3 / 5
3
しおりを挟む
父親よりもはるかに早く、メイドに頼んだ絵本が到着した。
記憶喪失になどなっていない猫は、バタバタと騒がしい廊下を一瞥して、机に齧りついて絵本を読み始めた。
絵が付いている事によって文章の予測がしやすくなり、すぐに文字が読めるようになった。文字が読めればもっと難しい本が読めるようになる。
その本を何度も読み直していると、ノックもせずに立派な髭を蓄えた壮年の男が入って来た。
ズカズカと大股で詰め寄ってくるところを見るに、彼は父親なのだろう。
「おい、ヴァネッサ! 記憶喪失とはどういう事だ」
どうしたもこうしたも、言葉のままの意味なのだが。顔を真っ赤にして詰め寄ってくる男を見やり、猫は冷静に発言しようとしたが。
スパンと空気を裂くような音と共に頬に痛みが伝わってくる。
「この役立たず!ただでさえ真面に魔法の使えない落ちこぼれのくせに、これ以上更に私に迷惑をかけるのか!!」
(なるほど、どうやら親子関係も破綻しているらしい)
きゃんきゃんと口汚く罵る男を見ながら、他人事な猫は冷淡な瞳を向けた。いつもなら怯えるか、口論になるはずの娘は淡々としている。
その異質さに、男は一歩後退る。
「不出来な娘がご迷惑をおかけして申し訳ありません。人前に出られるレベルになるまでは、自宅で謹慎し勉学に励みたく存じます」
「わ、分かっているなら良い。ゼバス! 今すぐ箝口令を敷いておけ!! いいかヴァネッサ、絶対にこれ以上私に迷惑をかけてくれるなよ!!」
男と一緒に入って来た執事らしき老人に指示をし、吐き捨てるようにして男は部屋から出て行った。
やっと煩わしいのが居なくなったと、猫は静かに息を吐く。いつ元の体に戻れるのか分からないのだ、有限な時間を知識の吸収にあてたい。
倒れてから体調がすぐれないことにされた猫は、朝な夕な書庫で人間として、ヴァネッサとしての知識を得ることに時間を割いた。
体が弱く、頭を使って食事にありつくしか生きる術を持たなかった彼は、数週間もすれば日常生活に支障ない程度のレベルになっており、家庭教師への授業の開始を許可されたのだった。
「では次に魔法の種類と使い方についてですが。火、水、風、土の四属性に分けられ、攻撃、癒し、支援、防御と得意な戦闘方法が分類されます」
そして、それは一人に対して一属性のみしか与えられない。
やっと真面目に出席し始めた魔法についての授業で猫は初めて魔力という存在を知り、己の魔力量が多すぎるが故のコントロール不足で体が弱かったのだと気づいた。
真面目に話を聴く猫に、家庭教師は嘲笑の視線を寄越してくる。
「ここまで理解できましたか? まあ、お嬢様には関係の無い話かもしれませんが。しかし、いくら関係が無いといっても、逃げ回っていた授業に出ようと思った意欲は良い事です」
覚えておいてくださいねと、紅を引いて艶やかに光る唇を歪に上げる。本人の歪み切った性格はともかく、元の体に戻った時に非常に益になる授業だ。
馬鹿にしているのは大目に見てやろうと、猫は美しく微笑む。
「今まで先生の授業を逃げ回っていて申し訳ありませんでしたわ。しかし、たとえ先生に関係がないと思われていても、知識は無駄にはならないと思ったのです」
猫がはっきり言うと、彼女は口端をひくりと動かした。
「そうですね、知識は無駄にはなりません。お嬢様の魔力では、実戦は無意味かもしれませんが」
持っていた扇子で顔を隠した教師はくすりと笑う。
「その通りですわね。ただ、たとえ私の魔力が火種やそよ風、土くれや水滴程度しか出せない魔力量であったとしても、先生に教えていただけたら爪の先程度には成長するかもしれませんもの」
期待していますわと含められた空白に、口撃するのを止めた教師はツンと顔を背けた。
彼女の授業は面白いとは言いがたかったが、解りやすくはあった。
家庭教師に教えてもらった通りに魔法を使ってみたが、杖の先でからポチャリと僅かばかりの水が滴っただけだった。
「あらあらあら、まあまあまー。やはりお嬢様には難しい授業でしたわね」
憫笑する彼女の声は聞こえないことにして、猫はひたすら修練に明け暮れた。
たとえこの体が微弱な魔法しか使えなかったとしても、いつかは魔力量が上がるかもしれない。
そうでなかったとしても、魂が元通りになるという、来るべき未来のために備えることは、けして愚かなことではないはずだ。
「どうせ無駄ですのに」
家庭教師だけではない。暴君であるヴァネッサに面と向かってものが言えないだけで、使用人達も同様の反応だったが、猫は侮蔑も嘲笑も憫笑も黙殺した。
じりじりと肌を刺す日差しが和らぎ、空気に冷たさが纏いだしたころ、数滴の水しか滴らなかったものがコップ程度の量が出せる位には成長した。
「なんだ、あれだけ人を馬鹿にするから魔力の量は上がらないのかと思ったら違うのか」
僅かながら、しかし、確実に成長している事を喜ばしく思ったのだった。
記憶喪失になどなっていない猫は、バタバタと騒がしい廊下を一瞥して、机に齧りついて絵本を読み始めた。
絵が付いている事によって文章の予測がしやすくなり、すぐに文字が読めるようになった。文字が読めればもっと難しい本が読めるようになる。
その本を何度も読み直していると、ノックもせずに立派な髭を蓄えた壮年の男が入って来た。
ズカズカと大股で詰め寄ってくるところを見るに、彼は父親なのだろう。
「おい、ヴァネッサ! 記憶喪失とはどういう事だ」
どうしたもこうしたも、言葉のままの意味なのだが。顔を真っ赤にして詰め寄ってくる男を見やり、猫は冷静に発言しようとしたが。
スパンと空気を裂くような音と共に頬に痛みが伝わってくる。
「この役立たず!ただでさえ真面に魔法の使えない落ちこぼれのくせに、これ以上更に私に迷惑をかけるのか!!」
(なるほど、どうやら親子関係も破綻しているらしい)
きゃんきゃんと口汚く罵る男を見ながら、他人事な猫は冷淡な瞳を向けた。いつもなら怯えるか、口論になるはずの娘は淡々としている。
その異質さに、男は一歩後退る。
「不出来な娘がご迷惑をおかけして申し訳ありません。人前に出られるレベルになるまでは、自宅で謹慎し勉学に励みたく存じます」
「わ、分かっているなら良い。ゼバス! 今すぐ箝口令を敷いておけ!! いいかヴァネッサ、絶対にこれ以上私に迷惑をかけてくれるなよ!!」
男と一緒に入って来た執事らしき老人に指示をし、吐き捨てるようにして男は部屋から出て行った。
やっと煩わしいのが居なくなったと、猫は静かに息を吐く。いつ元の体に戻れるのか分からないのだ、有限な時間を知識の吸収にあてたい。
倒れてから体調がすぐれないことにされた猫は、朝な夕な書庫で人間として、ヴァネッサとしての知識を得ることに時間を割いた。
体が弱く、頭を使って食事にありつくしか生きる術を持たなかった彼は、数週間もすれば日常生活に支障ない程度のレベルになっており、家庭教師への授業の開始を許可されたのだった。
「では次に魔法の種類と使い方についてですが。火、水、風、土の四属性に分けられ、攻撃、癒し、支援、防御と得意な戦闘方法が分類されます」
そして、それは一人に対して一属性のみしか与えられない。
やっと真面目に出席し始めた魔法についての授業で猫は初めて魔力という存在を知り、己の魔力量が多すぎるが故のコントロール不足で体が弱かったのだと気づいた。
真面目に話を聴く猫に、家庭教師は嘲笑の視線を寄越してくる。
「ここまで理解できましたか? まあ、お嬢様には関係の無い話かもしれませんが。しかし、いくら関係が無いといっても、逃げ回っていた授業に出ようと思った意欲は良い事です」
覚えておいてくださいねと、紅を引いて艶やかに光る唇を歪に上げる。本人の歪み切った性格はともかく、元の体に戻った時に非常に益になる授業だ。
馬鹿にしているのは大目に見てやろうと、猫は美しく微笑む。
「今まで先生の授業を逃げ回っていて申し訳ありませんでしたわ。しかし、たとえ先生に関係がないと思われていても、知識は無駄にはならないと思ったのです」
猫がはっきり言うと、彼女は口端をひくりと動かした。
「そうですね、知識は無駄にはなりません。お嬢様の魔力では、実戦は無意味かもしれませんが」
持っていた扇子で顔を隠した教師はくすりと笑う。
「その通りですわね。ただ、たとえ私の魔力が火種やそよ風、土くれや水滴程度しか出せない魔力量であったとしても、先生に教えていただけたら爪の先程度には成長するかもしれませんもの」
期待していますわと含められた空白に、口撃するのを止めた教師はツンと顔を背けた。
彼女の授業は面白いとは言いがたかったが、解りやすくはあった。
家庭教師に教えてもらった通りに魔法を使ってみたが、杖の先でからポチャリと僅かばかりの水が滴っただけだった。
「あらあらあら、まあまあまー。やはりお嬢様には難しい授業でしたわね」
憫笑する彼女の声は聞こえないことにして、猫はひたすら修練に明け暮れた。
たとえこの体が微弱な魔法しか使えなかったとしても、いつかは魔力量が上がるかもしれない。
そうでなかったとしても、魂が元通りになるという、来るべき未来のために備えることは、けして愚かなことではないはずだ。
「どうせ無駄ですのに」
家庭教師だけではない。暴君であるヴァネッサに面と向かってものが言えないだけで、使用人達も同様の反応だったが、猫は侮蔑も嘲笑も憫笑も黙殺した。
じりじりと肌を刺す日差しが和らぎ、空気に冷たさが纏いだしたころ、数滴の水しか滴らなかったものがコップ程度の量が出せる位には成長した。
「なんだ、あれだけ人を馬鹿にするから魔力の量は上がらないのかと思ったら違うのか」
僅かながら、しかし、確実に成長している事を喜ばしく思ったのだった。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
俺の娘、チョロインじゃん!
ちゃんこ
ファンタジー
俺、そこそこイケてる男爵(32) 可愛い俺の娘はヒロイン……あれ?
乙女ゲーム? 悪役令嬢? ざまぁ? 何、この情報……?
男爵令嬢が王太子と婚約なんて、あり得なくね?
アホな俺の娘が高位貴族令息たちと仲良しこよしなんて、あり得なくね?
ざまぁされること必至じゃね?
でも、学園入学は来年だ。まだ間に合う。そうだ、隣国に移住しよう……問題ないな、うん!
「おのれぇぇ! 公爵令嬢たる我が娘を断罪するとは! 許さぬぞーっ!」
余裕ぶっこいてたら、おヒゲが素敵な公爵(41)が突進してきた!
え? え? 公爵もゲーム情報キャッチしたの? ぎゃぁぁぁ!
【ヒロインの父親】vs.【悪役令嬢の父親】の戦いが始まる?
【完結】神様に嫌われた神官でしたが、高位神に愛されました
土広真丘
ファンタジー
神と交信する力を持つ者が生まれる国、ミレニアム帝国。
神官としての力が弱いアマーリエは、両親から疎まれていた。
追い討ちをかけるように神にも拒絶され、両親は妹のみを溺愛し、妹の婚約者には無能と罵倒される日々。
居場所も立場もない中、アマーリエが出会ったのは、紅蓮の炎を操る青年だった。
小説家になろう、カクヨムでも公開していますが、一部内容が異なります。
ガーデン【加筆修正版】
いとくめ
ファンタジー
幼い頃母を亡くした杏には、庭での不思議な記憶がある。
鳥や虫、植物たちの言葉を理解し自在に操ることができた母。
あれは夢だったのだと思っていた杏だが、自分にもその能力があることに気づいてしまう。
再び生き物たちのささやく声が聞こえてきたとき、悪しきものたちと彼女の戦いが始まった。
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切関係ありません。
※旧作を加筆修正しながら投稿していく予定です。
元ゲーマーのオタクが悪役令嬢? ごめん、そのゲーム全然知らない。とりま異世界ライフは普通に楽しめそうなので、設定無視して自分らしく生きます
みなみ抄花
ファンタジー
前世で死んだ自分は、どうやらやったこともないゲームの悪役令嬢に転生させられたようです。
女子力皆無の私が令嬢なんてそもそもが無理だから、設定無視して自分らしく生きますね。
勝手に転生させたどっかの神さま、ヒロインいじめとか勇者とか物語の盛り上げ役とかほんっと心底どうでも良いんで、そんなことよりチート能力もっとよこしてください。
回復しかできない私は需要がありますか?
初昔 茶ノ介
ファンタジー
看護師の山吹 桃(やまぶき もも)はブラック企業に近い勤務のせいで1年目にして心身ともにふらふらの状態だった。
そして当直終わりの帰り道、子供がトラックの前に飛び出したところ助けるため犠牲になってしまう。
目が覚めると目の前には羽が生えた女神と名乗る女性がいた。
若く人を助ける心を持った桃を異世界でなら蘇らせることができると言われて桃は異世界転生を決意した。
婚約破棄を目撃したら国家運営が破綻しました
ダイスケ
ファンタジー
「もう遅い」テンプレが流行っているので書いてみました。
王子の婚約破棄と醜聞を目撃した魔術師ビギナは王国から追放されてしまいます。
しかし王国首脳陣も本人も自覚はなかったのですが、彼女は王国の国家運営を左右する存在であったのです。
召喚失敗!?いや、私聖女みたいなんですけど・・・まぁいっか。
SaToo
ファンタジー
聖女を召喚しておいてお前は聖女じゃないって、それはなくない?
その魔道具、私の力量りきれてないよ?まぁ聖女じゃないっていうならそれでもいいけど。
ってなんで地下牢に閉じ込められてるんだろ…。
せっかく異世界に来たんだから、世界中を旅したいよ。
こんなところさっさと抜け出して、旅に出ますか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる