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第二章:変わる、代わる
89.気がつかないズレ
しおりを挟むあれからテイルを説得しておろしてもらえたものの、先を歩くテイルの表情は険しい。梓はジャム瓶を持ちながら小走りでその背を追って時々後ろを確認する緑色の目を困惑しながら見上げた。テイルは一言も話さない。どうせならルトの店にも寄りたかったが今の状態のテイルは連れて行かないほうがいいだろう。余計な問題を作り出しそうな予感がして見送ることにする。
結局、テイルは花の間の待合室近くにきてようやく口を開いた。
「部屋で待ってろ」
「……」
「部屋で、待ってろ」
「分かったけど」
不機嫌な顔を見上げていた梓の顔も不機嫌になっていく。テイルは更に眉を寄せたどころか舌打ちまでしてしまった。
「けど、なんだよ」
「別に」
睨んでくる顔は随分とまあ、可愛くない。テイルはすぐに背を向けて自分の部屋に戻った。
気に入らなかった。なにもかもが気に入らない。触れなくなったことも話し方まで変えてあからさまに距離を置いてきたことも、広場に行くと言ったら来なくなったことも、睨んでくる顔も作った微笑みも……なにもかもが気に入らない。
──俺だけ。
苛立ちを口に吐き出しそうとして、けれど急に言葉が消えてしまう。
俺だけ……、なんだろう。分かるのは自分でもどうしようもないぐらい苛立ってしまっているということだ。
『やっぱり、いいや。涙を拭えるんなら、いい』
梓を見たアラストの顔が、神子と呼ばれて泣いた梓の顔が、梓に伸びたアラストの手が……なにもかもが気に入らない。
──あれはなんだ?なんで泣いた?なんで触れた?
部屋に戻ってすぐ上着を投げ捨て鍵を使ってドアを開ける。冷たい空気。音に反応した顔がテイルを見て、逸らされる。パチパチ火の音が聞こえる。カチャカチャと鳴るポットとカップの音。
苛立ちが、静かに胸を焼くようだ。
梓はお茶を用意しようとしているんだろう。カップが2つあることが少し嬉しくなったが、伸ばした手は梓に触れず透り抜ける。心臓が嫌な音を鳴らして顔が歪むぐらい嫌な気持ちが沸いてくる。嫌な……、なんだろう。
「……なんでしょう?」
憎たらしい顔だ。
触れさせないくせに何故困ったように眉を下げるのだろう。何故、どうしたらいいのか分からないとでもいうように不安そうに見上げてくるのだろう。
鼻で嗤ってやろうと思うのにうまく出来ない。テイルは忌々しいとばかりに舌打ちしか出来ず椅子に座った。ああ髪が邪魔だ。視界を遮ってばかりの前髪をかき上げれば空の席がよく見える。静かで窮屈な時間。部屋は寒くて最悪だ。
「紅茶です」
「どーも」
「どういたしまして」
淡々とした声は気に入らないものの湯気がのぼる紅茶は熱くて身体が温まる。冷えた指先が熱を思い出せた。この国の寒さは何年経っても慣れない。
──来るんじゃなかったな。
そんなことを思ってしまって、後悔した自分に驚く。
「それで、なんですか」
けれど梓の問いかけで我に返る。固い表情はテイルを警戒しているらしい。
──上等だ。
テイルは今度こそ梓を鼻で嗤った。これまで通り気に入らないことは真っ向から片付ければいいだけだ。欲しいものは手に入れて目障りなものは潰してしまえばいいだけ。なにを迷うことがある。
「いい加減本音で話そうぜ?」
「特に話すこともないんですが」
「嘘言うなよ。前々から思ってたんだけどさ、お前の嘘は気に入らねえ」
「それがどうかしましたか?お互い様でしょう」
微笑む顔は動揺を見せず、それどころか目を閉じて紅茶を飲んでいる。前髪も落ちてきてしまえば梓の姿は途切れ途切れ。
──気に入らない。
『ちょっとごめん』
ただ、もう一度触れたいだけなのに。
「そのお互い様の部分を話そうって言ってんだよ神子サマ?コソコソ調べてどの程度分かったんだ?素直に聞けばいいだろ?」
前髪をかきあげるテイルを見て梓は顔をしかめる。色んな人に言われる言葉もテイルに言われると随分嫌味めいたものに聞こえる。
──どうせ私は素直じゃないし人を頼れない……信じれないもん。
紅茶を飲んで気を紛らせようとするが目の前の人は梓から視線を逸らさない。少し、胸の奥が気持ち悪くなる。嫌な気持ちだ。苛立って、怒ってしまっている。いつしかシェントに感情のまま怒ったときのように口を滑らせてしまいそうだった。
「聞いたとして本当のことを教えてくれるんですか?聖騎士サマ?」
「俺は嘘が嫌いだから嘘は言わない。まあ、答えられないこともあっけど?お前はどうなんだよ」
「私?」
「お前こそニコニコ笑いやがって言いたいことあんなら言えよ。お前は本当のこと話してんの?ハハッ怒ってやんの」
梓の顔を見て笑ったテイルは楽しそうに笑ったわりに梓を非難するように見ている。
聖騎士と神子。
そういう間柄でいい。魔力が欲しいために神子を誘拐して、神子たちは望みの魔力を渡す代わりにそれぞれ要求をする。そんな寂しくて暗い間柄。ちぐはぐな価値観を持っていて神子や色んなものに縛られている聖騎士の現実を知ろうが我関せずでいいのだ。助けるつもりもなければどうにかしてやれることではないのに、その覚悟もないのに梓に出来ることはない。彼らの現実を知り過ぎたり同情したりしてしまうのはここから逃げたい梓には重荷にしかならないだろう。
──分かってる。もっと言えば会話をする必要さえない。
距離を置いて微笑み合って流すだけでいい。それで、時間が過ぎるのを待てばいい。時々楽しいことや無視できないことがあるけれど、そういうことがあっただけと片付けてしまえばそれで十分。もう知りたくない。知りたくなかった。
──なんでヴィラさんみたいに私のことなんて聞きたがるの。
ヴィラと似た言動をするテイルが梓は怖かった。店でアラストが梓に触れたとき、息をのんだテイルの顔を梓は見てしまった。ショックを受けた顔を、なんでコイツにはいいんだと訴えてくる目を見てしまった。
──テイルは時々腹が立つことを言う聖騎士。それでいい。子供っぽくていちいち余計なことを言ってくる人。それでいい。
既に関わる覚悟を持ち切れていないのにヴィラの手に触れてしまった。
「生憎俺は気になったことは片付けておきたい性質なんでね。今逃げても答えるまで聞くだけだけど?」
「ほんと性質悪い」
「お互い様だろ?まあどうせならお互いメリットがあるほうがいいか?なんでも聞いてみろよ。答えてやる。その代わりお前も答えろ」
「なんでテイルまで」
──ヴィラさんと同じことを。
言葉を飲み込んで、代わりにテイルを睨みつける。けれど返ってくる視線は梓以上に冷ややかなものだ。
「まで?って?」
「それは質問?私はしない」
「なんで聖騎士は7人しかいなかったと思う。神子はどこまで許されていると思う。聖騎士が神子にへつらう理由は?神子と同じく聖騎士は貴重だ。その理由はお前が知っているだけだと思うか?その貴重な聖騎士を捨ててまで千佳の願いを叶えた理由はなんだと思う?この環境は理不尽だと思うか?それは誰にとって理不尽だ?お前が前言っていたルール、他にはどんなものがあると思う?千佳みたいな奴は他にもいたとは思わないか?神子は本当にここにいるだけか?「ちょ、ちょっと待って」
一つ一つが強い印象を持った言葉だ。それが淀みなく続けられて梓は困惑に声が裏返る。今までのことから気がついてしまって、悩み、心の隅にしまっておいた疑問をテイルが言葉にしてしまった。遮らなければ聞きたくないことも言っただろう。テイルはじっと梓を見ている。
梓は、目の前にぶらさがるエサに口惜し気に唇を噛み締めた。知りたい、怖い、聞きたくない、知りたい……ぐるぐる浮かんでは消える感情。最後まで残ってしまうのは結局ひとつで。
前髪を耳にかけたテイルがニヤリと笑う。
──邪魔なら切ればいいのに。
先ほどから何度も前髪をかきあげたり耳にかけるテイルを心の中で非難する。梓を見る緑色の瞳が憎たらしい。梓は椅子に座りなおして紅茶を飲み、それからカップを置いて、それから……テイルを見た。テイルは微笑まず、けれど弧を描く目は梓を見ていて。
「まで?って?」
「……ヴィラさんも同じこと言ったから。なんで聖騎士は7人しかいないの?」
「7人までって決められたから」
「それずるいよ。答えになってない気がするんだけど」
テイルの返答を不満に思って梓は指摘したが、そういえば、ヴィラに似た指摘をされたことを思い出してしまった。それにヴィラもテイルも梓が「逃げる」と言う。
──しょうがないじゃん。
梓は力を無くして俯いてしまうが、テイルはあっけらかんとしたものだ。
「お前だって省略しただろ?お互い様だ。俺としては言ってやってることに感謝してほしいぐれーなんだけど?」
随分な言い方に梓は顔を上げてテイルを睨むが、笑う顔は小さな子供に言って聞かせるような顔をしていて余計腹が立ってしまう。やはりテイルはいちいち癇に障る。
「……なんでテイルまでって、あんな顔で言った」
「あんな顔って言われても分かんないよ」
「俺も知るかよ。泣きそう?困った?怒った?知らねえよ。あ゛あいい、じゃあ、なんでヴィラみたいだって思って言い淀んだ」
不愉快そうな顔を見て梓は息を飲む。その顔は、知ってる。
──怖い。
言おうとした言葉は空気になって消える。梓は大きく息を吐いて、キッとテイルを睨んだ。
「……困るから」
「ほら、やっぱお互い様じゃねえか。お前だって省略しやがった」
「さい……五月蠅い!なんなの?別に関係ないじゃんっ。なんでそんなこと聞くの!?」
「……知るか。俺だって分かんねーから聞いてんだろうが」
「──っ!やっぱり答えてくれない!聞いたって別に本当のこと教えてくれる訳じゃないじゃん!そんなの聞けば聞くだけ私ばっかりリスク負って馬鹿みたい」
「……樹、お前の名前はなんだ?」
「え?」
感情的にならないよう気をつけていたのに油断したらこれだ。溜め込んでたことを吐き出してしまえばいくら表情を固めても綻びが出る。ひとつミスを犯せば迷子になった心が表情を崩してしまって、もう何も隠せない。
梓は思いがけない質問を流せなかった。
緑色の瞳が梓を映して非難してくる。梓は視線を逸らせない。テイルはそんな梓を見て自嘲に嗤う。
「やっぱそうか。俺、嘘が分かるんだよな。まあ外すときもあるけど大概当たる。最初にお前が名乗ったとき違和感があったんだよ。育ちが良くないもんでそういう奴はよく分かる」
そういえば初めて自己紹介をしたときテイルは「まあいいか」と言っていた。それはこのことだったんだろうか。分からない。育ちが良くないとはどういうことだろう。分からない。聖騎士は魔法が使える選ばれた人……そのはずだ。分からない。
「ほら、お互い様だろ」
「……五月蠅い。私はあなた達と関わり合いたくないの。だからあなた達のこと聞かないし、知らない!知っても何もしてあげられない」
テイルが──聖騎士達やこの城の人間が、この世界の人が嫌いだ。私の人生を滅茶苦茶にした人たち。嫌い。
『こんな世界に連れてきた奴らに気を遣う理由があって?』
麗巳さんの言う通りだ。それぞれが抱えるものを知る必要もなければ、知って何か力になりたいとか思う必要もない。嫌いって、怖いって思い続けたらいいんだ。
『皆嫌ってばっかじゃ生き辛いじゃん』
白那の言うとおりだ。嫌いって、怖いって思い続けるのは疲れる。怒るのだって疲れたししんどい。普通に話して、普通に接していきたい……普通に。
それなのに私はこの世界の人たちが悪いとばかりしか言えない。
そんな私が一番嫌だ。
『分からないのなら俺も一緒に考えさせてくれ』
『お前も──樹も満たされる感覚があるのか?』
『樹様をどの神子様よりも美しく仕立てるのがあなたの謝罪となります』
『もう来ないなんて、寂しいだろ?』
『アンタのこと見てて信頼できるって思ったんだ』
『樹はだけどって続けると思ったんだけどな』
『神子様はそのようなこと気になさらずお努めなさいませ』
『私はあなたをこの世界に攫った一人だ』
オカシナコトが沢山あって、でも変な世界ってだけで終わらせられない。分からないままでいたいのに無視できない。それで、私は話さないのに話してって自分勝手で……!私はずるい。どっちつかずで感情に流されて首をつっこんで、手を伸ばされたら逃げてる。
そんな自分が嫌で、自己嫌悪に胸が痛んで息苦しくなる。逃げてもしょうがないじゃん。叫びたくなる。
『……申し訳ありません』
『神子はそうやって俺達に愛を願った』
『いや、俺は詳しくは知らない』
『人を弄んで楽しいか?神子サマ』
『アンタら神子だよ』
『俺達よりも神子から話を聞いたほうがいいかもね』
『夫は複数いないと妻を守れない』
『召喚を許してしまったからだ』
『でもあなたは分かるだけで満足するのかしら?知ってどうするの?』
だっていくつか沸いてしまった可能性を確かめるのが怖い。麗巳さんが言ったように、私は知ってどうするつもりなんだろう。知らないままでいることが怖かったけど、なにも知らないままのほうが安全なのかもしれない。
「私は私のことしか考えないもん。私が知りたいのは神子のこと!神子に関係する聖騎士とか、知ってないと危ないこととか、私が、安心して暮らしていけるように必要なことを知りたいだけ!あなた達のことを知っても……知りたくない。この世界で生きてかなきゃなんないならそのための情報が欲しいだけで、あなた達のことなんて考えたくない!」
それなのにこの世界を知ればこの世界の人たちには1人1人名前があってそれぞれ抱えているものがあることを知ってしまう。1人で生きていくために、それが難しくても理想の暮らしが出来るように情報を集めていくはずだったのに……自分を自由にするための情報は梓を縛っていく。
「私はなにもしてあげられない」
広場を走るようになってお城をよく見るようになった。そして梓は麗巳が言っていた12年前の名残をいくつか見つけた。なにがあったんだろう。今も魔物を退ける守りの魔法が効かなかった12年前の事件。
『あなたは神子様なのですか?』
畏れ敬われる神子……!
「他の奴らはどうだか知らねえけど俺はお前に何かしてもらいてえ訳じゃねえ。ただ気に入らねえだけだ」
「ははっ、気に入らないとか……私のほうがそうだ」
情けなく泣いてしまう梓は学ばない自分に唇を噛み締める。そんな梓を見るテイルの顔は最初と変わらない。気に入らない。もう一度そう呟いた。
「自分のことしか考えねえのは当然だろ。自分の安全がかかってんなら尚更だ。俺からすればここで暮らすお前以外の神子のほうがどうかしてると思うけどな。よくもまあこんなところで呑気に暮らしていける」
またオカシナコトが増えてしまった。
ボタボタ落ちる涙は梓の服を濡らす。部屋は寒いし、言いたくないことを言ってしまったし、泣いてしまうし──救いようがない。知りたくないと言ったばかりなのになんでテイルがこんなことを言うのか気になった。
「どれだけ続くか。なあ、神子サマ。この世界に閉じ込められてそれでもあがいて順応しようとしてんのはイイと思うぜ?だけど引きずられて勝手に罪悪感持って1人で落ち込んでのは滑稽だ」
「……」
「見捨てりゃいいのに。そしたらお前が言うように本当に、私のことしか考えないってやつだ」
「なに?テイルって、私に嫌味言いたかっただけ?」
「俺は本当のことが知りたかっただけだ……理解できねぇけど」
きっとテイルは見捨てることが出来るのだろう。
それが分かって、梓は羨ましいと目を閉じた。
「どうせお前他の奴から話を聞くたんび勝手に落ち込んでんだろ?ある程度予想つけて勝手にライン引きやがって。お前みたいなの賢い馬鹿って言うんだぜ?肝心なところで方法を間違える」
「……」
「話すべきところで黙って、黙るべきところで話しすぎる。墓穴掘って……あなた達と距離を取りたかったのにそうじゃなくなる。ほら、そういうとこだよ」
「っ」
あなた達の1人であることが分かっているんだろう。笑うテイルの顔が思いの外近くに見えた。デコピンされるが、それは当たらない。「つまんね」と拗ねる声が聞こえた。
「お前もうちょっと顔作れるようにしといたほうがいいぜ?」
「……そんなに顔に出てる?」
「泣いてる奴がなに言ってやがる」
白那たちに言われたことを思い出して梓は頬を触るが最もな返しに黙るしかない。俯く視界に黒髪が映った。顔を上げれば髪に見え隠れする緑色の瞳が見える。
「……髪切ったらいいのに」
「あ゛?ああ……それいいな。神子のお前がそう言うなら俺はアイツラと違って許される」
「え?え!」
意味深な言い方に眉を寄せた瞬間、テイルは前髪を掴んだと思ったら長い前髪をばっさり目の高さまで切ってしまった。魔法を使ったのだろうか?鋏もなくバッサリ切られた髪が床にバラバラ落ちていく。突然のことに声を失う梓に構わずテイルは顔についた髪を払いながら「こりゃ楽だ」と呑気なものだ。
──これは、普通に怖い。
梓自身いつだったか莉瀬にしてみせたことだったが、目の前で同じことをされてみるとドン引きだ。そして自分の発言のせいで髪を切らせてしまったことへの罪悪感も沸いてくるし、意味深な言葉の裏を考えれば不安でしょうがなくなる。
「何驚いてんだよ。お前も莉瀬に同じことしたんだろ」
「それはそうだけど」
──なんで知ってるんだろう。
疑問に思ったがそういえばあのとき莉瀬の聖騎士はテイルだったようだ。莉瀬から直接話を聞いたのだろう。
──ああ、それで広場で会ったとき「本当に」って言ったんだ。
話して分かっていく知らなかったこと。知らなくてもよかったこと。
『アイツ私にキレてさー』
──知らない。
「お前本当のこと教えてくれないって言ってたけどよ、お前も色々つけてる予想があんだろ?お前は自分だけ話すリスクを負ってるって言ってたけど俺達も負ってないとでも思ってんの?」
おかしなことだ。非難する口ぶりなのに梓を見る目は柔らかい。色んなものがあべこべになって絡まっていく。俺達。聖騎士が負うリスクとはなんだろうか。知りたいかと問うてきたトアを思い出してしまう。神子が怖いと言ったトア。
『それは誰にとって理不尽だ?』
分からない。
「俺はリスクを負える。この国に残してるものも夢も大切なものも何もない。やるべきことは……まあ、もういいだろ。ルールは守ることになるがリスクは背負ってやる。樹、お前の協力者になってやる」
テイルは一体なんの話をしているのだろう。
呆然とする梓はしばらくなにも言えなかった。ただ、涙が止まったことだけが分かった。
「協力者?」
「話せねえことはあっけどお前が知りたいことを教えてやる」
「え、いや待ってなんで?えあ、違う。テイルになんのメリットもないじゃん」
「さっきも言っただろ。俺はお前にしてもらうことなんざ望んでねえから。今までずっと1人で生きてきたんだ。助けてもらおうなんて思ってねえよ。それに、欲しいものは自分で手に入れる。だからお前は知りたいことを気兼ねなく聞けばいい」
「だからメリットが」
「欲しいのはお前だ」
飾りっ気のない言葉が暴力めいた強さで梓の耳に響く。短くなった前髪のせいでテイルの顔がよく見える。事あるごとに鼻につくことを言ってニヤリと笑う顔はふざけた表情を消して梓を見ている。
「お前が望むものをやる。いい話だろ?お前は俺の目的が分かってるから遠慮なく俺を利用できる。俺のことなんざ知らなくても知りたいことが知れる。俺はお前に触れねえし……お前だけが得するだろ?そのことにお前が俺に罪悪感を持つのもそれはそれでいい。利用する」
良いこと尽くめの話。安全圏で罪悪感を抱かず知りたいことが知れて負うべきものは何もない。それなのに飛びつくことが出来ないのはヴィラと話した時のような嫌な予感がしてしまうからだろうか。判断を迫るテイルが怖いからだろうか。見捨てられない甘さがあるからだろうか。
「それじゃ、やっぱりテイルにメリットがない」
「お前にアドバイスされなくても俺には勝算がある。お前は自分のことだけ考えてろ」
「なにそれ……ははっ、分かんない。なんで私なんか欲しいの」
空笑いする梓。眉をひそめて首を傾げるテイル。
テイルには分からなかった。そんな理由を、相手の気持ちを知ってどうするのだろう。人がどう思おうと自分の意思に影響はないはずなのに。
2人、自分の言動の矛盾に気がつかない。
「お前のキスが忘れられない」
「っ!……っ!!??」
問題発言に驚いて、聞き間違いでないことに驚いて、ヴィラのように照れた様子もなく素直に答えるテイルに驚く。
──キス。
テイルが言っている日のことを思い出して梓の顔が赤くなっていく。あれは気の迷いのようなものだった。魔物を夢ごしとはいえ実際に目の当たりにしてしまって、魔力が助けになればいいと思って咄嗟にしてしまったこと。
「お前が先にしたんだ」
「あ、いや、それは」
テイルの言う通りではあるが梓は話を変えたくて視線を逸らす。とりあえず紅茶を飲んでみるが震える手のせいで上手く飲めない。
「それで、聞きたいことは?」
「……保留で、お願いします」
「あっそ」
怖気づく梓をテイルは非難しなった。
チクリと胸が痛んだ気がするのは気のせいだろうか。
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