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日常と非日常 2
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「これ、ですか……」
「これがおおよそ半月分の不要紙です。回収が来週なので、ほぼ全てだと思います」
倉庫の中に積まれた不要紙の量に、やはり広瀬課長の顔色が変わる。
想定通りの反応だ。
これで諦めてくれれば、僕も定時退社の一人に加われる。
「笠原さんが持って行ったものって、どの辺りですか?」
それなのに、広瀬課長の口から出てきたのは、僕の想定外の言葉だった。
「はい?」
「さっき、ある程度の場所がわかるって言ってましたよね?」
「探すんですか?」
「大切な契約書ですから」
書類の山に青ざめた顔は既に平常に戻っていて、それどころか目には闘志すら宿っている様にも見える。
鈍い僕にすらわかるぐらいにやる気に満ち溢れていた。
「えっと……私は大抵奥の方に置いていくようにしているので、他の人が触らなければその辺りにあると思うんですが……」
不要紙回収なんて仕事では、今回みたいなことは日常茶飯事だ。倉庫の中を見せては諦めるパターンが大半だけど、たまに課長みたいに言い出されるから、回収担当者はそれぞれ自分の回収物を一定の場所に置くようにしていた。
もちろん厳密に決まっているわけじゃないし、誰かが決めたことでもない。皆が今日みたいな日のために、何となく区分けしてるってそんな程度の話だ。
倉庫の奥、一番入れづらい場所が僕の置き場。こんなことぐらいで誰かからやっかまれたくもないし、無駄に争う必要もない。自ら進んで置き場にした場所。
そこまでの道のりは他の人が運び込んだ不要紙ケースが好き勝手に置かれていて、スムーズに歩いて行けやしない。
それでも課長と一緒に、蛇行しながら進んで行けば、到着した頃には汗が滲む。
「この辺に営業二課の不要紙ケースがあるはずです」
不快な思いをさせてはいけないと焦って取り出したハンカチに、妙に視線を感じた気もするが、僕の言葉に課長の腕がピクッと動いた。
「ありがとうございます。そしたら、後は私が探すので、笠原さんは帰って下さい」
当初の約束通り、独りで探す気なのだろうか。
明確にどれが営業二課のものなのかもわかっていない。まずはケースを判別して、その後は膨大な書類の中からたった一枚を探す。果てのない挑戦だ。
「広瀬課長は探す気なんですよね?」
「えぇ。何度も言いますが、大切な契約書なんです」
「それなら、私も手伝います。二人で探した方が、幾分早いはずですから」
「それは……嬉しい申し出ですが、この中にあるかどうかもわかりません。もしかしたら、部屋の中かもしれないんです。そんなことに他部署の貴方を付き合わせるわけにいかないので」
この時間からの手伝いなら、間違いなく残業決定。総務部の僕に広瀬課長がそれを強要することができるわけもない。
「うちの課長に連絡しておいて下さい。承諾してくれると思いますから」
「いや……それでも」
広瀬課長がまだ何か言いたげなのを横目に、ケースの中の書類に手を伸ばした。
まずはどれが営業二課の不要紙かを見つけないと。
「すいません……」
呟くように謝罪を告げた広瀬課長が、僕から少し離れた場所でスマホに手をかけたのを見届ける。
課長が反対なんてするわけもない。僕一人の手伝いで良いなら、願ったり叶ったりってところだろう。
「総務課の課長に承諾いただけました。笠原さん、すいませんがよろしくお願いします」
早々に戻ってきた広瀬課長が、心から申し訳なさそうに僕に頭を下げる。
直属の部下じゃないとはいえ、こんなに低姿勢な課長は他にいないだろう。
「気にしないで下さい。どうせ暇なんです」
今夜は、いつもの時間を過ごすことはできないだろう。手伝いを申し出た時点で、それは覚悟の上だ。
自分の言葉で夜の時間を思い出した体が疼きを上げて、ため息ともとれる吐息が漏れた。
「付き合わせてしまって、本当にすいません」
僕のため息を聞きつけた広瀬課長が、更に謝罪の言葉を繰り返すから。
「そういう意味じゃないです! 金曜日の夜だっていうのに、何の予定もない自分に呆れてしまって……」
否定の言葉につい力がこもる。
「それなら、良かった。でも私も予定なんてありませんよ。金曜日だからって、特別に何かあるわけでもありませんし……あ、このケースですね」
僕と同じように不要紙を漁り出した広瀬課長が、営業二課の不要紙ケースを見つけて、僕に目くばせする。
その様子すら、まるでドラマのワンシーンみたいで、僕の淡い気持ちがほんのり色づき始めてしまう。
「契約書って、広瀬課長の担当なんですか?」
「いえいえ。うちの若い子が手がけた仕事なんですけど、今日になってどうも契約書が見つからないって言い出して」
「その人は?」
「部屋で必死になって探してますよ。契約書が見つかったって他にも仕事が残ってますし、他の人達もそれぞれに仕事してます。私が一番身軽なんです」
課長が直々にこんな所に足を運ぶなんてあり得ない。それに一番身軽だなんて、そんなことあるのか?
「それって……」
「今夜は、たまたまです。私にも忙しい時だってありますし、それに他部署にお願いするなら、私が一番良いんです。肩書はこういう時に使わないと」
なんて事のない様な顔で微笑む広瀬課長は、目まいを起こしそうなぐらい素敵に見えて、顔に熱が上がる。
口を開いたら何か余計なことを口にしてしまいそうで、口をつぐんで書類をめくっていく。
広瀬課長もそのまま黙ってしまって、部屋に紙の擦れる音だけが響き渡る静寂。
僕の心臓の音だけが、うるさいぐらいに聞こえて。課長にまで聞かれてしまうんじゃないかって本気で心配した。
「これがおおよそ半月分の不要紙です。回収が来週なので、ほぼ全てだと思います」
倉庫の中に積まれた不要紙の量に、やはり広瀬課長の顔色が変わる。
想定通りの反応だ。
これで諦めてくれれば、僕も定時退社の一人に加われる。
「笠原さんが持って行ったものって、どの辺りですか?」
それなのに、広瀬課長の口から出てきたのは、僕の想定外の言葉だった。
「はい?」
「さっき、ある程度の場所がわかるって言ってましたよね?」
「探すんですか?」
「大切な契約書ですから」
書類の山に青ざめた顔は既に平常に戻っていて、それどころか目には闘志すら宿っている様にも見える。
鈍い僕にすらわかるぐらいにやる気に満ち溢れていた。
「えっと……私は大抵奥の方に置いていくようにしているので、他の人が触らなければその辺りにあると思うんですが……」
不要紙回収なんて仕事では、今回みたいなことは日常茶飯事だ。倉庫の中を見せては諦めるパターンが大半だけど、たまに課長みたいに言い出されるから、回収担当者はそれぞれ自分の回収物を一定の場所に置くようにしていた。
もちろん厳密に決まっているわけじゃないし、誰かが決めたことでもない。皆が今日みたいな日のために、何となく区分けしてるってそんな程度の話だ。
倉庫の奥、一番入れづらい場所が僕の置き場。こんなことぐらいで誰かからやっかまれたくもないし、無駄に争う必要もない。自ら進んで置き場にした場所。
そこまでの道のりは他の人が運び込んだ不要紙ケースが好き勝手に置かれていて、スムーズに歩いて行けやしない。
それでも課長と一緒に、蛇行しながら進んで行けば、到着した頃には汗が滲む。
「この辺に営業二課の不要紙ケースがあるはずです」
不快な思いをさせてはいけないと焦って取り出したハンカチに、妙に視線を感じた気もするが、僕の言葉に課長の腕がピクッと動いた。
「ありがとうございます。そしたら、後は私が探すので、笠原さんは帰って下さい」
当初の約束通り、独りで探す気なのだろうか。
明確にどれが営業二課のものなのかもわかっていない。まずはケースを判別して、その後は膨大な書類の中からたった一枚を探す。果てのない挑戦だ。
「広瀬課長は探す気なんですよね?」
「えぇ。何度も言いますが、大切な契約書なんです」
「それなら、私も手伝います。二人で探した方が、幾分早いはずですから」
「それは……嬉しい申し出ですが、この中にあるかどうかもわかりません。もしかしたら、部屋の中かもしれないんです。そんなことに他部署の貴方を付き合わせるわけにいかないので」
この時間からの手伝いなら、間違いなく残業決定。総務部の僕に広瀬課長がそれを強要することができるわけもない。
「うちの課長に連絡しておいて下さい。承諾してくれると思いますから」
「いや……それでも」
広瀬課長がまだ何か言いたげなのを横目に、ケースの中の書類に手を伸ばした。
まずはどれが営業二課の不要紙かを見つけないと。
「すいません……」
呟くように謝罪を告げた広瀬課長が、僕から少し離れた場所でスマホに手をかけたのを見届ける。
課長が反対なんてするわけもない。僕一人の手伝いで良いなら、願ったり叶ったりってところだろう。
「総務課の課長に承諾いただけました。笠原さん、すいませんがよろしくお願いします」
早々に戻ってきた広瀬課長が、心から申し訳なさそうに僕に頭を下げる。
直属の部下じゃないとはいえ、こんなに低姿勢な課長は他にいないだろう。
「気にしないで下さい。どうせ暇なんです」
今夜は、いつもの時間を過ごすことはできないだろう。手伝いを申し出た時点で、それは覚悟の上だ。
自分の言葉で夜の時間を思い出した体が疼きを上げて、ため息ともとれる吐息が漏れた。
「付き合わせてしまって、本当にすいません」
僕のため息を聞きつけた広瀬課長が、更に謝罪の言葉を繰り返すから。
「そういう意味じゃないです! 金曜日の夜だっていうのに、何の予定もない自分に呆れてしまって……」
否定の言葉につい力がこもる。
「それなら、良かった。でも私も予定なんてありませんよ。金曜日だからって、特別に何かあるわけでもありませんし……あ、このケースですね」
僕と同じように不要紙を漁り出した広瀬課長が、営業二課の不要紙ケースを見つけて、僕に目くばせする。
その様子すら、まるでドラマのワンシーンみたいで、僕の淡い気持ちがほんのり色づき始めてしまう。
「契約書って、広瀬課長の担当なんですか?」
「いえいえ。うちの若い子が手がけた仕事なんですけど、今日になってどうも契約書が見つからないって言い出して」
「その人は?」
「部屋で必死になって探してますよ。契約書が見つかったって他にも仕事が残ってますし、他の人達もそれぞれに仕事してます。私が一番身軽なんです」
課長が直々にこんな所に足を運ぶなんてあり得ない。それに一番身軽だなんて、そんなことあるのか?
「それって……」
「今夜は、たまたまです。私にも忙しい時だってありますし、それに他部署にお願いするなら、私が一番良いんです。肩書はこういう時に使わないと」
なんて事のない様な顔で微笑む広瀬課長は、目まいを起こしそうなぐらい素敵に見えて、顔に熱が上がる。
口を開いたら何か余計なことを口にしてしまいそうで、口をつぐんで書類をめくっていく。
広瀬課長もそのまま黙ってしまって、部屋に紙の擦れる音だけが響き渡る静寂。
僕の心臓の音だけが、うるさいぐらいに聞こえて。課長にまで聞かれてしまうんじゃないかって本気で心配した。
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