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第二章:変わる、代わる

130.「だから、あなたは」

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嬉しさに泣く心は触れる身体に温められてゆるんでいく。幸せで、温かくて、安心して……暗くなっていく視界をもったいなく思ってしまう。

「傍にいますから、眠ってください」

身体に響く優しい声に安心して、でもと名残惜しくて。

「梓」

甘い音。嬉しくてきゅうっと震える心のままシェントを呼ぼうとしたら強く抱きしめられてしまう。おかげで照れた口はなにもいえず緩むばかりで、幸せな気持ちに包まれていたらおやすみなさいと笑う声。また梓と呼ぶ声が聞こえたとき、今度こそ安心しきって梓は暗い視界に身を委ねた。怖いことも心乱されることも何もない安全な場所、幸せな場所、
『ここは秘密の場所だからね?』
秘密の場所。

──秘密って?

楽しそうな声が聞こえた気がして目を開ければ、薄暗い視界のなか見えてきたのは誰かの服。ドキリとして、けれど身体を包んだままの温かさに口が緩んでいく。
──シェントさん。
布団から顔をだせば眩しい光が目に飛び込んできた。追ってみれば窓の外がいつのまにか朝に姿を変えていて輝く太陽がある。
ぼおっとしながらゆっくり身体を起こせば、閉じた瞼を見つけた。どうやらシェントは梓を抱きしめたまま眠ってしまったようだ。
──ずっと一緒にいてくれたんだ。
それがなにかとても嬉しくて、眠りにつく前と同じように梓の口が緩んでいく。静かな寝息が聞こえる。以前過ごしたシェントとのひと月の間、思えば寝顔を見た記憶はない。お互いに背中を向けてベッドで眠った日が遠い昔のように思えた。
金色の髪がキラキラ、きらきら。頬を隠している金色の髪に触れてみれば黒い瞳に見つかって。

「よく眠れましたか?」
「……はい」

微笑む顔につられるも心臓がドクドク分かりやすく照れ始めてしまって、ああ、でも、いいのだ。抱きしめられて聞こえた同じような心臓の音に唇が嬉しさで震える。抱きしめ返せば頭に口づけたシェントが梓と呼んで、クラクラする幸せに酔ってしまいそうだ。お互いの存在を一番近くで感じながら、ずっと、このまま。

「あなたに話したいことがあります」
「……私も、聞きたいことがあります」

手放しで幸せに溺れることができたらどんなにいいだろう。きっと幸せだ。分かるのに、梓もシェントもベッドからおりる。
けれどお互いを見て微笑み合った2人は、触れた指を絡めあうだけでじゅうぶん幸せで。

「長い話になるでしょうから先に食事にしましょう」
「あ、嬉しいです。すごくお腹が空きました」
「では準備しておきますので、これを」
「服……?」

手伝うと言いかけて、梓はここが自分の部屋ではなくシェントの部屋だったことを思い出す。そして渡された黒い服は間違いなくシェントのもので

「っ」

梓の首に触れた手が、そのまま、肩に滑る。

「少し冷えていますから湯浴みされますか?」

シェントの体温にシーツで隠していただけの身体を思い出してしまって、言葉をなくした梓は渡された服で身体を隠すようにして俯く。手は、離れない。恥ずかしいとしか思わない心は落ち着かなく動いて、魔法で消えたはずの愛液の感触を思い出してしまう。

「お言葉に甘えます……っ」
「どうぞ」

声を絞り出す梓は分かりやすく意識していて、シェントの顔を見ることができず案内にひかれる手のままに動くだけ。おかげでだらしないほど幸せに表情緩めるシェントの顔を梓は知らない。
ただただドキドキ鳴る心臓の音にくらくらクラクラ。大きな手にドキリとして、笑う声に案内された浴室にドキリとして、ドアを閉める前に見たシェントにドキリとして、ああもう、なんだってこんな。

「私ってエッチだったんだ……っ」

蹲って呟けば恥ずかしさはさらに募って鏡に映る自分の姿にますます狼狽えてしまう。かと思えばトイレがあることにホッとして、お腹が空いてたまらないことに呆れてしまう。
シーツをとれば、見慣れた自分の裸。テイルと過ごした時間の名残はもうない。それでも、身体も心も覚えている。それでも、なにも変わらない。
触れることのできる自分の手を見て梓は困ったように微笑む。


「これが、私」


どうせなら図太くなってやろうと唇つりあげてみたら思いのほか情けない顔が出来上がっておかしさがこみ上げる。その顔は自分ながら結構好きな顔で、そんなことを思った梓はついににんまり笑みを浮かべた。シャワーを浴びて肩まで湯船につかれば気持ちはさらにスッキリして、けれど、着替えに渡された服を改めて手に持ったとき打ちのめされる。黒い長袖とズボン。
──これっていわゆる彼シャツ状態…っ。
長袖だけでチュニックとして代用できるものになったが、この状態でシェントの場所に戻る勇気がでず梓はズボンも履いておく。だからシェントは長さが合わないのは百も承知でズボンも用意したのだろう。むず痒い気持ちになりながらゴム紐を結んで、ふと、違和感。
──本当に、元の世界と同じものがたくさんある。
黒い長袖にゴム紐がついたズボン。梓も元の世界で似たようなものをパジャマの代わりや運動着としてよく使っていた。辺りを見渡せば鏡のついた大きな洗面台。水がでる蛇口や石鹸もあるうえ、風呂場に続くドアも、マットも、タオルもある。
──ここだけ見たら異世界に来たなんて思えない。
この世界に来てから当たり前に用意される食事や衣服だってそうだ。クーラーなどは元の世界のものと形は違えど性能はほとんど同じ。神子の要望に応えるためだとしても、本を作る技術があっても魔物のせいで本を作ることができないという話を思い出せば、なぜ、こんなにも沢山のものが当たり前にあるのだろう。
──城下町の賑わいをつくる商人や傭兵が流通を作ってるにしても、おかしい。
他国はいったいどんな状況なのだろうか。ペーリッシュと同じかそれ以上の豊かさがある国なら技術者を雇ってこれらのものを作れるのかもしれないが、神子に召喚や神というこの世界ならではの常識が浸透するほど脅威となっている魔物の存在を考えればすべての国が豊かなものとは考えにくい。
『もういない』
そもそも、この国には王さえいない。


「お待たせしま……紅茶」
「……ちょうど淹れたところですよ」


部屋に戻ってすぐ、紅茶をカップに注ぐシェントを見つけて近寄れば甘い苺の香りがした。机を見ればパンの横に蓋があいた苺のジャム瓶を見つけて梓の口元が緩んでいく。

「ありがとうございます」
「喜んでくださって嬉しいです」

甘いあまい時間。
いただきますと手を合わせて食事を楽しんでそういえばと会話を楽しんで……温かい紅茶をこくりと飲み込んで。
静かな時間。
俯いていた梓が顔を起こせばすぐに黒い瞳を見つけて。


「方法は知っていますか?」


シェントの問いかけに梓は頷く。それでもすぐに口にできなかったのは抵抗があったからだろう。それでも、知ってほしいと、話したいことがあると言ったシェントの言葉を信じて口にした。

「あなたが話せることを話してください。これは命令です」

緊張に握った手は汗をかいてしまっている。それなのに目の前に座るシェントは困ったように微笑んでいて、もしかしてこの言いかたでは駄目だったのかと思い再び命令と言いかけるが、デジャヴに梓は眉を寄せる。


「だから、あなたは悩むんでしょうね」


だから、あなたは。
またもや感じるデジャヴに思い出したヤトラにドキリとして、すぐに蓋をする。シェントとヤトラは同じではない。
表情を固くする梓にシェントは微笑んだ。

「すべてを話せと命じれば、あなたは知りたいことも知りたくないこともすべて知ることができるでしょうに、あなたは言わない。話そうとしてくれて意思を尊重してくれる……私たちは……神が降臨した日より前の神子に対してそうではなかった」

梓を見て愛しさに目を細めていたシェントが言葉を詰まらせる。
そのまま視線をおとしたものの、長く息を吐き出したあとは歪めた笑みを浮かべて梓を見た。




「ここは神の祝福を受けた王都ペーリッシュ……そして神に見放された国です」








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