狂った勇者が望んだこと

夕露

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第一章 召還

04.「なに読んでるの?」

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目覚まし時計に起こされて、眠いのを堪えながら制服に着替えた。部屋を出て一階に下りれば、小さなテーブルに朝食が並べられている。湯気立つ味噌汁に白米、鮭や野菜炒めがあった。

「おはよう」
「あら、今日は一度で起きれたのね。おはよう」
「おはよう」

挨拶をすれば母さんが振り返りながら、いつも鳴っては止められまた鳴り響く目覚まし時計に対する嫌味とともににっこり笑った。父さんは飲んでいた珈琲から目を離して、やっぱり笑った。
いただきます、とご飯を食べていたら母もエプロンで手を拭きながら席につく。

「今日もいい天気になるらしいわよ」
「マジか。最近、急に暑くなったなあ」
「梅のことだからもう海行く予定とか考えてそ」
「梅ちゃんだからねえ」
「元気だなあ、梅ちゃん」

両親にもそういう奴だと認識されている梅を思えば、にっこり笑って胸を張る姿が浮かぶ。
そんな当たり前な一日、そんな夢を見た。

「……朝か」

使い古されてくたくたになった布団とは違って、高級な感じがする肌触りの布団をどかして起きる。ここの時間がどうなっているのか分からないけれど、窓を開けて外を眺めてみるに早い時間だというのが分かる。陽はまだ昇り始めたところだ。

ミリアが部屋を去ったあともうこれ以上扉が開かないように椅子を置いて、我ながらなんとも拙い防御策をとってからすぐに寝た。召還というのは体力を奪うのか、理解したくない現実に脳がパンクしたからなのか、眠りはすぐに訪れた。とはいっても神経が昂ぶっているらしくあまり寝た感覚はない。お陰であっちで設定している目覚ましの時間よりも早いだろう時間に起きてしまった。


「夢落ちじゃないか」


母さんも父さんもいない。味噌汁だってご飯だって、なんにもない。なんだか心がぽっかり空いてしまったような気がして胸に手を当てる。

──帰りたい。

唐突にそう思った。昨日は戸惑いと怒りが大きかったけれど、今強く思うのは、帰りたい。それだけだった。
帰れるんだろうか。無理だと言っていた。この世界に召還されたときに身体が変わった、なんて意味の分からないことも言っていた。もしそうなら元の世界に戻れてもなにか異常をきたす可能性もあるんだろうか。
帰る為にこの世界に居るという魔物を倒していくとしても、本当に、帰れるんだろうか。信用のできないあいつらは約束を守るのか?

殲滅したら帰れるとも言っていた。

魔物の生態なんて分かりゃしないが、居るってことは生まれたってことだ。だとしたらこの地方で殲滅できたとしても、他の地方で生まれてりゃ殲滅にはならない。一部の地方に魔物が住んでいるという話じゃなさそうだ。元の世界でいうなら日本だけじゃなくて世界隅々、反対にあるブラジルも対象ってことだろ?
どうするんだよ。
だから、前の勇者がいるのにまた新しく私達を召還したんだろ?手に負えないからって、勝手に呼んで、飼い慣らすよう餌まで用意して、そうしないと死んでしまうって……死ぬんだろうか。
昨日までそんなことまったく思わなかったのに、”死ぬ”なんて言葉がいつの間にか隣に並んでいる。魔物ってなんだよ。ここの世界の奴らが手に負えないんだろ?殺す?私がか。殺さなきゃなんないのか?

……とりあえず今分かるのは、出来るのは、ここでこの世界の最低限の知識と力をつけなきゃいけないってことで、それしか出来ない。

通貨も、その価値も、常識も、衣類も、住居も、食料も、知識もなにもかも知らないし持っていない。
魔物を倒す?そんな殺すってこと、したことがない。基本は剣道か?それさえしたことない。せいぜいクラスメイトとふざけあってノートまるめて頭はたくぐらいだ。魔法使うなんて学校で言ったら爆笑もんだろ。それで、どうするってんだ。
でも、それを知らなきゃいけない。じゃないと生きていけない。

とりあえず、今は、そうするんだ。

最低限ここで力と知識をつけて、それからまた決めよう。利用価値があるって思われてるなら、私も利用しよう。それで、いつか……。
ぐちゃぐちゃとした気持ちをなくしたくて大きく息を吐いた。静かな部屋。なにも音が聞こえない。風が吹いてカーテンが揺れているのと、脈打つ心臓の音だけが時間が止まっていないことを教えてくれる。
頬を強く叩いた。パアンと乾いた音が響いて、少し気が晴れる。することもないし本棚にある本に手を伸ばす。懸念していたことは嬉しいことに杞憂だったようだ。文字は日本語だった。話すことも書くことも読むこと出来るのは非常に有難い。一から覚えるのはとんでもない根気を必要とするだろう。

「俺達にぴったりの入門書だな」

恐らくこの世界の勉強をするさい、最初に読むだろう教科書のようなものが本棚に入っていた。これで勉強してくださいとのことらしい。命がかかっているからか、目新しい事柄のせいなのか、どこかまだゲームのような他人事の感覚があるからなのか、すんなり覚えられる。ご丁寧なことに暦や時間のこと、元の世界とこの世界で生じる常識の差異や変化などまで書いてある。
どうやら書き言葉や話し言葉のみならず、時間、暦の考えたか他もまったく同じだった。文化が似ているんだろうか?と考えるレベルじゃない。まったく同じことに違和感を覚える。もしかしたら前の勇者の影響などもあるのかもしれない。その線でいくとどれだけ元の世界の日本人召還されてんだって話だけど。
通貨は考えかたは同じだが、呼び名が円ではなくリラだった。この世界の神話に出てくる女神リフィエラの愛称を使ったのだそうだ。神社で金運の神様に拝むっていうのがあるけれど、この世界でもあやかろうとしたらしい。ひどくどうでもいい。

そして大事な項目、魔物。

その生態は一切不明らしい。とても親切なことだ。魔物は人間や獣、物や植物の姿を模していて、生命を持つ者に対して襲ってくるらしい。例外はあるが五感が鈍いものが多く、ある一定の範囲内での行動を好み、なにかを襲うため遠く移動することは滅多にない。ゲームに出てくるゾンビのようなものだろうか。近くにより過ぎると見つかって襲ってくる感じで……分かったところで結局げんなりしてしまう。
あからさまな違いとかないんだろうか。
人間の姿を模した魔物って言われても、分別出来る自信はまったくない。そんなのを殺せって言われても、出来る自信もそんなことをしている自分の姿も想像できない。幸いなことに?人間の姿を模した魔物というのは滅多に見ないらしいから、まだ考えなくてもいいことだろう。
よく見られる魔物は大抵言語を解さず襲ってくる獣の姿だそうだ。レアさ加減でいうと人>物>植物>獣ってところか。

倒しかたは、心臓のような核が存在していてその核を壊せば息絶える。素晴らしいことに上級魔物になると核はいくつか存在するらしい。低級のものになると、核を壊さずとも深手を負わせることで失血死で息絶えるらしい。挿絵として描かれている獣の魔物は身体から赤い血を流している。そして、真っ赤な瞳。
魔物と人の違いがこの赤い瞳だそうだ。
遠くからどう判別するんだって感じだが、今のところそれが現在分かっている違いらしい。アルビノだっけ?そういう遺伝的な要因で赤い瞳の人はこの世界にはいないんだろうか。知られていないのだとしたら……。
ぞっとして、考えを止める。
私達の世界の常識がここでは通用しない。魔物は絶対悪らしい。積み重なる歴史に魔物の話は必ず絡んでいて、突然起こる自然災害のように人を襲う。増していく人々の恨みは、魔物を見たら殺せというのをこの世界の常識とした。
どうすれば身を守れるだろう。この世界の為に命張って戦う気持ちはない。でも、そんな場所に向かわされることになるだろう。その時襲ってくる魔物に対する術が欲しい。
まだ死にたくない。……生きて、帰りたい。


「なに読んでるの?」


穏やかな声。
俯いてそう時間も経っていないのに、間近で聞こえた声に戦慄を覚えた。ついさっきまで人がいた気配もなかったし、ドアを叩くノック音だって聞こえなかった。反射的に後ずさって壁に背中がぶつかる。
顔を上げれば腰まである黒緑のミリタリージャケットを羽織った男が私を見下ろして笑っていた。この世界では部屋に靴を履いて入るのは普通らしい。真っ黒なブーツに真っ黒なズボン、コートの合間に見える真っ黒なインナー。暗い色だから、男のクセっ毛のある金髪がよく映えている。
少しつり上がった目元にニヒルに歪められた口元が印象的だった。地中海系?よく分からないけれど彫が深くて日本人顔ではまずない。きっとこの世界の人間なんだ。

誰だろう。

なんだろう、この臭い。


「貸して?」


言うなり伸びてきた手が持っていた本を奪っていく。手は斑に赤いシミがついていた。ジャケットに見えるのは小剣の柄だろうか。足元を見れば、床は土に汚れていた。
非現実を唐突に持ち運んできた男はパラパラと本をめくって興味なさそうに呟く。

「へえーあいつらこんなの勇者に渡してたんだ。ウケる」

本を閉じて男は投げ捨てる。視線が合って思わず、もう背中は壁についているのに後ずさる。
怖い。
男は私の様子を見て一瞬首を傾げた後、獲物を見つけたといわんばかりに獰猛に笑った。



 
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