5 / 5
最後の相手
しおりを挟む
楽しい時間とは、かくも急ぎ足で過ぎ去るものか。これまでの生の中では感じることのできなかった充足感。
満たされた想いに身を埋めながら、近寄る恐怖から目を逸らす。
私にとっての最後の人間。それは間違いなく彼だ。
ただそれを、彼に強いても良いのだろうか。
忍び寄る恐怖の時は、間違いなく彼に最期の瞬間を見せる。
その刹那、彼は私を恨むだろう。彼から与えられる憎悪の感情を、受け止められるだろうか。
「退屈しのぎももう十分だ。さて、この時間もそろそろ終わりにしよう」
彼を解放してやろう。まだ間に合うに違いない。
「私を、喰らうのですか?」
「いや。まだ腹は減ってはおらぬ。ただ、急用ができた。其方との時間は終わりにしよう」
私も女々しいな。ここから逃げろと、一言そう言えば良いだけなのに。
では、と言われて足早に立ち去られるのがかくも怖いか。
ひと呼吸の間ですら、この時間を長引かせたいか。
「貴女の急用が終わるまで待ちましょう。その時に空腹であるならば、この身を差し出しますよ」
「其方は解放してやる。もう糸が伸びることはない。安心して出ていくが良い」
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
心穏やかな時間は突如終焉を迎えた。
彼女の口から告げられる、閉幕の口上。
もう一分、あと一秒、この時間を延ばすことはできないか。
彼女の興味を惹く言葉を紡ぐことができれば、その時間は延びるはず。
「糸が伸びないとは、どういうことです?」
何でも良い。一言この口を動かせ。
「私が気を動かすことはもうない。さすれば、糸は伸びぬ」
彼女は何を諦め、何をこんなに焦っているのか。
急用とは何か?
「どこかへ、行かれるんです?」
「来客があってな。はよ立ち去れ」
もう、これ以上は無理だ。
立ち去れと言われてしまった私が、ここに居続けることはできない。
彼女の意思で連れてこられたわけでもない。糸が勝手に用意した人間。
彼女の一存でどうにでもなってしまう身で、これ以上どうしようというのか。
渋々と重い腰をあげれば、漂ってきたのは鼻の奥を突く嫌な臭い。
遠くで聞こえる木の軋む音。それに紛れる喧騒。
「来客は人間ですか?」
「もう、間に合わぬではないかっ」
余裕と隣り合わせで生きているような彼女の、苦痛に苛まれたような表情。
それすらも余計に彼女を扇情的に見せて。この魅力に当てられてしまえば、蜘蛛の巣に捕らえられた心は微動だにしない。
「間に合わない。それも結構。私の旅はここで終えます」
「勝手なことを申すな」
「動物というのは、元来勝手なものです。自分勝手に振る舞い、今もこうして土足で踏み込んで来るのですから」
「其方を助けに来たと」
彼女の耳には、私に聞こえる何倍もの音で雑音が届く。
そんな音を、彼女の耳に届けるな。
私は助けなど求めていない。思い上がりもいいところだ。
「私が最後に気持ちを向ける相手が貴女で良かった。貴女に感謝と敬意を」
もう一歩彼女の近くに寄り、再びその側へと身を寄せる。
「感謝するのは私の方だ。其方が最後の人間で良かった」
目の端に糸が伸びるのが見える。するすると先端を揺らすそれは、踏み込んできた者を排除するのではなく、私と彼女を守るようにその身を包む。
蚕の繭のように糸に包まれ、外界から遮断された空間に彼女と私が二人きり。
じわじわと熱に命を脅かされながら、思うことは彼女のこと。
名前すら知れない相手。
そんな相手と輪廻を思う。
満たされた想いに身を埋めながら、近寄る恐怖から目を逸らす。
私にとっての最後の人間。それは間違いなく彼だ。
ただそれを、彼に強いても良いのだろうか。
忍び寄る恐怖の時は、間違いなく彼に最期の瞬間を見せる。
その刹那、彼は私を恨むだろう。彼から与えられる憎悪の感情を、受け止められるだろうか。
「退屈しのぎももう十分だ。さて、この時間もそろそろ終わりにしよう」
彼を解放してやろう。まだ間に合うに違いない。
「私を、喰らうのですか?」
「いや。まだ腹は減ってはおらぬ。ただ、急用ができた。其方との時間は終わりにしよう」
私も女々しいな。ここから逃げろと、一言そう言えば良いだけなのに。
では、と言われて足早に立ち去られるのがかくも怖いか。
ひと呼吸の間ですら、この時間を長引かせたいか。
「貴女の急用が終わるまで待ちましょう。その時に空腹であるならば、この身を差し出しますよ」
「其方は解放してやる。もう糸が伸びることはない。安心して出ていくが良い」
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
心穏やかな時間は突如終焉を迎えた。
彼女の口から告げられる、閉幕の口上。
もう一分、あと一秒、この時間を延ばすことはできないか。
彼女の興味を惹く言葉を紡ぐことができれば、その時間は延びるはず。
「糸が伸びないとは、どういうことです?」
何でも良い。一言この口を動かせ。
「私が気を動かすことはもうない。さすれば、糸は伸びぬ」
彼女は何を諦め、何をこんなに焦っているのか。
急用とは何か?
「どこかへ、行かれるんです?」
「来客があってな。はよ立ち去れ」
もう、これ以上は無理だ。
立ち去れと言われてしまった私が、ここに居続けることはできない。
彼女の意思で連れてこられたわけでもない。糸が勝手に用意した人間。
彼女の一存でどうにでもなってしまう身で、これ以上どうしようというのか。
渋々と重い腰をあげれば、漂ってきたのは鼻の奥を突く嫌な臭い。
遠くで聞こえる木の軋む音。それに紛れる喧騒。
「来客は人間ですか?」
「もう、間に合わぬではないかっ」
余裕と隣り合わせで生きているような彼女の、苦痛に苛まれたような表情。
それすらも余計に彼女を扇情的に見せて。この魅力に当てられてしまえば、蜘蛛の巣に捕らえられた心は微動だにしない。
「間に合わない。それも結構。私の旅はここで終えます」
「勝手なことを申すな」
「動物というのは、元来勝手なものです。自分勝手に振る舞い、今もこうして土足で踏み込んで来るのですから」
「其方を助けに来たと」
彼女の耳には、私に聞こえる何倍もの音で雑音が届く。
そんな音を、彼女の耳に届けるな。
私は助けなど求めていない。思い上がりもいいところだ。
「私が最後に気持ちを向ける相手が貴女で良かった。貴女に感謝と敬意を」
もう一歩彼女の近くに寄り、再びその側へと身を寄せる。
「感謝するのは私の方だ。其方が最後の人間で良かった」
目の端に糸が伸びるのが見える。するすると先端を揺らすそれは、踏み込んできた者を排除するのではなく、私と彼女を守るようにその身を包む。
蚕の繭のように糸に包まれ、外界から遮断された空間に彼女と私が二人きり。
じわじわと熱に命を脅かされながら、思うことは彼女のこと。
名前すら知れない相手。
そんな相手と輪廻を思う。
0
お気に入りに追加
1
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
イケメン政治家・山下泉はコメントを控えたい
どっぐす
キャラ文芸
「コメントは控えさせていただきます」を言ってみたいがために政治家になった男・山下泉。
記者に追われ満を持してコメントを控えるも、事態は収拾がつかなくなっていく。
◆登場人物
・山下泉 若手イケメン政治家。コメントを控えるために政治家になった。
・佐藤亀男 山下の部活の後輩。無職だし暇でしょ?と山下に言われ第一秘書に任命される。
・女性記者 地元紙の若い記者。先頭に立って山下にコメントを求める。
少年、その愛 〜愛する男に斬られるのもまた甘美か?〜
西浦夕緋
キャラ文芸
15歳の少年篤弘はある日、夏朗と名乗る17歳の少年と出会う。
彼は篤弘の初恋の少女が入信を望み続けた宗教団体・李凰国(りおうこく)の男だった。
亡くなった少女の想いを受け継ぎ篤弘は李凰国に入信するが、そこは想像を絶する世界である。
罪人の公開処刑、抗争する新興宗教団体に属する少女の殺害、
そして十数年前に親元から拉致され李凰国に迎え入れられた少年少女達の運命。
「愛する男に斬られるのもまた甘美か?」
李凰国に正義は存在しない。それでも彼は李凰国を愛した。
「おまえの愛の中に散りゆくことができるのを嬉しく思う。」
李凰国に生きる少年少女達の魂、信念、孤独、そして愛を描く。
花舞う庭の恋語り
響 蒼華
キャラ文芸
名門の相神家の長男・周は嫡男であるにも関わらずに裏庭の離れにて隠棲させられていた。
けれども彼は我が身を憐れむ事はなかった。
忘れられた裏庭に咲く枝垂桜の化身・花霞と二人で過ごせる事を喜んですらいた。
花霞はそんな周を救う力を持たない我が身を口惜しく思っていた。
二人は、お互いの存在がよすがだった。
しかし、時の流れは何時しかそんな二人の手を離そうとして……。
イラスト:Suico 様
化想操術師の日常
茶野森かのこ
キャラ文芸
たった一つの線で、世界が変わる。
化想操術師という仕事がある。
一般的には知られていないが、化想は誰にでも起きる可能性のある現象で、悲しみや苦しみが心に抱えきれなくなった時、人は無意識の内に化想と呼ばれるものを体の外に生み出してしまう。それは、空間や物や生き物と、その人の心を占めるものである為、様々だ。
化想操術師とは、頭の中に思い描いたものを、その指先を通して、現実に生み出す事が出来る力を持つ人達の事。本来なら無意識でしか出せない化想を、意識的に操る事が出来た。
クズミ化想社は、そんな化想に苦しむ人々に寄り添い、救う仕事をしている。
社長である九頭見志乃歩は、自身も化想を扱いながら、化想患者限定でカウンセラーをしている。
社員は自身を含めて四名。
九頭見野雪という少年は、化想を生み出す能力に長けていた。志乃歩の養子に入っている。
常に無表情であるが、それは感情を失わせるような過去があったからだ。それでも、志乃歩との出会いによって、その心はいつも誰かに寄り添おうとしている、優しい少年だ。
他に、志乃歩の秘書でもある黒兎、口は悪いが料理の腕前はピカイチの姫子、野雪が生み出した巨大な犬の化想のシロ。彼らは、山の中にある洋館で、賑やかに共同生活を送っていた。
その洋館に、新たな住人が加わった。
記憶を失った少女、たま子。化想が扱える彼女は、記憶が戻るまでの間、野雪達と共に過ごす事となった。
だが、記憶を失くしたたま子には、ある目的があった。
たま子はクズミ化想社の一人として、志乃歩や野雪と共に、化想を出してしまった人々の様々な思いに触れていく。
壊れた友情で海に閉じこもる少年、自分への後悔に復讐に走る女性、絵を描く度に化想を出してしまう少年。
化想操術の古い歴史を持つ、阿木之亥という家の人々、重ねた野雪の過去、初めて出来た好きなもの、焦がれた自由、犠牲にしても守らなきゃいけないもの。
野雪とたま子、化想を取り巻く彼らのお話です。
遥か
カリフォルニアデスロールの野良兎
キャラ文芸
鶴木援(ツルギタスケ)は、疲労状態で仕事から帰宅する。何も無い日常にトラウマを抱えた過去、何も起きなかったであろう未来を抱えたまま、何故か誤って監獄街に迷い込む。
生きることを問いかける薄暗いロー・ファンタジー。
表紙 @kafui_k_h
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる