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第二章:変わる、代わる
88.神子サマ
しおりを挟む週末になって梓はどうしたものかと悩んでいた。ジャムを買いに行きたいがそうなると護衛が必要になる。メイドに頼もうかと思ったがそういえば今日テイルは休みだと言っていた。護衛を頼めば、城側からすれば兵士よりも聖騎士のほうが安全とふんでテイルを使うのではないだろうか。
「今日もランニングとは神子サマも大変なことで」
「今日も嫌味を言われるなんて聖騎士サマも大変ですね」
テイルに護衛を頼むことになるのは正直気が重い。
ランニングから戻ればまだ朝早い時間だというのにテイルはソファに寝転がっていた。梓を神子サマと呼ぶようになったものの暇が出来れば梓の部屋に来ているらしく顔を合わせる機会は多い。その度梓は責められている気持ちになって最近は紅茶がまったく美味しく感じなかった。
──苺ジャムが欲しい。
甘酸っぱい味を思い出して口元が緩む。やはり、買い物に行きたかった。シャワーを浴びて服を着替えた梓は髪を拭きながら外を眺める。雪は降っておらず太陽の日差しが眩しい良い天気だ。
「なに、どっか出かけんの?」
「あ……うん。そうしよっかなって」
「へえ」
梓の服が普段着じゃないことに気がついたテイルが珍しく話題をふるが会話はすぐに終わってしまう。やはり、気まずい。けれど溜息が聞こえたかと思うとテイルがソファから立ち上がる。そして濡れた髪を拭く梓に眉を寄せたあと手をかざした。何をしたのか、一瞬で髪が乾いてしまう。
「え?……魔法?」
「買い物。行くんだろ」
「うん」
「なら城門前。急げよ」
「……うん」
ぶっきらぼうに言い捨てたあとテイルは部屋を出てしまう。梓はしばらくポカンとしていたがすぐさま簡単に髪をまとめたあと上着を羽織ってマフラーを巻く。念のためと指輪とブレスレットもポケットにしのばせて急いで部屋を出た。
そして既に城門前に立っていたテイルを見つけて、少し、驚いてしまう。普段テイルは飾りっけのないシンプルな服装をしている。ファーがついた分厚い上着を羽織っている姿は新鮮だった。ボタンは一番上から下まで留められていて、ポケットに両手をいれ肩を縮める姿は全身で寒いと訴えている。
「お待たせしました」
「どういたしまして神子サマ」
「ありがとうございます聖騎士サマ」
──いちいち鼻につくなあ。
梓は顔をしかめながらも微笑んでテイルと一緒に歩き出す。道中やたら「寒い」という不満が聞こえてくるが、休みの日でも神子の為に時間を使わなければならない聖騎士のことを考えればこれぐらい聞き流せる範囲だ。梓は適当に相槌打ちながら時々買い物を楽しみつつ、ようやく辿り着いた店に微笑んだ。色とりどりのジャムが日差しに照らされていて眩しい。思わず駆け寄りたくなったがその店の中、主人と楽しそうに話すアラストを見つけて「あ」と気がついた。
「アラスト!?」
隣で驚くテイルを見て先に言っておけばよかったと思い、アラストがここで働いていることを知らなかったテイルに驚く。嬉しそうな顔を浮かべたテイルには疑問を覚えてしまう。
「テイル!?」
「よおアラスト!元気そうじゃねえか!」
乱暴に開いたドアにベルが悲鳴を上げて主人もアラストも警戒を浮かべたが、ドアを開けた人物がテイルと分かるやいなやアラストもテイルのように嬉しそうな顔を浮かべる。2人は拳をぶつけ合って楽しそうだ。
「いらっしゃい。知り合いのようだね」
「また来ちゃいました。はいそうなんです、驚かせてしまいましたね」
2人の様子を見て察した主人が梓を見つけて話しかけてくる。人が好い主人は台風のように現れたテイルに嫌な顔をするどころか微笑んでいる。
「昔の護衛仲間かね?」
「護衛……そうですね。アラストさんと話しているのはテイルって言います。今日の買い物についてきてくれたんです」
「テイル……テイル?」
微笑む主人の顔が驚愕に変わる。
テイルという名になんの心当たりがあったのだろう。主人はテイルを見て、梓を見た。その顔は普段のものとは全く違う。
「もしや……あなたは神子様なのですか?」
「え?」
アラストとは実の祖父のように気兼ねない会話をしていて梓にも「お嬢さん」と気さくに話しかけていた主人が畏怖の念を抱くように梓を見ている。
なぜか急に自分が神子なのだということを梓は自覚してしまった。いくら否定しようがこの世界の人にとって梓は神子なのだ。神子は尊き存在で大切にしなければならない存在。
──多分、城下町に住む人はこれが普通の反応。
それが分かっても、震える手を合わせて祈るような主人の姿を見てショックが隠しきれない。ズキリと胸が痛んだ。居心地がよく素敵なもので溢れた空間が無くなってしまった。
「じいちゃん、それは無し」
梓と主人の間に入ったのはアラストだ。アラストは梓を見ると微笑み、主人を見ると困ったように笑う。
「アラスト……お前、お前まさか聖騎士だったのか」
「それもあとで話すよ。店番、任せてくれる?」
「ああ……いや、そのようなこと」
「じいちゃん」
「……頼む」
微笑むアラストを見上げた主人は迷い、けれど、頷いた。そして最後に梓を見た目は戸惑いに溢れていて、一礼とともに店の奥に姿を消してしまう。
「ひでえ顔」
「……」
テイルが声をかけてくるが梓は返事が出来なかった。梓は上げた視線を落とすと、真っ白になった頭でぼんやり考える。ここに何をしに来たのか分からなくなってしまったのだ。
色とりどりのジャム、可愛い瓶のなかキラキラ輝いて、主人やアラストの楽しそうな声が聞こえる小さなお店。
『あなたは神子様なのですか?』
畏れる声が頭から離れない。
──楽しかったのにな。
暗く沈む気持ちは視界の色さえ消してしまうらしい。影差す景色をぼおっと眺めていたら目の前に何かをのせた手が見えた。驚いて顔を上げればニッと笑うアラストがいる。いたずらっ子のような笑みをするアラストは手に持っていたものを梓に差し出した。
「じゃーん!赤ワインとブルーベリーのジャム!」
はい、と言われて咄嗟に手を出せば手にのった小瓶。赤ワインとブルーベリーのジャムといえばアラストが最初に勧めてくれたジャムだ。突然のことに動揺して梓はテイルを見てしまうがテイルも何事だと眉を寄せている。そんななかアラストだけは楽しそうに笑みを浮かべていて。
「それ、俺が作ったんだ」
「え?え!」
「食べてたら自分でも作りたくなってさ、作ってみたんだ。結構自信作」
「わあ……っ!え?ほんとに凄い」
「甘いけどあとに残らないから美味しいよ」
「さっぱりめが好きって言ってましたもんね。それに料理だって……ふふ、楽しみです」
「……うん。だからそれ食べて、次来たときにでも感想聞かせて」
次。
そう言われて梓は顔を上げたが、なにも言えず口を閉じてしまう。きっとまたここに来てしまえば店主は神子を見るたび畏縮してしまうだろう。そして梓も畏縮してしまって……それは想像するだけで悲しい。
「俺がじいちゃんに内緒にしてたのが悪かったなー。でも大丈夫だよ、じいちゃんは話せば分かる奴だから。いまは樹が神子だって分かって動揺してるだけだって。じいちゃんは昔からここに住んでたし一際信心深いから……ね?だからそんな顔しないで。俺は」
堪えるように口を結ぶ梓を見てアラストがついといったように手を伸ばす。慰めに伸ばしただけだ。泣き出しそうな瞳が変わればいいと思った。アラストに怒るでも呆れるでも軽蔑するでもいい。とにかく、泣かなかったらいい。
そう思った指が梓の頬に触れて、撫でる。梓の頬を覆う。柔らかな感触が、熱が伝わってくる。見開いた眼から零れてきた涙の感触さえする。
……誰が息を飲んだのだろう。静かな店内、誰かが、息を詰める。
「やっぱり、いいや。涙を拭えるんなら、いい」
梓の悲しい気持ちが移ったのかアラストも泣いてしまいそうだ。それなのに口元が緩んでいくのは何故だろう。アラストは見上げてくる茶色の瞳を目に焼き付けながら、震える心臓を抑え込むように自身の胸に手を置く。
いつだったかお釣りを渡すとき触れたように感じたのは願望じゃなかったらしい。
──嬉しい。
『さようなら、アラストさん』
梓との一月を思い出して胸を焼くコレはなんだろう。自身を抑えていたはずの手はもう我慢できなくなったのかまた梓の顔に伸びてしまっていて、赤くなった頬を覆う。茶色の瞳は変わらずアラストを見ていて、けれど、動揺に揺れ始めている。
「最後の日、君はさようならって言ったよね」
いつの話をしているのか分かったのだろう。触れる肌から驚きが伝わってくる。
ニヤリと笑って言い放たれた言葉。
あのお陰で聖騎士という未練を消すことが出来た。城に仕えて人を守るために生きてきた今までの人生を断ち切れた。夢は本当に終わったのだと、受け入れられた。
けれど。
「……言わないでほしいな。もう来ないなんて、寂しいだろ?じいちゃんだって寂しくなる」
──俺は君を縛る存在になれるだろうか。
こんな世界を救うために来てくれた神子。
「樹」
元の世界に帰ることを望む梓を見ながら必死に言葉を紡ぐ。なにせ視界の端に映る友の目は同じく、友を見る目ではない。あっという間に両の手に感じていた温もりが奪われる。梓に被せられた羽織は梓を縛り、テイルの腕に抱かれる。テイルを見上げて驚く顔が最後の日と全く同じことにアラストは薄く微笑んだ。
「またね」
ガランガランと鳴るベルの音を聞きながら樽のように担がれる梓に手を振る。寒いのが苦手なくせにこの寒空のした薄着で歩くテイルとはもう目が合わなかった。
「……望む資格なんてないのにね」
呟く声は梓に届かない。
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