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第二章:変わる、代わる
113.「答えなくて大丈夫ですよ」
しおりを挟む神や神子、聖騎士のことを考えるとセットで浮かぶのは魔法のことだ。神子が使える魔法がずいぶん限定的なことを考えれば魔法について理解を深めればなにか手掛かりになるかもしれない。
そう思ってヤトラに魔物や魔法のことについて話を聞いていた梓は耳を疑う話に声をひっくり返す。
「落ちた腕を治すっ、ですか??え?腕が落ちる……?」
「だ、大丈夫ですシェント様がいらっしゃいますから。人を生き返らせる以外のことは出来ると聞いています」
「いや、そうじゃなくて……え?生き返らせる以外は出来るって」
ヤトラは梓が腕を食いちぎる魔物の話に怯えたのかと思って焦っているが、梓は腕が落ちる非現実な話と、食いちぎられ落ちた腕をもとの状態に戻す魔法の存在に驚き疑っているだけだ。魔物は恐ろしいものというイメージがあるせいか人の腕を食いちぎると聞いてもそういうものかと思えるが、人を生き返らせる以外のことが可能な魔法はどうも理解ができず、逆に魔法のことを恐ろしく思ってしまう。
──神からの恵みとか奇跡って言われるのが分かる。
魔法のことも、魔法の源になる魔力のことさえいまだよく分からない。
「シェント様は凄いんですよ。唯一治癒魔法が使える方なんです」
「……治癒魔法って、傷を治す魔法ってことですよね。なんでシェントさん以外に使える人がいないんでしょうか」
「治癒魔法は会得が難しいものらしいです……そもそも魔法自体が男だとしても使える人もそうでない人もいるぐらいですからね」
「ヤトラさんはどんな魔法が使えるんですか?」
「私は風を操る魔法が得意なんです。ほら」
得意げに笑ったヤトラが指を動かすと部屋に風が起こって梓の髪を揺らす。いつだったかフランもみせてくれた魔法はやはり魔法の存在を実感させる、ワクワクするものだ。
「凄い、凄いですね。どうやって使えるようになったんですか?」
「これが正直よく分からないんです。ただ私は外で日向ぼっこをするのが好きで……それがイメージに繋がったのかなと勝手に思っています」
「イメージ」
腕を組んで唸るヤトラと同じように梓も首をひねる。
『俺の場合だと使えるようになれーって毎日考えてたら使えるようになったよ』
フランも似たようなことを言っていたが、果たして、使いたい魔法をイメージ、考え続けるだけで使えるようになるのだろうか。
『魔法は万能ではありません。神の力なれど気まぐれなもので、望みすべてを叶えるわけではないのです』
シェントは魔法を祈りのように話していた。どちらも魔法という道具を意識的に使っている。それも魔物を倒せ、というシンプルかつ曖昧な命令を出して使うのではなく、自身がイメージして形にしたものを使っているようだ。スイッチを押して使うような道具ではなく技術を要するものならば、そのために必要なものは明白だ。
「だから訓練してるんですね」
「はい。いざというときにすぐ使えるよう訓練は欠かせません。私は静かな場所が好きなんですが……そこで自分が使いたい魔法を考えて、身体にある魔力が滞らないよう流れを整えています」
「そうなんですね。正直後半はまったく分かりませんが」
クエスチョンマークを浮かべる梓にヤトラは噴き出して赤ワインを飲む。喉を潤す音がひとつ。考え込むように伏せられた視線が、悩み続ける梓を映した。
「樹様もしてみますか?」
「……!はい、してみたいです!」
前回はヤトラの瞑想を突っ込みづらい少々迷惑なものぐらいにしか思っていなかったが、梓は期待に目を輝かせて頷く。
──神子だって訓練すればいろいろ使えるかもしれない。
魔法が技術を要するものであるならば、技術を磨かず魔法を使っていても失敗して使えないのは当たり前だ。なにも神子だから魔法がすべて使えて当たり前であるはずがない。
「それでは少し、移動しましょうか」
お茶会を中断した梓たちはソファで横並びに座って目を閉じる。ふうっと息を吐けば緊張していたらしい肩の力がふにゃりと抜けたが、魔法のことを考えると口元がにんまりと吊り上がっていく。
──いろんな魔法が使えるようになったら……!
その先は明るいものばかりであふれている。
キッチンは気兼ねなく使えるし、魔物と遭遇しても身を守る術も得られ、この国を出て過ごすにあたって出る問題も魔法なら多くのことを助けてくれるだろう。
「楽な姿勢をとってなにも考えないようにするんです」
ヤトラの声が少し笑みを含んでいるのはなぜだろう。考えて、すぐに梓は首をふる。なにも考えないことは思いのほか難しい。
「息を吐いて、ゆっくり体をソファに預けてみてください」
穏やかな、優しい声が聞こえる。
──魔法の訓練っていうより寝かしつけてもらってるみたい。
ヤトラの声に耳を傾けながら言われたことを実践していたら眠気がとろりと脳に侵食してくる。膝掛までされたら頭に浮かぶのは眠いの一言。これでは駄目だ。いろんな魔法を使えるようになりたいのなら魔法の訓練に集中しなければならない。
──魔法が使えるようになったら。
その先は可能性にあふれている。
聖騎士たちにかけられたルールを解くことができるかもしれない。隠された秘密を暴く手段として使え、どうしようもなくなったいざというとき身を守る術にもなるだろう。
「樹様にとって魔法はどういうものですか?」
「どう……」
「答えなくて大丈夫ですよ」
優しく、静かな声。
梓は安心して言われたことをただ考える。魔法。梓にとっての魔法は最初に触れたときから今日に至るまでその姿は変わらない。
──魔法はワクワクするけど、怖い。
理解できない魔法を使えば自分だけではできないことや人の手ではできないことを実現してしまえる。それは驚きと感動を抱き、その力に恐怖を覚える。
魔法が使えるようになったら、その先は怖いものであふれている。
梓よりも先にこの世界にきて長い時間を過ごしてきた神子はどういう魔法が使えるだろう。魔法を磨き続けた神子がいたならそれはどんな効果を発揮するのだろう。この世界に来てからの違和感は関係しているのだろうか。
「あなたが思う大切なものは、譲れないものはなんですか」
それは、無くした。
けれどこの世界で、そう考えて蘇るのはたくさんの出来事。怒ることも泣くことも恥ずかしいこともあったが、嬉しいことも楽しいことも照れてしまうようなこともあった。得るものがあれば失うことがあるのはどこにいたって同じで、そのなかで変わらないのは出来事をみてきた自分自身。それでも、梓自身もたくさんの出来事でいろいろと変わって恋を知った。変わっていく。変わってしまう。
──でも。
それでも変わらないものがある。それは、譲れないものなんだろう。
救いのない自分がおかしかったのか梓の口元が緩む。身体はすっかりソファに沈んで穏やかな呼吸。たくさんの考えで埋まった頭は言葉が散り散りになって静かに消えていく。
『自分でなにもせず最初から人に頼るような奴は虫唾が走る。そのくせ非難ばかりは流暢な奴は一切関わりたいとは思えない』
そこに聞こえてきた非難の声は梓と似た考えを持つ人の声だ。考えて、考えて、ずっと考えてきた。どんなに考えても、導き出した答えを信じたくなくて見ないふりをしてきた。
──やっぱり、ルトさんに会いに行こう。指輪……ああそういえば鍵も……。
気持ちを整理した瞬間、ついに頭のなかは綺麗になにもなくなって意識が遠く、遠くに向かっていく。
「……そうやって使うんです」
ヤトラの静かな声が部屋にぽつりと落ちる。
落ちた膝掛をたたんだヤトラはそのまま1人食器の片づけを始めた。カチャリ、カチャリ。日が沈み暗くなっていく部屋を見たヤトラは諦めに微笑み、部屋を出た。
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