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第二章:変わる、代わる
169.誰か私を、
しおりを挟む1人では広く感じる部屋に来客があるのは嬉しいことだった。梓は食器棚からカップを2つ選ぶと、慣れた手つきで紅茶を淹れる。カチャリ食器が音を鳴らして、カタカタ、お茶の用意を載せたトレイが悲鳴をあげる。
「お待たせしました」
「……ありがとう」
美海は梓からカップを受け取ると唇をつりあげた。
笑みを作ろうとする、疲れたようにも悲しそうにも見える顔だ。同じような表情をした人を思い出して梓もつられそうになるが、微笑んで椅子に座る。
そのあいだ美海は身じろぎ一つしない。勉強会のあと梓の部屋に来てからというもの、ずっと俯いていて、なにかを考えているのか口を開こうとしなかった。
麗巳をのぞく女の神子全員での勉強会がお悩み相談から美海と梓の口論へと発展したあと、最後は和やかに雑談できるようになったが、勉強の続きができる雰囲気ではなくなった。莉瀬は聞き役に徹していたが、白那と八重がヴィラの話で盛り上がりはじめたのだ。
「梓」
美海に呼ばれたときは白那をあしらっていたときだった。積極的に参加しづらい内容にどうやって離脱しようか考えていた梓にとって渡りに船だ。それに、消えていた顔が元に戻っている。例え気まずそうな顔でも見せてくれたことが嬉しい。梓はたまらず笑みを浮かべてしまう。
「……よければ、2人で話したいわ」
「2人でですか?勿論です……私の部屋に行きましょっか」
梓は二つ返事をしたあと白那たちにことわってから花の間を出て──現在に至る。
コクリと紅茶を飲んだ梓はつめていた息を吐き出して、表情を緩める。美海も熱い紅茶に少しでも心が和いだらいい。けれど美海は俯いたまま、動かない。
初めて顔を合わせたとき美海を勝気に見せていた溢れ出る自信は影をひそめている。表情を柔らかくみせる垂れ目がちな目は、下がっている眉のせいで暗く影を落としていた。
(さっきのことだと思うけど……)
口論を思い出しながら、なにが美海をこうまで深刻にさせているのか考えるが、はっきりとした答えが浮かばない。
梓のヴィラへの態度に思うところがあったのは明白だが、大勢がいる場で敵意をもって誰かを追求することがなかった美海をそうさせたのはなぜだろう。
(まさか美海さんもヴィラさんのことが好きだったとか……?ううん、そうじゃないよね)
白那の爆弾発言もあってありえない予想をしてしまうが、これまでのことを思い出せば違うだろう。
『お互いさまって……妥協?』
梓が話すたび地雷を踏んだように反応した美海の表情は、梓にも覚えがあるものだ。もしかしたら美海も、感情に任せて言うはずじゃなかったことを口にして当たり散らかしたのかもしれない。
「まずは……ごめんなさい。さっき、きつく言い過ぎたわ」
「いえ、いいんです。言われても当然のことですし」
「ごめんなさい」
「……分かりました。ありがとうございます。でも……私ももっとちゃんと良い言い方をすればよかったです。すみません」
謝るしか言葉を持てないときの気持ちもよく分かる。
梓が頷けば美海はなにか言いたげに梓を見たが、長く息を吐いたあと静かに話し出す。
「そうね……八重さんも言っていたけれど、梓はもう少し、自分に優しくしたほうがいいわ。ああいう付き合う付き合わないなんて話をふられて話すのなら、中途半端に関わるのは無責任とか、お互いさまとか妥協なんてわざわざ自分が悪いことをしているみたいに言わなくていいのよ。そもそもヴィラさんとあなたの関係性を部外者が口出すことじゃないけれど……本当に、怖いと思うことがあったり管理下におかれたくないなんて断り文句がでてくるようなことがあったのなら、だから結婚相手に選ばないって言えばいいじゃない」
「はい……本当にそうですね」
これからを生きていく人を探すにあたって、譲れないことだけでなく自分の我儘も加えるぶん、はっきりと自分の意志を伝える必要がある。
『どうすればお前は俺を許す』
『私はあなたを受け入れられない。これが答えです』
そしてそれは相手も同じで、衝突することは避けられない。だからこそ悪い女といわれようが誰にどうみられようが、流されずちゃんと選ぶと決めたのだ。自分の目的のために、これからのために、この世界で生きていくために──けれど、なかなか思うようにはいかない。
美海に指摘されて梓は身体を小さくして頷く。
ただ言うだけでなく、伝え方は選んだほうがいい。
痛い教訓を脳に刻んでいたら、カタリと音がした。見れば机に美海の扇子が置かれている。確かロドロド鳥という魔物の羽根が使われた扇子だ。美海はドレスをよく作るが、扇子は同じものばかり使っていたように思う。羽根はトアが贈ってくれたものを使ったと言っていたし思い入れがあるのだろう。
「違うわ……いえ、もう少し自分に優しくしなさいって思うのは本当よ?でもあなたを責めたいわけじゃないの……駄目ね、私。私ももっと……ちゃんとした人になりたいわ」
「美海さん……?」
「違う、忘れてちょうだい……そう、そうだわ。いまね、私が今月過ごす聖騎士はシェントさんなのよ」
「え?」
「だから……会いたいときはいつでも言ってちょうだい。少しは協力できるわ」
「っ!ありがとうございます。本当に嬉しいです……っ」
思いがけない申し出に梓は声を震わせるが、美海にとっても梓の反応は想像と違ったらしい。梓の表情を見て困惑を浮かべ、視線が迷子になってしまう。
(本当にシェントさんが大好きなのね……ヴィラさんは)
ヴィラは。
そう考えて、続きを消すように美海は頭を振る。また感情のまま詰ってしまうところだった。
八重も言っていたように梓は初めての経験に振り回されて流されていたが、本当に大事なものを見つけたことでほかと比較できるようになっただけなのだろう。自分にとっての基準ができたからこそ、曖昧においてきたものに手を伸ばせたり捨てたりできるようになったのだ。それは他者が口出しすべきことではないだろう。
(私の思い通りであってほしいなんて傲慢もいいところだわ。酷い、なんて……私はこうしてほしかったって、私だったらって……ぜんぶ自分のために言ってるだけじゃない)
自分が諦めたことを棚にあげるだけでなく、勝手に自分を投影して怒ってしまった。
思い出す口論に美海は顔を赤くする。魔法が発動しそうになるのに気がついて冷静になるよう努めるが、きっと、意気地なしの顔はもうすぐにでも消えてしまうだろう。
もう、嗤うしかない。
(嫌い。綺麗でないこの顔も性格も、すべてすべて、嫌でたまらない。そもそも、誰にも期待されない私がなにかを望むことじたいが間違いだったのよ)
この世界で居場所を作ってくれた麗巳に報いるためにと思っても空回りばかりで、結局、なにもできなかったのだ。ただ、神子という役割だけが唯一求められていることで、それだけは返せる。
(私に必要とされることはそれだけ。それだけでいいのよ)
諦めることは簡単で、馬鹿なことだったと嗤うこともすぐにできた──それなのに、シェントに会えると顔を綻ばせる梓に、心臓がガリガリと搔きむしられるような錯覚に陥る。
(なんで)
脈絡のない話ばかりしていると分かっているのに、それでも、あのとき欲しかった答えを求めてしまう。
「答えたくないことは無理に答えなくてもいいわ……ただ、分からないの。梓は……他の人と比較できるぐらい、シェントさんが一番大事になったんでしょう?でも、シェントさんだけを夫にするわけじゃないの?」
「……そうですね。私がこの世界で生きていくために必要なことです」
「それは、シェントさんとだけだと叶えられないこと?」
「はい」
まっすぐ視線を向けてくる梓を直視できず、美海は歪む口元を扇子で隠す。
顔を消したうえさらに扇子で隠そうとするなんて、さぞかし滑稽な姿に違いない。いっそ嗤うか詰ってほしかった。そうでなければ自己嫌悪で顔どころか自分すべてを消したくなる。
目を閉じれば思い出すたくさんの話は、考えるのを止めた罪を問うてくるようだ。梓は不器用なやりかたでも出来ることをしようとしている。
『すべて私の自己満足よ……でも、そうね。もう1人でしていることはないわ』
召喚を無くし、
『少なくとも麗巳さんが言葉の魔法を使った年に生まれた人たちは対象かな』
言葉の魔法を無くしたあとのことを、未来を考えて動き出している。
きっと手探りなことばかりだろう。傍から見てもあまりにも無謀なのだ。梓も壁にぶつかって諦めて妥協するだろうか。そのために、顔を見るだけで分かるほど好きなシェントとだけ生きる道を諦めているのに、できるだろうか。
できないだろう。
それにきっと……やりとげるはずだ。
勝手な期待を抱くのはきっといつかの自分が報われてほしい、なんて、浅ましい願望のせいだろう。妥協してでも、思い通りにいかなくても、諦めなくていいのだと……自分の未来を望んでもいいのだと思いたいからだ。
「梓はどうやって召喚を無くそうと思っているの?あのときは言えなかったけれど……私も協力するわ。協力させてちょうだい。この城で過ごし続けるのはそのためでしょう?私もこの世界で……自分で生きていけるようにもう1度、頑張るから」
もう1度。
絞り出された言葉に、梓はすぐに返事ができなかった。
梓がこの世界に来て1年ほどだが、美海はもう何年もこの世界で過ごしている。その間、挫けたことがあったのかもしれない。
(もしかしたら──違う)
梓は気がついて、すぐに首を振る。予想したり察したりして終わらせるのは、駄目だ。言えばいいと、美海も言っていた。そしてなによりもいま目の前にいるのだ。
「もちろんです、美海さん。一緒に戦ってくれるならすっごく心強いです。でもそのまえに……美海さんが答えられる範囲でいいので、美海さんのことを聞きたいです。この世界で過ごしてきた時間のこと、この世界に来る前のことだって」
分からない空白を勝手に埋めて終わらせるのは止めて、聞けばいい。
職業でも役割でもあなたでも彼女でもあの人でもなく、目の前にいて触れることさえできるのだから、名前を呼んで。
「美海さんのこと、教えて下さい」
微笑む梓に美海は息をのむ。
『んな顔してねーでふつーに聞けばいいじゃん』
笑う顔はまるで違うのに、思い出にいるトアと重なった。良いことも悪いことも起こした環境の変化が、またやってきたのだろうか。
(それなら、いま私ができることって──)
答えを探して固まっていたら、そっと手が握られる。
驚きのあまり大袈裟に身体が委縮してしまったが、触れた手はそのままだった。ちらりと梓を見てみれば、どちらが年上なのか分からなくなるほど穏やかに微笑んでいる。
『なにもできない子』
『悩んでばっかじゃ変わんないぜ?』
『なぜここにいるのかしら』
『美海さんのこと、教えて下さい』
美海は浮かぶ涙が零れないように唇を噛む。顔を消していても涙は見えるのだろうか。分からない。けれど、何故か代わりに梓が涙を頬に流したから笑うことにした。
「私は答えがほしかったの……望んだ答えじゃなくてもいいの。でも本当は、応えてくれる人が、ほしかったんだわ」
過去に浸って、脈絡なく浮かぶ独り言を続けるのはもう終わりだ。
一生懸命に美海の言葉を聞こうとする梓を見て美海の頬に涙が流れる。
「私の話を聞いてくれる?梓」
泣きながら微笑む美海に梓は満面の笑みを浮かべる。それは、シェントの話をしていたときと似ていて、美海は嬉しさに目元を和らげた。
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