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【トアと過ごす時間】

63.フィルターの先

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花の間に本を戻しに行った梓はソファに腰かけて優雅にお茶を飲む美海を見つけた。美海は今日もヒラヒラで豪華なドレスを着ていて、梓を見るなりここにきた理由を察して眉をひそめている。

「あなたまた本?」
「はい」
「飽きないわね」

溜息を扇子で隠す美海の動作は様になっていて梓は変に感動してしまう。相変わらず目を引く扇子はよく見れば以前に見た物とは違うらしい。美海の動きに合わせて羽根がふわりと揺れる。
それを呑気に眺めていた梓の数秒は美海にとっては長かったのだろう。じっと見られていることに居心地悪そうに身体を揺らした美海はメイドを呼んでお茶を追加で頼んだ。そしていまだ自分を、いや、扇子を見続ける梓を誘う。

「折角だし座れば?」
「え?……お邪魔します」
「どうぞ」

緩やかに下がる目尻とは違い好戦的に吊り上がる口元に梓は一瞬悩んだが、誘いを受けることにした。本を戻して席に座ると同時にメイドがお茶を持ってきてくれる。それに感謝を述べて、それで……どうしたものだろう。

「……」
「……」

お茶を飲んで、カップを置く。
美味しい。
視線を目の前の人に移せば、目の前の人も同じことをしたらしく視線がかち合った。下がる眉に寄る眉。

「……何か話しなさいよ」
「え、あー」

続く沈黙に先に折れたのは美海だった。口元を扇子で隠しながらソファに深く腰掛ける。
──困った。
梓は心底悩みながらもう一口お茶を飲んだ。なにせ話すことがなかった。
『私はトアが可愛くて一番いいわ』
美海がトアを一番のお気に入りということを思い出してしまえば聖騎士の話題は避けたいところだ。千佳みたいな反応をされたら面倒以外なにものでもない。
──話題、話題……美海さん……?あ。

「美海さんって刺繍が好きなんですよね。部屋で刺繍されてるんですか?」
「そうよ。でもあなたに関係ある?」
「……ないですね」
「そう」

気を取り直してもう一度お茶を飲んでみるが既に腹はいっぱいだ。
──美海さんが楽しい話題ってなんだろう?
もう一度考えてみるものの会話した回数が少なすぎて手掛かりがない。そもそもなぜ一緒にお茶をしようと誘ったのだろう。

「八重さんと仲が良いんですか?以前お会いしたとき親しそうだったので」
「あなたに関係ある?」
「八重さんってどんな方なんだろうなって思いまして」
「だから何?」
「あはは……」

──打つ手なしだ。
空笑いする梓だが、そんな梓を見てようやく美海が自ら口を開いた。

「八重さんがどんな方なんだろうって思ってなんで私に聞くのよ」
「え?ああ、すみません。美海さんと八重さんは親しそうに見えたので八重さんのことを教えて貰らえたらなと思いました……私たちの共通する人のことだったら話題になるかなって」
「そう」

訳を話せば話すほどなぜだか恥ずかしくなって梓の口はへの字になってしまう。
美海はしばらく黙っていた。


「っ」


そして突然、扇子を閉じてバンッと机に置いた。
急なことに梓は身体を固くして美海の言動を見守るが、美海は机に置いた扇子を見て動かない。大きな扇子だ。色鮮やかな羽根は美しくきっと柔らかな肌触りをしているのだろう。この世界に孔雀はいるのだろうか。いなくともこの羽根を持つ鳥はさぞかし美しいはずだ。そんなふうに思考を飛ばす梓に小さな呻き声が耳に届く。呻き声?
顔を起こせば扇子を見続ける美海がゆっくりと唇を動かした。

「これ、私が作ったわ」
「え?え!ああ……え?凄い、です」

美海がこの扇子を作ったのは驚きだが一連の流れからこの告白という展開に梓は頭がついていかない。

「あなたずっとこれを見ていたでしょ」
「ぅあ、はい。ずっと気になっていました」
「言えばいいじゃない。あなたってずっと見てるだけでしょ」

キッと睨みつけるように梓を見た美海の顔は赤い。
──なんで怒ってるの?それになんで顔が赤いの?
梓は美海の言動が読めず混乱しっぱなしだが、お前は言葉にしないと訴えてくる美海の言い分はトアにも言われたことだ。梓は少し不貞腐れたくなったが思い切って聞いてみることにした。

「なんでドレスを着てるんですか?扇子もですがずっと気になってたんです。凄い綺麗ですけど移動のとき邪魔じゃないのかなって」
「一言余計だけど褒めてくれてドウモ。これ、私が作ったのよ。力作は着てなんぼでしょ」
「え!作った!これをですか!?」
「なにあなた急に五月蠅いわね」
「このドレスを?!」
「そうよ」

驚きのあまり梓は身を乗り出してドレスをまじまじと見てしまう。レースが贅沢にあしらわれ細かい刺繍が施されている。つなぎ目は梓の目では見つけることが出来なかった。とてもじゃないがこれを人が作ったとは思えない。いや、あるということは誰かが作ったということなのだが梓には信じられなかった。裁縫の腕は最低限のことしか出来ない梓はこの匠の仕事をやってのけた美海が恐ろしい人物に見えてしまう。一体どれだけの時間をかけたのだろう。

「あなたなに考えてるのよ。素直に褒めなさい」
「凄いです。本当に信じられないぐらい凄いです、え?凄すぎませんか……?」
「あなた大丈夫?」

驚きのあまり同じことしか言えない梓だったが、それ故梓の言葉が心からのものだというのが分かったのだろう。美海の唇が震えながらゆるゆると微笑みを作る。
──あ。
赤い顔、素直に喜ばない口元、キツイ口調。
そんな美海を見て梓は予感に呆然としてしまう。勿論、それに気がつかない美海ではなかった。すぐさま机に置いた扇子を取ったあと一瞬で開いて口元を隠してしまう。
──扇子は自分の表情を隠すためだったんだ。もしかして……

「その扇子も作られたんですよね?凄いです。てっきり職人さんが作ってるんだと思っていました。その羽根は孔雀ですか?」
「く、孔雀ではないわ。ロドロド鳥という魔物の羽根よ」
「魔物の羽根なんですか?凄い綺麗ですね」
「そうよこれはトアが私に贈ってくれたのよ。綺麗でしょ」

顔が見えずとも分かる弾んだ声を聞きながら梓が感心に唸れば、一度視線を逸らした美海がおずおずと扇子を開いた。やはり、美しい。

「本当に凄いですね……綺麗です」
「ふふっ、まあ当然よ」

美海の口調は最初に会ったときのようにプライドが高そうなものだが、頬だけでなく額まで赤くして話す美海を見ていたらもう距離を置いておきたいと思う相手ではなくなった。
──美海さんってツンデレっていうか、コミュ症?親近感沸く……。
梓は随分失礼なことを考えながら梓とは違った意味でコミュニケーション能力が低い美海に色々質問を投げかける。
美海と梓は最初の無言が嘘のように話に花を咲かせた。



「トアはねえ、はにかんだ顔が可愛いのよ。いたずらっ子みたいでしょ?無邪気で可愛いわ」
「う゛うーふふ、確かに無邪気ですねえ」
「だからその含んだ言い方止めてくれない?」
「悪ガキって感じですよねえ」
「どういう意味よ」


話しは自然と聖騎士の話になってトアの話になってしまったが、懸念した千佳のような会話になることはなかった。それどころかトアの良さを語ることが出来る相手として喜ばれているようだ。
手を組みながらトアのことを語る美海は完全に恋する乙女で、梓はケーキを食べながら分からないと唸る。

「ん―あれですね、トアって弟キャラって感じですね」
「分かるわ!分かる……っ!可愛いわぁ……」
「本当に好きなんですね……」
「最推しよ」

重さを感じる言葉を吐き出す美海を眺めながらもう一口ケーキを食べれば、美海は梓の代わりとばかりに話しを続けた。梓は時々相槌を打ったり自分の考えを話すだけでほとんど美海が話しているのだが、美海との会話は面白く気がつけば時間が経っていた、らしい。


「最推しってなになに?なんの話?メッチャ楽しそうじゃんっ」


花の間にやってきた白那が目を輝かせながら会話に割り込んできた。

「あ、白那」
「やほ」

にかっと歯を見せて笑った白那が梓に奥へ行けと身体を押し、梓は行儀悪くフォークを口にしながら移動する。

「あ、私もケーキひとつお願いしまーす!それでそれで?なんの話?あ、美海だよね?」
「……」
「てか相変わらずその扇子凄すぎない?私も一回エリザベスの服着たときに使ってみたけどちょー邪魔だよね」
「……」

白那が現れたときから無言になっていたことに気がついてはいたが、美海は扇子で口どころか目以外すべてを隠して完全に見えない壁を作っていた。細められた目ははっきりと警戒を表している。
──美海さんもカナリアさんと同じぐらい分かりやすい人だなあ。
美海の性格が分かってしまった梓からすれば美海の行動を見てもほっこりするだけだ。現に梓は微笑みながら美海を見守っている。
──私、神子っていう言葉で美海さんを判断してたんだな。
恐怖の対象でしかなかった聖騎士は話していくうちにヴィラという人になった。それから一緒に過ごした人たちも全員そうだ。それは聖騎士だけではなかったらしい。この国で過ごすうちに神子という言葉は怪しげで恐ろしいものになってしまい、先の神子もそんなフィルターを通して見てしまったのだろう。

「ねえなんで黙ってんの?あ、急に入ってきてビックリした?ごめんねー」
「あなた五月蠅いってよく言われない?」
「あはは!言われるけどよく分かったね!」
「……」

白那と美海の会話を聞きながらいつ美海に助け舟を出そうかと梓は考えるが、とりあえずケーキを食べることにした。なにせ心配することは何もない。
──ちゃんと話してみればそういうのは一部分だけでしかないってことが分かる。私、もっとちゃんと色んな人と話してみよう。それで、ちゃんと言葉にして聞いてみよう。


そしたら嫌いとか怖いっていう気持ちで人を見なくてすむ。


それはなんだか素晴らしいことのように思う。人を疑って過ごすのも怖がって毎日を過ごすのもしんどい。腹を探って安全な場所を探して虚勢を張るのも、疲れてしまうのだ。
会話をすることでそんなことをしなくてもいい相手なのだと分かるのなら、それに越したことはないはずだ。
梓はお皿に残ったケーキを大きな口を開けてぺろりと食べてしまう。細かく砕かれたピスタチオがのったキャラメルクリーム。
甘苦い味が口の中に広がった。


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