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第四章 狂った勇者が望んだこと
245.春哉
しおりを挟む困ったようでもからかうようでもないキス。
ふとその意味を考えてしまって、春哉を抱きしめていた手の力を緩めた。それに、元の世界じゃ考えられないほどキスに慣れてしまったけれど、人前ですることには抵抗を覚える。
手を緩めた代わりに背中を軽く叩けば、春哉は熱い吐息をこぼして恨めし気な顔をした。いつもどこか達観したような、淡々としていたところが多いから不思議な感じだ。普通の高校生男子みたいな……あれ?
「春哉って何歳だっけ?まえ西高って言ってたから高校生とは思ってるけど」
「はあ?」
口元を拭った春哉は私の質問に素っ頓狂な声をだしながら目を瞬かせて、かと思えば吹き出した。
顔に唾までかかる勢いだったうえ、それに謝る春哉の声にはどこもかしこも笑い声がにじんでいる。狙ったわけじゃないけど、さっきまであった妙な雰囲気があっという間に消えた。
「この状況でアンタ急になんなわけ?ははっ、何歳?何歳……19歳ぐらいじゃない?うん、19歳だよ」
「同じだ」
「あははっ同い年なの!?」
一度笑うとひかないのか、春哉はお腹をおさえて苦しそうだ。笑いすぎな気もするけど、笑う春哉の姿が本当に年相応で、なんだか私までおかしくなってくる。
「リ、リーシェさん!お邪魔する気はないんですけどちょっと嫌な予感がします!」
騒ぎを聞きつけた奴らがいたんだろうか。すぐさま魔法を消してアロアと会話ができるようにする。
「人が集まってきた?」
「っ!え、いえ、そういうんじゃないですけど、私、昔っからこういうの外れたことがないんです。こう、ゾワゾワーってして……だから、リーシェさんすぐにここから離れたほうがいいと思います」
善意の忠告だ。
それなのに私はどう口封じするか悩んでしまった。アロアの片割れであるラドさんは春哉に協力的だったみたいだけど、フィラル王国の招集に応じた勇者だ。春哉をここから連れ出したのがリーシェだとフィラル王国に伝わればジルドたちにも影響がでてしまう。
「わっ、わわ!すっごい嫌な予感!リーシェさん!私は言いませんよ!正直この国にいたのだってラドの気が晴れるようにするためですし、私は味方ですって!ああでも、その顔も素敵です……っ」
私がしようとしたことを察したアロアに驚くべきか、こんな状況でも梅のような反応をみせるズレた逞しさに驚くべきか悩むところだ。
ちょっと考えてしまうけど、やめた。梅やトゥーラと同じだ。考えたら負け。
「そう、分かったありがとう……それじゃあ契約を結んでくれる?」
「ふぅうう!まったく信じてくれてない!もちろん契約を結びます!」
私との繋がりができたと喜ぶアロアを見ていたら契約をしなくてもよかったと思うけど、フィラル王国側に調べられたときアロアだけなにも縛られていなかったら疑いを向けられてしまうだろう。伊藤にかけた魔法と同等のものがアロアにもかけられていると思ってもらわないと困る。
「ありがとう──それじゃあ、あなたも」
伊藤に手を伸ばせば、恨みのこもった瞳を歪ませながら後ずさろうと身体をゆすり始める。この調子だと私たちがいなくなったあと恨みの矛先がアロアに向かいそうだ。もしかしたらアロアはそれさえ面白がりそうだけど、危険要素は少ないにこしたことはない。
喋れないようにするだけじゃ足りないし、殺すまででもない。それなら。
「桜」
記憶を消すために魔法をかけようとしたら、春哉に止められる。私がなにをしようとしているか分かっているんだろうか。それとも。
「春哉。言っとくけど私、無理矢理にでもアンタをここから連れ出すつもりだけど」
「ええ?なに急に」
「こんなところにまた1人で残ったうえ伊藤の見張りでもする気ならさせないってこと」
「そんなこと、分かってる」
分かってる、か。
念のためとはっきりと言えば、春哉じゃなくて伊藤のほうが驚いたようだ。後ずさろうとしていたのが嘘のように身体を前のめりにして私になにか訴え始める。
だめ。いやだ。つれていかないで。私の。私も──
叫ぶ口の形を読んでしまって、うんざりするほど最悪な気持ちになってしまう。
──最悪だ。
誰かの叫び声と重なって聞こえてくる。ああ、この声は誰のものだろう。
「……?」
ぼおっと意識が曖昧になりはじめる視界に、アロアがドアの向こう側に視線を移したのが見えた。足音は聞こえない。だけどアロアの第六感が強く働いたのかもしれない。早くここから離れたほうがいいだろう。
危機感に意識を取り戻せたのは私だけじゃなく、春哉たちもだったらしい。春哉の手を掴む私に伊藤の目が春哉を見上げる。春哉はその視線を受け止めて。
「伊藤さん、前も言ったけど僕はあなたと一緒にいるつもりはないよ。同郷のよしみで助けはするけどそれだけだし、僕はこの世界がどうなろうとどうでもいいんだ。僕がここで魔法を使ってきたのは人を救いたいからとかそんな綺麗なものじゃないし優しくもないよ……よかった。今度はちゃんと伝わった?」
疲れたように笑う顔に伊藤は涙を流す。
その目が恨みをこめて私を見るのは時間の問題だろう。ハースから続く状況に疲れは覚えるけど、しょうがない。ここから春哉を奪うのは私だから諦めて受け入れることにする。
だけどその前に伊藤の目は春哉の手で隠された。
「僕はあなたが好きな優しくて頼れるあなたのことを誰よりも分かってる奴なんかじゃない」
無慈悲にそう言って──魔法を使ったんだろう。
伊藤がその場に崩れ落ちて寝息をたてはじめる。死んでないことに安堵する私に気がついたのか、春哉は目元を緩めた。
「伊藤さんはここに来たのが桜ってことだけ忘れたよ」
「分かりました!それじゃあ私もそういうことにします!」
「よければ僕が魔法をかけようかと思うんだけど」
「それは遠慮します!」
にっこり笑う2人のかけあいを聞きながら床に寝る伊藤を見てしまうと、なんともいえない気持ちになる。ああ、でも。
「春哉、行こう」
「うん」
手に力をこめれば、握り返される。それに安心するんだから、結局、どうあっても私はこの状況を選ぶことになっただろう。
「アロア、ありがとう。またね」
「きゃあ!またねって!」
飛び跳ねるアロアの姿を最後に転移したとたん、ひんやりと冷たい空気。変わった世界によろめいた春哉の身体を支えながら辺りを確認したけど、人の気配はない。
「ここは?凄く寒いんだけど」
「雪国のリガーザニア。他の奴らとここで落ち合えたらって話してるんだけど……」
上着を渡しながら窓から外を確認する。セルジオの隠れ家からリガルさん宅は遠くて目視は難しい。レナと会ったことを思えば、また進藤がリガーザニアに確認しに来てもおかしくない。これからどうしようか。
悩む私と違い、隣に並んで外を見た春哉は目を輝かせる。
「ほんとに雪国だ!ずっと来たかったんだ。うわ、うわー!雪ばっか!」
呆気にとられるほどのテンションで、私にはもう見慣れた景色をあれはなんだと楽しそうに聞いてくる。
ふと、これまでの春哉のことを思い出した。
『3年前だよ』
『もうどうでもよかったんだ』
『逃げることには見事失敗したうえ僕を庇って彼らは死んだし僕は奴隷になった』
ディオが奴隷にされる前の春哉を天使と嗤ったときの言動も思い出せば、春哉はこの世界に来て死ぬはずだった自分が魔法で生き延びる羽目になったあと、自分の周りの人を助けようと他人優先に生きてきたんだろうことが分かる。その結果奴隷になって制限のかかった人生を思えば、フィラル王国から出れたのは初めてなのかもしれない。
外に行こうと無邪気に言う春哉に、いろんな感情がわきあがる。
「ちなみに今の状況、分かってる?」
「分かってるよ?戦争が始まって桜はサクとしてもリーシェとしても重要人物で、僕はフィラル王国から誰かの力を借りて監視を逃れて逃げ出してる。2人とも見つかったら運がよければ殺されて、悪ければ奴隷にされるだろうね」
「運がよければ殺されるって……まあ、そうかもね」
「そうだよ。桜は外に出ないの?」
疑問を抱かない楽しそうな顔は学校終わりに遊びに行こうとでも言っているようだ。ああ、元の世界で春哉と会っていたらこんなこともあったかもしれない。クリームパンでも買おう、そんなことを言っていたかもしれない。
でもここは違う。地球じゃなくてオルヴェンだ。
「どうせなら探検しよ。春哉に話したいことも聞きたいこともあるんだ」
「なにそれ、面白そう。僕も話したいことと聞きたいこと沢山あるんだけど」
つりあがる口元に面食らうけど、最後は同じ顔になる。
私も空間から上着をとりだして羽織れば、春哉はドアを開けた。とたんにチクチクと顔が痛くなるほど冷たい風が部屋に入り込んでくる。
白い息。
春哉はそれさえ面白がって、待てないとばかりに私の手を掴んで外に出た。
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