愛がない異世界でも生きるしかない

夕露

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【シェントと過ごす時間】

43.今ここにいる

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シェントとのひと月になってはや一週間が経つ。驚くことに時間が経つのがあっという間だと思うぐらいシェントと過ごす一月はなんの問題もなかった。というよりもシェントが今までの聖騎士の誰よりも大人で話しやすいのだ。梓の考えを尊重して距離をとってくれるうえ会話も困らなければ無言でいても困らない。しかもシェントは昼間に部屋に来るようにしていて夜に来たことはない。これも気を遣ってのことだろう。
思えばシェントは最初から『神子様たちは居て下さるだけでいい』と言っていた。それが歪んでいったのはどちらからなんだろう。
考えに耽る梓。そしてそれは目の前に座っていた白那も同じようで天井を見て放心している。

「はあー千佳の奴とうとうやりやがったか……」
「白那足、足」
「はあー」

大胆に足を開いて座っている白那に気がついて梓はたしなめるが白那の耳には届かないようだ。
──まあ、誰も来ないからいいか。
今日は千佳がいなくなってから初めての女子会でやはり話題は千佳とアラストのことだ。梓としては『千佳大丈夫かな』や『うまくやっていけたらいいんだけど』といったあくまで冷めた意見しかなかったが、白那はなにやら色々思うところがあるらしく奇声をだしたり奇妙な表情をしたりしている。

「樹は知ってた?千佳がこうなること」
「直前だけどアラストさんから教えてもらった。それで?その顔は羨ましいの羨ましくないのどっち?」
「あ゛~微妙~」
「そんな感じだね……でも白那、少しはいいかもって思ってるんだ?」
「そりゃ好きな男との逃避行って憧れあるでしょ」
「うーん?逃避行っていうの?」
「それになんか先越されたーって感じ。なんていうの?千佳に負けた感じ」
「なんの勝負してるの……」
「あ゛―」

自分でもよく分からないのだろう。白那はまた天井を見上げた。白那が黙ってしまったら梓はケーキを食べるしかない。レモンケーキは酸っぱくて美味しい。

「イールなんだけどさー」
「え?逃避行するの?」
「しないっての!」

元気を取り戻したのか白那が口を尖らせながら梓を睨む。それから悩むように眉を寄せたあと吐き捨てた。

「今回の奴が言ってたんだけどさ、イールって女にどういう態度をとったらいいか分かんないんだって。まあ嘘かホントか分からないけどさ……だからああいう言い方しか出来なかったんじゃないかって」
「んー」
「いやでもさ?ソウイウことじゃなくて私にもああいう態度だったのが嫌だったっての。誰にでも同じ態度だから大丈夫って言われても嬉しくないし」
「好き?なんだねー?」

いまいち理解できないものの白那がイールの特別になりたいということは分かる。だから皆と同じ態度に不満を持っているし、私を見てほしいと思ってるんだろう。

「別にそういう訳じゃないから。ってかメッチャ疑問でウケる」
「相手がこの世界の人ってだけでもう理解できないからなあ」
「頭固すぎ」
「んーそれは認める」

苦笑いを浮かべる梓の髪が風に揺れる。閉め切っているよりは涼しいのではと思って窓を開けていたがやはり風は生暖かくむしろ熱を帯びていて──白那と梓は窓の向こうの景色をぼんやり眺める。暑い。きっとあとひと月もしたら部屋にいるだけで汗が止まらない夏がやってくる。それから次は秋がやってきて冬がやってくるんだろう。

「ねえ、樹……樹の言いたいこと分かるよ。私だって怒ってる……怒ってた。私怒り続けるの苦手なんだよね」
「ん」
「それにさーどうしようもできないならその間はうまいこと楽しんでったほうがいいよ。だって今いるのはここなんだしさ」
「……」
「帰るにしたって正直……とにかくっ、人生今を楽しまなきゃでしょ!先のこと考えってばっかじゃなくて今を生きるってやつ。そーんな固いとアンタも相手もしんどいし……そうだ。樹恋でもしたら?」
「なにそれ……」
「あははっ」

明るく笑う白那が言い淀んだ続きは梓も薄っすら考えていたことだ。元の世界には帰れないかもしれない。保証は出来ないと既に言われているし五年後──戻れたとしても大学をもう一度受けなおすのか、普通に生活が送れるのか分からない。
召喚された日シェントから告げられたときも梓は同じことを考えた。あのときはそれにすがって心の整理をつけたけれど、数カ月ここで過ごした今あのとき心の隅においやった『もう戻れないかもしれない』と感じた気持ちは無視できないほど膨らんでいる。かといってここで生きていくと切り替えて千佳のようにもなれない。
梓に恋をしたらと白那がもちかけるのはこの世界の、特に聖騎士から一歩も二歩も距離を置く梓を心配してのことだろう。梓の生き辛さを理解できるところもあるが、そのままではあまりに可哀想だと思ってしまうのだ。
そうした心配を梓は元の世界で身近な人によく向けられていた。心配というより呆れられていたというのが正しいだろう。梓は母のことを思い出して微笑む。

「……ありがとう。でも白那はもうちょっと落ち着いたほうがいいかもね」
「アンタも好きな奴が出来たら分かるよ。人生楽しーから」
「やっぱりイールさんのこと好きなんだ」
「は?なんの話?」

とぼけながらケーキを食べ始める白那を見て梓はそれ以上追求せず外を眺めた。


「恋するならこの国の人以外がいいなあ……」


ぼそりと呟いた梓にフォークを落としてまで反応したのは勿論白那だ。

「それって牢屋で会ったって奴!?えっと、えーあ゛―!」
「ウィドね。あと」
「そう!ウィド!!えー王子様に恋とかやるじゃん!やっべ超楽しいんだけどっ、ね、ね、どういうとこがいいの?あー私も捕まっときゃよかった!」

ヒートアップしていく白那を見て梓は微笑み訂正するのを諦める。こういうときは何を言っても意味がないということはよく知っているからだ。
しかしながらそのお陰で白那が部屋を出たときには、梓が切ない恋心を募らせて枕を涙で濡らしてるといった話が出来ていた。いや、ウィドが、だっただろうが。あまりにも話が作られすぎて梓はよく覚えていない。分かるのは白那のケーキを半分貰ったせいで今日も食べ過ぎたということぐらいだ。
後片付けをしながら白那の楽しそうな顔を思い出す。


──今を生きる、かあ。


梓は梓なりに考えてここで過ごしてきたつもりだったが白那からの思わぬ話に考えさせられる。母を思い出すことを白那が言ったから余計にだ。梓は苦い表情を浮かべる。
──私はここで生きていないのかも。
私は帰るから、そう思ってぜんぶに距離を置いてしまうし物だって持てない。必要以上のものを持てばそれだけ動きにくくなるし何か見えないものが圧し掛かって息苦しい。逃げられないような、そんな感覚がしてしまう。恋してしまうような相手を作るなんて論外だ。こんな世界でそうするのは怖いしこの国の思惑通りになるのもしゃくだ。
だからこそ十分な距離をとっておきたかったし聖騎士は聖騎士とでしかみたくなかったのに……今までのことがそうさせてくれない。
この生活を五年も続けられるかと考えたらもう難しい。五年以上となると……。



「こんにちは。食事をされていたんですか?」



ドアが開いてシェントが入ってくる。机にある食器を見て首を傾げたシェントに梓は微笑んだ。

「今日は白那とお茶会をしていたんです」
「そうだったんですね」
「今日もお仕事ですか?」
「ええ、いいでしょうか?」
「勿論。確認なんかいりませんよ」

片付け終わったあとシェントに椅子を進めれば「ありがとうございます」と丁寧な言葉。その手には初日より増えた書類がある。神官ならではかと思ったがそうでもないようで、しかもシェントは聖騎士というだけあって魔物討伐にも行くらしい。まるで想像できないが以前ウィドはシェントが起爆装置をつけた攻撃魔法が得意だと言っていた。魔物討伐だって問題なくこなすのだろう。
考え始めて梓は怖くなってきた。
なにせシェントはいつも何かしているのに人の話はちゃんと最後まで聞く人だ。千佳たちと過ごしたあの夜のことだって対応していたのを考えるに神子のことで何かあったらシェントに話が通されるのだろう。聖騎士にも神子にも頼られて、自分の神子も対応して、きっと神官ならではのこともこなして──


「シェントさんってちゃんと寝てますか?」
「……私ですか?」
「はい」


シェントの前にお茶を置けばいつも返ってくる感謝の言葉がない。それぐらい驚いているんだろう。
──私だって心配ぐらいします。
梓がむくれてしまえばシェントが焦ったように言葉を続ける。

「樹様のお陰で──樹さんのお陰でむしろ睡眠時間は増えましたよ」

それはそれで色々思うところはあると梓は額に手をやってしまう。

「そうですか……あと、シェントさん。呼びにくかったらもう樹様でも樹さんでも樹でも神子でもなんでもいいですよ。好きに呼んでください」
「……それでは樹とお呼びしてもいいでしょうか?」
「はい」

一つ一つ確認して隅から隅まで丁寧で作られたようなシェントに困って梓はうまく微笑めない。けれどその瞬間思い出してしまったのは白那の言葉だ。
『そーんな固いとアンタも相手もしんどいし』
そう言われたときは少なからず『だって』という気持ちがあったが──確かに、これはしんどい。梓は今日もいつも通り綺麗なシェントを眺める。
お茶を飲むシェントは梓の視線を見つけると微笑を浮かべゆっくりとカップを机に置いた。それから梓を急かすでもなく梓の行動を待って、梓がなにも言わないとそれはそれで窓に視線を移らせる。

──ああ、そうか。この人私と似てるんだ。

シェントと過ごす一月がなぜこうも支障なくやってこれたのか分かって梓は諦めたような不思議な顔をして笑った。思えばあの日もそうだ。召喚なんてことした奴が話しかけてきたのに憤る気持ちが和らいだのは『生きるために召喚は避けられない。そうです、必ずしています』とシェントがはっきりと言ったからだ。この世界ではリアルに生死の問題が関わって生きるためという考えにかける想いの違いはあれど、生きるためにはどうすればいいか考えてきた梓にとってシェントの言動はとても好ましかった。
『自立して生きるんだよ、梓』
母の言葉を思い出して胸を焼くのは会いたいと思う悲しい気持ちだ。けれど今いるのはここで、ここで生きているのが現実だ。認めたくなくても変わってしまったことは沢山ある。この国への恨みは今もあるが召喚されたとき感じたものとは違ってしまっている。変わっていくのだ。
──アラストさんが目指したものを諦めざるをえなくなってその現実を受け入れるしかなったように、この世界に召喚されてここで生きるしかないのが私の現実なんだ。


少なくとも、5年はこの世界で生きていくんだ。


それの対価は身の安全と美味しいご飯に沢山の本や時々の買い物、義務以外の自由な時間。
──確かにうまいこと楽しんでいったほうがいい。
気持ちの整理がついた梓は大きな溜息を吐く。あまりにも大きな溜息だったためシェントが梓を見て目を瞬かせたぐらいだ。そしてにっこりと笑った梓にシェントはまた驚く羽目になる。


「シェントさん、私キッチンが欲しいんです。すぐじゃなくても全く問題ないのでお願いできませんか?」
「キッチン……?」
「はい」


梓からのおねだりに加えてキッチンという予想外にシェントは分かりやすく混乱したようだ。何度か呟いて眉を寄せているぐらいだ。その顔はヴィラに似ているものがあって梓の頬が緩む。

「それと夜来られても問題ありませんよ。お仕事お忙しそうですし、それなら寝る時間に魔力回復をしたほうがシェントさんにとって一石二鳥じゃないですか?」

雑務とは言うが日ごとに増えていく書類やその仕事に向ける集中力を見ていると、この部屋に来る時間を陽があるうちと限定しないほうがいいだろう。いつでも来れる休憩場所にしたほうが増えたという睡眠時間も普通の人と同じぐらいにできるかもしれない。
そんな配慮から出た言葉だがシェントは梓を別人でも見るような目つきだ。


「それじゃ私これ片付けてきますね」


食器を持って花の間に移動する梓の耳に我に返ったような声が聞こえたが、言葉になるのはまだまだ時間がかかりそうだ。
──キッチン貰えたらすぐに城下町に行こっと。
浮かれる梓はシェントが参ったと呟き椅子にだらしなくもたれかけ天井を仰いだのを知らない。






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