愛がない異世界でも生きるしかない

夕露

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【テイルと過ごす時間】

19.梓の精一杯

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──もうこんなの見たくない!


恐ろしい光景から目を逸らして不安と恐怖に身を縮めた瞬間、梓は違和感を覚えてビクリと身体を強張らせた。そして目を閉じた理由も忘れて目を開いてしまう。

「ここ……え?」

目の前に見えたのは窓際にある小さな椅子とテーブルだ。梓の部屋で一番お気に入りの場所。身体を起こしてみれば紅茶のポットとカップ二つも目に映って、梓はああそうかと納得した。
今のは夢だった。夢……ユメ。
まるで言い聞かせるように思う梓は鳥肌の立つ両腕を擦る。
見知った二人が見知らぬ場所を歩いていていただけ──ざわめく葉っぱ、太陽の眩しさ、肌を撫でる風──親しい間柄を感じさせる会話──テイルの獰猛な顔、全身に感じた咆哮──血に濡れた槍──

「あれが夢?」

じゃあなんで震えは止まらないんだろう。部屋に聞こえるはずの時計の音が聞こえ辛いのもなんで?


「──樹?」
「ひゃ」


突然聞こえた声に梓は情けない声を上げてしまう。今まで音が聞こえなかったのはなんだったのかと思うぐらいやたらと大きくテイルの声が耳に響いた。強張る身体をなんとか動かして振り返れば眉を寄せたテイルがいる。その顔は普段梓がテイルによく向けているものだ。

「なんだお前昨日と同じかっこじゃん。まさか寝起きか?……嘘だろお前あれから寝てたわけ?丸一日?うわー羨ましー」

ずかずかと部屋に入ってきたテイルはテーブルの上に置かれたままだった紅茶を見て憎まれ口を叩く。しかしなにも反応しない梓になにかおかしいと思ったのか椅子に座って梓を黙って眺めた。
──なんだ?
テイルは梓の表情が解せず首を傾げる。驚き。それはまだ寝起きに声をかけられたのだから驚いたのかと想像はできる。しかし驚き以外にのぞく恐怖の理由が分からない。勘違いかと思ったが梓の黒髪に手を伸ばした瞬間、梓は間違いなくビクリと身を固めた。いつもなら触ろうとすればまたかと眉をひそめるだけだったのに、シェントのかけた魔法があるのにも関わらずこの反応だ。

「なに、怖い夢でも見たのか」

からかっても梓は更に身を固くするだけで、そのうえ返ってきた返事はつれないものだ。

「か、帰ってくるのはもう少しあとじゃ」
「魔物どもを一掃できたから早く帰ってこれたんだよ」
「一掃……」
「そ、大変だったんだぜー?予想してた場所から住処を移してるし、ない知恵働かせて本部を襲ってきてたし」

冷たい紅茶を飲みながら愚痴を吐き続けるテイルを尻目に梓は驚きと恐怖と──少なくない興奮に顔を俯かせた。なんともいえない表情をしているがその唇は確かに弧を描いている。
──あれは夢ではなく現実に起きていることだった。そんなこと普通じゃありえない。だからつまりきっと、そうなんだ。ありえない──魔法だ。きっと魔法が使えたんだ。魔法を使ってあの光景を見たんだ!
使い方もどんな魔法かもよく分からないが、憧れにあこがれた魔法が使えたことに梓は嬉しくなって、そしてピタリと動きを止める。

「そんでもう何匹仕留めたか分かんねえ」
「……よく一人でそんなことできたね」
「あ?俺だけじゃねえし。今回のは三等兵士も駆り出された大がかりな遠征だしヴィラとかフランもいたぜ」
「ヴィラさんもフランさんも……そう」
「……?お前フランのこと知ってんの?」
「一度会ったことがあるよ」
「……へー」

やはり勘違いだったことを願いテイルに尋ねたが、夢が現実だったことを確信しただけだった。あれが現実だった場合、魔法が使えた喜びよりも頭を占めるのは魔物という絵空事が現実なのだという事実。シェントが言っていた話は本当のことだったのだ。ヴィラやテイルが行く遠征は本当に魔物を討伐することで、テイルたちは本当に、あの恐ろしい魔物に立ち向かっているのだ。

「……お前まだ寝ぼけてんの?……大丈夫か?」
「……ごめん、ちょっと体調悪いみたい。寝る」
「はあ?!また寝んのかよ!」

驚くテイルを無視して梓は布団の中にもぐりこむ。布団越しに日差しを感じたけれど目を閉じてしまえば真っ暗闇。もうなにも見えないしなにも聞こえない。もしかしたらまた”あの夢”を見るかもしれないと思ったが、幸いなことに今度はなにもみなかった。それこそ眠ったと思ったのが嘘だったかのように、パチっと目を開けたら日が過ぎていた。

「あ?あー起きたか」

残念なのかどうなのか、部屋にはまだテイルがいた。もしかしたら寝たのは数時間ぐらいなのかもしれない。目を擦りながら身体を起こせばテイルからなにかを差し出される。カットされた林檎だった。

「お前風邪ひいたんじゃねえのか?まあよく分かんねーけどこれ食っとけ。お前なんも食ってねーじゃねえか」
「あ」

ありがとう、と言おうとして梓は言葉が続けられなかったことに驚く。声が出なかった。テイルが溜息を吐きながら湯気のぼる紅茶を梓に渡す。
──温かい。
紅茶は喉を滑り梓の身体を温めた。

「ありがとう」
「どーいたしまして。しかしよくもまあこんだけ寝れるよな。起きてまたすぐ二度寝、しかも丸一日だぞ」
「私、そんなに寝てたんだ」
「寝てた」

流石に不気味だったというテイルにおざなりに感謝しながら梓はテーブルに紅茶を置いたあとりんごを食べる。舌にのせた瞬間、痺れるような甘さがわいてきてなんだか急にお腹が空いてくる。

「美味しい」
「……幸せそうなことで」

梓はパクパクと林檎を食べながら辺りを見渡す。窓から見える外は雨が降っているし憎まれ愚痴を叩くテイルの服装はそういえば違っているし、なによりこの食欲。本当にテイルと話してから一日ずっと寝ていたのだろう。いや、もう丸二日といっても間違いじゃない。

「──んじゃ、お前も起きたし遠征に行ってくる」

覚醒してきた頭に飛び込んできた遠征という言葉。梓は林檎を飲み込んだ。

「遠征……また?」
「生憎毎日仕事なもんで。寝起きのお前には分かんねーかもだけど今、朝だかんな。さっさと顔でも洗って目え覚ませ」

羨ましい羨ましいとこぼしながらテイルはドアに向かって歩き出す。その後ろ姿は本を手に活字を追いながら視界の隅でよく見たものだ。

「あ」

遠征に行くということはまたあの魔物と対峙するのだ。
思い出すのはシェントの言葉。数匹なら太刀打ちできるが群れとなると魔法の力なくしては難しいと言っていた。あのときは信じられなかった苦し気な言葉が今は事実だというのが分かる。それにヴィラと初めて会った夜のことや今まで聞いてきた話しからひとつの推測もできている──

「テイル!」
「あ?…………なんだよ」

思いがけない梓の呼びかけにテイルは驚くというより不思議そうな顔をしている。梓の行動が読めないからだろう。梓はといえば呼び止めた本人にも関わらず言葉を探して困り顔だ。

「お前ほんとに大丈夫か?」

寝続ける梓を見て焦りや疑問を覚えたものだがここまで心配はしなかった。それほどまでに梓の様子はおかしい。梓は視線を俯かせたかと思えばテイルを見て、それからまた床を見る。顔は赤くなったり青くなったりと忙しい。
これは医者を呼んだほうがいいかもしれない。
まさか神子にこんなことを思うなんてとテイルは考えながら遠征に行く前にメイドに話をつけようと考える。

「うん、今私ちょっとおかしいんだと思う。寝起きだし、だから」

梓は意味の分からないことを言ったかと思うと紅茶を飲み始めた。ごくごくと、急に、目の前で飲み続ける。立ち尽くすテイルはドン引きだ。

「え、マジで大丈夫か?」
「──大丈夫じゃない」

最後飲み干した梓は口を拭ったあと覚悟を決めたような顔をした。そしてそのままテイルに向かって近づいてくる。
──なんだ……?
魔物はただ殺せばいいだけだが神子はそうはいかない。しかも擦り寄ってくるのとはまるで違い、梓は唇を結び眉を寄せ向かってくるのだ。今までの神子と違い対処に困る。
だからテイルは梓の行動を見るだけしかできなかった。

「ちょっとごめん」

伸びてきた手がいやにゆっくりと見える。傷のない小さな手が、細い指が、丸い綺麗な爪が見え──それが頬に触れた。ゾクリとする震えを感じた瞬間自分のものではない体温を感じる。両頬に触れる体温はテイルの耳にまで届いていた。

「っ」

どちらが息を飲んだのだろう。お互い戸惑うように身体をビクリとさせたがそれも僅かな時間。梓はテイルの顔を引き寄せ──そのまま口づけた。




 
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