86 / 186
第二章:変わる、代わる
86.面倒な人たち
しおりを挟む朝起きて梓はまず寒いと思ってしまった。それが不思議で目を覚まし軽い身体に違和感。布団を引き寄せながら縮む身体をさらに丸めて、違和感。
「あ」
その正体に気がついてしまった梓はパッチリ目が覚めてしまう。そして身体を起こしやはりヴィラがいないことを確認した梓は、ヴィラが原因だったことに頭を抱えた。
「抱き枕が普通になってたってどうなの……」
久しぶりに1人で寝て起きたことに違和感を覚えた自分に落ち込んでしまう。梓は重い溜息を吐きながら立てた膝にのせた顔を起こした。カーテンの向こうはきっと晴れているのだろう。眩しい日差しが見えて目を細める。
今日は絶好のランニング日和だ。
「着替えよっと」
ベッドから起きた梓は伸びをすると服を着替えてストレッチを始める。最近は筋トレをサボることも多かった。久しぶりに走るとすぐバテるだろうし筋肉痛にもなるだろう。しかも外は寒いし空気を吸い込むたびに身体が冷えそうだ。
それでも空のした走ることを想像すれば頬が緩んだ。
また始まった聖騎士との一月で最初の人がヴィラだということを考えれば次はテイルなのだろう。それならテイルを避けて止めたランニングも再開できるというものだ。
『また来る』
非難してきた緑色の瞳を思い出す。
──面倒なひと月になりそうだなあ。
テイルが知れば口元ひくつかせそうなことを考えながら梓はストレッチを終わらせる。そして立ち上がって弾む気持ちを表情に浮かべながらドアに向かって数秒。それはそれは大きな音を立ててドアが開いた。
「わっ!」
音に驚いて身体が弾む。
ドアを開けた人物、テイルの顔を見て目を見開いてしまう。
「え?え!ちょ、大丈夫?!」
最初のひと月と同じくドアを開けたまま動かないテイルは一言で言えばかなり汚れていた。泥に顔面から突っ込んでしまったのかいたるところ固まった土がついている。特に髪はひどく、それが本人も鬱陶しかったのだろう。長い前髪は後ろに掻き上げられた状態で緑色の瞳がよく見えた。
正直それだけならまだここまで動揺はしなかった。
けれど汚れる身体についているのは黒や茶色といったものだけではなく赤い点々があった。それどころか一面赤く濡れた場所さえある。最初それがなにか分からなかったものの、露わになっている顔に切り傷のように伸びる赤い線を見ていたらそれが血なのだと分かってしまった。慌てて駆け寄るがじっと見下ろしてくる緑色の瞳は傷に苦しむ様子はない。何故か梓の格好を見て不愉快そうに眉を寄せただけだ。
「血、出てるけど……え?血だよね?」
「俺のじゃねえ。魔物のだ」
「え?……良かった?」
「なんで疑問形なんだよ」
テイルの血じゃないことに安心はしたが魔物という生き物の血であるのは……それはそれで素直に喜べはしなかった。そんな自分に気がついた梓は自分のことながら困ったと笑うしかない。
──魔物っていっても生きてるんだし、だから。
言葉続けられない。思い出すのは角が生えた恐ろしく禍々しい魔物の姿。
──殺さないと殺される。
殺しちゃ可哀想だなんて言えるものではないのだ。襲ってくる存在にそんなことを思いながら無抵抗に殺される自分の姿は思い描けない。きっと目の前に魔物が現れたなら逃げまどい、その過程で武器を手に入れたならそれを魔物へ振りかざすだろう。
──この世界の人たちが魔法を使ったように。
そして手に入れた武器は大事に、大事に扱うはずだ。なにせそれは自分を守ることになる。
それだけのことだ。
「お前さ」
「はい?」
ぼおっとしていたら不機嫌そうな声が聞こえてきて梓は目を瞬かせる。そして視界に映ったのは伸びてくる手だ。きっと頬に伸ばしただろう手の感触はいつまでもない。空から舌打ちが降ってくる。
「もしかしなくとも今から広場にでも行くつもりかよ」
「はい」
「……今までまっったく来なかったくせに、わざわざ、今日から?」
「……偶然では?」
「トアが言うにはお前は部屋で筋トレしてたらしいな」
トア。
気まずさに視線を逸らしていた梓だが突然出てきた名前にテイルを見てしまう。そういえばトアはテイルのことを「テイルさん」と呼んで慕っているようだった。
「仲が良いんですね」
「それで今日からランニングを始めんの?俺を避けるにしても露骨だよな」
「……事実そうですし」
「で?その話し方なんだよ。まーた最初と同じようになりやがって」
避けていた事実を言い当てられて気まずいうえトアと似たようなことを言ってくる。だけどと梓は言いかけたがすんでのところで言葉を飲み込む。
──トアが見てたらまた非難してきたんだろうな。
それは分かるがここで感情的になるのは避けたかった。そのツケはヴィラのことで思い知っているうえ、そもそも、聖騎士にそこまで心を砕く必要はないはずだ。
『無能な神子』
親しくなれたと思ってもそうじゃなかった。でも別にそれでいい。
『……もういい』
テイルが梓に触れなくなったことにショックを受けていたことを思い出す。でも別にそれでいい。
「別に問題はありませんよね」
「ある」
「そうですか」
「クソッ!触れねえんだった」
苛立ちに伸びた手はまたしても梓を透り抜ける。梓はそんなテイルを見ながら眉を寄せてしまった。
──なんでそこまでこだわるんだろう。
そして、すぐ目を閉じる。別にそれはそれでいいのだから。どうでもいいことのはずだ。
それなのに言葉はまだ降ってくる。
「お前もそうなのかよ。ああそうだよなお前らにとって聖騎士は都合のいい存在なんだろうな。いいよな神子サマってのは」
不機嫌を全身で訴えて苦々しく口元笑っているのに、あのときのように眉は悲し気に下がっている。
胸を刺す罪悪感に梓は口を開きかけたが、やはり、閉じてしまう。
それを見逃さなかったテイルは溜息一つ吐き出したあと嗤った。
「人を弄んで楽しいか?神子サマ」
最初とは違いドアは静かに閉まった。
梓は待ち望んでいたはずの静かな部屋のなか、1人、暗い気持ちに顔を俯かせる。
0
お気に入りに追加
283
あなたにおすすめの小説
明智さんちの旦那さんたちR
明智 颯茄
恋愛
あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。
奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。
ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。
*BL描写あり
毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
睡姦しまくって無意識のうちに落とすお話
下菊みこと
恋愛
ヤンデレな若旦那様を振ったら、睡姦されて落とされたお話。
安定のヤンデレですがヤンデレ要素は薄いかも。
ムーンライトノベルズ様でも投稿しています。
マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました
東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。
攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる!
そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。
獣人の里の仕置き小屋
真木
恋愛
ある狼獣人の里には、仕置き小屋というところがある。
獣人は愛情深く、その執着ゆえに伴侶が逃げ出すとき、獣人の夫が伴侶に仕置きをするところだ。
今夜もまた一人、里から出ようとして仕置き小屋に連れられてきた少女がいた。
仕置き小屋にあるものを見て、彼女は……。
悪役令嬢は王太子の妻~毎日溺愛と狂愛の狭間で~
一ノ瀬 彩音
恋愛
悪役令嬢は王太子の妻になると毎日溺愛と狂愛を捧げられ、
快楽漬けの日々を過ごすことになる!
そしてその快感が忘れられなくなった彼女は自ら夫を求めるようになり……!?
※この物語はフィクションです。
R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。
【R18】幼馴染な陛下と、甘々な毎日になりました💕
月極まろん
恋愛
幼なじみの陛下に、気持ちだけでも伝えたくて。いい思い出にしたくて告白したのに、執務室のソファに座らせられて、なぜかこんなえっちな日々になりました。
「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。
木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。
因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。
そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。
彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。
晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。
それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。
幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。
二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。
カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。
こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる