狂った勇者が望んだこと

夕露

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第三章 化け物

170.「なぜ私を巻き込む!」

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アルドさんから話があると通された部屋は以前勇者について語った部屋だ。その部屋で私を見たアルドさんは色んなものがごちゃ混ぜになった表情をしていた。思わずというように伸ばされた手はすぐにおろされる。部屋には私とアルドさんしかいなかった。

「私の妻に会ってもらえないだろうか」

そして告げられた言葉をすぐには理解できなくて黙るしかない。アルドさんは自分を落ち着かせるようにゆるゆると首を振る。疲れた目が私を見上げた。

「君が言うように私には話せないことがある……この前は折角妻を気遣ってくれたのに悪いね」
「いえ」

アルドさんと奥さんのサキさんにかけられた契約の話だろう。契約を解けばサキさんの命を奪うことに繋がってしまう、恐らく勇者によってかけられた契約だ。相手は17年前にも勇者だった奴ではアルドさんに個人的な恨みを持っているか加虐趣味のある奴。
『その日に亡くなった勇者がいるはずと言いましたね。恐らくその人物はリナという女性です。その頃から彼女の名前を聞くことはなかった。10年前に亡くなったのはセンドウという女性です』
ラスさんの話を思い出して、疑問。そういえばあのときトゥーラがおかしなことを言っていた。

「ジルドからサバッドの……勇者の記憶の話を聞いた」
「ああ、はい。それとアルドさん以前私とした契約ですが、私がサクということを言わないで下さるだけでいいです」

何を話したか考えるより楽だと思いながら契約の文様を出せばなんの異論もなかったらしいアルドさんが力なく微笑んで魔力を流してくれる。上書きされた契約を消してアルドさんの様子を窺えば何か悩んでいるのか俯いてしまった。アルドさんにしては歯切れの悪い態度のうえ前回サキさんに会うことを拒否したことを思えば今回の発言はおかしいことだらけだ。アルドさんの様子からして契約が解けた訳でもなさそうだし。

「話を折ってしまってすみません。記憶がどうしましたか?」

朝見てしまった悪夢を思い出しながら聞いてみるけど私もアルドさんと似た表情をしてしまっていたらしい。アルドさんが笑った。

「りな」
「……え?」

そして続けられた言葉に眉を寄せてしまうが、以前にも似たことがあったのを思い出してしまえば疲れに似た気持ちが沸いてくる。

「りな……里奈。私はそんなに里奈さんに似ていますか」
「……誰のことを言っているんだろうね」
「どうやって今答えることが出来たんですか」
「元々名前は言葉の羅列だ。私はただ言葉を話しただけにすぎないが……ああそれでも、もう使えないだろうね」

トゥーラが徐々に言葉を奪われたようにアルドさんももう抜け道は使えないらしい。
──でも屁理屈でゴリ押せるもんなんだな。
そう思えば言葉で縛ってしまうのは自分自身らしい。僕のせい、私のせい、許されない、見るだけしか出来ない、帰れない──皆、自分で自分を縛ってしまっている。

「君は記憶を見たかい?本当にそんな」
「あなたにつられたのか丁度今朝彼女たちの記憶を見ましたよ……2人は私と梅のように仲が良かったんですね。千堂さんが結婚して子供を産んだこと、千堂さんの旦那さんが亡くなって里奈さんがどこかの城……きっとフィラル王国ですね。フィラル王国に復讐に出て魔物を喚んだこと……最期、生きていた千堂さんの旦那さんに殺されたときのことを見ました」
「……」
「17年前アルドさんたちは秘密の会談をしていて、その日サキさんは病に伏せったんですよね。10年前には千堂さんがこの館の庭に魔物を喚びながら現れ、亡くなった」
「……」

目尻に浮かんだ涙を拭い黙り続けるアルドさんは話すことが出来ないんだろう。昔を思い出す姿は見ていて痛々しい。
夢で里奈さんは千堂さんを子供に託していたから千堂さんは復讐に千参加していない。でもアルドさん達はもしかしたら参加してその結果契約を結ぶことになったのかもしれない。仲が良い面子だったらしいから里奈さんの行動の連帯責任として契約を結んだ可能性もあるけれど、とにかく、里奈さんがした復讐をきっかけにアルドさんたちは契約に縛られるようになった可能性は高い。
でもフィラル王国がジルドを人質にしてまでアルドさんたちを生きて使うことにしたのはなんでだろう。見せしめ?勇者を使えるメリットが大きかったからだろうか。でも不穏物資は殺してしまったほうが後の憂いが無くなるだろうに。

「以前、私は事を構えると言ったのを覚えているかい?」
「え?……はい」
「私達は腹を決めた。悪いが君にはその手助けをして欲しい」
「……契約はいいんですか」
「妻とも話し合って決めたことだ。アイツはもう長くない。その前に一矢報いてやりたいと……私も妻の命を賭けてでもこの世界を壊すことにした」
「この世界を壊す?」

覚悟を決めた人は怖い人になるらしい。縁側でお茶を飲むのが似合うような人はどこにもいない。その目は怒りと決意に満ちていてその背に揺らぐ炎のような異様な雰囲気を感じてしまう。
私を見下ろすアルドさんの口調は固く、戸惑う私の声に揺らぐことはない。

「フィラル王国を滅ぼすことは勇者召喚を否定することになる。勇者召喚によって現れた勇者が魔物を殺すのが当然とするこの世界の人間にそれは受け入れがたいものだろう。まして勇者が教えられた歴史とともに否定するんだ。いいかい、桜さん。勇者とこの世界の人間で戦争になる可能性が高い」

以前少し考えた未来を口にしたアルドさんは未だ戸惑う私を見て続ける。

「勇者を擁護する者や勇者召喚を無くそうとしている者たちもいるがその数は多いとは言えないし、勇者の何人かはこの世界の人間につくだろう。戦争は起こさないよう努力はしているが最悪は考えておいてほしい。君は完全な部外者ではいられないだろうからね。出来れば君にはこちら側についてもらいたいが強制はしない。戦争に乗じて闇の者は増えるだろうし闇の者の討伐にあたってくれるだけでも私達としては有り難い。彼らは人間の思惑なんておかまいなしだからね」
「……私は今勇者召喚を無くすためにオルヴェンの歴史を調べていて」
「英雄伝か。ジルドが楽しそうに話してくれた」

息子のことを話す父親は目元にシワを浮かべて微笑み穏やかな表情だ。

「アイツにもこの話はしている」

それなのにその口は戦争の言葉を吐き出して瞳は揺るがない。きっと戦争を起こさないように努力しているのは本当だろう。けれどフィラル王国を滅ぼすことを決意して、その結果起きるだろうことも視野に入れて準備を進めている。先を考えて悩む私と違う姿に羨ましいよりも戸惑いばかりが勝ってしまうのは私が弱いせいだろう。

「勇者召喚が根本から無くせてしまえるのならこれほど心強い話はない。是非そのまま調査を進めてほしい。元があるから争いを生んでしまうんだ。出来るのなら誰も使ってしまうことがないように消してしまいたいものだな」

本当に出来るのかと疑いを抱きつつも希望に言葉を続けるアルドさんの気持ちはよく分かる。けれど今自分がしていることが戦争の道具に使われることが分かって――なにを言ってる。元々復讐してやろうって自分から始めたことだ。勇者召喚を無くしてあいつらを同じ土俵に立たせてやろうって、だから、ラスさん達と話して謎を解きながら英雄伝を辿ってる。活用してくれる人がいるなら良いことのはずだ。
それに、それなら私が戦争を起こすんじゃない。私はただ勇者召喚を無くすだけ。アルドさんならその方法をうまく使ってくれるだろうしそれだけで私の望みが叶うなら良いこと尽くめだ。
でも。

「駄目だ」
「……リーシェさん?」
「アルドさん、私は調査を進めはしますがこれはあなたのためじゃなく私のためにしていることです。きっとアイツらから見れば私とアルドさんは同じ立ち位置なのでしょうが、私は私で動きます」
「そうか……人々に波紋を呼んだ勇者サクがこちらについてくれたら心強い味方だったんだがね」
「そうですか」
「だが君の考えを尊重しよう。私もあの国に恨みを持つ1人として君の復讐を邪魔したくはない。けれどね、君は復讐のあとどうするか考えているのかね?」
「え?」

穏やかな言葉は私の心に不安を呼ぶ。
復讐のあと。
色んな奴の顔が浮かんでしまったけれどすぐに消してアルドさんを見上げた。アルドさんは微笑む。

「この世界の歴史やフィラル王国がしてきたこと、勇者と魔物の関係を話せば……それはこの世界を壊す力になるだろうが差別も生むだろう。勇者に、ハトラ教関係者に、フィラル王国の住人に、召喚に携わった者に、隣人に――自分は善人でありたいものだからね。自分は間違っていないと主張し合いその結果血を見ることもあるだろう。私はそれを受け入れる。終わらせると決めたからにはその罪を背負って死ぬまでこの世界で生きていこう。復讐のあとは勇者の保護を主に動くつもりでいるんだ。だが君はどうするんだい?勇者召喚を無くしたあと……なにか、考えているのかね」

初めて弱まった口調にずるいと思ってしまう。私の身を案じてくれるアルドさんの顔は心配そうでさっきの顔が嘘のようだ。もしかしたらこの顔のほうが嘘なのかもしれない。私の頭を撫でる手はここに居ない父を思い出させた。

「君は一人で動く力があるからこそ背負いすぎるように思う。どうか頼ってほしい。私達は頼りないのかもしれないが今度こそ守れるようにありたいと思っているんだ。もう目の前で死んでしまうのは見たくないんだよ。頼れないのならそんなことを思う私達を利用してほしい」

アルドさんは里奈さんと重ねて言っているんだろう。
目の前で死んでしまう……アルドさん達が里奈さんの復讐に参加した予想は当たっているようだ。

「勿論ジルドに頼ってくれても構わない。私としてはすこぶる嬉しい」
「はは……そうですか」

流す私になにを見たのかアルドさんは泣きそうに笑う。憎めない人だ。アルドさんはこの話を私にしない方がよかっただろうに。余計な懸念を持たせず進ませて気がついたときにはもう戦争から逃げられない状況を作ることは難しくなかったはずだ。
『私はそれを受け入れる。終わらせると決めたからにはその罪を背負って死ぬまでこの世界で生きていこう』
そして私が歪んだ願いを抱いたようにアルドさんは私が手に入れた情報を道具として使ってくれただろう。私に罪を背負わせず世界を壊した張本人として立ってくれもするだろう。

「……サキさんに会ってもいいんですか?」
「それは誰のことだろう?ああそういえば神殿に行こうと思うんだが一緒に来てくれないかい?」
「いいですね」

微笑み返して手を取れば一瞬で変わった景色。
ハトラの私室とは違って花が活けられて部屋を彩る飾りが沢山ある部屋だった。その奥にあるベッドで女性が寝ていて、その近くでは見覚えある人がぜえぜえと息を切らしながら床に膝をついていた。


「アルド来よったか!私はもう限界だ早く治癒魔法を……お?り、リーシェ様?」


ハトラ教の指導者、ウシン・ソル。大地との件でただのおじさんにしか見えなくなった人がアルドさんを親しげに呼び、私を見て焦った表情を驚愕に変えた。
話を切り出したのはアルドさんだ。

「ウシンありがとう。お陰で彼女を会わせることが出来る」
「へ?い、いや彼女はリーシェさんというお方で里奈とは似ても似つかないだろう」
「ははっそうかお前最後まで顔を知らなかったんだな。彼女はそっくりだよ」
「そんな……」

夢で里奈さんは千堂さんの子供に錯覚魔法をかけていたし私と同じように錯覚魔法が得意だったようだ。私がサクと偽っていたように彼女も姿を偽っていて――ウシンはその姿でしか彼女を覚えていないのだろう。少し、切ない。

「里奈……?」

ベッドからか細い声が聞こえてくる。
近づけばウシンが離れて道を開けてくれた。アルドさんが静かに話し出す。

「あの日以来私達は夢を見て魘されているんだ。トラウマになっているんだと思っていた」
「里奈……?ああ里奈許して。私のせいであなたは死んでしまった。ごめん、ごめんなさいっ」
「妻は精神が蝕まれて契約に耐えられなくなってきている」

起き上がった細い身体は夢を見続けているのか私を見て恐ろしげに震えた。自分の身体を抱く手は青白く、隈のできた目は生気が無い。夢と現実がごちゃ混ぜになって一緒になってしまったらいつか私も胸を突き殺されたあの夢の瞬間に死んでしまうかもしれない。そんな未来を感じさせるサキさんの姿は私にも恐ろしく悲しいものに見えてしまった。
きっとサキさんは千堂さんの記憶を見ているんだろう。
『センドウさんはずっと『死なせてしまった』って後悔してるの。あなたを……リナを止められなかったって。『アンタは悪くない』って言うけど『私のせい』ってずっと言ってる』
暗い表情でそんなことを言った梅の言葉を思い出す。

「私が望んだことだ。君はそう言って私を責めてはくれない」

そしてアルドさんは里奈さんの後悔に重なってしまっているんだ。ダンスパーティーの夜、初めて2人で話したときのことを思い出す。私が現れてさぞかし驚いたことだろう。
契約で縛られ古都シカムに追放され自由に動けなくなったアルドさんは表れた症状を相談しようにも語ることも出来ず、妻のサキさんは夢に追い詰められておかしくなっていく。この静かな部屋でゆっくり壊れていく時間になにを思っただろう。契約に引っかかって命を失いかねないと分かっていても残された時間と天秤にかけて里奈さんに似た私を会わせることにした気持ちはどんなものだったろうか。
分からない。なんて言えばいいのか、なにが正しいのか分からない。
けれど私を見て涙を流し続けるサキさんの姿が顔は似ていないのに梅と重なってしまう。
『嫌だなあ。リーシェが私のせいで……誰かのせいで死んじゃうようなことになったら私凄く嫌だなあ?きっと私はソイツを殺したあとリーシェを探してずっと彷徨うよ?』
――私も、それは嫌だなあ。
紗季さんの頭を撫でながらそんなことを思う。長い悪夢のせいで紗季さんは憔悴しきっていてそんな姿も嫌だなと思う。こんなのは悲しい。だけど疲れを浮かべた瞳がゆっくり私を見上げて――私を見てくれた。微笑めばちゃんと私が見えているのか目が見開かれる。目尻から零れていく涙を拭いながらゆっくり話しかける。

「アンタのせいじゃない」

私と似ているらしい里奈さん。彼女ならなんて言うだろう。分からない。だけどきっと私なら梅にこう言う。あの夢で想ったように、アンタが自分を責めることを分かっているのに私はこう言うしか出来ない。

「私が決めたことだから」

ごめんね。だけどこう言えばきっとアンタはそれじゃ駄目だって起き上がってくれるだろ?そう想って――ああ、なんだろう。私もまだ夢を見ているんだろうか。目の前のサキさんはベッドの上に座っているはずなのに赤く汚れた地面に座っているように見えた。私を見下ろして赤い目からボタボタ涙を落としている。
おかしいけど大事なのは声が届いているということだけだ。安心して話を続ける。

「大丈夫アンタは悪くない。いいね?アンタは悪くないんだ。これは私が望んだことだ」
「駄目、駄目なの。私のせいで里奈は死んじゃう私が」
「そう思うなら泣いてないで私を引き留めてみれば?」
「……え?」

呆気にとられた顔は何をそんなに驚いているのか微笑めば動揺に視線を逸らし始めた。

「千堂」

呼びかければ、ビクリとはねた肩。
ぎこちなく動いて私を見上げた紗季さんはお互い違う人を見ているようだ。


「私は今みたいなアンタを大人しく待つような奴だったか?」


梅は何度拒否してもついてきた。私の腕にしがみついて私の名前を呼んで馬鹿みたいに笑っていた。最初は面倒で仕方がなかったけれど私はそんな梅に救われたしそんな梅と居るのが好きだ。だから私も梅を追いかけて梅も私を追いかけて……それで今も違う世界でこうやって一緒にいる。
私達が似ているなら里奈さんも千堂さんも一緒だろ。

「置いてくよ」
「あ……やだ!私も一緒に行く!」
「……はいはい」

伸びてきた手を掴まえるんじゃなくて細い身体を抱きしめる。もう何人もの記憶を見て抱えてるんだ。貰ってやる。それで、私は私の目的のためにうまく使うだけだ。
怖々と私の背中を抱きしめてきた手は震えていたけど私に触れることに安心でもしたのか嬉しそうに笑い出した。無邪気に頬まで寄せてきたから強すぎないように気をつけながら抱きしめれば聞こえてきたのは健やかな寝息だ。身体を離せばどうやら本当に寝てしまったようで、伝う涙と隈が痛々しかったけれどもう大丈夫そうなのが見てとれる。
ベッドに寝転がそうとすればアルドさんの手。見上げれば驚きと戸惑い浮かべるアルドさんが言葉をようやく飲み込んで紗季さんを寝かせるのを手伝ってくれた。布団をかけて紗季さんの頭を撫でる手は優しい。アルドさんは紗季さんを見ながらずっと泣いていて、そんな様子を見守っていたウシンは私の視線に気がつくと何かを否定するように首を振った。恐ろしげに変わる表情に微笑めばウシンは息を飲んで、やはり何も言わない。紗季さんの声が聞こえない部屋は時計の音しか聞こえなくて静かな部屋だ。ようやく紗季さんはこの時間を味わえるようになったんだろう。

なにせ代わりにとばかりに千堂さんの慟哭が私の頭に響きだした。死なせてしまったと泣く千堂さんの声が、悲しい気持ちが伝わってくる。事情が分かっていてもこれは辛い。
『大丈夫』
だというのにそう言って笑ったのは黒髪のポニーテールをした女性。里奈だ。里奈は私の馬鹿みたいな話もちゃんと聞いてくれて「はいはい」って仕方なさそうに笑ってくれる。子供は苦手だって言っていたのに私の子供に錯覚魔法をかけてくれたしあやしてくれたよね。アイツが死んだときは気丈に振る舞って私を励ましてくれた。里奈だって大事な友達を亡くしたことになるのに私ばっかり悲しんでずるかったよね。アンタせいじゃないって言ってたけどやっぱり私のせいなんだよ。私のせいでアイツはあなたより私をとってしまった。アイツがあなたを殺したのは私のせいなんだよ。先に私が死ねばあなたは死なずに済んだ。でも安心して?アイツは私が殺すしこれからは私があなたを守るから……なんで?なんで紗季と篤人まで縛られたの?私のせいだ。私が死ななかったからこんなことになったんだ。ねえ、ラス。私は自分で片をつけるから安心して。大丈夫だよ。うまく死んでみせる。里奈が守ってくれたこの子は必ず生かしてみせる。フィラル王国には絶対に渡さないんだ。
……紗季、ごめんね。あなたがかけられた魔法を完全には解けなかった。私が死ぬことであの人もちょっとぐらい同情してくれたらいいのにね。こんな言い方は酷いかな?私、あなたに同じ事を求めてる。



「ごめんね、キューオ」



呟いて、驚きに息が止まる。キューオ……フィラル王国筆頭魔導師キューオ。今の面影が残る若い姿が脳裏に過って悲しい気持ちと恐ろしさにうまく息が出来ない。掌にぼたぼた落ちていく涙を見ていたら「ひっ」と上がる声。見ればウシンが座り込んだまま後ずさっていた。
そんなウシンに声をかけたのはアルドさんだ。

「恐ろしいか?ウシン。だが言っただろう。私達も彼女と同じなんだ」
「なぜ私を巻き込む!私は偉大なハトラ教の指導者で私は」
「勇者召喚が禁呪だったことを隠したのなら分かっているんだろう」

アルドさんとウシンの関係性は分からないけれど口を挟む隙はどこにもなくて私は泣きながら彼らを見ることしかできない。次々に分かっていく事実は色んな感情を呼んできておかしくなりそうだ。
それはウシンも似たような状態らしく、老け込んだ表情で私を見上げながらポツリポツリと話し出した。

「私とキューオ、それに千堂の夫となったロセはアルド達と共にフィラル王国で魔物を討伐する任に当たっていた」
「あの頃は古都シカムと共闘することもあって私達とウシン達が選ばれたんだ。私達はいいライバル関係だった」
「魔物討伐のせいで紗季が怪我をするのを少しでも減らしたかっただけだった」
「コイツは未だにお前の気持ちに気がついていないがな」
「……私は里奈と千堂が死んだ日その場にいなかったから詳しいことは分からない。だがあのときと今の情報を比べておおよその予想はついておる。ロセがフィラル王国の手の者に殺されたとされたあの日、里奈は千堂を残し単身復讐を果たしに行き、後にアルドと紗季が参戦するも紗季が囚われて……結果、ロセの手によって里奈は殺されたらしい。アルドと紗季は息子を人質にとられてフィラル王国の契約に縛られ今日まで生きることになった。契約者はキューオだろう。アルドたちを縛れるとするなら奴しかおらん。千堂はロセによって保護されるが10年前ロセを殺し自身も同じ日に息子共々魔物に食い殺されて死んでしまった」

語られる壮絶な話に思い出すのは私を見て「惜しい」と言ったフィラル王国筆頭魔導師キューオ。私と似た魔法の使い方をしていたし彼が勇者である確率は上がった。いや、勇者だとするのならなぜ。
思考に沈みかけていたら鼻をすする音が聞こえてくる。

「泣くな、ウシン」
「お前らが哀れでならん。だが愚かでもあるのだ。何故その道を選んでしまった」
「人として生きたかっただけだ」
「召喚は、召喚は人々の救いで……我らの救いなんだ」

響く嗚咽を聞きながら涙を拭う。
流れる時間のなか色んな人が色んな思いを抱えながら生きてきた。そんななか誰かが立ち止まっても時間だけは先に進んでいって、もう、どうしようもない。過去は変えられないんだ。泣いても意味がないんだ。
部屋に、頭に響く声を聞いておかしくなった私は口元に笑みを作る。
『これは私が望んだことなんだ』
本当にその通りだ。
皆なにかを望んでいる。望んでいた。

「私は造り人ではありませんよ」

私の言葉に俯いたまま固まったウシンがハッとしたように顔を上げてまじまじと私を見る。まさか。そう言った口が震えだす。

「ウシンさん、あなたに感謝と敬意を」

情報を教えてくれてありがとう。信仰するハトラ教の指導者でありながら敵対する関係にあるだろうアルドさんたちを慮る言動に敬意をこめて頭を下げる。アルドさんから色々話を聞いて、それでも、この世界のことを思って泣いてしまう人から情報を盗ってしまった謝罪も込めて。

「あなたは生きて、サク、勇者サク」
「黙ったままでいたほうがあなたは救われたでしょうが、申し訳ありません。私が耐えられませんでした」

大地とのことを思えばこの人はリーシェに協力してくれるだろう。多少怪しみながらも任せなさいと胸を張って色々手伝ってくれたはずだ。
――きっとアルドさんもこんな気持ちで私に話したんだろうな。
それが分かってアルドさんを見れば微笑む顔を見つける。穏やかな瞳は赤くはないけれど、きっと私の目は赤いんだろう。私の目を見る度怯えるウシンに別れを告げる。

「リーシェさん送ろう」
「いえ、結構です。私にはこれがありますから」

アルドさんの申し出を断った瞬間現れたのは真っ黒な道。もう声も出ないウシンが表情で驚きを露にしていてこれはまともに話せるようになるまで時間がかかりそうだ。アルドさんはこの道を初めて見たのにも関わらず目をぱちくりとさせただけで「流石だね」と笑ってみせた。

「君に感謝する。本当は……君に会わせることで妻は死ぬだろうと思っていたんだ」
「それはまた随分夢見が悪くなりそうですね。立ち会うことがなくてよかったです」
「はははっ!私も同じ気持ちだ!……また、会ってやってほしい。今度はもっと元気になっているだろうからよければ」
「ええ、是非」
「そうか……そうか」

涙ぐみながら微笑む顔が見えなくなっていく。消えていく視界に見えたのは紗季さんの手を握るアルドさんの柔らかな表情と天井を見上げるウシン。
──この道は一体何を考えてるんだろう。
私を食べた真っ暗な道を通って辿り着いたのは見慣れない部屋だった。そこにいた赤い髪の男は私を見て驚愕に目を瞬かせて、何者かが現れた警戒に握った武器を消す。


「……リーシェさん?」


この道は私が望む場所に連れて行ってくれてるんだと思っていた。ジルドに会いたかったとでもいうんなら間違ってる。
とりあえず道の中から顔だけ覗かせてる怪しい状態だから挨拶しておく。

「すみませんジルドさん、お邪魔しますね」

ジルドは動かない。
その目が見ているものがなにか分かって笑ってしまった。

「怖いですか?」

きっと赤目のままだろう目を指差しながら言えば瞬く目。その目がいつまでも逸らされないから道から出てジルドの部屋に入ってしまう。

「この黒い道がリヒトくんが使った道です。思い通りに動くわけではないですが私も使えるようになりました」
「不思議なものですね。あなたに害はないんですか?」
「特には」

ジルドが興味深げに手を伸ばした瞬間道は消えてしまう。それに残念そうにするジルドはもしかしたらこの道が闇の者の類だとあたりをつけてるんじゃないだろうか。そうと確信したならジルドのことだし研究したあと炎で焼き尽くして殺してしまいそうだ。

「ジルドさん、散策はいつ出れるでしょうか」

この道はまだ使いたいから話を変えればジルドが振り返った。振り返るジルドにあわせて動く赤い髪を見ていたら私の様子を窺っている目に気がつくのが遅れてしまう。

「あなたは」

なにを考えているのか心配気にジルドが私の目元を撫でてくる。泣いたせいで腫れてしまっているんだろう。少し、痛い。
──もしかしてジルドは赤い目を見て驚いたんじゃなくて泣いてたことに驚いてたのか?
それならありえない状況のうえ意味の分からない話でジルドは何がなんだか分からない状況だろう。そのせいでおかしくなったんだろうか。

「……抱きしめてもいいですか?」

ジルドがおかしなことを言った。一瞬聞き間違いかと思ったけれど合っているようだ。
目元を撫でる手を払いのけて答える。

「結構です」
「そうですか」

なのに私を抱きしめてきて、やっぱりよく分からない。
記憶に引きずられていたせいか神聖な場所で抱きしめてくれたようにジルドの手を温かく感じる。聞こえてくる心臓の音は早くて聞いているとなんだか眠たくなってきた。

「リーシェさん」

静かな、穏やかな声が聞こえてくる。
顔を上げれば見下ろしてきていた茶色の瞳を見つけた。何故だろう。急に目が覚めて、この状況に甘んじていた自分を呪ってしまった。ジルドが私を見て静かに告げる。



「あなたを縛りたいと思うのは酷だろうか」








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