そのステップは必要ですか?  ~精霊の愛し子は歌を歌って溺愛される~

一 ことり

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第5部

オホン

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 朝日が昇る頃、ヘルクヴィスト領城は静かに動きだしていた。

 家令を務めるケーレマンスは領主の居住区の廊下を寸分の隙の無い所作で進んでいた。

 エンゲルブレクトの私室の前を通りかかった時、筆頭侍従のハハトが静かにドアを開けて出て来るところだった。

 ハハトの手には銀の四角いトレイがあり、そこに使用済みの包帯が載っているのを見たケーレマンスの眉間に皺が寄る。

 「エンゲルブレクト様はどこかお怪我を?」 

 領主の些細なことでも報告をしてもらわねば困る。

 その深い皺は明確にそう語っていた。

 「怪我というほどではありません。癒し手も医者も不要と仰せです」

 「エンゲルブレクト様は今日もこちらで執務だったな」

 「はい」

 「たいしたお怪我ではないようだが、養生することに越したことはない。領主様から目を離さず、無理をさせないように」

 ハハトは了承の意味で黙礼し、ケーレマンスが立ち去るのを待った。




 昨夜は王城に泊まり込んでいたローセボームは、日課になっているベルンハルドの迎えのために奥城を訪れていた。

 いつもよりもかなり早い時間だったが、すでにベルンハルドは身支度を整えてローセボームの到着を待っていた。

 アシェルナオが忽然と姿を消したという事実は、王国のトップどころか王国中を揺るがす一大事。それを秘匿しているベルンハルドの容貌には疲労の色が残っていたが、それはローセボームも同じだった。

 「ヘルクヴィスト城のケーレマンスからの報告では、エンゲルブレクト殿下は昨日は領城から出てはいないそうです」

 国王の間に向かいながらローセボームは小声で告げる。

 「それだけでは白とは言えん」

 「それと、エンゲルブレクト殿下は体のどこかに傷を負っておいでのようです」

 「……癒し手を呼んでいなかったのか」

 「おそらく、呼ぶことで怪我を負ったことを知られたくなかったのでしょう」

 ローセボームの言葉にベルンハルドは不愉快げに顔を顰める。

 「確実な証拠がほしい。だが、それとナオの件が別件なら、誰がナオを攫ったというのだ」

 愛し子が行方不明になったということは秘匿せねばならない。

 けれど国中にお触れをだして国民総出で一刻も早くアシェルナオを探し出したい。できないとわかっていてもそう願うベルンハルドだった。



 

 アシェルナオの捜索拠点は昨夜から古城に移っていた。
 
一晩明けても何の進展もなく、ヴァレリラルドはアシェルナオ奪還の本部になっている広間の窓から朝焼けに染まるエンロートの街並みを見下ろしていた。

 「キュゥ」

 慰めるように一声鳴いて、ふよりんは窓とヴァレリラルドの間で漂っている。

 その身体はぐるりと黒いリボンで巻かれていて、そのリボンの端はヴァレリラルドの左手首と繋がっていた。

 いつ、どんな時でも、ヴァレリラルドと共にアシェルナオのもとに転移するための手段だった。

 「私はクランツのようにふよりんの言葉はわからないが、励ましてくれているのだな」

 「キュゥ」

 「ああ。必ずナオを助け出す」

 ヴァレリラルドの表情は硬かったが、その声と瞳には強い決意が漲っていた。

 日が段々と上がってくると、交代制で詰めている騎士たち以外の面々も司令本部の隣にあてがわれた仮眠室から集まってきた。

 「ラル、少しは休んだのか」

 シーグフリードの問いかけにヴァレリラルドは無言で頷く。だが、その後ろでずっと控えていたベルトルドは首を振る。

 「殿下、お気持ちはわかります。ですが、いざという時に殿下が動けなければ助けられるナオ様も助けられなくなります」

 「そうだぞ、ラル。俺がベルトルドと交代するから一緒に朝飯食べようぜ。そしたら仮眠を取れ。俺が子守唄を歌ってやる」

 ウルリクは、あえて明るく言い放つ。

 豪放磊落なウルリクだが、アシェルナオの消失はいまだかつてない重い案件で、自分を鼓舞しなければ黙りこくってしまいそうだった。

 「ラルにはエンロート騎士団は勿論だが、ウル、ルド、クランツ、キナクの誰かが常に一緒にいるようにする。ラルが急にアシェルナオに呼ばれた時に皆に知らせる役目が必要だからな。ウルの子守歌はアシェルナオの歌にはとうてい敵わないが、気持ちだけ受け取ってやれ」

 シーグフリードの言葉は、アシェルナオのことが心配でたまらないのは自分だけではないことをヴァレリラルドに伝えるものだった。

 それをわかっているヴァレリラルドだが、アシェルナオが今どんな状況でいるのかを思うだけで休んでいることなどできなかった。

 「キュッ」

 ヴァレリラルドのかわりにふよりんがキレのある返事をした。





 短い仮眠を取ったヴァレリラルドがウルリクを連れて広間に顔を出すと、そこにはオルドジフとフォルシウスの姿があった。

 「殿下」

 「遅くなりました」

 オルドジフとフォルシウスはその場で臣下の礼を執るとすぐにヴァレリラルドに駆け寄った。

 「フォル、オルドジフ。来てくれたのか」

 「すぐ参りたかったのですが、遅くなりまして申し訳ありません」

 「私たちもナオ様の捜索に加わらせていただけますか?」

 「ナオを知る者が加わるのは願ってもないが、ロザーリエはいいのか?」

 「熱も下がりましたし、何よりナオ様のお側近くにいてほしいと、ロザーリエからも言われました。ロザーリエは自分が熱を出したせいで私がナオ様に同行できなかったことを子供ながらに負い目に感じているようです。クランツ、勝手をしてすまない。ロザーリエはみんなが見てくれるそうだ」

 みんなとはクランツの弟夫婦と妹たちのことで、フォルシウスに視線を向けられたクランツは頷く。

 「ロザーリエのことは弟たちに任せておけば大丈夫だ。こんな時でなければ新婚旅行……」

 オホン、とマフダルが咳をした。

 フォルシウスがいると、今でもクランツは人がいようといまいと熱く愛を語りたがるのだ。

 「ナオがいなくなったことに負い目に感じているのは私も同じだ。だが、決してあの時と同じ後悔はしない」

 二度と梛央を失いたくない。

 その悲壮感がヴァレリラルドからひしひしと伝わってきた。

 「大丈夫です、殿下。きっとナオ様はご無事です」

 フォルシウスは労わるようなまなざしを向ける。

 「シーグフリード殿、私たちにも状況を教えてもらえないか」

 アシェルナオのことを思うといてもたってもいられないオルドジフが申し出た。
 


 ※※※※※※※※※※※※※※※※

 エール、いいね、ありがとうございます。

 身内に突然の不幸がありました。
 体調が悪くて顔を出せなかった、たった1日の日に。
 中学卒業以来の友人たちとの飲み会に参加していたために夜の見守りができなかった、たった1日の日に。
 こういうことがないように、いつも目を配り心を配ってきたのに、「よりにもよってなぜこのタイミング」の日に、突然の事故で大切な家族を失った者たちの悲しみは深いです。
 そういう運命だったんだよ、と言ってしまうには、あまりにも切なくて。人の世の巡りあわせの無情さに、ただただ嘆くばかりです。
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