奈落詣り

関谷俊博

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奈落詣り

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遠雷が鳴っていた。微かに雨の匂いもする。河豚のような小さな鰭のある空魚たちが、西の空へと飛んでいった。
「大人たちはどこへ行ったんだ…」
ケンイチは呟いた。この言葉を口にするのは何度目だろう。口にしているケンイチ自身、明確な記憶がある訳ではない。ただ、自分はかつて、「大人」と呼ばれる、身体の大きな存在と暮しを共にしていた気がする。
「先を急ごう」
ユウシンがケンイチを振り返った。
「ひと雨くるぞ。逆剥魚が降ってくるかもしれない」
逆剥魚は普段は雲の中を泳ぎ回る空魚の一種だが、豪雨と共に降ってくることがある。その鋭い嘴に貫かれて、動けなくなる者もいるのだ。
鬼車草の群生する湿地帯を抜けると、ケンイチ達の棲家があるダイオウシダの樹海は目前だ。
ケンイチとユウシンが、樹海に踏み込んだ途端、雷鳴が轟いて、激しい雨と共に、無数の逆剥魚が降ってきた。逆剥魚の細長い魚体が、次々と地面にめり込んでいく。
危なかった。ケンイチは思った。ユウシンの判断はいつも正しい。
樹海を五0メルデ程、分け入って進むと、ケンイチ達が「迷殻舟」と呼ぶ、紡錘形の遺跡が姿を現した。
ケンイチ達は、ここを棲家としていた。鈍色の外壁は、ハネトビカズラの蔦を這わせていたが、どんな鋭い矢も歯が立たなかった。
このような遺跡が、樹海には点在している。中は迷路のように入り組んでいて、ケンイチたちも、その全ての構造を理解している訳ではない。
ケンイチたちは、外界に比較的近いこの遺跡を根城にしていたが、樹海のもっと奥には、別の遺跡を棲家とする、また別の種族もいた。
彼らは樹海の生活に完全に適応していて、翼のような飛行具を使い、ダイオウシダの木から木へと滑空した。
迷殻舟に潜り込んだケンイチ達を、アヤノが出迎えた。
「疲れたでしょう。お帰りなさい」
いつも優しいアヤノがケンイチは好きだった。
トモベと二人で狩りに出たタツジも、たった今戻ってきたらしく、仕留めた暴牙猫をまだ肩に背負っていた。
暴牙猫の肉は頗る美味いが、性格は極めて荒く、迂闊に手を出すと、手足を喰い千切られる恐れもあった。
タツジが暴牙猫を放り出すと、そのしなやかな黒い身体は、のさっと床に横たわった。
共に出掛けたはずのトモベの姿はなかった。
ケンイチとユウシンも、トビハネカズラの蔦で編んだ籠を床におろした。籠には数十匹のヌタイモリが白い腹を見せていた。
ヌタイモリは、湿地帯に潜む、小型生物である。樹海を棲家とするケンイチたちにとって、それは貴重な蛋白源となっていた。
夕餉は、ヌタイモリをすり潰した肉団子と、暴牙猫の肉とハネトビカズラの実を煮込んだ雑炊だった。
ケンイチ達は鍋を囲んで座った。かつて数十人いた仲間は、今では十人を数えるばかりに減っていた。
長い年月の間に自然に動きを止める者もいたが、大抵の者は、ある時が来ると、湿地帯の向こうへと彷徨い出し、それきり戻って来なかった。
ケンイチ達は、これを「奈落詣り」と呼んでいたが、奈落が何を意味するのかはわからない。
「みんな、喰いながら聴いてくれ」タツジが口を開いた。
「トモベが穢疽神に喰われた」
みんな一瞬、匙を止めたが、また何事も無かったかの様に、匙を口に運び始めた。
ケンイチも黙って食事を続けた。暴牙猫の肉を噛み締めると、甘ったるいどこか懐かしい味がする。誰も何も言わなかった。
ケンイチは一度だけ穢疽神を見たことがある。それは湿地帯を彷徨う、四足歩行の獣だった。
穢疽神と呼ぶに相応しいその獣は、爛れた皮膚からじゅくじゅくした分泌液を滴らせ、哀しげな声ですすり鳴いていた。
穢疽神が仲間達を喰らうことを、ケンイチは今初めて知った。
哀れな獣に見えたが…そうか…穢疽神は俺達を喰らうのか…。
それが分かった処で、ケンイチの心に動揺は無かった。それは他の仲間も同様に違いない。事実を事実として受け止める事が、半ば習慣化していた。穢疽神は自分達と同じ言葉を操る。トモベが確かそう言っていた覚えがある。
「ケンイチ…」
隣に座っていたユウシンが、ケンイチの耳にささやいた。
「後でちょっといいか。話がある」


静かな夕餉が終わると、ユウシンはケンイチを隅に呼び出した。仲間達は身を寄せ合い、背を丸めて眠っている。
「迷殻舟の深みまで行ってみないか」
ユウシンはケンイチの耳に囁いた。
「迷殻舟の深み…」
「ああ。迷殻舟の深みには何かがある。シンイチが言っていただろう」
確かシンイチは、迷殻舟の深みで「虚無」を見たと言っていた。そのシンイチと迷殻舟の深みへ向かったのが、今日、穢疽神に喰われたトモベだった。
だが「虚無」とは何なのか。
シンイチもトモベも迷殻舟の深みで本当は何を見たのか、誰にも語らなかった。
そして、何も語らないまま、シンイチは「奈落詣り」に赴き、トモベは
穢疽神に喰われてしまった。
そもそも一0メルデにも満たない、この小さな遺跡の中に、どうしてこの様な広大な迷宮が広がっているのか。
「空間を捻じ曲げて、折り畳んであるんだ」と、穢疽神に喰われたトモベは言っていた。
しかし、空間を捻じ曲げる、とはどういうことか。
迷宮の奥で、もう一人の自分とすれ違った、と言う者もいたが、真偽の程はわからない。
兎に角ここを根城にしているケンイチ達にとってさえ、迷殻舟は謎に満ちていた。
「だけど何故急にそんなことを言い出すんだい」と、ケンイチはユウシンに尋ねた。
「迷殻舟の深みにあるものを知りたくなったからさ。僕に残された時間はもう僅かなんだ。間も無く僕はいなくなる」
「何故だい」
「僕の奈落詣りが近いんだ」
ユウシンは言った。


迷殻舟の深みへの入口は部屋の中央にある扉である。そこには扉だけが立っていて背後には何も無い。しかし扉を開ければ、そこには迷路の様な空間が広がっている。一体どの様な仕組みになっているのか、誰が何の目的でこの扉を作ったのか、ケンイチには分からない。
ユウシンが扉を開いた。細い回廊が奥へと続いている。壁が仄かに青白く光っていた。ケンイチとユウシンは歩き始めた。
奈落詣りが近い事をユウシンはどの様に察知したのだろう。奈落詣りが近づけば自分も分かるのだろうか。それは雨の気配を察知して空魚が騒ぎ出すのと同じ様なものなのかもしれない。元々備わった本能に近いものなのだろうか。
二人が回廊を進むと前方にまた扉が見えてきた。銀色の回転扉である。微かな音を立てて廻っているその扉に二人は滑り込んだ。
扉の向かうにはまた新たな回廊が奥へと続いていた。回廊の壁と天井は鏡張りである。回廊の床は透き通っていて、甲冑を被った様な空魚が泳いでいる。ケンイチが床板を叩くと空魚はすぐに泳ぎ去った。どうやら床板の底には水が張られていて、空魚はそこを泳いでいるらしい。雲間を泳ぐ空魚はいつも見ているが、水中を泳ぐ空魚を見たのは初めてだった。水中でどの様に呼吸しているのだろう。ケンイチはふと思った。空魚は太古の昔この様に皆水中を泳いでいたのではあるまいか。
回廊の鏡は湾曲しており、歪んだ二人の姿を映し出した。ケンイチとユウシンが歩を進める度に二人の姿は伸び縮みする。やがてユウシンが歩を止めた。回廊が二手に別れていた。右が黒の扉。左が赤の扉。
「どうする?」
ケンイチが言うとユウシンは懐を弄り始めた。やがてユウシンが取り出したのは、ダイオウシダの葉だ。そこには複雑で細密な絵図が描かれている。
「迷殻舟の深みへと向かう絵図だ。シンイチから受け取った」
トモベとシンイチは迷殻舟の深みに何度も潜ったらしい。単なる好奇心からだろうか。しかしこの詳細な絵図を見る限りそれだけとは思えない。
「右が迷殻舟の深みへと向かう回廊だけど、左の扉の向こうには部屋があるみたいだ。絵図に目印がついている」
「入ってみようか」
「ああ」
ユウシンが左の扉を開けた。
そこは三メルデ四方の狭い部屋だった。やはり壁が仄かに青白く光っている。部屋の中央には作業台があり、そこに置かれているのは一角獣の頭部だった。
一角獣の首の切口からは赤や青の導線がはみ出して絡み合っていた。周囲には大小の歯車や小さな部品が散乱している。この一角獣は何者かによって造られたのだろうか。
「おい、見ろ」
ユウシンが叫んだ。
一角獣の瞼が静かに開き始めた。やがて一角獣は思慮深げな紺碧の眼差しをケンイチに向けた。しかし二度程瞬きをすると嘶いて瞼を閉じてしまった。
樹海で時折見かける一角獣もこの様に機械仕掛けなのだろうか。一角獣は極めて獰猛で捕らえた者がいないので、本当の処は分からない。
「出ようか」
「ああ」
ユウシンが頷いた。
二人は再び迷殻舟の深みを目指すことにした。ユウシンが右の扉を開けると、またも回廊の壁と天井は鏡張りである。回廊の両側には等間隔に椅子が並んでおり、そこに座っているのはなんと大きな空魚だ。空魚には二本の脚があった。空魚はぴくりとも動かなかったが、ケンイチとユウシンが傍を通ると、眼をぎょろぎょろさせて二人を眺め回した。
回廊は幾つにも分岐していたが、二人はシンイチの絵図を頼りに奥へと進んだ。
どれ位の回廊を通り抜けた時だったろう。ケンイチは、はっと息を飲んだ。反対側から二人連れが歩いて来る。それはケンイチとユウシン。もう一人の自分達なのだ。無表情に此方に向かって来る。ケンイチは思わず立ち止ってしまった。驚愕している二人ともう一人の自分達がすれ違った。
「何だ。今のは」
ケンイチは振り返った。二人は回廊の向こうへと消えていく。
「考えるな。先を急ごう」
ユウシンはそう言ってまた歩き始める。回廊の分岐は更に複雑になっていった。やがてユウシンは白い扉の前で立ち止った。
「ここだな。この扉の向こうが迷殻舟の深みだ」
扉には何か書かれている。僅かに「穢」「核」「眠」の文字が読み取れたが、後は理解不能な文字乃至は記号である。
「入るぞ」
ユウシンは扉を開けた。
そこは非常に広い部屋、と言うより空間だった。端から端までは百メルデ。天井の高さは二百メルデ程もあるだろうか。
透明な立方体が四方の壁と床を埋め尽くしていた。ケンイチが覗き込むと立方体の中には1メルデにも満たない白い骨が横たわっている。元々はケンイチ達と同じ姿をしていたことが容易に想像できた。
これがシンイチが言っていた「虚無」だろうか。
二人は一つ一つ立方体を見て廻った。どの立方体も同じだった。夥しい数の白骨が存在しているだけなのだ。
「戻ろう。此処には何も無い」
疲れ切った顔でユウシンが言った。
しかし何も無いという事それ自体が「虚無」なのではないか。此処は何者かが目的を持って造った場所だったのではないか。だがその目的は失われた。何も無く虚しい事。それを「虚無」と呼ぶのではなかったか。
だが謎が解けた訳ではなかった。この場所を虚無ならしめた原因とは何なのか。この場所は何を目的に造られたのか。
多分トモベとシンイチはその答を掴んでいたのだ。
二人は元来た回廊を戻り始めた。シンイチの絵図が無ければ迷っていたに違いない。二人は細い回廊を抜け幾つもの分岐点を逆に辿った。
そうして沢山の分岐を抜けた時、やはりそれは起こった。ケンイチとユウシン。もう一人の自分達が反対側から歩いて来るのだ。もう一人の自分達が驚愕しているのが見て取れた。ケンイチとユウシン。二人はもう一人の自分達とすれ違った。
「やっぱりそうだ」
ユウシンが呟いた。
「僕等が出会ったのは迷殻舟の深みへと向かう自分達自身だったんだ」
迷殻舟の深みへと向かう回廊では空間だけでなく時間までもが歪むらしい。
やがて二人はまた二本脚の空魚達のいる回廊へと戻ってきた。やはり空魚達は眼をぎょろぎょろさせるだけで、ぴくりとも動かない。ケンイチは思った。この空魚達は門番なのかもしれないな。空魚達が動き出さないのは、ケンイチ達を害の無い存在と見做したからかもしれない。
鏡張りの回廊を抜け、やがてケンイチとユウシンは仲間達のいる場所に戻ってきた。二人とも疲れ切って会話をする余裕も無かった。二人は身を寄せ合い丸くなって眠った。泥の様な眠りだった。


翌朝ケンイチが遅くに目覚めると他の仲間達の姿はなかった。皆それぞれ狩に出掛けたのだろうか。ユウシンやアヤノも見当たらない。ユウシンは兎も角、狩に出ないアヤノまでいないのは奇妙だった。
ケンイチは一人で湿地帯へ出掛ける事にした。ヌタイモリを捕らえに行くつもりだった。仲間達の為に少しでも食糧を確保しておかなければならない。
頭部を一突きすればヌタイモリはぐったりと大人しくなってしまう。ヌタイモリを矢で突いていると頭が空っぽになって、やがて冷たい熱狂が訪れる。気分が高揚して、いかに効率良く突くか。それだけに集中する。
夢中でヌタイモリを突いていたケンイチは、その気配に気付かなかった。湿地帯に落とした影とすすり鳴く声にふと顔を上げると、すぐ目前に穢疽神がいて、ケンイチを見下ろしていた。穢疽神は何事かを呟いていた。
「私ハ何故コノ様ナ醜イ姿ニ産マレ落チタノカ」
やはり此奴は化け物だ。ケンイチは思った。穢疽神は哀れな醜い化け物なのだ。
「セメテ一角獣ノヨウナ姿ニ生マレタカッタ」
「一角獣は機械仕掛けじゃないか」
「ホウ。色々ト知ッテイル様ダナ」
穢疽神は四つの黒い眼でケンイチを凝視した。
「方舟ノ深ミヲ見タカ」
「方舟…。僕等はあれを迷殻舟と呼んでいる」
「迷殻舟。ナルホド確カニアレハ殻ナノダ」
「聞きたい事がある。迷殻舟の深みにあった、あれは一体何だ」
「アレハカツテノ私タチダ」
「あれがお前達…。だけどお前達は化け物じゃないか」
ケンイチが言った途端、穢疽神の態度が豹変した。
「グッグッグッ」
くぐもる様な声で、穢疽神は笑った。
「私タチヲ化ケ物トヌカスカ。ダガオマエタチモ又、人ニアラズ。オマエタチガ、イツマデモ子供デイルノヲ不思議ニ思ワナカッタノカ?」
穢疽神の言う通りだった。自分はかつて、「大人」と呼ばれる、身体の大きな存在と暮しを共にしていた。そして、自分達の様な身体の小さな存在は「子供」と呼ばれた。だが周囲の子供達が次第に身体が大きくなり、やがて「大人」になっていくのに対して、自分はいつまでも「子供」のままだった。
「今日ハ喰ラワナイデヤロウ」
穢疽神は踵を返すと、その四つ脚を緩慢に動かし始めた。
「教えてくれ。僕等が人で無いと言うのは、どういう事だ」
ケンイチは背後から穢疽神に声を掛けた。
「ヤガテワカル」
穢疽神はそう言い残すと湿地帯の向こうへと去って行った。ケンイチの心に疑念が漣の様に拡がっていった。自分達は一体何者なのか。


夕餉になってもユウシンは戻って来なかった。アヤノの姿も無かった。
僕の奈落詣りが近いんだ。ユウシンがそう言っていた事をケンイチは覚えていた。きっと二人は奈落詣りへ赴いたのだ。二人が手を組み合わせて湿地帯を歩いていく姿を想像してケンイチの心は揺れた。哀しさと羨ましさの入り混じった感情だった。
翌日タツジが姿を消した。仲間達は一人減り二人減り、最後にケンイチだけが残された。ケンイチは毎日一人でヌタイモリを突きに出掛けた。食糧はもう自分が食べる分だけあれば良かったのだが、何かせずにはおれなかったのだ。
ある日ヌタイモリを突いていると、ケンイチの心にこれまでにない感情が湧いた。湿地帯の向こうに何か素晴らしい場所が有って、そこへ赴きたいと言う強い思いだった。ケンイチは目をつむると立ち尽くして、その感情が通り過ぎるのを待った。ケンイチは迷殻舟に戻ることにした。だった一人のささやかな夕餉を済ますと丸くなって眠った。


湿地帯の向こうへ赴きたいと言う誘惑は日増しに強くなった。自分の奈落詣りが近いことをケンイチは知った。湿地帯の向こうに自分の帰るべき場所はあるのだ。そこにはユウシンもアヤノもいるはずだった。帰ろう。仲間の元へ。
ケンイチは湿地帯へと一歩を踏み出した。歩を進める毎にケンイチは幸福感に包まれていった。途方もない幸福感だった。空魚達が煌きながら雲間を泳いでいた。目に映る物全てが輝いていた。ケンイチは殆ど恍惚となって湿地帯を進んだ。湿地帯の果て。そこには理想郷が有り仲間達が待っている。
夜になると光蜻蛉が乱舞した始めた。ケンイチは瑠璃色の光に包まれて湿地帯を進んでいった。光蜻蛉の御蔭で夜でも歩けるのが有難かった。光蜻蛉がケンイチの行手を照らしてくれている様な気がした。ケンイチは歩みを止めなかった。夜になり昼になりまた夜になった。腹が減ると懐からヌタイモリの干物を出して囓った。
湿地帯はいつしか草原となり、やがて砂丘へと変わった。砂丘には漣の様な風紋が拡がり、穴だらけの岩やまるで空魚の様な格好をした岩が顔を覗かせている。空魚の鰭を三つ組み合わせた様な形を刻み込んだ岩もあった。一体何の印だろうか。
喉が渇いていた。湿地帯にも草原にも泉が湧いていたが、この砂丘ではそれも期待できそうにない。
ケンイチはふと立ち止まった。砂地が揺れた様に感じたからだ。目前で異変が起きていた。砂地が徐々に膨らみ始め、突然ぼこりと陥没した。空いた穴から砂が噴き出し始めた。穴の底から何かがせり上がってくる。
濃い毛に覆われた脚を突き出し穢疽神が姿を現した。分泌液に砂が付着した穢疽神は巨大な岩の塊だった。四本の脚を交互に進めながら穢疽神はケンイチに近づいて来た。
「来タカ」
穢疽神は一瞬笑った様に見えた。
「オマエハモウ用済ミダ。喰ラッテヤル」
穢疽神の牙がケンイチに迫ってきた。鋭い牙がケンイチの腹に深々と突き刺さった。


目を覚ますとアヤノがケンイチの顔を覗き込んでいた。
「アヤノ」
ケンイチは身を起こした。
「アヤノじゃないか」
「あんた、誰だい」
何を食べたのか。アヤノは口の周りをベタベタにしている。
「僕だよ。ケンイチだよ」
「知らないね」
アヤノは無愛想に言った。
周囲には錆び付いた機械類が無造作に積み上げられている。大小の螺子がそこら一面に散乱していた。此処は何処だろうか。
「此処が…此処が…楽園なのかい」
「楽園…」
アヤノが「きゃははは」と、けたたましく笑い出した。
「あんた、一度頭の螺子を巻かないと駄目だね」
いつも優しく仲間の事を考えていたアヤノ。その落差にケンイチは戸惑った。
その時背後で声がした。
「駄目だよ。アヤノはもう真面じゃない。頭が壊れて狂っているのさ」
振り返ると穢疽神に喰われたはずのトモベが立っていた。トモベの腹は裂けて、内部の歯車が剥き出しだった。迷殻舟に居た一角獣同様、トモベは何者かに造られた存在だったらしい。
「おまえ、その腹、穢疽神に」
「ああ。喰われかけた。だけど穢疽神が喰らうのは俺達の肉だけだ。内部機構は口に合わないらしい」
「内部機構…その歯車…。トモベ、おまえは何者なんだ」
「そんな事言って。ケンイチも同じじゃないか」
その言葉にケンイチは自分の腹を見た。腹が裂けて赤や青の導線がはみ出していた。トモベと同じ様な大小の歯車も見えた。
「トモベ。ここはどこなんだ」
「廃棄物処理場だよ」
「廃棄物処理場…」
「ああ。おまえも俺もやがて穢疽神に肉を全て喰われて内部機構は処理場で解体される。俺達は内部機構が上手く働かなくなると此処へ来る様に定められているんだ。本能に組み込まれているんだよ。それが奈落詣りなんだ」 
「教えてくれ、トモベ。穢疽神は僕等は人ではないと言った。僕等は一体何者なんだ」
「螺子巻キドール」
「ネジマキドール?」
「全世界を巻き込む戦いが起こる前の事だ。子供のない夫婦を慰める愛玩人形。それが俺達だった。だけどもう俺達を必要とする人は誰もいない」
「そうなのか…そんな戦いがあったのか…」
「ああ。その戦いでは毒物を撒き散らす武器が使われたんだ」
「僕等が獲物を射る矢に塗る様な毒かい」
「いや。その数千万倍もの強い毒だ。放射性物質。かつてはそう呼ばれていたと穢疽神が教えてくれた。世界を滅ぼすような強い毒だった。だけど一部の人々はその事を予見して準備を進めたんだ。迷殻舟の様な毒物を防ぐ殻を建造し、子供達を眠らせて未来へ希望を繋ごうとした」
「僕が見た迷殻舟の深みには骨しかなかった」
「そう。殻は不十分だったんだ。新しい時代を生きる筈だった子供達が目覚める事は無かった。最初に穢疽神に出会った時、俺は知ったんだ。穢疽神は俺を喰らわず、全てを語ったよ。俺達が何者かもね。だけど俺は信じられなかった。だからシンイチを誘って迷殻舟の深みへと潜ったんだ。そこには穢疽神が話した通りの物があった」
「何故穢疽神はそんな事を知っているんだ。穢疽神って何なんだ」
「毒物を撒き散らす武器が使われたって言ったよな」
「ああ。そして子供達は目覚めなかった。人は滅びだんだろう」
「いや、人は滅びなかった。あの醜い四つ脚の獣を人と呼ぶならばだけど」
「それが穢疽神か」
「ああ。穢疽神は毒物に適応した人類の進化した姿なんだ」
「そうか…そういう事か…」
「ケンイチ…」
その時、背後から呼び掛ける声がした。
「良く来たね」
振り返ると、腹の裂け目から歯車を覗かせたユウシンが立っていた。
「ここが奈落の底だよ」

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