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第四章 狂った勇者が望んだこと
227.「果たして本当にそうかね?」
しおりを挟む文様を記したところに移動するあいだ、最初こそリヒトくんは大地たちのところに行きたそうにしていたけど、錯覚魔法とシールドを使って大地たちと現れた闇の魔法を隠してしまえば次第に興味をなくしてくれたようだ。今日あったことを楽しそうに報告してくれる。
シールドの向こう側に響くだろう戦闘音も入ってこないから、子どもの楽しそうな声が聞こえるだけの和やかな時間だ。
それはユルバさんにとって奇妙なものだったんだろう。辺りを見渡しては私とリヒトくんを見て目を細める。契約で誓ったてまえ万が一のことがないようにしたけれど、ユルバさんの警戒を募らせてしまったかもしれない。
「森がこんなに穏やかにあるのは初めてだ」
「シールドを張っていますし、レオルドたちが闇の者に対処してくれていますからね。安心してください」
「闇の者?もしかして闇の者って本当にいるの?」
「リヒトくん闇の者のこと知ってるの?」
「うん……お母さんが言ってたんだ。外には怖い闇の者がいるから気をつけなさいって。森が僕たちを隠してくれてるけど、森で迷っちゃったら見つかって連れていかれちゃうよって……僕、何度も森を歩いたんだけど見たことなかったんだよ?でも本当にいるの……?」
危ない話だ。
けれどリヒトくんから出てくるお母さんの話はどれも愛情ある姿を思い浮かばせるものばかりで、場違いにも心が和む。子供が1人で危ない森に入らないように闇の者──怖い人が現れると話すリヒトくんのお母さんは、きっと私の母さんのようにニタリと笑みを浮かべていたことだろう。
おかしくて笑ってしまったら、リヒトくんはもどかしくなったのか不安そうな顔をくしゃりと歪めてまう。ごめんごめんと謝って応えようとしたら、同じような笑みを浮かべていたユルバさんが先に口を開いた。
「銀色の髪に赤い瞳、それが最後にみたもの、見つかるな見つかるな、逃げろ逃げろ、ああ見つかった」
知っている歌だ。
『それ嘘だろ。俺は生きてるし』
歌うヴェルを笑って否定した幼いオーズの姿を思い出す。ロウとディオとも違うけれど似た姿はオーズが人だったときの姿だろう。
最初に魔法を使ったヴェルが生きた時代は、魔法を使って国を滅ぼしたイメラが生きた時代よりも、神聖な場所がすでにあったクォードさんが生きていた時代よりもずっと前だ。
最古の英雄伝の時代は約614年前で、今は、714年だったか?
『歴史をなぞっていて思ったんだが、最初のとしを……0年を定めたものは誰なんだろうな』
やっぱり0年を定めたのはオーズだ。偶然とは片づけられない関連から予想するに、0年はヴェルが死んでロストの姿をなんらかの方法で引き継いだ日か、ヴェルか詩織さんにまつわる日だろう。
長い人生を生きていたオーズだから正しい歴史書を判断出来ていた。自分の願いを叶えるため、事あるごとに英雄伝を口にしてラスさんや私を誘導したその望みは。
「なあに?その歌」
考えに没頭していたことに気がついたのは不思議そうな声のおかげだ。
けどそのせいで、笑みを作っていたユルバさんの口元が静かに落ちていくのを見てしまった。
「魔族の間では必ず伝えられている歌だよ」
「魔族?魔を持つ人のこと?」
「……そうだね、似たような存在かもしれないね」
これはもう隠しようがないだろう。せめて村の中でバレなくてよかったと思おう。魔の森に追いやられる原因ともいえる魔物のサバッドをユルバさんたちはどんな感情を抱くのか判断がつかない。疑問があるだけでなく確信したいま、態度が変わったとしてもおかしいことじゃない。
「魔の森に住む私たちは闇の者が恐ろしい存在だと分かってもうらために、子供たちに必ずこの歌を聞かせるんだ。君のお母さんの教えと同じようなものだよ」
「お母さん……見つかるな見つかるな──見つかった」
「リヒトくん!」
「村の皆に教えないと!」
まずいと思った瞬間リヒトくんの身体に黒い靄を見つけてしまうけれど、あの惨劇の光景が広がることはなく、代わりに神聖な場所で魔物に勘づいたときのように森に向かって走り去っていってしまった。シールドを消していないのに消えていった小さな背中と、今朝シールドに阻まれていた姿が噛み合わない。
ただ、異常な光景だったのは間違いないだろう。
戦闘音も響かないうえ子供の声も聞こえなくなった森は和やかよりも不気味さを感じてしまう。向かい合って立つ私を見ていたゴルドさんは遠ざかっていく目印を見るとゆっくり歩きだした。私はなにも言えず、その後ろについていくしかできない。先頭を歩くレオルドにつけた目印は散歩でもするようにのんびりと動くから、静かな空間は気まずい時間に満ちていく。
「魔の森はね、人が踏み入れない力が働く場所だ」
「……?はい」
静かに話し出した声に怖さを感じるけど、リヒトくんに物語を話していたときのようでもある。
顔の見えないゴルドさんは話をつづけた。
「だから私たちはここに追いやられたんだ。この村に辿り着く旅人は多くなく情報は少ないが、少なくとも闇の者が昔から存在しているのは確かだ。きっと外の世界でも闇の者に対する恐怖は変わらないだろう。魔の森に突然現れ、臆することなく歩くなんてできるはずがない。子供だからとか世間知らずだからとは思えないのだよ。魔族なら必ず知っている歌も知らず、魔族という言葉さえ知らず、物語を求める子がひどく昔の限定した時代の物語しか知らず、闇の者という単語どころか魔を持つ人という単語を知っている……そのうえ目の前で消えてしまってわな」
「そうですね……魔を持つ人というのは昔の言葉なんですね」
肯定も否定もできないから話をそらすことにする。
リヒトくんやリルカの記憶から、魔を持つ人というのは人に知られてはいけない秘密で、化け物だからと殺す理由になってしまうものだったはずだ。
「ああそうだ。遠い遠い時代の言葉だよ。呪い子が魔法を使ってからというもの、同じことができる者が各地で見つかるようになったらしい。魔を持つ人とは彼らをさすんだ。今でいう闇の者と同じような存在として語られていて、当時は……それこそサバッドのように人と同じ姿をしているものばかりで、全身黒く覆われた存在は確認できていなかったようだよ」
面白い話だ。全身真っ黒で襲ってくるような、見た目ですぐに分かる化け物じゃなくて、見た目は人にしか見えないものが始まりなのか。
「……村に返してあげたいと言っていたが、君の目的にあの子は関係あるのかね」
英雄伝だけじゃなくて闇の者についても改めて整理したほうがいいだろうことが分かって必要な書類を考えていたら、リヒトくんの話だ。ゴルドさんはリヒトくんを嫌っているようでも憎悪を抱いているようでもなさそうだ。なにに関心を持っているのかよく分からない。
「……いいえ。私の目的には関係ありませんし、ただ行きがかり上というのもありますが……逃げられない縁もありますしね。家に帰してあげたいじゃないですか」
リヒトくんと出会ってからあったことを思い出せば歯切れの悪い笑みが浮かぶけど、家に帰してあげたい。これに尽きる気がする。それにどうせならイメラと会わせたいし、イメラもちょっとぐらい自分を許してほしいし、2人の願いが叶ったらいいと思う。
ああでも、リヒトくんは神聖な場所でどんな願いをしたんだろう。
石像にコソコソと呟いて笑った可愛い姿に思わず笑みが浮かぶ。
「そうか……そうだな」
独り言のように呟くゴルドさんは歩くのを止めたかと思うと、突然、なにもない場所から古びた冊子を取りだした。そしてそれを私に手渡してくれる。
「君にはお礼では片づけられないほど良くしてもらったからね。これで帳消しにしてもらえるとありがたい。村で英雄伝の資料を見せてもらっただろう?これは村に伝わる英雄伝を書いたものの一部だ。村長の子供は物語を絶やすことがないよう何度も聞き覚えるものなんだが、私は要領が悪くてね。父に聞いて覚えたところをこうやって書いては父に隠れて読み直していた。今はもう必要がないから君にあげよう」
「ありがとうございます」
村に伝わる英雄伝と聞いてドキリとしたけど、読んでみればゴルドさんが話してくれた【ドライオス】の一部だった。内心がっかりしていたら、ゴルドさんはまた魔法で古びた冊子を取り出した。貰ったものと同じぐらい古びたものだ。
「これは同じ内容を古語で書いたものだ」
「こご……古語ですか!ありがとうございます」
先ほどと違って食いつきのいい私を見るゴルドさんはもったいぶるように冊子をくれた。ドキドキしながら開いてみれば、古語とあって、読めない。セルジオが見せてくれたミミズのような線がひかれた紙と同じだ。今は読めないけど同じ内容とのことだから、照らし合わせていけば大きな手掛かりになるだろう。ああそうだ、リガルさんに古語の話を聞きに行こう。それで。
「君は読めないのかい?」
「え?はい、読めません。日本語しか──」
あれ?そういえば日本語で通じるんだろうか。確かに文字も言語も日本語だし、セルジオにも日本語って言えば通じていたけど、考えてみれば変な話だ。
「──分かりません」
「果たして本当にそうかね?」
考えれば考えるほど疑問がつきないのは精神上よくないことなのかもしれない。
弱々しい笑みを浮かべたゴルドさんを見て、心臓がどくりと大きく脈打った。
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