【完結】出来損ないの僕が愛したのは優秀なきみたち

光城 朱純

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渡そう、伝えよう 3

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「そんな風に思ってもらえてるなんて、思いもしませんでした」

「他にもね、笠原のこといくつも知ってる」

「いくつも?」

「あぁ。二課の部屋に入るとき、きちんと整えてから来てるの知ってる。当たり前のように出てくる、折り目のついたハンカチが印象的だった」

「ハンカチ……」

「俺、料理もできないけど、アイロンがけもできないんだよ。器用だなって羨ましく思ってた」

 僕が持ち歩いてるハンカチ。綺麗に洗ってアイロンかけて、すこしでもくたびれて見えないようにっていうだけだ。

「月曜日の朝に会っても、金曜日の夜に会っても、いつだって笠原はビシッとしてて。その姿に、俺も襟を正さないとなって。周りに気遣って、人の気持ちを先回りして汲んで、大丈夫だろうかって心配になるぐらいだ」

 課長が話してくれる僕の姿は、僕がなりたかった姿そのものだ。
 人に打ち明けることもできない気持ちを隠して、それがばれないように努力して。
 誰にも気づかれることのない努力、見てもらえるわけもない姿、それに気づいてくれる人がいる。

「ありがとう、ございます」

 課長の言葉に、今にも溢れ出してしまいそうな思いが目元に浮かぶ。 
 
「崩れたりしないだろうか、無理しすぎてないかって気になって仕方なかった」

「そんな……」

「俺といて、少しは気休めにならないかなって思ったんだけど。笠原の側は居心地良くて、俺の方が迷惑かけちゃったな」

「迷惑だなんて、そんなことないです。誘ってもらえて本当に嬉しくて、こんな風に広瀬課長と食事に行けるなんて思ってもなくて。ありがとうございました」

「こちらこそ。ありがとう」

 広瀬課長の薄い唇が、僕に向かって笑いかけた。
 細められた瞳は、僕に何を思うんだろう。

「せっかくの料理、冷めたな」

 失敗したと言わんばかりの苦々しい顔を作って、課長の長い指が箸を取り上げた。
 課長の話はこれでおしまい?
 このまま、その日が来たら会えなくなる?
 そうなれば、僕の気持ちを伝えることは、二度とできなくなるかもしれない。

 伝えてしまおうか。
 驚かれるぐらいで済めばいい。
 もしかしたら、嫌がられる可能性だってある。
 僕に見せてくれるあの笑顔が固まって、笑いかけてくれる唇から否定の言葉が降り注がれる未来。
 そんなものが、容易に想像できてしまう。

 それでも、ここで伝えなきゃ。
 受け取ってもらえる可能性は消滅する。

「ぼ、僕も話したいことがあるんです。今度は、課長が聞いていてください」

「うん。わかった」

「あの……えっと」

 いざ話そうとすれば、喉に言葉が詰まって、音が出ない。
 そもそも話すのなんか得意じゃない。

「いいよ。ゆっくりで」

「すいません」

「俺食べてるからさ、落ち着いてから……ね」

 課長の言葉が僕の心に染みる。
 この人なら、軽蔑しないでいてくれるかな。
 せめて、受け取ってもらえないかな。
 僕の鞄に入った飾り気のないチョコレート。
 このまま、僕の気持ちと一緒に渡してしまおう。

「これ、もらってください!」

 突然出てきた箱に、課長の顔が驚きに変わる。
 そしてすぐに、いつもの笑顔を作った。

「それは、チョコレートで合ってる?」

「はい……嫌いですか?」

「ううん。甘いものは割りと得意。バレンタインだからって思ってもいいのかな?」

「課長に、受け取ってもらいたくて」

「それじゃあ、遠慮なく」

 僕の手から、そっと箱を受け取った課長の顔は、決して拒絶じゃない。

「それで……僕……」

 拒絶されないなら、受け取ってもらえたなら。このまま。気持ちまで。

「笠原。それ以上は駄目だ」

 チョコレートを受け取ってくれた課長の顔が、左右に小さく揺れる。
 どうして?
 駄目って何?

「何で……」

「笠原のその気持ちに、俺は応えられない。受け取ってもどうしようもできない」

「そんな……」

「俺はこの後海外に行く。三年か五年か。正直いつ帰ってこれるかもわからない。笠原に何があったって、何もしてやれないんだ。俺のために用意してくれたチョコレート、それを受け取るぐらいのことしかしてやれない」

 これは、拒絶?
 こんな言い方をしてまで、僕のことが嫌?
 課長の言葉をどう受け止めていいかわからず、気づいたら言葉よりも先に涙が溢れて止まらない。

「ご、ごめんなさ……」

 手で拭っても拭ってもこぼれ落ちる涙を、どう止めて良いのかわからない。

「笠原……」

 机を挟んで向き合って座っていた課長が、いつの間にか僕の隣にいて、流れ出る涙を指の腹ですくった。

「俺は、こうして涙を拭ってやることもできない。泣いてることに気づくことすらできなくなる。そんな俺に縛られちゃ駄目だ」

「かちょ……」

「お前の大切な時間を奪うことはできない。三年は短いようで長い。涙を拭いてくれる奴を相手にするんだ」
 
「そんな人……」

「ちゃんと居る。悔しいけど、笠原の近くには居るだろう?」

「誰……」

「まだわかんなくてもいいよ。そのうち気がつけるさ」

 課長の手が、僕の頭をそっと撫でる。
 優しいその手つきに、余計に涙が落ちた。
 伝えられない?
 口に出すことすら、許されない?
 課長の言うこと、理解できるよ。
 その誰かもちゃんと見つける。
 だから。だから。

「……好きです」

 僕の頭を撫でる手が、僕の言葉に一瞬固まった。
 そしてまた、同じように動き始める。

「仕方ないなぁ」

 課長の呆れ声は、優しくて温かくて。頭を撫でていてくれる手の心地よさと一緒になって、僕の心に沁み渡る。

「駄目だって言ったのに」

「すいませんっ」

「でも……ありがとう」

 その言葉に、僕は課長の顔を見た。
 どんな顔をしてる?
 僕の気持ちは、どう思われた?

「課長……」

「どうした? 何に驚いてる?」

 課長の顔はいつものように穏やかに微笑んでいて、あの卒業式とは似ても似つかない。
 隠しておかなきゃならない僕の気持ち。
 誰にも知られちゃいけないはずなのに。
 何で。

「嫌じゃ、ないんですか?」

「何が?」

「だから、僕の、気持ちです」

「嫌なわけないじゃないか。嬉しいよ。応えてあげられないのが、辛いけど」

「聞いてもらえるだけで、十分です。ありがとうございました」

 受け取ってもらえたチョコレート。
 嫌がられなかった告白。
 僕のことを見て、僕の話を聞いてくれて、僕に目を向けてくれて。
 感謝してもし足りない。

 伝えきれない思いは、どうすれば良いんだろう。
 考えてること全部、そのまま伝わればいいのに。
 言葉だけじゃ足りない。
 どうしようもできない思いを何とかして伝えたくて、真っ直ぐに課長の目を見た。
 薄茶色の縁取りの中、吸い込まれるような黒。
 その目の中にちゃんと僕が映る。 

『好きだ』
 僕のことを真っ直ぐに見つめた課長の唇が、そう動いた気がした。
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