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第二章:変わる、代わる

179.後悔

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カナリアたちの現状を──強制されているわけじゃないのか知りたかったが、そうでないことが分かった代わりに、知りたくなかったことが分かってしまう。
予想できていたことだった。避妊薬の話を聞いたときからこの世界の常識とそぐわず違和感を覚えていたし、最近では相本からも確実な情報でないとはいえ神子の子供について話を聞いたところだ。それに夢で見たことや事件のこと、今日に至るまでの神子の扱いから考えれば分かっていたことで、だから結婚や子供という言葉にあまり、いいイメージを持てなかった。

分かっていたことだ。
でも知りたくなくて……だからきっと、これは知る必要があったのだろう。

リリアが神子である相本との子供を強く望んでいる現実に違和感は更に増した。
避妊薬は、なぜあるのだろう。この世界の人が望んでいない薬。
それを絶対的な効果を保証したものに、どうやってできたのだろう。なぜ、そんなことが出来たんだろう──ドアを開いて、梓は立ち尽くす。


「……麗巳さん」


花の間へ続く控室のソファに腰かけていた麗巳は呼びかけに応えなかった。口を閉ざし、静かに机を見ている。以前も見たことがある淡い紫色のドレスを着ていて、美しくはあるがショールを羽織ってもいない姿は寒々しく映る。
以前にも似たことがあった。
もしかしたら他に用事があるかもしれない。もしかしたら、ただ、ここに座っていただけなのかもしれない。いくらでもそう思えるのに、待っていたのだと分かって、梓は麗巳の隣に並んで座った。
相馬に広場まで送ってもらったあと、どれだけゆっくり歩いていたか分からない。日が落ちるのが早いせいかもしれないが、薄暗くなっていく空にあわせて廊下はひんやりとした空気に満ちていった。花の間に続く控え室も、廊下より暖かいとはいえ十分に冷えている。
静かな時間はさきほどいた部屋のようだ。

飲んだらホッと安心するような温かいお茶が欲しい。身体を冷やさないブランケットもあったらいい。自分の胸にしまった話をしても安心できる空間だともっといい。

そんな願いは、今まで魔法が自由に使えなかったことが嘘のように叶った。一瞬のうちに現れたティーポットと2つのカップは机に並び、ブランケットは麗巳と梓の膝の上にふわりとのる。顔をあげた麗巳が梓を見たあと花の間を見て、疲れたように笑った。花の間にこちらの話が聞こえないようにしたのが分かったのだろう。


「知らないうちにいろいろ使えるようになったのね」
「魔法の使い方が分かったんです」
「そう」


ヤトラにしてもらったことがある魔法の訓練は自分の気持ちを見つめなおすようなものだった。そして魔法は、魔力さえあれば、望みを形にしてくれる。使える魔法の種類は自分の性質に似たもの、強い望みを反映するものが多く、そういったものを意識的に使おうとしなければ発動しない。
知りたいことを知れる魔法。

この魔法は特に嫌な魔法だ。副作用もそうだが、知りたいことを知るために必要だとすれば、こうも簡単に使えてしまう。
本当は、知りたくない。
けれど話したくなったらいつでも教えてほしいと言ったのは自分だ。そうさせたのは、きっと今まで人の秘密を土足で踏み荒らした余波もあるだろう。それなら、知りたくなくても、そこにはなにか決して目を背けてはいけないものがある気がした。


「私は──報告を聞いて私と同じような子がいるんじゃないかって、少し期待していたのよ」


脈絡ない呟きのような言葉が、迷うように止まる。実際、迷っているのだろう。
麗巳に紅茶を手渡すと、しばらくしてようやく飲み込んでくれた。


「報告って、神子たちの行動のことですか」
「特に、召喚されたばかりの神子よ。私と同じような子がいるんじゃないかって期待したのよ。でも肯定的な子のほうが多くて、そうじゃない子だって……でも、あなたが来た。あなたは、私と似てると思ったのよ」



ふいに思い出すのは寒い早朝、広場で梓を待っていた麗巳の姿だ。薄着で梓を待っていた麗巳は同じ台詞を泣きそうな顔で言っていた。
『樹と麗巳さんって結構似てると思うんだよねー』
白那からもぐるぐる悩み続ける姿が似ているとお墨付きをもらっている。だからルールのことについて考えたとき、麗巳と自分を重ねて……泣きたくなってしまったあの日のことはよく覚えている。


「アイツらを嫌って憎んで……そのままでいてくれたらよかったのに、あなたはアイツらと話すだけじゃなくて、受け入れた。アイツらを人として見て……妙なことが続くから確かめたくなったのよね。ヴィラは律儀に私とはもう寝ないって宣言してくるし、テイルはあなたのことを話題にしては勝手にいらついて、鬱陶しいかと思えば勃たなくなったとかいう話も聞くし、神子のあなたに縋ってまでアラストのことを気に掛ける奴も出てくるし、死ぬことで罪を贖えるとでも思ってそうな男が罪を背負って生きると言うし──本当におかしなことばかり」


ここで過ごす人は本当によく監視されているらしい。
なんとも言えない表情で話を聞く梓に麗巳はクスリと笑うが、すぐに視線を落とす。


「元聖騎士たちとも話したんですってね」
「っ、ルトさんのことを知って」


思いがけない質問にハッとして、違和感。
元聖騎士たち。
知っているのはルトだけだ。今まで話した誰かのなかにルト以外にも元聖騎士がいたらしい。ああでも、そうだ。それなら納得がいく。
思い出す光景に呆然としていたせいで、梓は反応が遅れてしまった。おかげで麗巳に視線を戻したとき見えたのは傷つき嗤う顔で、なぜそんな表情をするのか分からない。


「……麗巳さん?」
「ルト?」
「え?」
「ルトって名前だったのね……私、アイツに名前を聞いたことがあって……ルウトって呼んでいたの。ルトだったの。ああそれで……それであんな顔していたのね。アイツは元気なのかしら」
「……元気ですよ。お店を営業しながら魔道具を作っています。魔物を根絶やしにするって、道具を作るために……なんというか遠慮のない人です」
「ああ、はは……相変わらずね。そう。そうなの……安心したわ。城を出ても変わらないのなら、アイツが言っていたことは本心だったのね。そう。安心したわ」


これまでに知ったことから考えれば麗巳とルトは面識があることは予想がついていた。ルトが生かされていることを考えても、麗巳の復讐の範囲に入らなかったのだと、理屈では分かっていた。
『これは俺の罪滅ぼしだ……許されたいとは思っていないがな』
それでもあの言葉が胸につっかえて、どうしようもなくて──ルトのことを思い出して柔らかい表情をする麗巳との知らない時間を考えてしまう。


「アイツはあなたに似て考えすぎるうえに真面目で、頑固なのよ。きっと今も俺が悪いって言ってるんでしょう?」
「……罪滅ぼしとよく言います」
「馬鹿よねえ。私は感謝してるのに。アイツがいなかったら私はここにはいないわ。アイツがいたからあの子は1人で安らかに死ねた」
「あの子」
「ふふ、そう。そうなの……ああ、駄目ね。やっぱり駄目。ルールのことだってそう……ねえ、梓。私が間違っていたのかしら」
「……分かりません」


梓の答えに麗巳は顔をくしゃりと歪めてしまう。
望んでいる言葉を知っているからこそ、梓も同じ表情をしてしまいたくなるが、それでは駄目なのだ。


「ルトさんのこともあの子と呼ぶ人のことも詳しく分かりません。でも……ルールのことを考えたとき、私が麗巳さんならって考えたことがあります。死んでも笑えてしまうぐらい恨みを持つ人たちに復讐できる日が巡ってきたらって……やっぱり……なんでしょうね。私と麗巳さんは本当に、似てるんだと思います。だからやっぱり事件の日と同じように……まったく同じじゃなかったとしても、似たようなことをしたと思います。きっと、それしか選ばなかった」


微笑には程遠い顔をしながら、花の間に置かれた本を思い出す。この城の現状に違和感を覚えた人がますます違和感を持ってしまうようにあつらえた場所。答えに辿り着いてほしくて──


「ルールはあったとしても言葉が通じる環境下で……少なくとも彼らは選べるんです」


──間違ってると言ってほしかったんだろう。
痛いほど気持ちが分かって、たまらず麗巳の手を握ってしまう。知らなかった自分の感情に振り回されて、人を傷つけるための行動をとって、自分で傷ついて──滑稽なことだと分かっていてもどうしようもない瞬間はある。どうしようもなく消えない感情がある。大義名分と力がそろえれば復讐も簡単で、取り返しがつかなくなったら後悔は一生で、でも、その程度は自分だけでなく相手の見る世界で変わって──また、どうしようもない瞬間がくる。
生きている限り続いていくことだ。


「麗巳さんもですよ。間違っているかどうかはあなたが決めることです」


言葉の魔法を麗巳が使うまで神子とこの世界の人たちで会話はできなかった。帰る場所を奪われ命を握られた状況で、言葉の通じない無力さはどれほどだっただろう。言葉が通じても命を握るルールによって思うまま話せない彼らの状況を願ったのは、悪いことだといえるのだろうか。

『今なら少しわかってやれる気がする』

きっとヴィラはそれが分かって、あんなことを言ったのだろう。
話せていたら変わっていたかもしれない未来を考えて、そう、言ったのだ。けれどその結末は梓自身が一番よく分かっている。
言葉なく涙を流す麗巳は梓に自分自身を重ねて今までのことを見てきたのかもしれないが、望む通りには動いてあげられない。できることはこうやって隣に座って話を聞くぐらいのものだ。それが少しでも麗巳の助けになればいい。ぐるぐると考えて心を蝕んでいく毒のような感情が、少しでも減ったらいい。
そう願って傍にいることしか、周りに出来ることはない。
自分の望む通りの世界なんて、願うだけじゃ手に入れられない。



「……夢の魔法、だったかしら。もういいわ。あなたになら見られても構わない」



ポツリと落とした言葉の代わりに、俯いていた顔が梓を真正面に見る。
絶望しているわけでも気が晴れたようでもない、ただ、力なく呟く姿は諦めに似たものがあった。
驚く梓に麗巳は唇をつりあげて微笑む。


「私はこの世界の秘密が少し分かったのよ。それを教えてあげようと思ったのだけど……あの子のことを、話せない。私はきっと間違えたのよ。だから……あなたが見てちょうだい。私が話すときっと、真実をそのままに話せない。私は間違えるわ。もう私は私のことが分からないもの」
「麗巳さん」
「ふふ、知りたくなくても見てしまうんでしょう?それなら、見てちょうだい。……バトンタッチ、してくれるんでしょう?」


バトンタッチ。
聞き逃しそうな小さな声に、梓の心臓が震える。
メイドがいる花の間で宣言した言葉は、流されてしまった。誰の耳に届くか分からない状況での宣言も梓なりに覚悟のいることだったが、梓を見上げる茶色の瞳を見て返事をすることは恐ろしささえ感じる。
怖い。見たくない。知りたくない。
そんな情けない感情が沸いて、二の足踏んでしまうみっともない自分を実感してしまう。



「……望むところです」



それでも、そんな自分なのだからしょうがないと、受け入れるしかない。
望みどおりの世界は手を伸ばしても届かないことだってある。それでも、自分の願いを叶えようと生きていくしかなくて──


「話は終わったか」


──そんな話を眩しいほどはっきりと断言したイールが控室に入ってくる。
熊のような大きな身体のせいで控室が窮屈に感じてしまう。眉を寄せた厳しい顔をしているものだから圧迫感は増していて、突然現れた驚きも手伝って梓は麗巳を庇うようにイールの前に立つ。
梓の行動にイールは瞬くが、その理由が思い至ったのか肩の力を抜くと一歩後ろに下がる。
だが、梓の後ろにいる麗巳に視線を移した瞬間、すぐ元に戻ってしまった。


「泣いているのか」
「……あなたは本当に可哀想なほど変わらないわね。少しは場の空気を読みなさい」
「俺もまったく同じことを思っている……どうすれば、あなたの時間は進む」


イールの剣幕にも驚くが麗巳の反応も以外なものだった。刺々しい口調ではあるが、悪意を向けたものではない。涙を拭う姿はどこか慌てているようにも見えて、知らない2人の時間を垣間見てしまった気になる。
イールと違って空気を読んだ梓はすぐにでも立ち去りたかったが、2人の横を通り過ぎるような度胸も持ち合わせておらず立ち往生するしかない。できることは立ち上がった麗巳の代わりに座るぐらいのものだ。


「五月蠅いわね。飽きもせず何度も何度も、鬱陶しいのよ。私に関わらないで頂戴。早くこの城から出て行ってほしいわね」
「それが本心なら今すぐ命令するといい」
「本当に、手に負えない」


麗巳とイールの意外な関係性に興味が沸きつつも、野次馬状態になってしまっている罪悪感に梓はできるだけ話を聞かないように目を瞑る。けれどそのせいで印象深い台詞がまた聞こえてきて──時間。
そういえば、イールは梓にこの城に住まう者すべての時間を動かしたことに感謝していると言っていた。あの感謝は麗巳のことも含めてだったらしい。時間。止まっていたとするなら──ああ、本当に嫌な魔法だ。


「俺にも落ち度がある。違和感を追求せず魔物討伐のことばかり意識を向け、あなたたちの置かれた状況を理解しようともしなかった。助けられたはずなのに……だが……それでも、思ってしまう。自分で自分を苦しめ続ける姿を見ていられない。あなたのせいじゃない。あの日に生き続けない「勝手に過去にしないでちょうだい!」


イールはあの事件が起きるまでのことを言っているのだろう。
本当に、純粋でまっすぐな人だ。
そんな性格でいれたのは──駄目だ。これは別に、考えなくてもいいこと。


「……すまない」


歯がゆそうに唇を噛むイールを見ていつもの調子を取り戻した麗巳は乱暴にドレスの裾を払った。


「梓、あとは夢でもコイツにでも誰でもいいわ。好きなところから調べなさい。私にここまでさせたのよ。受け継いでくれるのなら嫌なこともちゃんと最後までしてほしいわね」
「……はい」
「……分かったあと話したくなったのなら、呼びなさい」
「はい!」
「麗巳」
「ああもう、分かったわよ」


イールを邪魔だと手で追い払いながら歩く麗巳は花の間ではなく、控室の外に出ようとしている。机に引っかかるドレスを持つイールを見上げれば、視線に気がついたイールが困ったように眉を寄せながら唇を吊り上げた。


「あなたは、後悔しないでちょうだい」


イールの手をはたきおとした麗巳はそう言うと控室を出て行ってしまった。その後を追うイールも見送れば、控室には梓1人だけだ。




「……後悔」




呟いた言葉が、妙に耳に残る。









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