の向かい側に座る。

「さて、あの馬鹿はどんな感じだった?」
「陛下を馬鹿呼ばわりするのは流石にまずくない?」
「いいのよ。何回過労で倒れても休むことを学ばない馬鹿なんだから」

溜め息交じりに引き出しから新しいカルテを取り出す彼女に笑ってしまう。

この城の医師団を率いている彼女はカリン・クロイツェル。
豪快な姉御肌の彼女は城にいる人皆に慕われている。
かく言う私も勿論慕っており、女性ということを誤魔化している私の強い味方だ。
検査の関係でもちろん女性ということは知っている彼女だができるだけ私が苦労がないように色々根回しをしてくれている。

そんなこともあり、僕たちの間には『お喋りしたい』という言葉を合図に密かに女子会をする謎ルールができていた。
『お喋りしたい』の合図で僕たちは敬語も様付けも先生付けもやめる。
お互い各部隊のトップという立場に立っているからこそ愚痴の吐き場が欲しかったのだ。

「カリンって陛下の事よく見てるよね」
「そりゃそうよ。国王が過労死したなんてことになったら私の首が飛びかねないんだから」

彼女は紅茶のカップに口を付けながらそんなことを言った。
私も出してくれた紅茶を飲む。

「いや、そうじゃなくて。……うーん、何て言ったらいいんだろ」
「……つまり?」
「医者として、という理由以上の心配を感じるっていうかさ」

そういうと気まずそうに目を逸らされた。

「そりゃあ……だって、ほら……幼馴染だし」

カリンが返答を濁すのは珍しい。
しかし見ているこちらとしてはもどかしいものがあるのだから容赦なく踏み込ませてもらう。

「この際だから言わせてもらうけど、陛下もカリンのこと気にしてる節はあるんだからそろそろ進もうよ~」
「ちょっと!?何言ってるのよ!」
「この前陛下が倒れたでしょ?あの後、目が覚めた陛下とカリンの様子見てたけどめっちゃいい雰囲気だったじゃない~」
「どこから見てたのよ!!」
「医務室のベッドで上半身を起こした陛下と傍の椅子に座るカリン。心配したって怒ったカリンの頭を撫でる陛下。あの甘すぎる空気は今思い出してもキュンキュンしちゃうよ~」
「~~~~~っ!!」

声にならない悲鳴を上げた彼女は、机に顔を伏せてしまった。
暫くすると少し顔を上げてジト目で僕を見る。

「……サイラスって意外に意地悪よね」
「誰も気づいてないけれど陛下とカリンの間をよく行き来する僕なら気づかないはずないよ。早くくっついてもらっていいかな?見てるこっちがもどかしい」
「……身分差があるのよ。アイツはこの国のために他国の王女と結婚するのが1番なの」

ぽつりと呟かれた言葉は彼女自身の心を深く抉る。
きっと彼女は陛下が周囲の大人たちに「政略結婚は素晴らしい」と耳にタコができるほど言われていたのを知っているのだろう。
いや、目の前で言われているのを見てきたのかもしれない。
だからこそ、無駄な期待は持たずに大人になってしまった。
空想物語ならもっと救いはあるのにこの世界は彼女たちにとって厳しすぎる。

「私の話よりサイラスの話を聞きたいな」

沈みかけた雰囲気を切り替えるように彼女は僕に話題を振った。

「僕の話?」
「浮ついた話はないの?」

ニヤニヤと私を見つめる彼女に首を傾げる。
僕は少し冷めてしまった紅茶を飲みながら答えた。

「あるわけないよ。騎士団の皆は僕のこと男だと思ってるし」
「でも街に言ったら声かけられない?」
「…女性からファンレターは貰う」
「……うん、なんかごめんね」
「ちょっと、謝らないでよ」
「うーん…あ、なら来月のパーティーでいい貴族でも探してみたら?」
「え?来月パーティーあるの?」

全く知らなかった情報に驚くと彼女は卓上カレンダーを見せてくれた。

「来月はこの国の建国パーティーがあるのよ。近隣の国々や同盟国の重鎮を招待して開かれる結構大きなパーティーよ」
「あー…そっか、去年のこの時期は遠征に行ってたから僕知らなかったんだ」
「今年は騎士団の団長になったんだから何かしら仕事はあると思うわ。でも暇な時間もあると思うし楽しんで頂戴」
「え、カリンは来ないの?」
「私は医務室待機よ。飲みすぎて対象悪くなる人の看病とか意外と大変なの」

去年も大変だったのか、どこか遠い目をするカリンに同情せざる負えない。

「いい人いるかな~…」
「……あのさ、ずっと気になってたこと聞いてもいい?」
「え、改まって何?」

変に緊張した面持ちで聞かれたためこちらも緊張してしまう。

「サイラスって恋人居たことある?」

恐る恐る投げられた質問が予想外のもので思わず固まってしまう。
そっか、言ったことなかったか。

「うん、1人だけ。彼氏がいたことあるよ」
「そうだったんだ。出会いとか聞いてもいいの?」
「別に隠すものでもないからいいよ。えっと…初めて会ったのは近隣国に旅行に行ってた時かな。経緯は覚えていないけれど色々あって付き合って、帰ってきてからも手紙でやり取りしつつ月に1、2回会ってた感じかな」
「…色々あって?それ具体的に聞いてもいい?」
「……ほら、私貞操観念ないからさ」
「アンタねぇ!!!そんなにホイホイそういう行為しちゃダメでしょ!」
「もう数年も前の話なんだから今更怒らないでよ」
「反省が感じられないから怒ってるの!」

目を吊り上げて怒る彼女を宥めるためにも早々に話を進める。

「それは置いといて、結局彼とは私が城の騎士団に合格したと同時に自然消滅した感じかな。向こうも来月から忙しくなるって手紙に書いてたし、彼からの手紙に返信しなかったらそのまま終わったの」
「そのまま付き合ってれば良かったのに」
「迷ったけれど、男装するために髪を切る予定だったからさ。女性的な格好ができなくなるし振られるぐらいなら自然消滅の方が苦しくないじゃん?」
「……告白はどっちから?」
「向こう…らしい」
「は?」
「…正直覚えてない。ベッドの中で言われたらしいけどお酒も入って記憶が曖昧だし」

私の言葉にカリンは驚くほど冷たい目線を投げつけてきた。
言いたいことは十二分に伝わって来たからもうやめて…。
普通に冷や汗が止まらない。

「はぁ…なら、どれぐらい付き合ってきたの?それは覚えてるでしょ」
「えー…半年?かな。うん、1年は経ってない」
「意外と短いのね」
「元々騎士団に入団する前の最後の旅行のつもりだったしね」
「写真とかないの?」
「ないない。そんな考えに至らなかったし。あ、でも容姿は整ってたよ。思わず二度見したくなるタイプのイケメン」
「……アンタがどれだけ恋愛に無頓着かよーーーく分かったわ」
「え、そんなにおかしい?」
「とりあえずアンタには監禁してくるぐらい執着心の強い恋人が必要ね」
「いやぁ、そんな重い人はちょっと……それに今の私は見た目男なんだからそんな物好きなかなかいないって」

私の言葉に何か言おうとカリンが口を開きかけた時、部屋に強いノックが響いた。

「カリン先生!訓練場で兵士が倒れたので来ていただけませんか!」
「分かった。今行くわ」

白衣を羽織った彼女は私を一瞬見て小さく呟く。

「また今度、しっかり聞くからね」
「そっちこそ早く進んでね」

彼女は私の言葉に顔を歪めると小走りで医務室を出て行った。


しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

公爵夫人は愛されている事に気が付かない

恋愛 / 完結 24h.ポイント:49pt お気に入り:445

婚約破棄にも寝過ごした

恋愛 / 完結 24h.ポイント:2,073pt お気に入り:978

処理中です...