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第二章:変わる、代わる
84.コイビト
しおりを挟む時間が夜に近づくにつれて梓は落ち着かなくなる。ご飯を食べてお風呂に入って服を着こんで──暗くなってしまった空を見上げて蝋燭に火を灯そうか悩んでしまう。
明日でヴィラとの一月は終わる。加えてヴィラは明日朝から魔物討伐に出向くことになるので実質ヴィラと過ごすのは今日だけといって間違いない。
『今日の夜、また会おう』
普段言わないくせに今朝部屋を出るときそう言ったヴィラを思い出す。そもそも数日がかりの魔物討伐でない日は必ず来るのだからわざわざ言うことでもないだろう。
「寝ちゃおうそれがいいはず……」
そう思うが以前話があると言われたのにも関わらず寝てしまったせいでヴィラと妙な約束をする羽目になってしまった。いつまでもヴィラをさん付けで呼び慣れないせいでそれを盾に抱き締められてしまう。しまいには口づけられて身体に熱い体温を感じる。肌を動く熱は時間が経つにつれて梓の身体をおかしくさせ、銀色の髪の合間に見える黒い瞳は梓を映して弧を描き……ゾクリとして梓は頭を大きく振った。
──こんなおかしなことは今日で終わり。
自分に言い聞かせながら梓は紅茶に林檎ジャムを溶かす。ジャムはもう残り僅かで次の週末にでも買いに行きたいところだ。
『いらっしゃい樹』
老齢の店主と楽しそうに話すアラストを思い出す。
そして、城下町におりてから会っていない千佳のことを思い出した。
『俺は夫じゃないよ』
『アイツ勝手し放題じゃん!』
神子と聖騎士の関係とはなんだろう。
『聖騎士はどんどん死んだし城下町の奴らもメイドも、たっくさん死んだわ』
麗巳が言っていた12年前の事件で神子が死ぬことはなかったのだろうか。それに聖騎士も死ぬような大事件があったのなら貴重な神子を外へ出すはずがない。神子は本当に他国に下げ渡されることがあったのか。
──この城に残ってる神子は6人。
5年に1度に行われる召喚。1度の召喚で梓と白那と千佳の3人が召喚された。5年前には美海と莉瀬が召喚され、10年前には八重、15年前には麗巳。1度の召喚で1人から3人召喚されるということだろうか。
──本当に?
熱い紅茶を飲んでいるはずなのに寒気がしてしまう。梓は口のなか転がる林檎を舌で潰して飲み込んだ。甘い味が少しだけ梓の気持ちをほぐし、油断させる。
「今日は起きていたか」
「……こんばんは」
「こんばんは」
開いたドアに景色がふわりと揺れる。ついに来てしまったヴィラに梓は諦めてもうひとつの蝋燭に火を灯した。お陰で向かいの席に座った微笑むヴィラの顔がよく見える。
「お仕事お疲れ様です。紅茶、飲みますか?」
「……貰おう」
一瞬瞬いた眼がまた弧を描く。梓はヴィラのコップを取り出しながら居心地の悪さに口をつぐんだ。紅茶を淹れて渡せばヴィラは感謝を口にし、静かに味わう。
「前のひと月では最後話せなかったからな、起きていてくれて感謝する」
そういえばそうだったなと思い出した頭は静かな夜にヴィラが囁いた言葉も思い出してしまう。梓は視線を逸らしながら紅茶を飲んだ。
「俺を夫にすること考えてくれたか」
「っ」
「なにをそんなに驚く」
平静を装ったところでこれだ。梓はむせこみながらヴィラを見る。睨んでしまうのはヴィラがおかしなことを言ったとはまるで思っていない顔をしているからだ。自分だけ顔を赤くして狼狽えてしまっていることに馬鹿らしくなってくるのに、それでも熱はひかない。あの夜を思い出す。思い出してしまえば余計ヴィラから目が逸らせれなくなってしまう。
手を握られているわけでもベッドに身体を縫い付けられているわけでもない。それなのに梓を縛るのは間違いなく目の前に座り言葉を続けるヴィラだ。
「言っておくが俺は本気だ……ああ、これは土産だ」
ドキリとすることを言いながらもヴィラが突如差し出したのは木箱に入った苺だ。魔法を使ったのだろう。ヴィラは何もない空間から苺を取り出し、それを机に置いていた。梓は何度も目を瞬かせながら苺とヴィラを何度も見る。
「え?あ、苺」
「好きだろう?」
「好きです」
「……なによりだ」
微笑むヴィラに梓は我に返る。そして興奮に身を乗り出した。
「い、今の魔法ですよね!だって急に苺……どこから出したんですか?」
「どこと言われても分からない。そういうものだ。欲しいものを思い浮かべれば出てくるようになっているし収納したいものに魔法をかければ勝手に収納される。買ってすぐしまったから味も変わらない。食べるといい」
「ありがとうございます、いただきます。それって空間のなかは時間が止まってるということなんでしょうか?」
「そういうことなんだろう。数カ月保存した生肉を食べてなんの問題もなかったという実例もある」
「チャレンジャーですね……あ、美味しい」
よく分からない空間に詰めて数カ月経ったものを食べるのはなかなか勇気がいりそうだ。想像して眉が寄ってしまったが口のなか広がった甘い苺に表情が緩む。季節が外れているはずなのに酸っぱさよりも甘さが勝っている。あんまりにも美味しくて手は次に伸びてしまい、それを見守る目を見つけてしまう。梓を見るヴィラはなにやら背中がむずがゆくなる表情をしていた。見返し続けることが出来なかった梓は手を引っ込めながら可愛くないことを言う。
「変な話のあとじゃなかったらもっと美味しかったんですけど」
「なに?つまりお前は数個の苺で俺を意識するのか。ならば毎日届けてみようか」
耳を疑う言葉に梓は目を見開くがヴィラは噴き出すように笑って、ああ、からかわれたのかと納得する。梓は頬を膨らませ苺に手を伸ばした。
「余計なこと考えないで美味しく頂きます。どうもありがとうございます」
「そうするといい」
「それで魔法のことなんですけど、魔法って魔物への対抗手段でそれ以外にはあまり使えないものじゃないんですか?」
「その前にお前はまた話を逸らしていることに気がついているか?」
ヴィラの指摘に梓はハッとするが意図して話を逸らしたわけじゃないと言うことも難しい。話を元に戻されても困るのは確かだった。視線を泳がせる梓にヴィラは提案する。
「そうだな、お互い1つずつ質問していくのはどうだ?質問には必ず答えること、更にお前には苺を食べる権利もやろう。そのほうが気負わなくていいんだろう?」
「……魔法って魔物への対抗手段でそれ以外には使えないものじゃないんですか?」
むくれた梓はたっぷり悩んだあと苺に齧りつきながらヴィラに問う。ヴィラは紅茶を飲んだ。
「確かに魔法は魔物への重要な対抗手段だ。だが使えるのであれば、なにも魔物だけに通用するものでなくとも作れるはずだろう。少なくとも俺はそう考えているしそのお陰でこういった魔法も使えるのだと思う」
「その魔法をヴィラさんは作ったんですかっ?」
「次は俺の質問だ……お前は俺を愛しているか?」
「え?ああ、いえ……愛していません。そもそもヴィラさんの言う愛してるって消去法で出た答えじゃないですか。……えっと、私からの質問です。ヴィラさんは魔法を作れるんですか?」
「願うもの全てではないがそうだな、そういうことになる。厭う者を拒絶できる魔法も魔物への対抗手段ではないだろう?」
確かにそうだ。どうやら本当に魔法への考え方はそれぞれ違うらしい。
ウィドは魔法という奇跡は魔物にのみ使えるものだという考えで実際使える魔法は対魔物のみだと言っていた。
シェントは魔法を神の力とはいえ望みをすべて叶えるものではないと言っていたが、梓の願う魔法を使ってみせた。
毎日使っているキッチンも攻撃魔法を応用して誰にでも使える形にした魔法であるし、ルトが通信用に作ってみせた指輪も幻覚を作り出すブレスレットも魔物に対してのみ有効な魔法とは言えない。
魔法というものが本人の考えに左右されるところがあるのなら梓もいつかは魔法が思うように使えるのではないか。フランも思い続けていたら使えるようになったと言っていた。
それは考えるだけで頬が緩む。甘い苺。暗い瞳には気がつかない。
「樹は俺が嫌いか」
「っ」
突然の質問にまた驚いてしまうがルールを思い出して梓は苺を飲み込んだ。
「……いいえ」
答え辛い内容に笑みがうまく作れない。
どうせなら「俺が好きか」と言ってくれたほうがよかった。それならちゃんと答えられた。
「千佳みたいに城下町に下った神子って他にもいるんですか?」
「それは随分質問の範囲が広いな。今いる神子のことか?通算してか?」
「……今いる神子」
「千佳だけだ。次は俺の番だな、樹。さっきの問いに答えたときお前は何を悩んだ」
「悩んでいませんが。次は「樹」
紅茶に伸びた手が捕まれる。
梓は顔を上げ、俯いた。
「それは答えじゃないだろう?ならば質問を変えよう。どうすればお前は俺を信じる?」
「信じるってそんなの……色んなことを乗り越えて?一緒に過して……?とにかく、信じろって言われて信じられるとかそういうものじゃないです。私の質問ですっ。他国に行った神子は今までどれだけいるんですか?」
「……俺が知る限りは4名だ」
「4名……?」
多いのか少ないのかよく分からない数字だ。
悩む梓を見るヴィラの目がすうっと細くなるが、梓は気がつかない。
「出会った経緯は変えられない。それならお前は何をもって人を愛する。俺を愛してくれる?」
ヴィラはぶれることなくずっと同じことを梓に問い続ける。そのための方法を探して何度だって梓に考えさせる。
けれど梓は答えを持っていなくて。
梓は自分の手を握るヴィラの手を見ることしか出来なかった。
「分かりません……ごめんなさい。私本当に分かんない、分からないんです。愛とか言われても分からないし、っていうか怖いし、急にそんなこと言われても私」
「そうだな。だからせめて次のひと月までに考えてほしい」
ヴィラは何度だって梓に考えさえせるが、梓を待つ。それが梓の心を苦しくさせて、戸惑いや恥ずかしさに申し訳なさが混ざる。なにせどう考えても梓には自分が誰かをそう思うのが想像できなかった。過去にいいなと思う人はいたし憧れる人もいた。付き合ったこともあったし好きだなと思える人もいた。だがヴィラのようにまでなったことがない。
「……正直に言います。ヴィラさんがそう思ってくれるのを嬉しく思います。でもやっぱり分からないんです。だから待ってくれても私はきっと答えられません」
「……俺もよく分からないんだが、決まった形があるのか?」
「え?」
答えが出ないことが分かり切っているのに真剣であるらしいヴィラを待たせる形になるのはただ無意味なことにしか思えなかった。だから梓なりの誠意で正直な気持ちを告げたのだが、返ってきたヴィラの言葉は梓を混乱させる。
梓はヴィラの黒い瞳を見てしまった。
「お前の理想とする出会いがあって互いの言葉を信用できる関係があって……そういう理想が最初から揃っていなければお前は人を愛せないのか?俺は理想なんてものは持ち合わせていなかったがお前が欲しくなった。お前もそうなってほしいと思っている」
素直な疑問は梓を縛ってしまう。
理想とする出会いなんてものは特に抱いた記憶はないが、ヴィラのいわんとすることが分かって梓の眉が下がる。例えばだ。高校で同じクラスになって会話をするようになってそれからなんだか気になるようになってどちらかが告白して相手が了承して付き合って──それなら梓は想像できた。そしてきっとそれはヴィラがいう梓の理想なのだろう。ヴィラが知ればまた純粋な気持ちで梓を問い詰めるはずだ。高校という場所で同じクラスでなければ駄目だったのか、会話などの段階を踏んでお互いのことが気になるようにならなければ駄目なのか、告白という儀式をしなければ相手を愛せないのか。
「正解があるのなら教えてくれ。俺はそれに倣おう」
「いやそういうものじゃ……答えって……っ。分かりません、分からないんです」
途方に暮れる梓の目尻には涙が浮かんでいる。
それを見て感情のままに言葉を続けようとしたヴィラは自分を落ち着かせるために息を吐いた。それから、静かに続ける。
「俺の想いがそのままお前に分かれば苦労はしないんだがな。目で見える形に出来たならきっとお前はもう思い知ってくれているんだろうが」
労わるような話し方だというのにどこか恐ろしく感じて梓は嫌な汗をかいてしまう。けれどヴィラなりの気遣う言葉だということも分かって力なく笑った。
──流石にもう分かってる。
思い込んだら一直線という節もあるが、最低でもそうなってしまうぐらいの感情でヴィラが梓を想っていることは分かる。それが分かってしまったからどうしたらいいか分からないのだ。
「分からないのなら俺も一緒に考えさせてくれ。その時間が欲しい──だから俺を夫にしてほしいと言っている」
「はは……ヴィラさんは極端なんですよ。夫って」
「夫と妻以外にどういう関係が適切だ。この世界では共に過ごす女を妻と言うがお前の世界では他に何がある」
「この世界が極端すぎるんですね。他って……恋人です」
「なら恋人になろう」
「う゛―」
買い物に行こうというでもいうような気軽さに梓は唸るが、ヴィラもヴィラで別のことに頭を悩ませて唸る。
「だがお前を妻とするのなら安全な家が必要なうえ他にも夫が必要になるな……。俺だけでどうにかなるか?いや、安全には変えられん。あと数人は必要か」
「う゛――」
あれほど愛を告白してきたのにヴィラはアラストのように他の夫の存在を認めている。異世界での考えの違いに梓は力なく否定するしか出来なかった。
「夫じゃなくて恋人の話でしたよね」
だがヴィラは目を見開いたあと喜び隠しきれない子供のような笑みを浮かべる。
「そうだ恋人だったな」
「はい……え?なんの話題をしていたのか確かめただけですよ?ヴィラさんとの関係性を言ったわけじゃないですからね」
「なら俺とお前の関係はどういうものだ?」
「どういうって……聖騎士と神子です」
「聖騎士と神子でなければなんだ?」
「そ、その前提ありきの関係です」
「なら恋人というのはどういう関係だ」
「え……?お、想う相手?」
「想う相手?恋人……恋というのは白那が言っていたことだろう?なら間違いないだろう。俺はお前に恋をしていてお前を想っている。俺はお前の恋人なのだろう」
心臓をおかしくさせる笑みでヴィラは意味の分からないことを言う。
──恋してるんだか愛してるんだか、分からなくなってきた。それに恋人の使い方がおかしい。あれ?おかしいの?
最近ヴィラのせいで梓の周りを愛と恋が飛び交う。だが非常に困ったことだがヴィラはどちらの言葉も真剣に言っている。梓が愛という言葉に怯えるから恋と言うだけでその重さが変わらないのは梓も分かっていた。
「あとはお前が俺をどう思うかだけなんだろう?」
ヴィラが立ち上がって繋がれた手が引っ張られる。抱き締められて感じる体温は梓と同じぐらいの温度をしていた。
「やはり熱い」
梓を抱きしめていたヴィラが身体を屈め、それでも足りないからと梓の顎を撫でる手が梓の顔を上に向かせる。梓を見下ろすヴィラは幸せそうにみえる笑みを浮かべていた。
「お前がいまどんな顔をしているのか分かるか?少なくとも出会った最初お前が俺を見たときとはまるで違う。それを嬉しく思う……お前に伝わればいい」
「わっ!え!」
抱き上げられて梓は宙に浮く。まるで小さな子供と遊ぶように梓を軽々と持ち上げたヴィラの顔が下に見えて梓は目を白黒させた。ヴィラこそ自分がいまどんな顔をしているのか分かっているのだろうか。最初会ったときの無表情が嘘のように──え?
暗闇のなかオレンジに照らされる顔が消えてしまう。蝋燭が消えてしまったらしい。それも近くにあった蝋燭だけじゃなく遠くでも灯していた蝋燭全てだ。真っ暗になった視界のなか梓は自分を抱きしめる男の背中を叩く。
「今何したんですかっ?」
「魔法で消した」
「そんなことも出来るんですね、っていうかそんな無駄なことに魔力使わないでください」
「無駄なことじゃない。もう寝よう」
「わっ私はまだ寝ません。まだ起きときます」
バタバタと動く足を片手で抑え込んだヴィラは楽しそうに笑った。
「そんな状態のお前を一人で寝かせるはずがないだろう。せいぜい俺を意識して眠るといい」
「い!?別に意識なんかしてませんけど」
「そうか」
「う゛―っ」
ご機嫌な男はご機嫌斜めな梓の非難をものともしていない。なにせ冷たい布団のなか腕に抱く梓の身体は自分のものと同じぐらい熱く、柔らかい耳たぶはそれ以上の熱を持っている。それがヴィラは嬉しかった。思えば梓はヴィラに色んな感情を教えてくれる。
──罰が落ちようと構わない。
そんなことを思ってしまうぐらい、梓の反応はヴィラの胸を震わせた。
『他って……恋人です』
快楽に酔わせているわけでもないのに梓は顔を真っ赤にしてヴィラを見上げてそう言った。夫以外の関係性を問うて出た恋人という答えを口にしたとき一瞬でもヴィラをあてはめたのだろう。可能性はあるのだ。
言葉でこうも雁字搦めになってくれるのなら何度でも囁こう。身体に教えた快楽で意識してくれるようになるのなら何度でも教えよう。
そう思うのに、喜びに震えたぶん暗い気持ちがヴィラを支配する。
──明日から俺のものじゃなくなる。
梓を抱く力を込めればビクリと動く身体。それ以上なにもしないのが分かると固まった身体は力を無くしていく。終いには寝息まで聞こえてきて。
「樹」
静かな部屋にヴィラの言葉だけが落ちていく。どうやら梓は本当に寝ているようだ。規則正しい呼吸を聞いてヴィラの目が細まる。
魔法を望み、城下町や他国へ移った神子に興味を持っている。他国へ移る神子がいることをなぜ知っているのだろう。分かるのは随分と色々調べているということだ。この小さな頭でなにを考えているのだろう。
「俺から逃げるだけじゃなくここからも逃げようとしているのか?」
自分の気持ちだけではなく梓の気持ちも見えるようになったらいい。そうしたらもっとうまく梓をこの腕に抱けるだろうに。
それをうまくやれるだろう人物を思い描いてしまったヴィラは目を閉じる。
明日は少し早く起きよう。そうしたらまた声が聞ける。
「……お休み」
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