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第二章:変わる、代わる
148.だいじょうぶ
しおりを挟む渇いた音は気持ちいいほど花の間に響き渡って観客を沸かせた。突然の出来事に純粋に悲鳴をあげたものは1人で、麗巳を除いた他はスポーツ観戦でもしているような興奮ぶりだ。それぞれを応援する声は、焦りつつも見守ろうと言う声に我を取り戻して黙り始めたが、その目は興味津々に莉瀬と梓を見ている。
(メイドさんに申し訳ないな……)
あまりの衝撃に床に倒れていた梓はそんな光景をいやに冷静に見ていて、始終おろおろと困り果てているメイドに心の中で謝罪した。
「あなた、あなたのせいで私……っ!ううっ」
言葉を続けられない莉瀬は梓を憎々し気に見下ろす。ボタボタ落ちる涙はいつまでも止まらなくて、ときどき聞こえる言葉になり切れなかった呟きは恨みを多分に含んでいた。
デジャヴを感じてすぐに答えが分かった梓は笑ってしまいそうになる。泣いて怒った千佳の恨み言が聞こえてくる。思えば千佳からも平手打ちをされたことがある。そして異性関係のことで喧嘩し、泣かせてしまった。
(私ってとっくに最低だったんだ)
良い人じゃないと言いつつも良い人でいたかったのだろう。それが分かって今度こそ笑ってしまう。
当然莉瀬の怒りを買うが、立ち上がった梓が怯えたようすもなく莉瀬を見据えたことで2発目を食らうことはなかった。できればこのまま次がないようにしたい。梓は血の滲む唇をぺろりと舐める。
「いま莉瀬さんはテイルと一緒に過ごしているんですよね。テイルに伝言を頼めますか」
「……は?」
「会って話がしたい。朝、前と同じ時間帯で走ってるから……以上です。お願いします」
「なにを言っているの?あなたテイルに会いたいって、会いにこいって言っているの……?あなた、テイルを裏切っておいてなにを」
「なにを裏切ったとするかは分かりませんが「ふざけないで」
怒りのあまり低く笑った莉瀬が握り締めた拳を震わせる。
(本当にテイルのことが好きでしょうがないんだ)
素直に伝わってくる感情に梓も表情を歪めた。譲れないのは同じだ。
「私に……っ!テイルに命令までさせてあなた、仲介しろってなんで、なんでそんな酷いことができるの……!?テイルは……あなたを選んだんじゃない!あなただけがいいって!それなのになんであなたはテイルを突き放したのよ!?あなたが傷つく権利なんてどこにもないわ!それで会いにこい!?最低……最低女っ!」
テイルの様子を不審に思った莉瀬は命令して梓との件を聞き出したらしい。好いた男からは聞きたくなかった内容だろう。梓を責める言葉はついに泣き声に消えていく。
その背をさするのは困ったように微笑む八重だ。美海と麗巳は事情を察して無言を選んでいるが表情は真逆だ。白那はバツが悪そうな顔をしていて梓と目が合うと八重と同じ表情をした。
「さい、っていよ」
「そうですね。莉瀬さん、伝言をお願いしました」
「まだっ、まだ言うの?テイルがどれだけ傷ついたのか、テイルはあなたのことが」
「はい。だからちゃんと話をしようと思います」
「あなたがテイルと話す権利なんてない!」
「だとしてもこれは私とテイルの問題です」
冷たく言い切る梓に莉瀬は呆然として、ポロリと涙を流す。
梓の頬は平手打ちされたほうが痛々しいほど赤くなっていて、唇には血まで滲んでいる。それなのに莉瀬と違って泣きもせずただ淡々と話し続ける気味の悪い最低な女。それでもテイルはこの女が好きで──そう思った瞬間、莉瀬はもう言葉が見つからなくなってしまった。
『俺はあいつが欲しかったんだ……手に入れたと思ったのに結局駄目で……泣かせた』
いつも明るく莉瀬を笑わせるテイルとはまるで違う声が聞こえてくる。命令は残酷だ。テイルの作り話ではない。
(私もそんなふうに想ってほしかった、見てほしかった)
そう想われていると思えていた日はもう戻らない。
この世界でもまたひとりぼっちになるのだ。王子様なんていやしない。これからは昔よりも最悪だ。惨めな気持ちを味わいながら微笑まなければならない。
「ほんと、悲しいお話ねえ。でも本当に……私はあなたたちが羨ましいわ。素直に好きになって恋してそんなに誰かにふりまわされて」
からかうような言い方だが八重は寂しげに笑う。
そして、メイドにおしぼりを頼むとひとつを梓に投げ渡した。
「言いたいことは済んだんでしょう?莉瀬ももう済んだだろうし、今日はこれぐらいでお開きになさい」
「……」
「はいはーい!それじゃ私がこっちに付き添いまーす!ついでに置物になってるこの2人も引き受けまーす!」
「ええ!?いえ私は遠慮するわ!?」
「……」
「頑張りなさい」
率先して動き始めた白那に八重は微笑む。ドレスを踏まないようにしつつも慌ただしく美海と麗巳を引っ張る白那は「頑張りまーす!」と明るく応えて成り行きを見ていた梓の前に立った。前に話していた女子会が早くも実現するらしい。梓が苦笑してポケットから鍵を取り出せば、待ってましたと笑う顔が先に行ってしまった。
「大丈夫、大丈夫よ」
しゃくりあがる悲しい声に優しい声が重なる。八重は縋りついてくる莉瀬をしたいようにさせ、ただ、頭を撫でていた。大丈夫、大丈夫。たったそれだけの言葉にどれだけ救われるかを梓は知っている。
『大丈夫よ、梓』
ふいに懐かしい母の声を思い出して梓は胸が震える。急に泣きたくなって、梓は2人に無言でお辞儀したあと振り切るように扉の前で待っているだろう白那たちのもとへと移動する。
「大丈夫、ここで起きたことはすべて夢になるわ」
優しい声が花の間に溶けていく。
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