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7、スープ作りはまだ続く

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 仕事をしながら煮込み続けて、昼食を終えた客達が居なくなったころ、やっとブイヨンが煮込み終えた。ブイヨンの様子を見に行くたびに、「出来たか?」「まだか」と一喜一憂されて非常にやりにくかった。

「よし、やっと出来た」
「出来たか!味……」
「まだだよ」

 味見をさせてくれとは言わせない。まだ何も終わっちゃいないのだ、今から煮だした後の食材を濾すための作業がある。ザルに布巾を敷いて濾していく。

「あー、気の遠くなる作業だよ」

 業務用の馬鹿でかい鍋で作ったのだ、食材と旨味がたっぷり溶け出たブイヨンは大量にある。ひたすら濾していかなければならない。
 今日も今日とて賄いを作らされているトムが、一瞥して「うわぁ」と言う声を漏らした。代わってやろうか?というか、これが食堂で出されるようになったらあんたが作るんだからね?

「終わったー、気合入れていこうね」
「気合?終わったんじゃないのか?」

 終わった頃を見計らってやってきたトムに、にやりと口の端を上げる。

「いいや、今からだよ」

 そう言うと「ああ、夜の仕込みがあるんだった」と踵を返そうとする。逃がすか。

「トーム、私は君の力が頼りだと言ったじゃないか。君はこのスープを口にしたい、私は休憩がしたい。分かるね?」

 賄いを食べてくるから、牛肉をひたすら叩いてミンチを作っておいてくれと言って有無を言わせず去って行く。
 そこまで量は多くなかったんだが、ちょっと可哀そうだっただろうか。出来上がったら一番に飲ませてあげよう。ちなみにライラは何かを嗅ぎつけたのか、今日は一歩も厨房に入ってこない。


◇  ◇  ◇


 賄いを食べてすぐにトムの所に行くと、頼んでおいた量の牛肉を丁度ミンチにし終えたようで、終わったぞと声を掛けてきた。少し疲れた様子のトムに申し訳なかったと思いつつ、私は今からまだ作業があるんだ許してくれと心の中で謝罪する。

「あ、あの。ユキさん」
「ん?ジュリアじゃないか。どうしたんだい?」
「私、私も。お客様がいらっしゃるまで、手伝います」
「ジュリア……」

 疲れの色を滲ませていたトムが、感嘆の声を上げる。内気なジュリアが、自分から手伝うと言ったのが嬉しかったのだろう。鍋をジュリアに任せておけば、ユキを仕込みに仕えるという打算かもしれないが。
 確かにしばらくはライラ一人が居れば何とかなるだろう、手伝ってもらおうか。

「ありがとうジュリア。たすかるよ」
「はい、頑張ります」

 コンソメスープを寸胴鍋で作ろうかと思ったのだが、あれは馬鹿みたいに原価が高い。二リットルを作るのに二万円近くかかったりするのだ。一杯二千円ほどするそれを、ただの大衆食堂が提供して誰が食べるのって感じだ。わりに合わなさすぎる。

 ぶっちゃけブイヨンと、コンソメ何が違うのって感じだが。ブイヨンは出汁でコンソメは完成されたという意味を持っているらしい。
 ブイヨンをさらに同じような材料でもう一度煮込み、味を調えることで出来上がるのがコンソメスープだ。なるほど、完成されたスープと言いたくなる気持ちもわかる。肉や野菜の旨味がこれでもかと凝縮されたスープは想像するだけで涎ものというものだ。

「原価が高いから、店に出す気はないんだが。トムには旨味というものを知って欲しいからね。少しだけコンソメスープも作るよ」

 ブイヨンが冷えることによって、肉の油とゼラチン質が浮いて固まっている。それを丁寧に掬い取るとブイヨンを小柄な鍋に移し、トムの作ってくれたミンチと細かく切った玉ねぎや人参、トマト達を卵白と混ぜ合わせ、分けておいたブイヨンにそれらを入れて中火で煮ていく。

「よし、後はジュリアに頼むよ。鍋の中身をかき混ぜてくれ」
「は、はい。任せてください」

 ジュリアは手渡された柄の長い木べらを握りしめる。丁寧にかき混ぜ始めたのを見て、仕込みをしているトムのもとに戻る。

「なあ、トム。仕込みの手伝いと、新作スープとどちらがいい?」

パンはまだ出来ないが、スープは早めに作り上げたい。とはいえ大至急というほどでもないし、トムに決めてもらおう。

「そりゃあ勿論、新作スープよ!!」

 勢いよく開かれた扉から厨房に入ってきたライラが、トムの代わりに返事をする。

「ねーラナ。ラナも新作のスープの方が良いわよね?」
「あー、ふへへ」
「だって!」

 一体全体、何がだってなのだろうか。私はトムに話しかけていたはずなんだが。それよりも今まで姿の一つも見せなかったくせに、面倒ごとが無くなった途端に入ってきたな。素晴らしい嗅覚だ。
 まあ、トムが良いと言うなら、別にどっちでもいいが。

「分かった」

 やっぱりライラには勝てなかったか、御愁傷様。

「今回は、オニオンスープでも作ろうかね」
「オニョン!私好きよ」
(オニョンだの、メロだの混乱するね。私が分かりやすいように翻訳して欲しいよ)

 神様はユキにはきちんとオニオンに聞こえて、話すときには他の人はオニョンに聞こえる。そういう風にスキルを付けることは出来なかったのだろうか。そこまで考えてないだけか。
 繊維を断ち切るように薄めに切った玉ねぎを、熱したフライパンにオリーブオイルと一緒に強火で火にかける。フライパンに均等に広げ、塩をかけてしばらく放置だ。
 
「焦げたりしないの?」
「焦がしてるんだよ」

 炒め続けることによって、温度が下がり食材に火が通りにくくなる。少し放置して炒める、放置して炒めるを繰り返すことによって、炒め続けるよりもはるかに時短になるらしい。勿論そのままでは焦げていく一方なので、少しずつ水を足してやる必要があるのだが。夜までに間に合わせるには時間はかけていられない。

「よし飴色になったね、そしたらブイヨンを足して塩で味を調えて終わりだね」
「食べていい?」
「どうぞ」

 スープを小皿に入れてライラに手渡す。一口で飲みきると、すっと小皿を返してくる。おかわりだ。

「自分で入れて、飲みつくさないでおくれよ」
「分かってるわよ。ほどほどに、でしょ」

 いうが早いかスープ椀を持ってきて注ぎ始めた。飲みつくさないよな?ジュリアにもスープを持って行く。

「ジュリアも飲んでみて、後は代わるよ。ありがとう、助かった」
「……いえ、お役に立てたなら良かったです」

 混ぜるのを止めると、卵白の力で固まって浮いてくる。なんだか食材でスープに蓋をしたようになっている。真ん中の食材を少しずつ掬って穴をあけ、焦がし玉ねぎと塩を少し入れる。ここまでくればあと少しだ。

「わぁ……甘くて、美味しい」

 片手で口を押えて、ぽそりと呟く。喜んでもらえて何よりだ、こういうのを女子力というのだろうか。

(後でコンソメスープも飲ませてあげよう)

 ドアベルが鳴ったのに気が付いたライラが接客のために出ていく。おそらくこの時間帯なら宿泊客だろうが、もう少しすれば混雑してくるだろう。
 やっと出来上がった、後はもう一度濾すだけだ。まだドアベルは一回しか鳴っていない、ジュリアは行かなくても何とかなるだろう。

「ジュリア、一緒にスープを濾すのを手伝ってくれないかい?」
「……もちろん、です」

 ジュリアは快諾してくれる、二人で手分けするととても早く出来上がった。

「終わりましたね」
「ああ、飲んでみよう。トム!こっちに来てくれ」

 近くに寄ってきたトムにコンソメスープを手渡す。澄んだ琥珀色のスープを口に運ぶと、ぴたりと止まってしまった。そんなトムを見て、自分も飲もうとしていたジュリアまで止まる。

「美味い!美味すぎるぞ!!」

 美味いといきなり叫びだしたトムに、ジュリアがびくりと肩を震わせる。

「……美味しい。ただのオレンジ色のスープなのに、肉や野菜の味がしますね」

 ジュリアが嘆息する、その隣でトムが全力で頷いていた。

「これが旨味というやつだよ。ほとんどの食材には旨味と呼ばれるものが存在するんだ、例えば玉ねぎにはグルタミン酸、肉にはイノシン酸なんかが含まれている」
「グルタミン?なんだ?」
「それはとりあえず忘れていい。とにかくこれが旨味だよ」

 少しでも旨味が分かってくれただろうか?微笑むジュリアと反対にトムはがっくりと肩を落とす。

「俺が作ったスープは薄すぎるな、煮たスープを捨てたのがいけなかったのか?」
「捨てたのか?なんのために」
「苦くてまずかったんだ」

 トムは灰汁の存在を知らなかった。灰汁は食材自身が持つ苦みやえぐみの事だ、それを取らなかったせいでまずさを感じたんだろう。そしてそれを軽減するために一度スープをすて、もう一度水を足して塩で味を調えていたと。味のしない薄すぎるスープはこれが原因か。

「灰汁は、食材が持つ嫌な味の事だ。それを今日みたいにきちんと取り除いていれば、美味しくなっていたと思うよ」
「そうかー、ユキは色々知ってて凄いな」
「トムにも教えてあげるよ。さ、そろそろ忙しくなる。仕事にしようか」

  落ち込むトムを励まして仕事を開始した。
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