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渡そう、伝えよう 1
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「転勤……」
ずっと続く『また明日』を願ったのはまだ三ヶ月前のことだ。
慌ただしい年末を終え、四月からの新年度を前に人事が大きく動くのは今だってわかってたはずなのに。
いつだって他人事で、自分には関係のない話だって、サラッと流れていく通達文。
今回だって直接僕には関係のない話だけど。
「笠原君? 何かあった?」
「いえ、知り合いの名前を見ただけです」
僕の声に反応をしてくれたのは、同じ職場の先輩。総務の仕事を教えてくれた大先輩だ。
「そう。今回は海外転勤組だもんね。これに載ってくるなんて、凄いね」
「そうですね」
言葉を返しながら、僕の頭の中は真っ白だ。
社内の異動が発表されるのはもう少し後。今回は海外転勤だけ。
パソコンのモニターが大きく歪む。目の焦点がうまく合わないみたいだ。
「不要紙の回収行ってきます」
「よろしくね」
毎週月曜日の僕の仕事。転勤の通達文を読んでショックを受けてる場合じゃない。仕事ぐらい、まともにやらないと。
部屋を出て、慣れた道を歩き始めた。足が向くまま、ほとんど無意識に歩いた。
気がつけば目の前に営業二課の部屋。
僕、どうやってここまで来たっけ。
「失礼します。不要紙の回収です」
いつもと変わらない言葉をかけて部屋に入るけど、部屋の中は普段とはまるで様子が違った。
蜂の巣をつついたような大騒ぎ。その中心は、海外転勤が決まった張本人。
「笠原。大丈夫か?」
こんな時でも何でもない顔をして仕事をするしかない。
この部屋において僕は、部外者なんだ。
「早川。おはよう」
「おはよう。今日は朝から仕事にならない」
「僕も通達見たよ。驚いた」
「まさか課長が海外行き引き受けると思わなかったな」
意外な気もするけど、上に上がるなら最短ルートだ。
課長は家族もいないし受けない理由、ないよね。
「二課は大騒動だね」
「まぁね。誰も聞いてなかったみたいで、これから引き継ぎだよ。海外だから、多少時間はあるけどさ、せめて係長には伝えておいて欲しかったな」
「早川もお疲れ」
「笠原こそ。今日は課長は離してもらえないだろうから、また今度食事でも誘ってみろよ」
「そうする。早川もこんなところで僕と話してないで、行っておいでよ。僕このままケースもらって戻るから」
早川の気遣いが嬉しい。いつもなら声をかけになんて来ないのに。
課長の転勤に、僕がショック受けてることに気づいてくれてるんだよな。
「悪いな」
そう言って輪の中に戻っていく早川の後ろ姿を見ながら、その輪に近寄ることさえできない自分の立場を思い知る。
どれだけ二人が僕の近くに居てくれたとしても、僕と二人の間にはくっきりと境界線が引かれていて、こんなとき近寄ることもできない。
部屋を出ていく直前、もう一度部屋のなかに目をすべらせる。
早川のことを気にしていたときからの癖。話せるようになっても、距離が近づいてもなおらなかった。
輪の中心にいた広瀬課長が、一瞬僕を見た気がする。
いつもなら『笠原』って呼び掛けてくれる声が、今日は遠い。
『メシ、行こっか』
僕のスマホが広瀬課長からのメッセージを受け取ったのは、それから一ヶ月も過ぎた後だった。
連日遅くまで続く引き継ぎと、送別会に忙殺されてると、早川がフォローをいれてくれる。
直属の部下でもなければ、同じ部署でもない僕が後回しにされていくのは仕方のないことだ。
気にする方がお門違い。
『わかりました。早川も誘いますか?』
何度か早川とも一緒に食事に行った。課長と一緒に居られるのも最後かもしれない。それなら、また前みたいに三人でってそんな風に漠然と思っただけだ。
『いや、今回は二人がいいかな。笠原が早川もって言うなら、それでも良い』
てっきり同意してもらえると思っていた提案を、やんわりと断られることに少なからず衝撃を覚える。
二人?
敢えて二人きりで食事に行く理由、何なんだろうか。
『わかりました。それじゃあ今回は誘うのやめておきます』
『店は俺が手配しておくから』
早川のことを断られた以外は、普段とは変わりのないやり取り。
普段の言葉の応酬の中に挟み込まれた一文が心に残るけど、僕から『何故?』なんて聞けるはずもない。
三月に入ったら間もなく移動するらしい広瀬課長との約束の日は二月十四日。世の中がそわそわと浮き足立つバレンタインデー。
バレンタインに好きな人と二人きりで食事。最高のお膳立てだ。
もちろん広瀬課長のスケジュールにはそんな意識露程もないだろうけど。カレンダーの日付の下に印字されたバレンタインの文字に、ドキドキしてしまうのは仕方ない。
チョコレートでも渡せば、気持ちが伝わる?
簡単には会えなくなってしまう人に、伝えてしまっても良いかな。
広瀬課長が好きなこと、伝えたいよ。
気持ちに応えて欲しいなんて我が儘言わないから。
ただ、受け取って欲しいだけなんだ。
それすらも我が儘かな。
軽蔑されたっていい、拒絶されたって構わない。
たった一言、『好きです』って伝えることは、独りよがりの自慰行為か。
いくつものお店を巡りながら、決着のつかない僕の自問自答。
伝えるべきか、やめるべきか。
約束の日までの時間を無駄に消費して、ギリギリになって手にしたチョコレート。
飾り気のないラッピングが、輝くことのない僕の気持ちの様で。
僕なんかに伝えられても、嬉しくないよね。
ドキドキして煌めいて見えてた文字が、徐々に暗く重たく沈んでいって。
誰も喜ばない僕の告白。告げる必要なんて、ないんじゃないか。
ずっと続く『また明日』を願ったのはまだ三ヶ月前のことだ。
慌ただしい年末を終え、四月からの新年度を前に人事が大きく動くのは今だってわかってたはずなのに。
いつだって他人事で、自分には関係のない話だって、サラッと流れていく通達文。
今回だって直接僕には関係のない話だけど。
「笠原君? 何かあった?」
「いえ、知り合いの名前を見ただけです」
僕の声に反応をしてくれたのは、同じ職場の先輩。総務の仕事を教えてくれた大先輩だ。
「そう。今回は海外転勤組だもんね。これに載ってくるなんて、凄いね」
「そうですね」
言葉を返しながら、僕の頭の中は真っ白だ。
社内の異動が発表されるのはもう少し後。今回は海外転勤だけ。
パソコンのモニターが大きく歪む。目の焦点がうまく合わないみたいだ。
「不要紙の回収行ってきます」
「よろしくね」
毎週月曜日の僕の仕事。転勤の通達文を読んでショックを受けてる場合じゃない。仕事ぐらい、まともにやらないと。
部屋を出て、慣れた道を歩き始めた。足が向くまま、ほとんど無意識に歩いた。
気がつけば目の前に営業二課の部屋。
僕、どうやってここまで来たっけ。
「失礼します。不要紙の回収です」
いつもと変わらない言葉をかけて部屋に入るけど、部屋の中は普段とはまるで様子が違った。
蜂の巣をつついたような大騒ぎ。その中心は、海外転勤が決まった張本人。
「笠原。大丈夫か?」
こんな時でも何でもない顔をして仕事をするしかない。
この部屋において僕は、部外者なんだ。
「早川。おはよう」
「おはよう。今日は朝から仕事にならない」
「僕も通達見たよ。驚いた」
「まさか課長が海外行き引き受けると思わなかったな」
意外な気もするけど、上に上がるなら最短ルートだ。
課長は家族もいないし受けない理由、ないよね。
「二課は大騒動だね」
「まぁね。誰も聞いてなかったみたいで、これから引き継ぎだよ。海外だから、多少時間はあるけどさ、せめて係長には伝えておいて欲しかったな」
「早川もお疲れ」
「笠原こそ。今日は課長は離してもらえないだろうから、また今度食事でも誘ってみろよ」
「そうする。早川もこんなところで僕と話してないで、行っておいでよ。僕このままケースもらって戻るから」
早川の気遣いが嬉しい。いつもなら声をかけになんて来ないのに。
課長の転勤に、僕がショック受けてることに気づいてくれてるんだよな。
「悪いな」
そう言って輪の中に戻っていく早川の後ろ姿を見ながら、その輪に近寄ることさえできない自分の立場を思い知る。
どれだけ二人が僕の近くに居てくれたとしても、僕と二人の間にはくっきりと境界線が引かれていて、こんなとき近寄ることもできない。
部屋を出ていく直前、もう一度部屋のなかに目をすべらせる。
早川のことを気にしていたときからの癖。話せるようになっても、距離が近づいてもなおらなかった。
輪の中心にいた広瀬課長が、一瞬僕を見た気がする。
いつもなら『笠原』って呼び掛けてくれる声が、今日は遠い。
『メシ、行こっか』
僕のスマホが広瀬課長からのメッセージを受け取ったのは、それから一ヶ月も過ぎた後だった。
連日遅くまで続く引き継ぎと、送別会に忙殺されてると、早川がフォローをいれてくれる。
直属の部下でもなければ、同じ部署でもない僕が後回しにされていくのは仕方のないことだ。
気にする方がお門違い。
『わかりました。早川も誘いますか?』
何度か早川とも一緒に食事に行った。課長と一緒に居られるのも最後かもしれない。それなら、また前みたいに三人でってそんな風に漠然と思っただけだ。
『いや、今回は二人がいいかな。笠原が早川もって言うなら、それでも良い』
てっきり同意してもらえると思っていた提案を、やんわりと断られることに少なからず衝撃を覚える。
二人?
敢えて二人きりで食事に行く理由、何なんだろうか。
『わかりました。それじゃあ今回は誘うのやめておきます』
『店は俺が手配しておくから』
早川のことを断られた以外は、普段とは変わりのないやり取り。
普段の言葉の応酬の中に挟み込まれた一文が心に残るけど、僕から『何故?』なんて聞けるはずもない。
三月に入ったら間もなく移動するらしい広瀬課長との約束の日は二月十四日。世の中がそわそわと浮き足立つバレンタインデー。
バレンタインに好きな人と二人きりで食事。最高のお膳立てだ。
もちろん広瀬課長のスケジュールにはそんな意識露程もないだろうけど。カレンダーの日付の下に印字されたバレンタインの文字に、ドキドキしてしまうのは仕方ない。
チョコレートでも渡せば、気持ちが伝わる?
簡単には会えなくなってしまう人に、伝えてしまっても良いかな。
広瀬課長が好きなこと、伝えたいよ。
気持ちに応えて欲しいなんて我が儘言わないから。
ただ、受け取って欲しいだけなんだ。
それすらも我が儘かな。
軽蔑されたっていい、拒絶されたって構わない。
たった一言、『好きです』って伝えることは、独りよがりの自慰行為か。
いくつものお店を巡りながら、決着のつかない僕の自問自答。
伝えるべきか、やめるべきか。
約束の日までの時間を無駄に消費して、ギリギリになって手にしたチョコレート。
飾り気のないラッピングが、輝くことのない僕の気持ちの様で。
僕なんかに伝えられても、嬉しくないよね。
ドキドキして煌めいて見えてた文字が、徐々に暗く重たく沈んでいって。
誰も喜ばない僕の告白。告げる必要なんて、ないんじゃないか。
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