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第三章 化け物
188.「アカン。ちゃんと言い」
しおりを挟む「──なあ、俺で最後にしい」
掠れた声が降ってきたのは自由なはずの足が動かなくなって身体が揺れるたびに喘ぐしかできなかったころだったように思う。
「あっ」
話しながら奥まで挿れてきた男は私の腰を抱き上げてさらに身体を沈めていく。互いの涎でいっぱいになった秘部はだらしない音をたてていて、奥を突かれるたび溢れるものが股を伝っていくのが分かる。羞恥心よりも終わりを与えられない快楽に怖さが混じって頭がおかしくなって。
「アンタが釘刺したようにな?俺は……正直不安やし、アンタが片割れに思う奴らは、嫌やで」
大事な話。
話を聞こうとなけなしの力でライガを見ようとしたのに、緩やかに動き出した身体のせいでままならない。狂いきれない卑猥な時間に意識さえ定まらなくて。
「レオル、セルリオ、オーズ、ジルド……どっかで減ったらいいと思ってん、ねんけどな」
言いながら身体を打ち付けてくるせいで話が聞こえなくなるぐらい声が出てしまう。やめてほしくて腕に爪を立てても笑う声が降ってくるだけでなんの効果もない。
「やめっ」
身体を繋げて情事に溺れているはずなのに、ライガの口からつらつらとあがる他の人の名前に羞恥心で脳が焼かれていく。複数と関係をもっていることを、逃れられない快楽とともに指摘されるのは辛くて恥ずかしくて恥ずかしくて。
「だからなあ?俺で最後。俺で最後にしい。これ以上は……我慢できへんで」
「っ」
「分かった?」
こんなのは卑怯だ。まともに考えられないようにして脅迫に近いことして。
「それともまだこれ以上の男を許してまうん?受け入れんの?助けんのか」
低い声。
離れていたはずなのに近くで聞こえて、そのぶん身体のなかにいたソレは行き場所求めて壁をなぞってくる。痺れて、身悶えてしまう。
「ふ、ぅあ」
「アンタが欲しい男は他にもいるで?アンタは利用やいうても受け入れてもうたら見捨てられへんからなあ。そいつら全員とはいかんでもアンタなら助けてまうやろ?でもなあ、ほんとにもう十分やで」
「たすけっ……?っ」
「まだ足りへんのんやったら、これ以上なんて考えられんよう俺が、他の奴らのぶんまでアンタを抱きつぶしたる」
「やっ、だいっ、大丈夫、しない」
恐ろしい発言に取り繕うなんてことは思いつきもせず首を振って否定する。舌足らずな私はさぞおかしかったんだろう。笑うライガは火照った顔を楽しそうに緩めて。
「アカン。ちゃんと言い」
額に触れた唇が顔じゅうにふってきて、最後、唇に触れる。
「ん?」
甘い声。
優しさ感じる低い声がつりあがる唇から落ちてくる。両頬触れる手は私をおさえつけた手と同じとは思えない。
「ライガで、最後」
……別にこれ以上ほしいわけじゃないしそのつもりもなかったし、そもそもこんなに作るはずじゃなかった。
言いたいことをぜんぶ飲み込んでライガが望むように言えば、嬉しそうな顔。藍色の瞳がきれいで。
「俺で最後?」
頷けば、また、怒られて。
「ちゃんと言い」
「……ライガで最後」
「嬉しいなあ。アンタの色んな一面も知れたし、アンタとこうやってぐちゃぐちゃになるまで溺れて、アンタは約束してくれた」
優しいキス。
熱でもでてきたのか顔が熱くて、くらくら、ぐらぐら。
「嬉しいついでにもういっこお願いしてええ?」
足がすくいあげられて、淫らな音。震える身体にあがる上擦った声はカラカラ。頬を撫でる親指の感触にホッとして、
「俺の名前、ちゃんと呼んでえな。カタカナでライ。千堂ライ」
告げられた真名に身体が固まる。
それが分かっていた男は笑みを浮かべていて。
「アンタの真名も教えてほしいとこやねんけどなあ」
「ぅあっ、ちょっ、んん」
すくいあげられた足が男の肩におかれて、重い身体が押しつけられる。圧迫感に息が詰まって思わず首をふったものの、男は苦しげに詰めた息を吐くだけで優しくしてくれることはなかった。
応えない私に男も応えずそのまま果てるまで身体を貪りあう。どうにもならない現実の代わりに身体を求め合って快楽にすべて流してしまえることを望んでいるようだ。真名、最後、片割れ、結婚、復讐。浮かぶ言葉は口づけのたびに消えていく。
打ち付ける身体と軋むベッドに押し殺した声が混ざるだけの時間。そんな狂った世界が終わったとき、乱れた息のまま互いの呼吸を奪いあえばもう、すべてがどうでもよくなって。
「──俺、たぶんアンタの名前知ってるで」
時間が、止まったような気がした。
え?
言葉は音にならなくて、だらりと垂れた足を撫でた男に驚きだけじゃなく怖さを覚えてしまっていた。それも分かっていたんだろう。男は微笑んで、ゆっくりと口を開く。
「リーシェ」
「……」
「サク」
「……なに、当てずっぽうなわけ」
心臓に悪いことを言った男は目尻に伝う涙を見つけて笑みを深める。
思わず目を逸らした。
「サク」
「……」
「やっぱり真名に近いんはサクのほうやね。最初に名乗ったんもそっちやしね」
「だからなに」
「せやなあ。ちょっと昔話なんやけど聞いてくれる?」
腹を撫でた手が肌をつたって胸に触れてくる。そのまま押し付けられて、どくんどくんと鳴る心臓の音がよく聞こえた。
「皆おったころになあ、毎年春になったら花見しとったんや」
正直者の心臓を隠したいのに手を押してもまるで動かない。
もう顔が見れなくて目を瞑ったけど声はまだ響いて。
「知ってる?桜」
何度も私を驚かせて怖がらせる男が笑う。桜。もう一度言われた言葉に怯えてしまう。
「桜、さくら、サクラ。どれが合ってるんかな?」
ニュアンスが違えど名前と一緒の言葉は私を追い詰めて桜の姿だと言うことを思い知らせる。続けられる確認にたまらなくなって情けなくも素で泣きそうだ。嫌だ。コイツにはいつもぜんぶ惑わされる。暴かれて、らしくなく頼ってしまう。私はまだサクとしてもリーシェとしてもなにも片をつけてない。元の世界に帰ることを諦めれたのだってつい先日のことだ。
「やめっ、ちが」
「……ちょっとアンタを虐めたい気持ちもあるけどな、俺はただアンタの名前を知ってアンタに俺の名前を呼んでほしいだけやねんで?不安やいうの盾にして嫉妬してまうし、アンタを独占したいしで我ながら情けないけどなあ。アンタに好かれてる自惚れをもっと味わいたいんや」
「……」
「俺はきっとアンタに名前を呼んでもらえたらめちゃくちゃ嬉しなる。幸せでたまらんやろな……だからアンタに言うてほしいねん」
ずるい言葉だ。甘い言葉や相手の弱みをついて、だからしょうがないとはならないだろう。本人も自覚しているから性格が悪い。でも、だからしょうがないと言うライガに少しばかり納得してしまう私もそうとう性格が悪い。
『アンタは利用やいうても受け入れてもうたら見捨てられへんからなあ』
ああ、くそ。分かってしまう。
『俺が手に入るんは怖いか?』
悪いか。
初めて好きになった男が変態でストーカー気味でやばいこと考える奴で自分が惚れた女を追い詰めるような我を持ってる奴で独占欲で縛ろうとしてくる男だったんだ。怖いに決まってんだろ。
『気がふれるほど欲しいと思う奴なんて俺には見つからんと思うてた。なのにいま腕のなかにおるねんもんなあ。逃がすかいな』
悔しいし怖いし腹も立つ。でも結局言い訳で、結局……ああっくそ。
「アンタも同じやったら嬉しいしなあ」
きっともうコイツは分かってる。
『ちゃんと分かってくれとるんや』
嬉しそうにそんなことを言ったときと同じ表情を浮かべた男が五月蠅い鼓動を楽しんでいた手を離す。そして痛めつけるように抱いてきたくせに愛情なんてものを感じさせるほど優しく抱きしめてきて、安心したように息を吐いた。動揺に身体を押してもやっぱり動きはしない。
「桜」
耳元囁かれた名前に浮かび上がった涙はどんな感情を含んでいただろう。
桜……私の名前。ああもう、くそ。
私の口からは教えていないから外で言ってもそれは他の人の耳にも届く言葉だろう。けれど顔を見せた男はそれでも十分らしく幸せそうに笑っていて、チョロい私はきっと絆されてしまった。
「勝手に言ってろ変態……ライ」
確かめたかっただけだ。
でも、本当に幸せそうに顔を緩ませたライが言ったとおり勝手に私の名前を呼ぶもんだからむず痒くなって……ああもう。
「ライ」
ちゃんと名前を呼んで、見てられない顔がもう見えないように抱きしめる。同じように抱きしめられた手の温かさに感じたのはきっと。
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