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第二章:変わる、代わる

77.考える、

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──なにを間違えてしまったんだろう。
行儀悪くも膝を抱えながら椅子の座面に足裏つけて座る梓は毛布にくるまって重い溜息を吐く。俯いた視線がゆっくり移動する。暗い夜を照らす蝋燭は机に置かれた指輪を梓の視界に映した。指輪にはめられた球の色が変わったが毛布からのぞく顔は浮かない。けれど数秒後、小言を覚悟した手がゆっくり指輪に伸びた。

「ようやく出たか」
「お久しぶりですルトさん」
「ああ。本当に久しぶりだな」

最後に連絡を取ってから1週間が経っただろうか。梓を研究対象としているルトからすればこれは相当長い時間だったのは間違いない。
──それは分かるけどつっかからないでほしい。
梓は溜息吐きながら指輪から聞こえてくる不満を聞き流す。まともに聞く元気はなかった。久しぶりの1人の夜なのにも関わらずルトと連絡を取らなければと重い腰をあげたのにこれ以上心労を増やしたくはない。

「私だって色々あったんです」
「色々?言ってみろ」

研究を邪魔する理由になるものか判断してやろう、などとルトは鼻を鳴らしているが梓は溜息しか出ない。
梓の悩みの種はヴィラだった。梓に触れず口づけをしない代わりにヴィラと呼び捨て夜は抱き枕として共に寝る。そんな妙な約束をしてからというものヴィラは高確率で夜に来ることになった。いや、朝でも昼でも来るには来るが約束をしてからというもの今日のような数日がかりの魔物討伐がない限り必ず夜に来て朝まで一緒に過ごすようになったのだ。
気まずさにヴィラが寝てから布団に入ろうとするも、寒さに震えるのを見られればすぐに蝋燭を消されてあっという間に布団のなか抱き枕状態だ。冷えた手足がヴィラの肌に触れ身体は温もりに包まれる。耳元で寝ろと非難する声に驚いても緊張に身体を固くしても、ヴィラはめげずに梓を抱き寄せそのまま離さない。真正面から抱きしめられるのも背後から抱きしめられるのもいつまで経っても慣れない。
しかしながらこれがすこぶる問題なのだがヴィラとそうやって夜を過ごすのが普通にもなってきている。なによりどれだけ恥ずかしくとも一緒に布団に入ってしまえばその温かさにまどろんでしまうし、朝起きるときは以前よりも布団から出てしまうのが辛いのだ。


「つき──樹」
「え?はいなんですか?」
「お前まさか寝ていたのか?」
「まさか」


とぼけるがルトは舌打ちしている。これはいけないと梓は頬をぺちぺちと叩く。

「私が今どこにいるか知っていますか?」
「なにを言っている。城だろう?」
「なんのためにですか」
「なにを──そういうことか。そうか、そうだな。お前もこの世界のために身を費やしていたのだな。これからも励んでくれ」
「え、ちょっと待ってください」

いつも自分で考えろというルトの真似をして返事をしていたらなにか妙な勘違いをされた気がする。梓は今にも通信を切ってしまいそうなルトに慌てて呼びかけた。

「励めって言い方止めて下さい。あと、関係ないかもですが私の名誉のために言っておきますと聖騎士と関係を持っていませんから」
「……?何を言っている」
「一緒に過ごすだけでも魔力は移るんですし私はヤッてません」
「ヤッて……?」
「私が言いたかったのは部屋に聖騎士が来るのであなたと連絡がとれなかったってだけで……あ、もしかして別にソウイウ関係を指したわけじゃなかったですか?」

てっきり励めと言ったのはソウイウ意味合いだと思って反論したがルトは不思議そうに呟いている。話しているうちにもしや勘違いだったのかと梓は顔を青くしたり赤くしたりと忙しいが、訝し気に続けられたルトの言葉から梓が考えた意味合いで間違いないようだ。

「お前は聖騎士と身体を重ねていないのか?まさか──ああそうか、祈ればいいのだったな」
「別に祈ってませんよ。一緒にいれば移るんですから一緒にいるだけ、です」

だけという部分を強調したが指輪の向こうのルトは疑問に頭を悩ませているのだろう。言葉にならない唸り声が聞こえた。

「確かに女の傍にいるだけで魔力が移るには移るが心許ないものだ。それで魔物討伐となると聖騎士たちには厳しいものだろう」
「え、そうなんですか?……大丈夫とは言っていたんですが」
「……それならお前が気に病むことはないだろう。最低限の義務はこなしているんだ」

魔物の姿を見たことがあるぶん急に不安になってしまったがルトからの思わぬ気遣いだ。そしてルトらしい引っかかる言葉。
──でもそれは私も思ったことだ。
人から言われると少し癪に触ってしまうが、ルトの言うように神子としての最低限の義務をこなしているのだ。だから、気に病む必要はない。梓は口を尖らせながら毛布を握りしめる。

「神子の義務ですか」
「……そうだろう?男はその手で魔物を屠り女は魔物を退けるためここに残る。神子はその力を男に──聖騎士に託しここを守る。それが役割だ」
「え、ちょっと待ってください。なんですかそれ。それはルトさんの考えですか?本とかに載っていることですか?」
「それという言い方はよく分からないが、これは皆が知っていることだ」
「知っていること」

今まで神子や聖騎士について本を読み漁ってきて周りの人から色々話を聞いてきた。けれどいまルトが読み上げるように言った言葉は見たことも聞いたこともなかった。兵士や聖騎士が毎日のように魔物と戦うことや女性が外に出ず家にいることも、神子はその魔力の多さ故に異世界召喚という誘拐をされ続け聖騎士に魔力を渡していることは知っている。
──役割?
梓は違和感に眉を寄せた。

「男はの部分は分かりますが女の役割、魔物を退けるためってどうやってですか?女は魔力を持っているだけでしょう?」
「……魔物は魔法を苦手とする故に魔法の源である魔力を持つ女を苦手とする。そしてこの世界ではその国に住む女たちから得られる魔力を元に守りの魔法がかけている。以前この世界の女について話したとき言ったな。この城に女は集められるが強制ではないと。それはそれでメリットはあるからだ。守りの魔法はこの城を軸に展開し国全体を覆ってはいるが、点在している女たちもその柱となって守りの魔法を補強している。女がここに残る理由だ」

魔物が魔力を苦手とするという説明に女兵士がいたら最強だなと呑気に考えていた梓は続けられる話に眉を寄せていく。ずるりと毛布が落ちてようやく我に返った梓は心を鎮めるために冷えてしまった紅茶を飲んだ。冷たい。

「女性が家から出ないのは身の安全ってだけでなく守りの魔法を支えるためでもあるということですか」
「女が動き回ろうが別に問題はないが動かないほうがその地域は安全だろうな」

どうやら本当に女性自身が守りの魔法のような役割を果たしているらしい。動く魔法とまでいうとおかしいだろうか。
──魔法と魔力って言うのがますます分からなくなった。
今度は梓が言葉にならない唸り声をあげてしまう。梓が話し出すまでルトは喋らない。

「神子が聖騎士に力を託して守るココって、この国のことですか?」

別にそんなつもりはないと言いながら嗤ってしまうが、返ってきた言葉は真面目なものだった。

「この世界のことだ。お前らはこの世界に居るだけでいい」
「それで聖騎士と身体を重ねればなお良いって感じですか」

さっきよりも役割が増えたと非難しながら思い出したのはシェントの言葉だ。シェントもルトのように神子は居るだけでいいと言っていた。

「なぜお前は身体を重ねることをそこまで毛嫌いする」
「……この世界に誘拐してきた人たちに最初っから魔力目当てだって言われたうえでなんで身体まで捧げなきゃいけないんですか」
「それはあれか?愛してなければ嫌だとかそういうことか?」
「好きじゃない人としませんよ。そもそも好きじゃない人と毎晩一緒に夜を過ごすのだっておかしい」
「……?ならば好きになればいいということだろう」
「え、いや、そういう問題じゃ……?」

ルトから愛という言葉が出たことも驚くが、するりと自分の口から出たヴィラへの不満に返ってきたルトなりの正解に梓は戸惑う。そういう問題じゃないと怒りたいところだが、千佳のように好きになっていればなんの問題もなかっただろう。まあ、あれはあれで問題はあるが。

「お前らは妙なことを言う。愛なんて感情は必要か?大事なのは生きることだ。この世界に住む者は皆恐れを抱いて過ごしている。欠けることなく魔物と戦い続けるのは無理な話だ。それでも毎日魔物と戦わなければすぐにでもこの世界は滅びるだろうし女が子を産まなければ欠けた人は埋まらずやはり滅ぶだろう。魔物と戦う男がいなくなればいくら守りの魔法があるとはいえ魔物の大群に耐えられるはずがない。そもそも魔法を使える男がいなければ守りの魔法も終わりだ。
お前らは女としてと訴えるがこの世界の女は子を産むことが誉れであり存在価値だ」

随分な良いように梓は言葉を無くすがルトは気後れすることなく言う。

「信じられないのならお前が知っている女たちに聞けばいい。神子として問えばこの世界に住む女も男も嘘を言うことはないだろう」
「……ですがルトさんみたいに言わないこともあるんじゃないですか。前、女性の立場のことを話したときこの話はしてくれなかったじゃないですか」
「お前の気持ちを汲んでそれこそ一から十まで丁寧に教えてやればよかったか?」
「そうして下さると嬉しいですね」
「それなら次会うときには指輪を返してもらおう。お前を研究する価値もその言葉の前にゴミと化した」
「え?ルトさん」

嫌な予感にルトを呼ぶが遅かった。指輪は黒くなってしまい言葉は返ってこない。
──そんなこと言ったって。
自分で考えろと事あるごとに言っては梓が考えなしに発言をするたびルトは不愉快に顔を歪めていた。それを忘れ考えることを放棄した梓の発言はルトにとって許せないことだったのだろう。分かるが、理不尽にも思えて梓は立ち上がる。乱暴に蝋燭を消し歩く顔は不満でいっぱいだ。

『愛なんて感情は必要か?』

知らない。

『男はその手で魔物を屠り女は魔物を退けるためここに残る。神子はその力を男に──聖騎士に託しここを守る』

知らない。

『女が子を産まなければ欠けた人は埋まらずやはり滅ぶ』

知らない。
梓は真っ暗になった部屋に立ちつくしながら窓から見える外を眺めた。森に隠れて見えないその先には城下町がある。そこで出会った人たちは皆笑っていて商売にも活気があった。

『この世界に住む者は皆恐れを抱いて過ごしている』

確かに魔物は恐ろしく、夢ごしだったとはいえもう2度と見たくないものだ。だが魔物は外に居て森を徘徊しているだけの存在で、毎日魔物と戦い、人員を補充するように子供を望まれそれを女が誇りに思うまでとは思えない。それぐらいこの城は魔物と縁遠い。陰謀や様々な想いが交錯しているとはいえこの城や城下町で過ごす人たちの表情からルトが言うような鬼気迫ったものは見つけられなかった。
──そうだった、はず。
梓は違和感に胸をおさえて俯く。

『あの日はとても楽しかったわ。聖騎士はどんどん死んだし城下町の奴らもメイドも、たっくさん死んだわ』

梓の知らないあの日。
麗巳が楽しそうに語ったことが真実ならば、12年と少し前に魔物がこの国に現れて城を壊し多くの人を殺した。守りの魔法を破って……守りの魔法を補強する役割を持つ女性が1番多く集まるこの城にまで魔物が現れたのはどういう意味になりうるだろう。

ガタガタと風に揺れた窓の音に梓は上がりそうになった悲鳴を堪えて、1人、じっと外を見続ける。
おめでたい話だと嗤った自分の声が聞こえた気がした。






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