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第二章:変わる、代わる
119.「あなたが」
しおりを挟むヤトラとのひと月が終わって数日。
ひとりきりの昼食を終えた梓は熱い紅茶のはいったカップで手を温めながら窓の外を眺める。綺麗な景色の夢を見たいと思っているはずなのに、最近あの夢を見ることはない。矛盾した感情が心のなかドロドロと渦巻いてはいるが、ていのいい言葉を並べつつも本心ははっきりとしているらしい。
──私は自分に都合のいいことだけ知りたかったんだな。
もっといえばこの世界の人に惹かれたのはお互いの思い違いで、過去の神子に関する予想が間違いで、千佳とアラストが話し合って互いの気持ちが通じ合える道があって、ヤトラのような人ばかりの世界であればよかった。そうであることを望んで、都合のいいところだけ聞いてそれなら大丈夫だと安心したかったのだろう。
──この世界で生きていくならとか、前に進むならとか言っておきながら……ルトさんの言うとおりだ。
『多くの者が隠してきたことを暴こうとするわりにお前は無傷でいたいらしい』
ガリガリと心臓に爪をたてる声が消えない。
梓はカップを机において口を覆う。声がもれてしまうほど嗤えてしょうがなかった。ルトの安否はまだ確認できておらず、城下町にでることも、それどころか自室からほとんど外に出ていない。できたことは悲劇のヒロインのように悲しんで落ち込んでわめいて人を傷つけ巻き込んだだけだ。静かな部屋で外を眺めてぼんやりと過ごしながらこれまでのことを振り返れば、なるほど、確かに魔力しか価値がないと情けなくなる。
「こんにちは、樹」
ノックがして聞こえてきたのはシェントの声だ。以前と違ってドアの前で立ち尽くすことなく部屋に入ってきたシェントは、固い表情の梓をみてすこし首を傾げたが、今日も紅茶を楽しんでいるのが分かって口元に笑みが浮かぶ。
梓も唇をつりあげて、シェントを見上げた。
「こんにちは、シェントさん」
「お久しぶりです。今から討伐にでるのですが、そのまえに時間ができたので少し挨拶ができればと思いまして……どうかされましたか?」
討伐の言葉に怯えるように身体を強張らせた梓に気がついてシェントは眉を寄せる。それに気がついて身をそらせてしまった梓は自分の感情を押し殺せず隠す事もできない自分を苦々しく思ってしまう。
魔物──そのせいで召喚が始まった──神なる技、魔法──恵みをもたらす神子──再利用──子供──シェントさんは。
『……シェント様も王家の人間ですがヴィラ様と同じように王位を放棄して神官になりました。王位を放棄したのはお二人とも12年前神が降臨なさったときです』
『私は二十二歳ですよ。ちなみにヴィラとフランは二十歳で、最年少は十七歳、最年長は二十八歳』
12年前、シェントは10歳だ。15歳から成人ということを考えればその可能性は低いだろう。そのとき聖騎士だったのは15歳のイール。
『麗巳さんはイールさんのことがお気に入りみたいですよ』
『な、なにを急に……それは意味合いが違うだろう。それに私とあの人に身体の関係はない』
12年前殺された聖騎士たちと比べれば、イールが生きているのはそうではなかったからだろう。けれどなぜシェントとヴィラは王位を放棄したのだろうか。王を殺した麗巳によってそうせざるをえなかったのだろうか。
『これは俺の罪滅ぼしだ……許されたいとは思っていないがな』
それとも、加害者ゆえの罪の意識でそうしたのだろうか。
「シェントさんはなんで王位を放棄して神官になったんですか」
「っ」
呟かれた言葉にシェントは目を見開くが、シェントよりも質問をした梓のほうが驚いた表情をしていた。違うと首をふり、謝罪を口にし涙を浮かべた梓はそのまま俯いて。
──何故。
なにかを知って、傷つき泣く梓にシェントは言葉を失ってしまう。ヤトラから梓がルールの存在を知っているらしいという話を聞いて誰から聞いたのだと耳を疑ったものだが、何故、それに縛られて梓は泣くのだろう。まるで梓がルールという魔法をかけられているようだ。ルールを知っているというのなら、梓の性格を考えればそれを話した人物から聞いてしまったことを悔やんでいるのだろう。けれど、分からない。
「何故あなたが泣くのでしょう。それは私たちが背負う罪です……少しだけ待っていただけますか?準備をしてきます。そのあと、すべてをお話しますから」
「死んだあとの準備でもしようとしているんだったら止めてください」
梓の口から出た死という言葉にドキリとして、誰かもきっとそうだったのだろうと分かってしまう。シェントは困りつつも緩んでしまう口に誰かもそうだったのだろうかと思いを馳せた。
「許されない、ですか?シェントさんは」
梓らしくない歪んだ笑みだ。自分を嗤うかのような表情が涙に濡れてますます笑みを深める。
シェントさんは。
その続きが分かってシェントは首を振ろうとしたが、思いとどまって代わりに笑みを作る。その顔は梓とよく似たもので。
「私は……知りもせずぬくぬくとこの城で生きていたんです。隣に地獄があることを知りもせず、無邪気に、彼女たちに話しかけていた。私たちは、私は──許されるべきではない」
神が降臨した日の出来事はいまも鮮明に思い出すことができる。訓練から抜け出して笑っていた。行ってはいけないといわれていた場所へ向かいながら見つからなければいいと呑気に話していて……親しかった者たちが魔物だったことを知った。その血が流れていることをおぞましく思い、無知だった自分が踏みにじったものを知って恐ろしくなった。
──だからあの日、城で死んでいった魔物たちを見て悲しむよりも次は自分の番だと、償うべきなのだと……そう思ったのに。
それなのに、梓が泣いている。シェントは見上げてくる梓を見てどうしたらいいか分からなくなってしまう。続けた召喚の罪を背負うべきはこの世界の住民だ。大切なものをすべて奪われこの世界のために浚われた梓は被害者だ。
梓が自分を責めて泣くのが、分からない。
「あなたは、10歳の子供だった」
「それは言い訳です。幼くとも私は王家の人間で力があったのにあの場にいてなにも知らず、知ろうともしなかった……申し訳ありません。私は召喚を消してしまうことさえできなかった。ならば生きるため召喚を続けるのだと決めた日、私は罪を背負うと決めたんです……。樹。あなたは私たちに浚われたんですよ。あなたが自分を責める理由はどこにもない」
──分からない。
泣く梓を見てシェントが困り果てている。それは分かるのに涙が止まらない。罪。命が関わるというのにシェントはルトのように梓に話すことを選んでいる。自分の死が関わるルールの詳細を話さず、梓が自分を責める理由はないと言って。
──私、どうしたいんだろう。
無性に会いたい母はいない。もう会えない。好き、嫌い、ルール、嘘、見栄、内緒、好き、許されない。ぐるぐる、ぐるぐる。ああ、悲劇のヒロインに酔って、ああ、可哀想。
──なにが?
自分が怖くなるほど残酷な気持ちになって人を怒ったり恨んだり……死んでしまう可能性があるのを知っているのに聞き出した。笑っていた顔、嬉しかった言葉。話していくうちにその人の姿が見えていって、思い込みで人を見ていたことを知った。仲良くなれて、将来まで考える人もできて、触れて。
──ぜんぶ嘘?
涙があふれて、ぼたぼた。
「シェントさん、勘違いしてます。私は……ただ自分が悲しいから泣いているだけです。ルールに縛られてる聖騎士とか酷いめに遭った麗巳さんたちのためじゃない。そんないい子じゃないもん。魔物に怯えてるこの世界の人たちにだって違う。人を浚って頼って……知りませんよ。私は、私はただ自分のことしか考えてないもん。優しくなんてないし酷いことばっかりしてる。私のせいで死んじゃうのが怖いからキスした。死んでほしくないけど、でもっ、やっぱりそれって自分のためだもん。そのせいで色んな人ふりまわして傷つけて……誰にでも」
「いつ、き……」
梓に手を伸ばしかけてやめた手が捕まる。縋るように握り締めてくる小さな手は両手でもシェントの片手を覆いつくすにいたらない。小さな力はそれで精一杯なのだろう。震える手はシェントが動かないのが分かって少し力を抜く。顔が見える。声を振り絞ろうと見上げた顔は泣きじゃくる子供で。
「樹」
手を動かせばふりほどかれると勘違いした梓がいやいやと首を振る。梓は傷ついて泣いて見ていられないほど悲しんでいる。ああ、それなのに、必死に手を握りしめる小さな手に触れれば泣いた顔がシェントばかりを見て。
梓と同じようにシェントも梓の手を握り締めながら床に片膝をつける。動く視線にあわせて落ちてきた涙が手に落ちて伝っていく。どうすれば、伝わるだろう。
──私は。
梓が泣いているのに微笑んでしまう顔は馬鹿正直だがきっと伝わらない。
「ねえ、シェントさんは神子だから、私のお願い聞いてくれるの?」
「樹……?」
ぽつりと落ちてくる言葉はふだんとは違い泣いて震えている。甘えるような言葉。舌っ足らずで、必死に、ふだん言わない言葉を絞り出していて。
きっと真面目に考えて落ち込んで傷ついている。
それなのにいつかと同じように胸に抱くのは少しではない優越感と喜びだ。頼ってくれている。微笑みに隠す気持ちを吐き出してくれている。
けれどもしかしたら、それはシェントでなくてよかったのかもしれない。
──分かっている。
「許されないって、罪滅ぼしのために……代わりに優しくしてくれたの?ジャム、くれたの嬉しかったです。私の好きなもの、知っててくれて、気遣ってくれたことが嬉しかった。ねえ、ぜんぶ神子のため?」
神子のため。
ルトのことを思い出してしまえば何も信じられなくなって、なにが嘘かも、自分の気持ちさえも分からなくなっていく。ぐちゃぐちゃな気持ちはベタベタまとわりついてきて呼吸をするのさえ苦しくなっていく。
『人から聞いた話を盲信して考えもしない奴は特に嫌いだ』
──知ってる。私も、そうだ。
それなのに縋ってしまって……けれど、それは悪いことなのだろうか。
「シェントさん……っ」
答えてほしくて叫ぶようにして名前を呼べば、震える手。拒絶される瞬間を思い出して身体を強張らせる梓に、震えた手は緊張しているように恐る恐る梓の手を握りなおした。黒い瞳。
「私は……あなたを神子として見ていましたよ、樹」
まっすぐに梓を見て告げられた言葉に心臓が姿を隠して、息がしづらくなる。泣き笑う梓はああそうだよねと納得して、そうだったんだと落胆する心はぐるぐる矛盾で曖昧でフラフラふらふら。やっぱりねと冷めた気持ちでこんなことを聞きたかったんじゃないと勝手に泣き出して。
けれど、何故だろう。
黒い瞳を見ていたら弧を描きだして、苦い言葉を吐き出した唇が優しい声で言葉を続ける。
「けれどあなたと過ごす短い時間はとても楽しくて、また始まるこのひと月がとても嬉しくて……愚かでしょう?ドアを開けるとき手が震えました。寝不足になりながら仕事を終わらせてきたのも早くあなたの顔が見たかったからです。樹。神子にではなく、あなたに会いたかったからです」
どうすれば伝わるだろう。
シェントは緊張に息をのんで、見下ろしてくる茶色の瞳を見返す。思い出す沢山のできごとが言葉を閉じ込めて責め立ててくるのに、それでも、手にある温もりに心が浮き立つ。泣きながら想いを吐き出す梓が可愛くてしょうがない。こんな世界でも生きようとしてくれる姿を尊敬している。利用でもいいからもっと頼ってほしかった。泣くような辛いことがあったとき何も知らずにいるより慰められるようにありたい。
──自分の立場を自覚していてもこのざまだ。
どうすれば伝わるだろう。
純粋に想う気持ちが、暗く淀んだ焦がれる気持ちが、甘やかして悲しませる一切のものから遠ざけてしまいたい気持ちが、見限って見捨ててほしい気持ちが、望んでほしいと想う気持ちが……どうすれば伝わるだろう。
──私は。
手に力をこめ、伝わることを願いながら茶色の瞳を見返す。落ちてくる涙、赤くなった目元、途切れがちに作られた名前がぽろぽろ落ちてきて。
シェントは神に祈るように、梓と出会った日にかけた魔法のときのように想いをこめた。
「あなたが愛しい」
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