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【シェントと過ごす時間】
48.作った表情
しおりを挟む朝起きて今日もまだ眠っていたいという欲と戦いながら服を着替える。そしていつものように髪をピンでとめようとして視界が明るいことに気がついた。
──髪切ったんだっけ。
梓は欠伸をしながらかるくストレッチをして昨日のことを思い出す。髪がキレイで細身な神子、莉瀬。この世界に来た頃は先に来ている神子に会いたいとか何をして過ごしているんだろうと興味を持っていたが、今はできるだけ関わりたくないという気持ちのほうが強い。
まだ会っていない神子は二人。そのうち一人は見かけたことがある。莉瀬と正反対のふくよかな神子なのだが、そのとき聞こえた会話から察するに曲者であることはまず間違いない。
──なにもなく過ごせたらいいんだけど。
無理だと思うが願わずにはいられない。梓は溜息吐いたあと気持ちを切り替える。
「おはようございます」
「おはようございます」
花の間を通ればメイドがにっこり笑って挨拶をしてくれて、梓も微笑み返せばそのうちの一人が小さく手を振ってくれた。今までなかったことに驚いたがそのメイドがララだったことが分かって梓は笑みを深める。梓も小さく手を振って花の間を出た。
──今日は晴れてるしキッチンも手に入るしいいことあるかも。
ご機嫌な梓は日課のランニングに5週追加出来てしまうぐらい絶好調だった。けれど流石に走りすぎたらしくノルマが終わったときには暑さもあって汗が止まらない。運動器具にだらしなく寝転がりながら空を見上げる。
──クッキー沢山作って常備したいなあ。ティーセットも揃えたい。
どんなに走っても欲が消えることはないらしい。梓は居ても立っても居られないと身体を起こして約束の時間までに用事を済ますことにした。やることは山積みだ。服を着替えてご飯を食べてキッチンを置く場所を決めて……そんな楽しい予定が目の前に突然現れた現実に霧散する。テイルだ。なぜかテイルが広場に、それも梓の近くで立ちつくしていた。
「え?」
夢に想いを馳せていた梓が驚くのは至極当然といえるが、なぜかテイルも梓を見て驚いている。
──だったらテイルも私がここにいると思わなかったってこと?でもここで走ってるってことは知ってるはずなのに。
『聖騎士は自分の神子以外の神子に会ってはいけない決まりがあるんだ』
アラストの言葉を信じればテイルの神子でないいま会うのはおかしい。思いがけず会ったのだとしてもなぜかテイルは梓を凝視して動かない。警戒した梓は辺りを窺ったあとまたテイルを見るが、その視線を見ていたら気を張りすぎていたことに気がつく。テイルの視線は昨夜のシェントと同じものだ。短くなった髪が物珍しいのだろう。
梓は頬を伝う汗に気がついて汗を拭きながら立ち上がった。
「おはようござ「本当に髪が、ない」
とりあえず挨拶だけでもして部屋に戻ろうとした梓の言葉に呆然としたテイルの声が重なる。これには梓も眉を寄せた。
「禿げてるみたいな言い方ですけどちゃんとありますよ」
「髪が……」
「……驚きすきじゃないですか?この世界では女性が髪を切るのは珍しいんでしょうか」
「……」
「そうですか」
言葉なく頷くテイルに梓は溜息を吐く。
──前髪を切っただけでこの反応ならスキンヘッドにしたらどうなるんだろう。
テイルが梓の心を読めたのなら目を見開き立ち尽くしたまま気絶するかもしれないだろうことを考えながら梓はそういえばと思い出した。テイルと会うのは触れなくなったと分かったあの日以来だ。あのときもこの広場で会って……胸を刺した罪悪感が蘇る。同時に勝手なテイルにフツフツと苛立ちが沸いてきた。
「というより私と会わないほうがいいんじゃないですか?」
「……え?」
「私は今テイルの神子じゃないので」
言いながらまるで拗ねているようだと思ってしまって声はだんだん小さくなっていく。テイルの雰囲気が変わったのも原因だろう。呆然としていたはずの顔が鋭いものになった。
「誰だ?それを言った奴」
「ここで数カ月過ごしていたら分かりますよ。ヴィラさんともテイルとも会わなくなったし……神子もそうですね。まあいいや、当たってたんですね」
鎌をかけたという梓に黙るテイル。険しい顔は変わらず梓は内心冷や汗をかいた。
──一番適当そうなのにこの反応は意外だった。テイルにこういうことを聞くのは止めとこう。
思いがけず危ない橋を渡ってしまった梓だが、収穫はあった。聖騎士内での約束はアラストが内緒といったように神子に伝えてはならないものだったらしい。そうまでして聖騎士が神子との接触を制限しているのはなぜだろう。一月を一人と過ごすことを崩さないためだろうか。果たしてそれになんの意味があるのだろう。このルールにそれほどメリットがあるだろうか。
なにか引っかかるが答えは分からない。
「それじゃあ、そういうことで」
分かるのは買い物の準備をしたいことと、この場を誰かに見られてしまうのはよろしくないということだ。アラストの忠告は記憶に新しい。
けれど通り過ぎる梓を追うように手が伸びてきて、その手が梓の手を摑まえず宙をきったのを見てしまった。数歩歩いて振り返る梓と、宙をきった手を握りしめるテイル。
緑色の瞳に梓が映った。
「また来る」
テイルはそう言うなり広場をおりていき訓練場があるらしい場所へと去っていく。そんなテイルの後ろ姿を見ながら梓はどういうことだと眉を寄せた。ルールを聖騎士の誰かが話したと察したとき厳しい顔をしたくせに自分はルールを破る。梓が広場で走っているのを知っているくせにわざわざ来て──テイルの腹が読めない。
「……走る時間ずらそ」
真面目な顔で呟いた梓はふとあることに気がついた
『すれ違うことも多いと思いますので、こういったときには私たちをお使い下さい』
『私は大体朝でも夜でも7時から9時の時間は花の間にいる』
『メイドとかシェントに聞いた』
『噂になってたから』
聖騎士やメイド同士で神子の情報交換が行われているのなら白那がしていたように神子も情報をやりとりしているのだろう。例えばその情報を使って会いたくない神子がいる時間を避けることだってできるはず。
梓は分かりやすい生活をしている。朝起きて日課のランニング、朝でも夜でも七時から九時の間に花の間にいることが多く部屋では本ばかり読んでいる。
これだけおさえておけば避けようと思えば避けられるだろう。
──数カ月経ったのに七人しかいなかった神子全員に会わないのは変だなって思ってたけど、もしかしたら意図的だったのかもしれない。
だとしたらそのメリットは?……そこまでは思い浮かばない。ただ、もしこの予想が当たっていたのなら生活リズムを崩せば他の神子に会う確率は上がるだろう。逆に言えば会いたくなければ生活リズムは崩さないほうがいいということでもある。
──しばらくはランニングを止めて部屋で筋トレでもしよう。
残念ではあるが何か起きてしまうよりましだと言い聞かせて部屋に戻った梓は準備を始めた。
「シェントさんお待たせしました」
「いえ、少し早いぐらいですよ」
待ち合わせ時間の十五分前だというのに既にシェントがいて梓は驚きに目を瞬かせる。なによりも驚いたのはシェントの私服だ。ズボンと半袖、これはいいと思うが上下真っ黒で普段とのギャップが凄い。髪を後ろでひとつに縛るシェントは体格がよく分かる服装だからか麗人のようには思えない。どこからどうみても美丈夫だ。
──服装で人って変わるんだ……凄い……。
感心する梓を見てシェントは首を傾げているが、諦めたのかフッと笑って梓を誘う。
「キッチンを扱っている店は数店舗しかありませんが、樹は他にも見たいところはありますか?」
「はい、今日もお店を出しているか分かりませんが城下町入り口で露店をしているおじいちゃんのところに行きたいんです。以前ヴィラさんと白那と買い物に行ったとき色々お願いしてて」
「お願い?」
「本とノートとペンの種類を増やしてほしいってお願いしたんです」
「樹は本当に本が好きなんですね」
「することがないからっていうのもあるんですけど本は好きです。それにこの世界の常識は私にとって小説や絵本のようなもので面白いです」
「この世界が物語のように思えるぐらい樹の世界とは違うんですか」
「そうですね、ええと──」
興味深そうな顔に応えながら梓は不思議な気持ちになる。この世界に連れてきた一人でそれも権力者であろうシェントに元の世界の話をしている。この世界と元の世界の違いをお互い話して凄いと驚いて、それでと話を続けているのだ。召喚されたときに同じような質問をされたら不快に思っていただろうに。
「──ああそうだ。この前城下町におりたときも思ったんですがこの世界は本当に女性が少ないんですね。私が住んでいた場所では女性が少ないということはなかったので不思議な感じがします。いつ頃から女性の数が減ってきたんですか?」
「いつ頃というのは?」
「女性が少なくなるにしても最初があったと思うんです。なにかきっかけがあったのかなって。それが分かったら……対策もたてられるんじゃないかと思ったんですけど、まあ、興味本位です」
それが分かったら召喚なんてしなくてもよかったんじゃないか、という言葉は言わなくても伝わってしまっただろう。黙って微笑んだシェントから視線を逸らして梓は見えてきた露店に視線を走らせる。
そして見つけた年配の男性の姿にほっと胸をなでおろした。
「……世界中でその研究は進められていますが女性が少なくなったのはいつ頃からということさえ未だはっきりしていません。気がついた頃には手遅れになっていて女性は保護することになりました」
「……」
「王都ペーリッシュでさえ外を歩ける女性は少ない」
「……保護というのはどういうものなんですか」
静かに話し続けるシェントに質問するのは勇気がいった。けれど聞いておかねばと焦りが心を押す。シェントは梓を見て、それから城下町に視線を移した。
「言葉通りですよ。女性は守らなければならない存在で、この世界は、外は危険に満ち溢れている」
この世界は、外は……。
「そうですか。あ、先ほど話したおじいちゃんを見つけました」
「よかったですね」
微笑むシェントに梓も微笑む。
そんな二人に新商品を手に入れたと店主が朗らかに笑い、つられた梓が嬉しそうに店主と話をする。シェントの表情は最後まで変わらなかった。
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