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【テイルと過ごす時間】
16.おめでたい話
しおりを挟む健康器具まである広場はときどき物騒な音や声が風に乗って運ばれてくるものの静かな場所だ。この場所を知ってからというもののほとんど毎朝日課のように来ている。気を抜けば自堕落な生活を送ってしまいそうな自分を律するため、といえば聞こえはいいが、身体を動かしていると気が紛れるのが一番の理由だ。
この世界に来てから1か月と少しが経ってしまった。召喚された頃は、召喚なんて意味の分からない体験やヴィラとのことで混乱しどうしだったが、数日経てば、更に日を重ねれば心に重く圧し掛かるのはこの現状への納得のいかない苛立ちや帰りたいという泣きたくなる気持ちだ。どれだけ誤魔化そうとしてもすべてを受け入れてこの世界を謳歌しようなんて綺麗さっぱり気持ちを切り替えられない。白那という友達を得て大好きなケーキを食べる、そんな時間も持てるようになって心に余裕はできているのかもしれない。けれどそのぶん現状と今後を考えて悩みを探し出す。
なんでこんなことになったんだろう──お母さんに会いたい──あんなに勉強したのになあ──美咲たち元気かな──大学行きたかった──お金も住む場所もぜんぶ管理されて息苦しい──この国が怖い──あいつまたちょっかい売ってこなかったらいいんだけどなあ──これからどうなるんだろう──
ぐるぐる、ぐるぐるまわる感情。困ったことに次から次へと沸いてくるせにひとつもスッキリ解決してくれない。それなのにこの世界は朝になって夜になって晴れて曇って雨が降って、また太陽がキラリと輝く。
「ゲホッ……疲れた」
考えてもしょうがないことなら、他のことを、いま自分ができることをするしかない。ネガティブに沈みそうな自分を吹き飛ばすために走ったり──
「へーほんとにここ使ってんだ。ってかもうへばったのか?」
──いちいち余計なことを言う奴を睨みつけたり。
突然現れたイレギュラーな存在に梓の眉間にシワが寄る。声の主は長い黒髪を後ろで三つ編みにした生意気な表情が特徴のテイルだ。
「……なにか用ですか。というより遠征に行っていたんじゃないですか」
「さっき帰ってきたんだよ。んでお前の部屋行ったらいねーからここかなって来たわけ。折角ゆっくりしよーとしてたのによー」
憎まれ口叩くテイルは近くにあった鉄棒をみると暇つぶしとばかりに懸垂を始める。梓はドン引きしながら顎にまで伝ってきた汗を拭った。学校にあるグランドより少し小さいとはいえ10週もすればいい距離だ。へばってもしょうがないだろう。梓は心の中で文句を垂れながらテイルを無視して部屋へ戻ろうかまだ走ろうか悩む。
そして、ふと疑問を覚えた。
「ほんとにって、なんですか?私がここにいるってご存知だったみたいですが」
「あー?ああ、神子のくせに身体を鍛えてる奴、まあお前だな。噂になってたから」
「別に鍛えてるわけじゃないんですけど……噂とかになってるんですか。変わってますね」
「どっちかっつーと俺らがそう思ってんだけどな」
カラカラと笑うテイルを見ていたら肩の力が抜ける。まるで同級生の男子と話しているみたいで、気を張っているのが馬鹿らしくなってくるのだ。
……コイツなら別に大丈夫なんじゃないか。
梓は怖さ半分好奇心半分で尋ねてみる。ずっと気になっていたことだった。
「あの、他の神子って普段どんな感じなんですか」
「あー?…………セックス贅沢三昧権力争い?か」
「なにその三拍子……え?考えて出る言葉がそれ?ってゆうか白那大当たりじゃん……」
「それしかいいようがねえし。あー白那って奴も聞いたことあるな。イールの神子だっけ」
「そうです、って、ちょっと待って色々ツッコミが追いつかない」
予想通りテイルは飾らない言葉で教えてくれるのだがどうも一つ一つの言葉にパンチがある。
「神子の権力争いって……争ってどうなるというかなにを争ってるんですか」
「あーんなこと俺にも分かんねーよ。どうでもいいし。……ああでもやたらと1番になりたがってんだよな」
「1番?」
「あいつは私を1番に愛してるとかどの神子よりも1番愛されてるとか」
「それは、なんというか」
おめでたい。
そしてある意味怖い話だ。
「えーっとそれって権力争いというより、彼女だって主張しているような感じですね」
なにを笑っているんだろうと自分で思いながらも梓は笑いつつ本心をこぼす前に適当に返す。それにテイルは懸垂を止めてまで不思議そうな顔をしてみせた。
「彼女?」
「え?彼女」
「彼女だって主張してなんなんだ?」
「え?」
「え?」
梓とテイルはお互い首を傾げる。どうもおかしい。そう思ったのは梓で、そんなまさかと思いつつテイルに言う。
「彼氏と彼女の彼女って話ですけど」
「いや、だから結局……?あー……そういやあいつらも『彼女みたいだね』とか言ってたな……?」
「あの、この世界では恋人同士のことを彼氏彼女とかって言わないんですか」
「恋人同士?」
心底不思議そうに言うテイルにまさかは正解だったと梓は知る。彼氏彼女の彼女ではなく、テイルは代名詞としてでしか彼女という言葉を知らない。恋人という言葉にも首を傾げるぐらいなのだ。
「テイルさんって仕事一筋なんだってことがよく分かりました」
「俺が仕事一筋?ははっそれは初めて言われたなー。つーか仕事しなきゃ死ぬし」
「お疲れ様です」
「だからお前も仕事しろよ?」
にいっと笑ってテイルが手を伸ばしてくる。その手は梓の頬に届きはしない。
「ほんと不思議だよなー。こんな魔法初めてみる」
テイルは呑気に話しながら玩具を手にした子供のように何度も梓を触ろうとして失敗している。そんなテイルを見る梓はさきほどの気の抜けた表情ではない。それどころか冷や汗さえかいていた。軽口だと思って聞き流したテイルの発言は事実テイルにとっては軽口だったが梓にとってはそうではなかったからだ。
魔物討伐の仕事は死が関わるのだ。そして魔物討伐には魔法が欠かせない。けれど魔力を持つ女はこの世界にはほとんどおらず、だからこそ神子召喚というものが行われ続けてその一人として梓も召喚された。シェントも言っていたではないか。『私たちも生きるために召喚は避けられない』と。
それほど切迫した状況なのだ。
この国という籠から出たことがないから誘拐犯に対する危機意識はあれど、この国が魔物という恐ろしい生き物に脅かされているのだという意識はなかった。
先ほどのテイルが言った『仕事しなきゃ死ぬし』というのは稼がないと生きていけないというニュアンスではなく単純に言葉通りなのではないか。魔物討伐という任務をしなければその魔物がこの国を襲って死んでしまうと、そういう意味なのでは。
「樹?」
「え、あ」
はっとしていつの間にか俯いていた顔を起こせば、見下ろしてきていたテイルの顔にぶつかりそうなほどの距離になった。慌てて顔を離すが、テイルは少し驚いたように一度瞬きしただけのものだ。
「……テイルさんって」
「テイルでいいぜ?」
「……テイルって好きな物ある?好きなこととか」
「好きな?あー、肉」
「お肉か……。えっと、さっきの彼女の話の続きなんだけどね。そういう好きが人に向かったものを好きな人って言って、一緒にいたいとか自分をみてほしいとか思うの。大事にしたいとかね。それで……なんていうかな。好きですって伝え合ってお互い同じ気持ちだったら彼氏彼女になるの。恋人同士とか夫婦とか言い方は色々あるし特に順序がある訳じゃないんだけど、えっと、お互いが好きな人で」
ああ、私は一体なんの話をしてるんだろう。
梓は話し始めてすぐ後悔ながらもテイルに分かるよう言葉を探し続ける。だがいざ考えてみれば好きというのも恋人というのもよく分からない。言葉にするのがひどく難しい。それでもなんとか説明しきれば、意外なことに最後まで口を挟まず聞いていたテイルが仰々しくひとつ頷いたあと真面目に言った。
「俺は肉にそこまで思わない」
「いや、お肉はあくまで……いや、いい、うん」
好きが分かるように使った例なのであって人に抱く好意の説明に肉をあてはめないでほしい。肉と一緒にいたいとか肉に自分を見てほしいとか肉を大事にしたいとかそういう話をしたのではないのだ。
しかしこうなるとテイルが仕事人間だから色恋沙汰に疎いのではなく、この世界事態が色恋沙汰に疎いのかもしれない。生きるのに必死な世界だから。
ああそう考えるとやはり──
「おめでたい話だ」
そして──悲しい話だ。
ご丁寧なことに最初から魔力が目当てで召喚したと言われたのにも関わらずアラストという聖騎士に恋をした千佳。そして自分こそが愛されていると争う神子。
神子は道具だ。道具にそんな感情は、抱かないだろうに。
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