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第二章:変わる、代わる
85.逃がさない、逃げない、……?
しおりを挟む「──おきろ」
どこか遠いところから声が聞こえる。低い声は何を言っているのか不安滲ませた声色だ。
──なに……?甘い香り……苺?
徐々に意識がはっきりしてきた梓の鼻をくすぐったのは甘い苺の香りだ。そして口元に押し付けられた柔らかい感触。ハッとして目を開ければ見えたのはヴィラの顔ではなく苺を摘まむ大きな手だ。なぜか苺が梓の唇に押し付けられている。驚きに目をぱちくりとさせ固まる梓は安堵に息を吐く人を見つける。やはり、ヴィラだ。
「樹、苺だ起きろ」
「……私をなんだと思ってるんですか」
苺を押し付ける手をどかしながら上半身を起こせば隣で座っていたヴィラが微笑む。
「おはよう」
「……おはようございます。今何時ですか?凄く早い時間な気がするんですけど」
「朝早くに悪いな。魔物討伐に行く前にお前と少しでも話したかったから起こした。顔を見るだけにしようとしたんだが……もしかしたら起きるかと思ってな」
「苺は好きですけど苺の匂いがしたら目が覚めるほど単純でもないですし苺を何度も押し付けられたらそりゃ起きますよ」
朝から応えるヴィラの熱がこもった言葉に梓は頭を抱える。ヴィラは「そうか」と頷きながら苺を食べてしまった。どうせならくれたらよかったのにと思ってしまった梓はこれじゃいけないと頭を振る。
「あと人の寝顔は見ないでください」
「駄目なのか?お前も見ていただろう?」
考えたあと口に出したヴィラの疑問に梓の顔が赤くなる。確かに何度もヴィラの寝顔を見たことはあるしもっといえば観察したこともあった。けれど指摘されるとばつが悪くなってしまうのは何故だろう。
「女性のは見ちゃダメなんです」
「そうか、気をつけよう」
素直に頷いてはくれるが「控える」と言ったときのことを重ねて梓は疑いに眉を寄せる。
そうしてヴィラを見ればヴィラの服装が昨日のままだと言うことに気がついた。どうやら本当に朝早い時間らしい。まだ準備せずともいいぐらいなのだから朝5時ぐらいだろうか。
梓は欠伸をして目を擦る。
「ん」
大きく伸びをして肩をまわした梓はそういえばまだ苺は残っているのかとテーブルを見た。けれどこちらを凝視するヴィラを先に見つけてしまう。
「なんでしょう」
「抱きたいなと思った」
「朝から何言ってるんですか!お陰で目が覚めましたよっ」
「なによりだ」
口元震わせ顔を赤くする梓と違いヴィラは動じない返事だ。
──この人には恥じらいって言葉がないんだろうか。
素直なのは良いことなのか悪いことなのか分からなくなる。憎たらしい天然は梓の様子をずっと見続けている。赤い顔を、泳ぐ視線を、ベッドに座る身体を、裸足を……梓はハッとして自分の髪を触った。思ったとおり寝癖がついているしパジャマはシワだらけと随分見苦しい格好だ。ベッドからおりれば手を掴まれる。ヴィラは口を結んで梓を見ていて。
「顔を洗いに行くんです」
「そうか」
花の間にでも行くと思ったのかヴィラは肩の力を抜く。
──困る。
梓はヴィラの手から逃れて風呂場へと逃げ込んだ。そして鏡に映る自分に声を失う。林檎のように赤い顔、あちこちにはねている髪。特に前髪は短くなったせいで寝癖がひどい。顔を洗ったあと水で濡らして身だしなみを整える。
──困る。
そわそわしてしまって意味もなく辺りを見てしまう。普段どう過ごしていたのか、どう受け流していたのか思い出せない。それなのにきっとヴィラは梓を待っている。
──困る。
観念して部屋を出れば顔を上げたヴィラと目が合ってしまう。無表情の顔が微笑みを浮かべてしまって、観念した梓は紅茶を飲もうとお湯を沸かすことにした。なにか温かいものでも飲んで気持ちを切り替えたかった。それなのにベッドが軋む音が聞こえる。足音が近づいて近くに人の熱を感じた。見上げればヴィラが梓の髪に触れていて眉を寄せている。
「髪が濡れている。風邪をひくぞ」
「別に大丈夫です」
「大丈夫じゃないだろう、お前はいつも手足が冷たい」
「……ヴィラさんは私のお母さんですか」
ポットとカップを取り出しながら呆れに言えば返事はない。ちらりと見てみればひどく不機嫌そうな顔がいる。
「母親だと?俺はお前の恋人だろう」
「だから使い方が間違ってる……」
ガチャ、と危ない音を鳴らす食器。けれど構うこともできず梓はキッチンに手を置きしゃがみ込んでしまった。ヴィラにどういえば伝わるのか分からない。分かってくれたとしてもヴィラは諦めないのだから手の打ちようもない。ヴィラは1度駄目でも言葉を変えてじっと梓を見る。伝わっているのか確かめてくる。きっと今もそうなのだろう。
ヴィラは眉間にシワが出来るほど眉を寄せながら考えたあと、膝を床につけた。点けたばかりのキッチンの火を消しつつ魔法で取り出したタオルを梓に被せる。戸惑う声が聞こえたがそのまま梓の頭を拭けばヴィラがなにをしているのか分かった梓が諦めの溜息を吐いた。
「心配だ」
「なにがですか」
タオルからのぞき見えた梓は言葉通り不思議そうな顔だ。
──分からないな。
ヴィラも梓のことが分からない。触れようとすれば逃げて、逃げて、逃げて否定を叫びさえするのに今は素直に身体を預ける。よく分からないところで顔を赤くしたかと思えば、こちらが真剣に話していることは真面目に受け取ってはくれない。それなのにヴィラが問いかければ悩んで、応えようとしてくれる。
梓が一言望んでくれればこの城を出られるのに、それも許してくれない。
「お前が欲しい」
心からそう思って言っているのに無言のあと返ってくるのは溜息だ。床にぺたりと座り込んだ梓がヴィラを見上げる。
「お前を抱きたい」
そう言えば困ったように寄る眉。顔も薄っすら赤くなって──けれど最後は睨むような表情。なのに声は不安と動揺に裏返っていて。
「ヴィラさんって同じことばかり言いますよね」
「お前に分かってもらうためだ。なにもせずお前に伝わるとはもう思ってはいない。何度だって言い続けよう。そのうえでお前が否定するのなら……それは……仕方がない、ことなんだろう」
その瞬間を想像したのか続けられる言葉は苦しい。表情も随分険しくて梓は苦笑いを浮かべてしまった。そんな梓をまた元に戻すのはヴィラだ。
タオルが床に落ちていくがヴィラは気にも留めていない。もう濡れていないかと確認に梓の頭に触れるだけ。そのはずだったのに驚いたのか梓の身体がぴくりと跳ねた。手が梓の耳に触れる。耳たぶは昨夜のように熱くて、閉じようとした口は音を出した。
「だが言い続けたお陰でお前も少し俺の言葉を受け入れてくれるようになった。気がついているか?」
耳元動く手から逃がれようと梓は身体を逸らすが横に置かれた手が行き場を無くしていた。近くなった顔がいつか見たことがあるものになっていて梓は視線を逸らすが声は続けて落ちてくる。
「こうやって話すことも、触れることも出来る……お前のそんな顔が見れる」
「あの、いまお湯を沸かしていて」
「もう消した」
「え、んぅ」
いつの間にと驚く間に口づけられ、身体が床に倒れる。頭と背中を支えるヴィラの手を感じた。カーペットを敷いているとはいえ冷気が床を這っていて寒い。そのはずだ。
「口づけも、直に触れることも出来る」
続けられる口づけにヴィラの胸を押しても梓の足に触れる手は止まらない。服をつまんだ指が裸足に辿り着いて素肌を撫でる。輪郭をなぞった指が梓の足を掴んだ。
「やはり冷えている」
ヴィラは非難するがその一因はヴィラにもあるはずだ。
結んだ口を解こうとした梓に気がついたのだろうか。ヴィラが先に口を開く。
「俺はお前を抱きたい」
触れるだけのキス。その代わり足先に感じていた熱が離れる。床に置き去りにされた裸足に梓は我に返った。立てたままだった膝をヴィラに寄せてその身体を離そうと使うが、簡単にすくわれてしまったどころか膝に口づけられる。服越しだから温度は感じない。そのはずなのに熱を感じた気がするのは錯覚だろうか。浮かぶ足、圧し掛かる身体、黒い瞳は梓の返事を待っている。
たまらず否定した。
「それってあれです、きっとただヤリたいだけなんですよ。自分で言うのもなんですがヤらせない神子だからそう思うだけです。それが恋とか愛とかって思いこんでるだけで」
ただでさえヴィラとどう接したらいいのか分からないのに、畳み掛けるように愛を囁かれれば梓は混乱するしか出来ない。口づけまでされて変わった関係性をわざわざ教えられて欲まで吐かれる。なんとか逃げることが出来ても、また、ヴィラは梓を追い詰める。決して逃がしてはくれない。
ヴィラは教えられた言葉を素直にそのまま使う。自分の気持ちを隠すために言葉を塗りつぶさず、素直に、言うのだ。だから自分の気持ちが恋であり愛と教えられとき素直に梓に愛を乞えた。言葉を重ねてのらりくらりとかわすのが癖になっている梓からすれば随分質の悪い相手だ。
『それに誰だって本心さらけだすのは恥ずかしいし怖いんだよ?』
梓は白那の話しを思い出すが当てはまらないヴィラにはどうしたらいいのかと途方に暮れてしまう。
──ヴィラさんは恥ずかしいなんて感情は持ち合わせていないただの天然だ。怖すぎる。
「それだったら!ヤリたいだけなら私以外の、ヴィラさんとしたいって人としたほうがいいです」
言うつもりがなかったことを言わされる。口を滑らせてしまう。
ヴィラが梓に言ってきた気持ちは本当なのだろう。それは分かった。けれどいくらヴィラが梓に愛を乞おうと、抱きたいと言われるたび心の底に浮かんだ疑問だ。恥ずかしいと思う本音であり疑いであり、恐れでもある。
──怖い。
愛に生き自分に正直な母を見てきたお陰で恋が素晴らしいものだということは知っている。恋する人のエネルギーはいつも目を見張るし、そんなふうに誰かを想えることは憧れでもある。けれど時々見てしまった失恋に泣く母を見て怖さも覚えてしまった。
──あんなに元気なお母さんでも泣いてしまう。
ヴィラのように相手に戸惑われるぐらい誰かを好きになって、結局、それが叶わなかったことを考えると二の足を踏んでしまう。
『結局ソウイウ恥ずかしいとこ見せあえるかだし。樹は身体が―ってよりグズグズしたところかな』
白那がいうグズグズはこういうところなんだろう。分かってはいるが梓はどうしたらいいのか分からない。なにせ恥ずかしさのあまりキツイ口調で言ってしまったせいか、見下ろしてくる瞳の温度が下がったような気がするのだ。瞳に色も温度も見えるはずがない。それは知っているのに梓は見下ろす黒い瞳に暗い感情を見てしまった。
「またそれを言うのか」
前もこんなことを言っただろうか。それよりもヴィラが怒っている。
身体を起こそうとも目と鼻の先の距離にヴィラがいて動くどころか呼吸さえ憚られる。
「だが以前と違って俺がお前を想うことは否定していないな?なるほど、やはりお前に教えるというのは大事らしい。さてどうしたらいいんだろうな。どれだけお前が欲しいと言ってもお前は別の女を俺にすすめる。ヤリたいだけ?お前を抱いたらそれで満足すると思っているのか?」
唇が触れ、離れ……食べられる。
背中にあった手がなくなって床に身体がくっついてしまう。冷たい、寒い。震える身体に気がついたのか熱が圧し掛かってくる。ああ駄目だ、もう冷たくなくなった。
「ならお前はいま自分が言ったことを忘れるなよ。お前が俺を受け入れるのなら今からでも思い知らせてやる。どうだ?」
言っていることはよく分からないが逆鱗に触れたことは分かって梓は何度も首を振る。ヴィラの顔は恐ろしくてもう見ることが出来ない。
「そうか。それならお前が俺を夫に迎えた日に思い知らせてやろう。お前が分かるまで抱けばいい話だ。数十程度だとお前のいうヤリたいだけになるか?何度抱けばお前は思い知るんだろうな?俺は、お前を、抱きたいんだ」
両頬掴まれて動けない梓に言葉が重く落ちてくる。どれだけキツク目を閉じても意味がない。
恥ずかしさに溢れた涙が梓の頬を伝った。
「うぁ」
涙をすくう手は優しい。
だというのにヴィラの気持ちを踏みつけた罪悪感より向けられる感情が恥ずかしくて怖い。何度となく伸ばされた手にもう知っている。分かっている……というより思い知らされている。ヴィラは間違いなく梓をソウイウ対象で見ている。どれだけ否定してもずっと同じことを言い続けるヴィラは、本当に、梓に告白をしている。
──この人は本当に私が好きなんだ。
嫌いだと言われたらああそうですかと流せるのに好きだと感情のままに訴えられるのはどうしたらいいか分からない。逃げられない。向けられる言葉が本当に魔力や神子のためでないのならどう否定すればいいのか分からない。逃げられない。ヴィラは梓に聞いている。分からないと言えば一緒に分かっていきたいと言う。分からない。分からないままでいたいのに目の前の人は許してくれない。
梓が出来たことといえば否定して他の女性をすすめるだけだ。
「ごめっなさ」
「謝る必要はない。その日にとっておけ」
囁く声が身体に響く。
ぐらぐら、ぐらぐら。熱に頭がおかしくなっている。涙で滲む視界に見えるのは何故か幸せそうなヴィラの顔。先ほどまで怒っていたはずなのに何故だろう。梓の顔を覗き込むヴィラはますます口元を緩める。ようやく届いたと呟く声はまともな形にならず消えていった。その代わりとばかりにヴィラは梓に許しを請う。
「お前を抱きたい」
合わさった額。鼻が擦れて吐息を感じる。
ドキリとして……けれど首を振る。
「そうか。お前に触れたい」
もう触ってる。
「お前に口づけたい」
さっき普通にしたくせに。
文句は音を出さない。重なる口づけに怯む身体は既にヴィラの腕で囲われている。
「いいのか?樹」
「っあ」
服の下入り込んだ手が梓の腰を引き寄せヴィラの身体に押し付けられる。小さく震える身体。ヴィラはゴクリと唾を飲んでしまった。これではだめだ。怯えさせてしまう。
それなのに腕のなか梓は大人しい。
梓がなにを考えているのかは分からない。だがきっとヴィラのことを考えている。いや、それ以外は許せない。これだけ必死に言葉で身体で訴えているのに少しも響かないのなら流石に絶望だ。けれど言葉は間違いなく届いた。それに身体も覚えて反応している。
「否定しないと俺は思い上がる。否定してみろ」
「っ!ヴィラさ、駄目」
「何が駄目だ?言ってみろ」
胸を鷲掴む手は梓の鼓動を感じる。
それだけで舞い上がることを教えれば梓は怯えるだろうか。
「そういえばまだ苺が残っている。ちゃんと出来たら食わせてやるから言ってみろ」
昨日とは違って質問じゃないうえヴィラを否定しろというおかしなゲーム。簡単だ。それなのに首を食むヴィラの舌の感触ばかり意識が向いてしまう。
「それとも昨日のように質問にするか?色々知りたいんだろう?聞いてみるといい」
それは嬉しい提案だった。なのに擦りつけられるヴィラの身体に戸惑って欲を孕み笑う顔から目が逸らせない。口元拭いながら見下ろす顔はじっと梓を見ている。言葉を強請って唇を撫でてくる指は口の中入り込んでくる。
「もう考えたくないのなら俺に謝るのもいい」
腰を支える手がわざとらしく力を込め親指が梓の腹を撫でる。
言葉を押し殺していた梓はついに震える声を出した。
「恥ず、恥ずかしい」
「恥ずかしい……?」
ついに口に出してしまったせいか目の前の男が復唱してしまったせいか、梓の目から涙が次から次に流れてくる。腹どころか胸まで露わになって赤く染まる身体は女のものだ。首筋にある痣も口から垂れる涎もヴィラを煽る。それなのにヴィラを見上げる梓は子供のように泣きじゃくって、けれど真っ赤な顔から絞り出される声は情欲をかき立てる。
衝動に任せたい気持ちをなんとかおさえてヴィラは梓の涙を拭った。
「恥ずかしいというのはどういうことだ?この感情が恥ずべきものだと言うのか」
「ち、ちがっ、恥、恥じゃなくて、恥ずかしい、です」
「なにが違う」
違いが分からないのか梓に問うヴィラは真剣だ。
恥ずかしいと言っているのに更に説明まで要求されて梓は途方に暮れる。なにせさっきから梓はずっと普段なら口には出さないことを言わされて自覚させられている。梓だけが動揺して恥ずかしさに打ちのめされている。
「コウイウコト普通……私はしない。男の人、ヴィラさんに触られるだけで変になる……っ!はず、恥ずかしい」
「……俺に触られるとおかしくなるのか?お前はいつも俺を否定して受け流すが時々、お前はいまみたいに顔を赤くして普段見せない顔をする。それが恥ずかしいというのか?」
「なんで!わざわざ口にするの!?」
「否定しないのなら強請られているのかと思い違いをしそうな顔だからだ。あの日のことを覚えているか?」
少し離れていたはずの距離がすぐに埋められてしまう。
なのにようやく否定を言えた言葉はすぐに飲み込まれて。
「俺はあの日からずっとお前に触れたくてしょうがない。今だってお前が否定しないのをいいことに触れてしまう。俺の手にお前が震えるからもっと教えたくなる。ようやく俺の言葉を信じてくれるようになったのが嬉しい。それを今教えたい。なあ樹、恥ずかしいのは悪いことか?」
ヴィラには答え辛い質問ばかりされている。
言葉なく返事する梓にヴィラは微笑んだ。
「俺はお前のそういうところをもっと見たい。恥ずかしいと思えばいい、俺は嬉しい」
「うあ、へっへんたっ、変態」
「否定する理由は出来たか?」
「だから止めてって」
「お前の止めては恥ずかしいという意味なんだろう?なら止めるわけにはいかない」
服を脱いだヴィラが梓の手を自身の胸に添えさせる。好きなように触れと囁いた言葉を最後にヴィラは梓の肌に顔を埋めてしまった。生暖かい舌が肌を這う。食まれて吸いつかれるたび腹の奥がぎゅっと締め付けられて何も考えられなくなってしまう。
止めてという言葉は使えない。神子も、魔力が必要だからという手も使えない。それならヴィラが嫌だと言えばいい。ああでもそれは嘘だ。混乱と戸惑いはあるのは確かだが嫌悪は感じないのだ。下手に嘘を言ってしまえばまた問い詰められるだろう。そしてまた逆鱗に触れてしまえばもう許してはくれない。
「ん、ん」
脚の付け根に擦りつけられるソレの固さを感じる。背筋を這い上がる痺れに顔を背ければ首を食まれて声が隠せない。
「止めて?か?」
笑う顔が見える。赤く染まる顔にある黒い瞳は強請るように梓を見ていて……ゾクリと身体が震えた。先ほどヴィラが言ったことを思い出してしまう。
──私はこんな顔をしてたの?
欲に濡れた、乱れた表情。
「言え」
服が脱がされて太陽の光に裸が映る。
それを隠す余裕もなくてただ見上げるしか出来ない。
「一言だけでいいんだ。なんでもいい。俺を許すでも、止めてでも、ごめんなさいでも──選べ」
結局すべて同じ意味となるだろう言葉に力を振り絞ってヴィラを睨む。
──どうすればいいんだろう。
否定を言おうとして、けれど思い浮かばない。
──分からない。
分かったことはどれも梓を追い詰めるものばかりだ。
『それならお前は何をもって人を愛する』
『俺もよく分からないんだが、決まった形があるのか?』
『分からないのなら俺も一緒に考えさせてくれ。その時間が欲しい』
何度も言われる言葉に酔ってしまっただけなのかもしれない。よく分からないものに対するただの好奇心なのかもしれない。勘違いの可能性だって高い。快楽に流されてそう思い込んでるだけなのかもしれない。
──怖い。ああ、だけど。
何度も、何度も、どれだけ否定しても同じことを言ってくる男を見上げる。暴走するときもあるが話を聞いてくれもする。難しい表情が綻ぶ瞬間は目で追ってしまう。
──分からない。
「恋人だったら……追い詰めないでください」
小さな声。
けれどヴィラは確かにその耳で聞いた。聞き間違いではなかった。伸ばした自身の手は小さく震えている。指先が梓の頬に触れた。もう何度も何度も触れた感触。それなのに触れた瞬間心臓が大きく震えるのは何故だろう。頬に触れた手は余って指が黒髪に入り込む。項をくすぐってしまった指に梓は声を漏らし、じっと見続ければきっとハズカシイのだろう。睨んでくる。ゆっくり顔を近づけば見開いた眼が戸惑いに泳ぎ、怯えたように身体が少しばかり離れてしまう。けれど泳いだ目は動きを止めたかと思うとヴィラを映し出し──閉じる。
身体を繋げたわけでも夫になることを許された訳でもない。
それなのに触れた唇になにか満たされる想いが込みあがってくる。声を漏らした唇は閉じられることなくヴィラの舌を受け入れた。小さな身体が痺れるように震えている。いつも押し離してくる手はヴィラの腕に添えられている。くちゃりと啼き声が聞こえるのに否定は聞こえない。
──やはり俺は樹を愛しているのだろう。
そうでなければこの感情の説明が出来なかった。絵空事のように聞いていた愛というものは存在するものだったらしい。
「そうだな……恋人の頼みだ、聞くとしよう。お前も俺のことがよく分かってきたらしい」
次のひと月まで長い時間がある。その間にまた梓は余計なことを考えてあの日さえもなかったことにしてしまいかねない。届いた言葉さえ忘れてしまいそうだった。
けれど確かに梓はヴィラを恋人と言った。ソウイウ関係を意識して、自分の口で、自分の意志でそう言った。これほど嬉しいことがあるだろうか。ヴィラはどこに家を買おうかと悩みながらもう一度梓に口づける。けれど今度は胸を押されてしまった。
「服、着ます」
「まだいいだろう?」
「もう駄目です。ヴィラさんも準備しないと駄目じゃないですか」
「恋人でもさん付けのままか?」
「あ……」
ハッとした瞬間上半身を起こした梓がそのまま後ろへ逃げるように下がるが、眼福な光景がよく見えるようになったことには気がついていないんだろうか。どうせ怒られるのならとヴィラは梓の胸を掴み、口づける。案の定頭を殴られはしたが舐めて吸いつけば力なくした身体がヴィラの頭を抱えるようになって、調子に乗って痣を増やせば両頬を抓られる。
「見せつけてきたお前が悪いと思うが」
「してきたのはヴィラさんでしょう!?」
「そうだなお前が悪いわけじゃない。俺が勝手に欲情にかられただけだ」
「う゛ぁ、もう、もう服を着ます!」
「ヴィラ?」
「……何か御用ですかヴィラさん」
さんを強調する梓にヴィラは楽しそうに笑いながら服を渡す。梓はむくれながらも感謝を言って服を受け取るとすぐさま肌を隠してしまった。その間ヴィラは寒そうな裸足に手を伸ばすが最初に触れたときよりは温かい。
「さん付けでももう構わない。お前に触れる時間だけに呼ばれる名前というのも悪くない」
「え?……っ」
なんの話だと思った瞬間思い出したのはヴィラと過ごしたあの日だ。ヴィラに許しを請い呼び捨てたあの時間。
「だからそういう言い方止めてくれませんかっ?セクハラです……ヴィラ」
ヴィラが言うことを否定するためにわざと名前を呼び捨てて、けれど梓はすぐ後悔した。
──なんで言った私がダメージを食らうんだろう。
居た堪れなくなって服を握る手をヴィラが捕まえる。その顔を見れば真剣な表情で。
「もう一度」
「拒否します」
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がっくりと項垂れる梓を抱きしめたヴィラはすっかり眩しい部屋を見て目を伏せた。そして梓にもう一度だけと許しを請う。耳元囁かれた声に梓はしばらく動かなかった。けれどゆっくり、ゆっくりとヴィラを見上げる。
ヴィラは昨日までの不安を忘れて梓の唇をじっくりと味わう。
──もう逃げない。
安心して、笑った。
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