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第二章:変わる、代わる
110.「頑固だねえ樹ちゃん。まいどあり」
しおりを挟むヤトラがいなくなった部屋はしんと静かで梓は妙に落ち着かなくなった。聖騎士らしくなってしまった理由を考えて不安を覚えたことも一因だが、無事に帰ってくるのかと心配してしまった瞬間ドアばかり見てしまう。
──ヤトラさんには本当に失礼だけど不安。
理屈では大丈夫と分かっていても初心で無害なヤトラが魔物の群生地を潰したというより怪我をしたという知らせがすぐに頭に浮かんでしまう。
──この調子じゃ読書なんてできないし買い物にでも行こっかな。
メイドに護衛の兵士を頼もうと算段をつけて、ふと気がつく。梓が買い物に行くといえば大方ルトの店かジャムの店だ。買い物ついでに寄って今抱えている問題を解く手伝いをしてもらうのがいいんじゃないだろうか。麗巳とは相変わらず連絡がとれず白那や美海に話を聞くことができないとなれば、いまだルールに縛られているとはいえ元聖騎士の彼らからなにかヒントを得られるだろう。ルトに至っては作ってもらっている道具の進捗を聞きたいところだ。
それなのに二の足踏んでしまうのは最後に見た顔のせいだろう。
『魔力を寄越せ』
苛立ちのせた低い声に応えて触れた舌。ごくりと喉を鳴らして互いを見たあの瞬間を思い出す。身体を抱きしめた手はいつも冷たいのに熱くて──駄目だ、と梓は首を振る。
とてもじゃないが気まずくて行けない。好きなだけ魔力を使ってという殺し文句を自覚せず言ってしまったことを思い出せば、やはり、行けない。
かといってアラストがいるだろうジャムの店も二の足踏んでしまう。
『……俺が男として機能するか試してみる?』
唇を見ていた藍色の瞳を思い出す。唇をなぞる指の感触を、またねと微笑んだ顔を──駄目だ、と梓は強く首を振った。
となれば最後に浮かんだ場所はひとつだ。
「こんにちは、新商品のチーズパン買いに来ました」
「おー樹ちゃん待ってたよー」
壊れそうな音が鳴るドアを開けながら声をかければ窓越しに梓の来店が分かっていた店主がへらりと笑って出迎えてくれる。その手には小さく切られたパンが入った籠を持っている。
「ご希望の商品はあっち。でもまあその前に試食もできるけど?」
「試食したいです」
「そんなあなたにはいどうぞ」
籠ごと手渡されて梓は思わず店主を見るが、店主は接客をする気はないらしく頬杖しながらパンを食べている。ここにワインがあったとしてもこの店主だからなと梓は納得しただろう。
「もしかしてお昼ご飯時でした?」
「そうといえばそうかな?でもまあお得意様は優先しないとね」
「それはありがとうござ……あ、美味しい」
タイミングが良かったらしくパンは焼き立てのものでホカホカ温かい。ふかしたジャガイモが入っているパンでとろけたチーズがたまらなく美味しい。身体が冷えていたこともあって梓の口元がたまらず笑みを作った。
「……お気に召してなにより」
「はい、あっ、これ本当に美味しいです。絶対買わなきゃ」
もごもごと口元動かしながら梓は籠を店主に返してトレイに新商品を3つものせていく。そのうえ更に他のパンも追加していくのだから、ついに店主は呆れて笑ってしまう。
「ほんと、君よく食べるね。ああ自分用じゃない感じ?」
店主の問いに目を瞬かせる梓は首を傾げ、それから首を振る。
「2個はお土産ですがそれ以外は私が食べますね。お昼ご飯と晩御飯と朝ご飯に食べます」
「うわーそれ宣伝に使おっかな。それじゃ、お得意様にはパンを1つサービス」
「え?あ、いえそんな悪いです」
「こういうのは貰っとくものでしょ」
「いえいえ是非買わせてくださ……それなら、名前を教えてくれませんか?」
「名前?」
「はい。そういえば私だけしか名乗ってないじゃないですか。呼ぶとき不便ですし」
──それに、仲良くなったら城下町の人ならではのことを教えてもらえるかもしれない。
打算たっぷりにニコニコ微笑む梓を見た店主が「ふうん」と呟きながらパンを包装していく。悩んでいるのかその手はいつもより動きが遅く、伏せられた目が起きたときまっすぐに自分を見る視線に梓はドキリとした。これまで視線が合うこと自体少なかったことを思い出すのは早かった。
「アラン」
「……ありがとうございます、アランさん。これ下さい」
「頑固だねえ樹ちゃん。まいどあり」
ピッタリの料金を支払う梓に店主、アランは笑ってお金を受け取る。
「敵わないなあ。でもこれ、樹ちゃんと俺の内緒話にしてくれる?」
「内緒話?え?アランさんの名前のことですか?」
「そ。樹ちゃんだけが呼んでくれるなんて誉れって感じだしなあ。ね?神子様」
神子様。
途端に思い出したのは白那の薦めでこの店に来たことだ
『城下町の人だけど……ん゛―まあ、でもそうだよねーって感じ?』
勝手に抱いていたイメージ。
「すっごく引っかかる言い方ですね。アランさん?」
「神子様に自己紹介なんて畏れ多いものなんだよ」
「別にいいですけど、最初から私が神子って分かってたんですか?」
「そりゃあね。城から出てくる女はメイドか神子だ……樹ちゃんはどう見てもメイドって感じじゃないし」
確かに、そうだろう。仕入れにきているわけでもないのに護衛をつれて度々買い物に来て、その護衛も頻繁に変わっている。女は家にいるのが当たり前で安全だと考える社会からみれば梓の行動はあまりにも自由すぎる。
──白那はこのことを言ってたんだ。
納得して、笑ってしまう。城下町の人とはいえ誰が神子なのか分かる人もいたのだ。もしかしたら思うより大勢知っているのかもしれない。それでも「神子様」と声をかけることはせず何も知らないふりをして接しているということなのだとしたら。
『恐れ多いものなんだよ』
その理由は?
「神子はそんなに怖いですか?」
「怖いね。神が降臨した日を知っている奴ならみんな間違いなくそうだろうよ……少なくともこの国の奴らは」
「……他の国の人は神が降臨した日を知らないんですか」
「俺もいまこうして話してるぐらいだ。どこまで人が黙ってられるかによるだろうけどね」
「……まるで緘口令でも敷かれているみたいですね。アランさんは話してよかったんですか?それに畏れ多いなんて言う神子サマはこの世界の贈り物なんでしょう?なんでそんなに怖がるんですか?」
「興味があるなら誰か他の奴に神が降臨した日のことを聞けばいい。俺は……もう飽き飽きしてきたんだ。それに俺は間違ってるとは思わないからね」
気さくで気を使わないマイペースな店主だったはずなのに微笑みに壁を感じてしまう。それとも城下町の人が梓を神子と気が付いていないと勝手に思い込んでいたように、アランという人はこういう人だったのか。
「分かり、ましたけど」
「そう、そりゃよかった。はいどうぞ」
釈然としない気持ちでパンを受けとりながら梓はアランを見上げ、目を見開く。しいっと口元の前で人差し指を立てるアランはニッと笑みを浮かべて言うのだ。
「内緒話は内緒にしてこそってね」
その言葉はもう何度も聞いたことがある。受け取った袋を落としかけて握りなおす梓の動揺を見るアランは微笑ましいとばかりに笑って外を指さす。
「護衛が待ってるよ」
「アランさんはフランさんを知ってるんですか?」
「また今度、樹ちゃん……来なくてもいいけどね」
「っ」
ここで粘っても今日は無駄だろう。取り付く島もない態度に梓は唇を噛みしめるが、よくよく考えてみればこんなことは慣れっこでもある。今更なことだ。
「また来ます」
「……まいどあり」
ギイィ、古めかしい音が梓を消し去っていく。店に残ったアランはパンを口に放り込んで静かになった店内を眺める。数時間前に焼いたパンは焼きたてのように温かくその成果を自画自賛しながら「面白くない」と呟いた。
その目は背中を向けた神子に向いていて……閉じられる。
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