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第二章:変わる、代わる
168.「あら、それってそんなに変なことかしら?」
しおりを挟む震えた声ではあるが、確かに梓を非難した美海に注目が集まる。白那と八重は手をとりあってビンタ事件の再来を頭に思い浮かべていて、莉瀬は一拍の間をおいたあと自分のお茶を手にもって八重のすぐ隣に移動した。
悲しいことに似た状況に免疫を持ってしまったのか、梓は驚きに目を瞬かせはしたものの、狼狽えるどころか穏やかに唇をつりあげた。その余裕ともとれる態度に美海の眉が寄る。その表情にヴィラを思い出した梓は困ったように微笑みを崩して。
「私は、梓とヴィラさんの関係のことをそんなに知らないわ。でも、あなたはヴィラさんに想われてることを知ってずっと悩んで、恋をしているかもって悩んで……その関係を受け入れようともしていたじゃない。この世界のことを知ろうとするようになったのは、ヴィラさんだってその理由のひとつだったはずでしょう?それなのにそんな酷い言い方」
美海の話に梓は3人でした恋バナを思い出す。複数ありきの関係が当たり前のこの世界の常識についていけず、不誠実だと思うのに、恋をしてしまった。その悩みを聞いてもらった、奇妙で、けれど楽しかった時間。
「……確かに酷い言い方ですが、自分勝手だったぶんはっきりと言わなきゃいけないと思いましたし、関係を持つ気がないのに中途半端に関わるのは無責任だと思ってます」
「無責任?思わせぶりなことをするのも無責任じゃない」
「私なりに向き合いましたがそれをどうとるかは相手によるものですし……お互い都合よく解釈したんですからお互いさまです。……もうお互い譲るつもりがないから、否定し続けるか妥協するしかなくて……私は否定することを選びましたから、酷いと言われても変えません」
「お互いさまって……妥協?」
自分は悪くないともとれる梓の言い分に美海は低い声を出してしまう。空気がピリリと張り詰めて、野次馬していた莉瀬はお茶を飲むことに徹し始めた。
それが分かりつつも、美海は梓から視線をそらすことができなかった。
梓と関わってきた時間のおかげで、梓が自分を守る言葉を使うのが下手だということは分かっている。それに壁を作っていたときでさえ何かあれば真面目に向き合っていた子だ。この世界に向き合うと決めたいまは、真正面から問題にぶつかる不器用な方法しか選べない。もっとやりようはあるように思うが、それでも梓はそれしかできないのだろう。分かっている。それなのに許せないと思うのは。
「あら、それってそんなに変なことかしら?」
「「え?」」
突如割り込んできた声に梓と美海は目が覚めたように瞬く。空気を壊した八重は言葉通り不思議そうな顔をしていて、美海を見ると何をそんなに深刻に話しているのか分からないとでも言いたげに微笑んだ。
「相手の心が読めるエスパー?とかじゃないんだし、喋らなきゃ分からないじゃない。喋っても分からないことなんて山ほどあるし、そもそも自分に都合いいことしか覚えてないもんでしょう?思い込んでるなんて思わないぐらい当たり前に思い込んでるもんでしょうし。それにみんな自分が可愛いんだから、結局自分の都合いいように解釈するものでしょう?」
「確かにー。っていうか、同じ日本人でも方言とかで何言ってるか分かんないことあるんだし、話しても分かんないことなんて普通にあるよね。でも適当にこういうことかなーって勝手に思うじゃん?」
「微妙にニュアンスは違うけれど、そうよねえ。それに……ふふっ。恋がなにかなんて考えるような初心な子が愛してるって言われてテンパるなんて当たり前じゃない!舞い上がっちゃったり不安になったりするもんでしょう?それとも美海は日本人じゃないどころかイケメンの外人に好きだの愛してるだの言われて適当に流せるのかしら?」
「まず男性と話すのが無理です」
「あはは!」
「即答!」
美海の返事に八重と白那はお腹をおさえて笑い出す。
馬鹿にしているわけではないと分かるが、笑い過ぎのように思う。
不貞腐れる美海に味方する莉瀬と梓は冷ややかに2人を見ていた。これもまた、なぜか居心地が悪い。目尻に涙を浮かべながらも、話を進めようと口を開いた八重に感謝を思ってしまうぐらいには、どうしたらいいか分からなくなってしまう。
「そ、そうね。あと梓ちゃんはもうちょっと自分に優しくしてもいいと思うわよ?これも場数踏まなきゃできるわけないんだけれど……わざわざそんな悪役買わなくてもいいんじゃないかしら」
「悪い女になるんですし、自分がすることをどう思われても頑張るだけです」
「あー!なるほど悪い女ってそういうことね。これは樹の怖いところがでたなあ」
「見てて怖いわねえ。でも飽きなくていいわあ」
悪い女。つい先日、梓が宣言した言葉だ。
美海は白那と同じように意味を理解してしまって、怒っていた気持ちが萎えてしまった。代わりに沸くのは空しい気持ちだ。美海が馬鹿な話だと諦めて風化させた感情を、梓は誰に何を言われようが、それこそ悪い女だと非難されても構わないと腹を決めていたのだ。それでも。
「それでも、ヴィラさんが可哀想よ。恋人って、言ったんでしょう?無責任よ……」
「ちゃんと振るのも責任だと思うけど?」
はっとして美海が顔をあげれば、白那と目が合った。美海の言葉を否定しているのに、なぜか助け舟をだすときと同じ表情をしている。
「期待持たせたから責任もって付き合うほうがおかしいでしょ。まあ私としては試しにヤッてからでもいいんじゃね?って思うけどなあ。案外それでわだかまりとれるときあるし」
「人にもよるよね、それ」
「あーね、甘い蜜を知ったらからもう絶対に離さないってパターンもありえるからね」
「……」
「やだあ。白那はともかく梓も大人になったのねえ」
悪い女が眉を寄せたかと思うと顔を赤くして縮こまっていく。どうやらまだまだ思い通りにいかないらしい。八重と白那に素晴らしいおもちゃを与えてしまったことに気がつくと、喋らなくなってしまった。
「でも0か100かみたいなところがちょっと心配だわ」
「確かに。もうちょっと八重さんみたいな大人の余裕がほしい感じ?」
「それならたくさん経験しないと無理に決まってるじゃない!ああでも勿論、恋愛のことで余裕持ちたいなら恋愛の経験積まなきゃよ?じゃなきゃ自分がどんな男がタイプかさえ分からないわよ」
「つまりヤッてから言えってことで」
「身体の相性は大事よ」
ハイタッチする八重と白那に、梓と莉瀬は冷ややかな表情だ。きっとメイドも似た表情をしているだろう。
(それなら私は)
そう考えて美海は自嘲した。なにもない。きっともう魔法が発動してすべてを無くしてくれている。それに気がついているから、白那たちはこうやって明るく話しているのだろう。梓でさえ気遣っているのかもしれない。なにせ美海を見た梓は悩むように天井を見上げたあと、悩むように顔をくしゃりと歪めた。そして咳払い1つすると、言葉を選びながら会話を絞り出す。
「その話はともかく……恋愛ってこの歳までまともにしたことがなかったので、たくさん……本当にたくさん、振り回されました。自分が自分じゃない感じになりましたし、思い通りにならないことにずっと馬鹿みたいなにあたふたしてました。だからその、だれかれ構わずその、するっていうのはおいといて、色んな人と恋愛するっていうのは、八重さんのいうように分かることが沢山ありました」
「で?どんな男がタイプ?」
合いの手をいれる白那に気が抜けてしまったのか梓の表情が崩れる。そんな2人のやりとりを見ていると本当に仲がいいのだとよく分かる。
「そこは前と変わらず話を聞いてくれる人とかご飯美味しいって言ってくれる人だけど、これからを一緒に生きていく人はまた、ちょっと変わるでしょ?」
「あはは!まあ、恋人と夫ってなったら条件変わるよね。でも複数ありきなんだしそこまで考える必要ある?」
「私はあると思う。これからを一緒に生きていくのなら支え合って生きていけるぐらい、一緒に悩んで、安心する時間がもてて、認め合える人じゃないと私は無理」
恋人、夫。
遠い世界の言葉に美海は言葉なく笑う。そんなものを持つ自分の姿が想像できなかった──ありえない。
(誰も……それに私も、必要としていない)
ああけれど足元に転がっていた扇子を拾えるぐらいには、落ち着きを取り戻せた。自分には関係のない世界だと思い知れば余裕ができる。馬鹿な女になれる。
扇子をあおいで、柔らかい風。思い出は心を慰めるだけのものでいい。
「そうねえ。誰からも好かれるなんてないように、好いてくれた人すべてに同じような好意を持つこともできないものだから……ね」
「うわー八重さんってなんでもかんでも突っ込みにくい話になって──わわっ!痛い痛い!ごめんなさい!」
「とにかく、比較できるようになったのはいいことなんじゃないのかしら」
比較。
嫌な言葉につい八重を見てしまえば、見逃さなかった八重の瞳がまっすぐに美海を見た。言い訳を許さない、楽しそうな瞳。いつもいつもそうだ。自信満々で、こんな世界でも楽しむだけでなく人の気持ちを踏み歩いて──羨ましい。
「美海も莉瀬もいろんな男と恋愛しなさいよ。比較するのって悪いことじゃないわよ?梓だって夫にしたいぐらい大好きなシェントができたからこそ、ちゃーんと冷静に考えられるようになったんだから」
「言い方はどうかと思いますが、確かに、シェントさんとのこともあって沢山の区切りがつきました」
「だからいいからヤレばって感じなんだけど……ま、いいや」
「私はテイルだけでいいもの」
「こういうのってキッカケだからなあ」
突然名指しされた莉瀬は狼狽えていたが咳払いしたあとお決まりの台詞を言った。軽く受け流す白那と比べれば、きっと、こういうことなのだろう。
言葉を覚える勉強のように、恋愛だって経験を積み重ねていけば、こうして気負うことなく流せることが増えていくはずだ。なにを問題にするのかしないのかが分かって、馬鹿なことで悩まなくなって、本当に必要なところで時間をさけるようになる。
ああでもそれでもだってと思ってしまうのは、つまるところお互い様で。
「キッカケ……キッカケだからなあ、うん……もういいや。樹!この機会逃したらもうなさそうな気がするし言うけどさ!私……まあ、樹がいうところの責任は私なりに果たしたし?だからまあぶっちゃけるけど?」
「え、なに?そんな前置きするの珍しすぎて怖い」
「ヴィラのこと奪うよ?」
「……うばう?……ああ、奪う!えっ!」
全て自分の思う通りにはならないものだ。思い描く幸せな結末が合って、お決まりの展開があって、イレギュラーは起きない。
そんなのはありえない。現実はそういうものだ。
(自分の都合いいように解釈していたことって、私にもあったのかしら)
思い描く幸せな結末を辿ることもあれば、お決まり通りにはいかず、イレギュラーばかり起きることだってある。
「白那ってヴィラさんのこと好きだったの!?」
「ぶっちゃけ最初に見たときから狙ってた」
「最初から!?えっ、うわ……いや、私がなにか言うことじゃないから。私が許可出すとかおかしいでしょ」
「それはそうなんだけどさーほら、樹と喧嘩したとき私アンタのこと『友達の男とるタイプ』とか言ったじゃん?どの口がって感じじゃない?」
「いやいやいやそんなこと別にいいから!友達だから私の好きな男とるなとか言わないからね?!しかも自分が振った男の人にって……キープ発言とかしない……あ、でも私そういうことしてたんだよね……」
なにを思い返したのか遠い目をした梓が落ち込んで暗い笑みを浮かべる。
分からない。
美海は胸のなか轟いていた暗い気持ちがうやむやどころか、衝撃的な話にかき消されて呆然とする。
会話の内容から察することはできるが、理解できない会話だった。それに恋バナをしたとき白那はヴィラと梓の関係を楽しんでいたはずだ。それなのに実際は違ったらしい。それなら今までのはどういうことだろう。
分からない。
友達と話す梓の姿は普段と比べれば普通の女子高生のようで、それもまた不思議な姿に見えた。いつもフォローにまわって明るく笑う白那が慌てているのも、おかしな感じがする
美海は目の前に起きた知らない世界に途方に暮れてしまう。莉瀬は同じ顔をしていたが、その隣にいる八重は楽しそうな笑みを浮かべながらお茶を飲んでいた。大笑いして会話に参加しそうものなのに、不思議だ。
分からない。
梓と白那はまだ仲良く話していて。
「いやいやいや落ち込まれても困るんだけど」
「私も困るし、ぶっちゃけ私に言わずに動いてほしかった。この、いまのこの妙な気持ちをどうしたらいいのか」
「マジ?あーよかったー。私ずっとそんな感じだったんだよねえ。道連れ増えてラッキー」
「うわ、確信犯」
「あはは!ってことでこれから心置きなく奪うから!」
「だからそれ私に言うことじゃないから」
笑い合ってこんな話をしている2人が理解できなくて──笑ってしまう自分のことが分からない。
同じように声なく笑っていた八重と目が合えば、優しさ感じる笑みが返ってきた。目が合うたびすぐ逸らしていたから気がつかなかったが、きつい印象に思っていた赤い唇は、シンプルに八重に似合っていた。華やかに飾り立てる赤は落ち着きをもって微笑む八重を魅力的にしている。
(私……久しぶりに八重さんの顔をちゃんと見たわ)
そんなことに気がついて、落ち込んでしまった。それなのに何故落ち込んでしまうのか分からない。馬鹿な話と片づけたことを、終わらせられない理由が分からない。
分からない。
この世界にいるだけでいいと割り切れない自分の気持ちを──
『それならたくさん経験しないと無理に決まってるじゃない!』
──分かるのだろうか。
梓のようにこの世界に関心を向けていけば、分からない答えが、分かるのだろうか。
(妥協を止めてあがけば、私でも少しは)
妥協。梓の言葉に棘を感じたのは、自分がそうしてきたせいだ。
表情が歪むのを自覚しながら美海は扇子に視線を落とす。扇子を形作る美しい羽根を撫でれば、柔かな感触。
『アンタはいっつもそんなことばっか言う。馬鹿なことで悩んでばっかじゃん』
この世界に来たころ諦めた沢山の出来事を、見放した自分のことを、少しでも取り戻せるだろうか。
『だからそんな不細工な顔になんだよ。んな顔してねーでふつーに聞けばいいじゃん』
分からない。
あの日のお礼を言ったら、あの子は驚くだろうか。
(だからそれを言えって言われそう)
想像したとたん心が何か幸せなもので満たされたが、美海は静かに首を振った。
この思い出は心を慰めるだけのものでいい。これからを、この世界で生きていくこれからのためにずっと大事にしておきたい。
『悩んでばっかじゃ変わんないぜ?』
思い出す言葉に美海は小さく頷く。
あのとき背中を押した言葉は、環境を一変させた。それはいいことも悪いこともあったけれど、必要なことだった。そして今できることは何か、分かっている。
「梓」
呼びかければ、賑やかに白那と話していた梓が振り返って、嬉しそうに表情を緩めた。
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