そのステップは必要ですか?  ~精霊の愛し子は歌を歌って溺愛される~

一 ことり

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第2部

温情

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 闇。

 何も見えないが、ねっとりと纏わりつくような闇に覚えがあって、アシェルナオは身動きが取れずにいた。

 怖いものがいる。

 それがわかっているから動くことができないでいた。

 怖い。

 助けて。

 ヴァル、助けて。

 震える唇で言葉を紡ごうとしたが、声にはならなかった。

 以前より小さな体を、より小さくさせ、恐怖に震える。

 どれくらいそうしていたのか、時間の感覚があやふやになってきた頃、突然アシェルナオは後ろから抱き上げられた。




 2階にあるアシェルナオの寝室は厚いカーテンがひかれ、まだ日が高いというのに室内は薄暗かった。

 サリアンによってフォルシウスとともに呼び出されたオルドジフは10年前のあの時のように寝台でアシェルナオを抱きかかえていた。

 熱が出たアシェルナオの体は汗ばみ、額にも汗が滲んでいた。

 「汗を拭きます」

 テュコがタオルを持つ手を伸ばした時、突然アシェルナオが目を開け、

 「ひぃ……いやぁぁぁぁあああっ」

 部屋の中に響き渡る悲鳴をあげ、そしてまた目を閉じる。

 力の抜けた体は意志のない人形のようで、いつまでもアシェルナオを苦しめる闇の深さをオルドジフたちは感じていた。
 



 闇の中で後ろから抱き上げられて、アシェルナオはありったけの悲鳴をあげる。

 だが、耳になま温かい吐息がかかり、悲鳴が凍り付いた。

 見つけたよ。見つけた。やっぱり生きてた。小さくなったんだ。大丈夫、梛央への愛情はなくならないよ。僕が手元でじっくりと育ててあげよう。ゆっくり、僕好みの梛央に育ててあげるからね。

 男の指が梛央の唇をなでる。

 いや、さわらないで、こわい、こわい……。気持ち悪い……助けて……。

 助けを求めて伸ばした手は何も掴むことができなかった。

 それでもアシェルナオは泣きながらもがき続けた。



 オルドジフは寝台のヘッドボードにクッションをあてて体を起こし、胸にアシェルナオを抱きかかえていたが、突然アシェルナオが起き上がり、口元を押さえる。

 「ドーさんが綺麗にするから、安心してここで吐いていいんだよ」

 よしよし、と背中をさするオルドジフ。

 首を振りながらも、こみ上げる吐き気を抑えきれずにその場で泣きながら戻す。

 すぐさまオルドジフがクリーンをかけて布団や寝間着を洗浄し、テュコがハーブ水で濡らしたタオルでアシェルナオの顔を拭く。

 「いい子だ」
 
 戻してしまったことで体力を使い、ぐったりと力を抜くアシェルナオの背中を、オルドジフが労わるように撫でた。

 「こわい……気持ち悪い……助けて……」

 それでもまだ悪夢の中にいるアシェルナオの、閉じた瞼からは涙が流れていた。

 「ここには怖いものはいないよ。安心して、悪いものを吐き出すんだ」

 オルドジフの言葉に、少しだけアシェルナオの顔が柔らかくなった気がした。

 が、初めてアシェルナオのこんな姿を見たオリヴェル、パウラ、それに早めに帰ってアシェルナオとの夕食を楽しみにしていたシーグフリードは、見ているだけで胸がしめつけられた。

 テュコは公爵夫妻と嫡男を階下のホールに誘導する。

 そこで待っていたエルとルルは立ち上がって二人同時に頭を下げた。

 「今回の件はルルの不注意です。私とエル、ルルは旧知の仲ですが、厳しい処罰をお願いします」

 毅然と言い放つテュコに、けれど何も言えずに俯くエルとルル。

 「厳しい処罰といっても、すでに受けているようだからね」

 顔を腫らしたルルを見て苦笑するオリヴェル。

 先ほどのアシェルナオの様子を見て胸を痛めたシーグフリードも、すでに制裁を受け、反省をしているルルに強く言えなかった。

 「先手を打たれたらどうしようもない」

 その不満を、そう仕向けたテュコに向ける。

 その言葉にルルは、さっきのサリアンの『テュコの温情』という言葉を思い出し、泣きそうな目でテュコを見た。

 「ルルに悪気がなかったことはわかったよ。けれど冗談でも生徒に手をあげる先生というのは感心しないな。そのせいでアシェルナオは今も苦しい思いをしている。正直、見ているのが辛くなるほどだ。厳しい処罰はしないが、せめてアシェルナオが苦しんでいる間はそのままでいてもらおうかな」

 オリヴェルの発言に、

 「それは可哀そう。せめて痛み止めは処方してあげて?」

 優しい言葉をかけているようで、パウラの目は笑っていなかった。

 「それだけ、ですか?」

 傷を負ってすぐに癒し手に治してもらえるのは上位貴族や騎士団の一部くらいで、エルもルルも癒し手に傷を治してもらったことなどほとんどなかった。

 そんな当たり前のことだけで厳しい処罰になってしまうのか、ルルは信じられない顔をする。

 「もちろん、これからはアシェルナオへの配慮はこれまで以上にしてもらう。態度はそのままでいいが、丁寧に扱ってほしい」
 
 「あの子は辛い思いを何度もしてきた子です。その分まで愛されるために女神のお導きでエルランデル公爵家に生まれてきました。決して『愛情に恵まれている苦労知らずの公爵家の子供』ではないということだけはわかっていてほしいと思います」

 「2度と同じことをするな。それだけだ」

 公爵夫妻と嫡男の言葉に、エルとルルは神妙な顔で何度も頷いた。

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