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第三章 化け物
161.「私に構うな!前!」
しおりを挟む太陽のような笑みを浮かべる大地は全員の顔を見てようやく様子がおかしいことに気がついたらしい。私は謝罪とともにジルドが起きるのを手伝って大地たちのほうへ移動する。
「アイフェ大丈夫?」
「……リ、リーシェ、へへっ大丈夫。大丈夫……うん、大丈夫」
青ざめた顔をする梅の背中を撫でれば梅が抱き着いてきた。その身体を抱きしめてお互いの体温を感じれば梅だけじゃなくて私もホッとして肩の力が抜ける。
「……何があったんだ?」
「大地さんも前に見たサバッドの記憶です。今回は酷くて魘されただけですよ」
「サバッドの記憶?」
うっかり話してしまって、気がつく。隣に立つジルドは不思議そうな顔で私を見ていた。しっかり聞いてしまったんだろう。こうなってしまったらもうしょうがない。既にジルドにはこの世界の人にしてはおかしいぐらい魔物について語ってしまっているし、ジルドの魔法に対抗できるシールドを張ってと、色々ミスをしてしまった。
「ジルドさん、私は数年前に召喚された勇者の1人です。」
「っ」
「ですから魔物について調べアルドさんに教えを請うていました。今までは拠点にしていた国でとある方に厄介になって過ごしていたのですが……アルドさんが仰ったように婚姻を迫られ、恥ずかしながら逃げてきました。私にはそんな時間はありません。既に手遅れのようですので」
「手遅れ?」
「はい。魔物は人の負の想いで生まれるという話の他に勇者のことをアルドさんから聞きませんでしたか?」
「勇者のこと?いや」
なんだ、アルドさんはこのことは話さなかったのか。それは親心なのか私のことを案じてなのか……。
判断しかねたけどもう口に出してしまったことだ。諦めて、続ける。
「あくまで私の結論ですが勇者は魔物です。人の願いで作られた召喚魔法でこの世界の人間に作り変えられる、想いで作られた化け物」
魔物が道を繋げることや、魔法や召喚、魔力やこの世界の人達の考えの違い――話せるだけ話しておく。ジルドが私をサクだと一致させる恐れもあったけど、そのときはそのときだ。嘘も混ぜた私の身の上話しがジルドの大好きな魔物の話に隠れたら良いんだけど。
あれ?そういや春哉も大地もリーシェの姿で再会したのにサクだって分かったんだよな。なんでだろ?思い込みが関係してる?ジルドはサクが死んだって本当にそう思ってるとか?いや、それはないか。
「――そして勇者という魔物としてこの世界で暮らしていくうちに個人差で夢や幻覚を見始めるようです。それが先ほど話したサバッドの記憶です。勇者の、化け物の記憶……時々気が触れそうになる」
「リーシェさん、いや、しかし」
「とうに救われてる……ああ、やっぱり口に出していましたか。サバッドの記憶に引きずられていたんです。多分、私はいつかイメラのようになるんじゃないかと思います。見る記憶が増えていて、だから手遅れなんです」
ジルドに抱きしめてもらったとき見た不安そうな顔が今も見えて苦笑してしまう。サクだとバレてしまったほうがいっそ楽だなと思えるぐらい心配してくるもんだから、困る。
「そんな引きずられる内容か?俺は嬉しかったけどな」
大地は自分のお兄さんの記憶を見ただけだからそんなことが言えるんだろう。頬をかく大地は余計なことを言ったことに気がついていない。まあ、私も口を滑らせてるんだし人のこと言えない……あれ?そういえば、よく考えてみれば少しおかしい。私は最近この夢を見るようになったけど梅はこの世界に来たばかりだ。アルドさんに至っては20年以上この世界にいるのに勇者が魔物という話しをしたときなんの反応も見せなかった。気がつかなかった?契約で言えない範囲?そもそも記憶を見ていない?これも個人差ということだろうか?それに、そうだ。梅たちはリヒトくんの記憶を見たんだろうか?ここにはサバッドが勇者も含めたら6人も居る。なんならジルドは勇者の子供だから――あれ?どうなんだろう?ジルドは記憶を見なかった。
『正しくこの世界の影響を受けれる』
『分かったのはその力がこの世界の人間と変わらなかったということです』
勇者の子供のことを、ジルドのことを話していたロナルやラスさんの言葉を思い出す。勇者の子供は魔物じゃなくてこの世界の人、ということだろうか。
分からない。
「アイフェたちはどんな、誰の記憶を見た?」
「誰……?誰、誰だろ?女の子が泣いてたの。私は一生このままなんだって」
折角落ち着きを取り戻していたのに私の質問のせいで梅は泣き出してしまった。ボタボタ涙を落とす梅の頭を撫でれば「私なんていなければよかった」とあの女の子のような悲しいことを言う。多分森で蹲っていたあの女の子で合っているんだろう。どうやら見ることが出来る記憶は個人差があるらしい。喜べば良いのか私は多いようだ。
でもそんなことより泣き続ける梅を見ていたら悲しくてしょうがなくなる。梅には笑っていてほしい。五月蠅くて五月蠅くて五月蠅い元気な梅でいてほしい。
「アイフェ、私はアイフェに会えてよかったよ。だからこの世界でも生きてこれたし、今はこうやって一緒に居られて楽しいんだ。アイフェがいてくれてよかった」
もう一度抱きしめて頭を撫で続ければ腕のなか笑った声が聞こえる。そして穏やかな寝息。
どうか幸せな夢を見ますように。
「私が」
「お願いします」
悲しそうに微笑むラスさんに梅を託せば、しっかり梅を受け取ってくれたラスさんがゆるゆると首を振る。
「私はランダーという男の記憶を見ました」
「……そうですか」
「俺もだ」
普段のような口調なのに力のない笑みを浮かべるオーズはラスさんに何かを渡す。転移球だ。ラスさんはオーズに感謝すると私に頭を下げて転移してしまった。
「リーシェ姉ちゃん皆辛いの?どうしたの?」
私の服を引っ張るリヒトくんの顔は不安でいっぱいで、子供の前で弱気な姿を見せすぎたことを反省してしまう。
まだ刺さる視線はあるけどそれは無視してリヒトくんの頭を撫でた。
「ちょっと疲れちゃったみたい。今日はもう帰ろっか」
「……うん」
まだ魔力はあるし気になることは多いけれど精神的にキツイ。ジルドには悪いけどもう帰って休みたい――そう思うのに、ざわっと周りが異様な雰囲気に包まれる。森が揺れて鳥が飛び立つ。中には魔物もいて、けれど襲ってくる訳でもなく一目散に飛んでいく。それはまるで逃げるようだ。逃げる?魔物が?
人を襲うことしか考えられないはずの魔物が何に怯えて逃げたんだろう。嫌な予感が辺りを包んで皆警戒に立ち上がる。
「なんか今日よく魔物見るよな。それってリーシェが言ってた道ってのが関係してんのか?」
「そうかもしれませんね」
「納得。ここに来るまでに魔物が一直線に並んで死んでんのを見つけたんだ。なんだろうなって思ってたんだけどアレ、道だったんだな」
「は?」
呑気な発言に全員、大地を見る。
視線を浴びた大地は「なんだ」と眉を寄せるけれど、その現象はどう考えてもおかしいことにこの脳天気な頭はなぜ気がつかないんだろうか。大地の明るさを羨ましく思ってしまう。
オーズは普通の魔物じゃ転移してもここに辿り着けず死ぬと言っていたけれど、古都シカムの異変のときのように――ああもしかしたら、この神聖な場所は禁じられた場所だったのかもしれない。同じ魔力を持つ魔物同士を繋げる道。禁じられた場所が繋がって、辿り着けずとも一匹二匹と死体を積み重ねてその上を確かな道としながら……最後、目的の場所に辿り着くんじゃないのか?
「ちなみに魔物で出来た道とやらはここからどのぐらいの辺りにあった?」
「すぐ近く、ってぇ!なんで殴んだよ!」
「お前が悪い」
きっとそうかからずに魔物の大群がやってくる。もっと早くに言ってくれたら準備が出来ただろうけどもうそんな時間はないようだ。先ほど揺れたのが嘘のように静まりかえった森は不気味な気配を漂わせている。暗い暗い森の中に彼らはいる。
「む、村の皆に教えないと!」
「リヒトくん!」
リヒトくんでさえ魔物の存在に勘づいているのに鉄パイプ握る大地はまだ眉を寄せている。そんなどうでもいいことを考えてしまったせいでリヒトくんの手を掴みそこねた。小さな背中を見てしまう。
「リーシェさんもう来ます。警戒を」
ジルドの厳しい声が聞こえて、なすすべなく手をおろす。魔物の気配がするほうとは反対のほうへ行ってくれたことが救いだ。森に消えていくリヒトくんから目を逸らして強化魔法と防御魔法を重ねがけする。あとは湖と墓石がある場所に守りの魔法もかけておいた。余裕こいてる場合じゃないけど私達が来たせいでこの場所が荒れてしまうのは避けたかった。神聖な場所。きっと誰かが守ろうとした場所だ。
それに今この場にいるのは私とオーズとジルドと大地だけで古都シカム任務のときより人数は少ないけれど、化け物だらけで頼りになる奴らだ。少しぐらいは――
「リーシェ!」
強い衝撃に身体が吹き飛ばされる。警戒を緩めた訳じゃないし適当に魔法をかけた訳じゃない。それなのに飛んできた魔法は私を傷つけた。風魔法だろうか。何も見えなかったけど鉄のような塊は確かに私の腹に当たってかなり痛い。金色の髪。胃液を吐き出して森から現れた魔物を、サバッドを……イメラを見る。
『待ってるわリーシェ。また会いにくる』
幸せそうに笑っていたイメラ。今は怒りに顔を歪めて笑っている。道を繋げた同じ魔力を持つ魔物同士は私とイメラだったようだ。
「私に構うな!前!」
過保護な奴らに叫べば近くまで迫ってきた闇の者ダーリスをようやく倒しに動き始める。あいつらのことはもう考えないでいいだろう。進藤と対峙したとき以上の魔法を重ねがけしながら狂ったように笑う声を聞く。
「この場所はもう誰にも壊させはしない!」
イメラは他の奴らには目もくれず私に襲いかかってくる。そのくせ私と同じようにこの場所に守りの魔法をかけてるんだから正気なんだかそうじゃないんだかよく分からない。
私の首を掴もうと開かれた手はそのまま私の首を握り潰すつもりだったらしい。シールドが簡単に数枚割れて残ったシールドも歪んでいくのが分かる。私に触れるまで埋まらないたった5センチを埋めようと白い肌に血管が浮いた。
「殺してやる、殺してやる……っ!皆を殺した奴ら全員っ!お前らを殺してやる!」
「私はリーシェ。前会ったんだけど覚えてる?」
「許さない!全員殺してやるわっ!」
「ロイさんのことは覚えてる?」
「ロイを殺したわね!?私、私が殺した!あはははは!殺してやる!死ね!皆殺してやる!」
「リヒトくんが会いたがってる」
壊れた声がぴたりと止む。
前にロイさんの話しをして正気に戻ったときと同じように、イメラはリヒトくんの名前を反芻した。そして、あのときとは違って怯えるように首を振り始める。
「リヒト、リヒトくんなんで知って」
「さっきまで一緒に居た」
「嘘、嘘よ。だってあんな……嘘嘘嘘!死んだ!あの子もロイも皆死んだわ!」
「会わせてやる!」
ついに私の首に届こうとした手がビクリと震える。殺されそうだった私が怯えるのならともかくなんでイメラがこうも怯えるんだろう。イメラは恐ろしいものを見るように私を見て後ずさった。
「会えない、私は駄目。私まだ皆を殺した奴らを殺せてないのよ?殺さないと、じゃないと私はまだ死ねない……ああもしかしたら私が最後になったのかしら?それならいい、それならいいのよ。でも、でもそれならなんでまだ許されないのかしら?ああやっぱりリーシェ私を殺して?そしたら終わりにできる。皆も喜んでくれる。私の命なんかじゃ釣り合わないのは分かってるわ?だけど皆に……ああ許して」
手を組んで泣き崩れるイメラ。そんなイメラを見下ろしている私。周りでは大地達が闇の者ダーリスたちと戦っていて魔法が飛び交っている。
「イグリティアラ」
小さく揺れた肩。泣きながら私を見上げてきたイメラは「許して」と乞うてくる。
だけど私に出来ることはないんだ。
数百年前に生きていた皇女。彼女が愛した皆、ロイ、リヒトくん。リヒトくんの記憶を思い返せば薄らとだけど事情が分かった。だけど分かったとしても過去は変えられない。あの村の人達に読み上げられた罪がどこまで嘘で本当かは分からないけれど、皇女が、イメラがあの村にいたのは事実なんだろう。そして皇帝陛下の命によってあの村は滅ぼされた。
「リヒトくんは今あの村にいる。一緒に会いに行こう」
合わせる顔がないとは言うけれど長い間村人を探して彷徨うリヒトくんをイメラに会わせてあげたい。それにイメラだってリヒトくんの名前を聞いて正気に戻るぐらいは大事な子なんだろう?私のエゴだけど会って話してほしい。
手を差し出せばまた魔法が飛んできた。今度は無様に吹き飛ぶことなく耐えられて、笑える。
「お嬢ちゃん」
私の呼びかけに目を丸くしたイメラが「ロイ」と呟く。金色の髪を夢で見たときのようにぐちゃぐちゃに撫でて――悲しそうに歪んだ顔に私まで同じ顔になってしまう。
「これ、イメラの記憶だったんだな」
ジルドの館に冬が来て少しした頃に見た夢。あのときもう既にイメラと私は繋がっていたらしい。目を瞑ればラシュラルが咲く丘が見える。日焼けした腕に胸を焦がした気持ちが分かる。
「イメラ、あんたのお願いってなに?」
きっと殺してやるとか死にたいとかそんなんじゃないだろうに。しゃがんで赤い目を見れば、イメラはいやいやと首を振ってしまった。涙で顔を濡らす美女は頭を撫でる私の手を斬り落とす勢いで振り払ってくる。私はジンジン痛む手を抑えながら苦笑して、他を片付けた奴らと視線を合わせる。
「……叶わない」
悲しい言葉を最後にイメラはまたどこかに姿を消してしまう。
はあ。どっと疲れてしゃがみ込めばジルドが駆け寄ってくる。そんなジルドを一瞥したあとなにか言うように私を見て、結局視線を逸らすオーズ。大地は「もう無理」と地面に倒れ込んでいて。
「あ!リーシェ姉ちゃん見っけ!」
明るい声が飛び込んでくる。リヒトくんは辺りに頃がる魔物や流れる血や臓物が見えないんだろうか。笑顔で私のところに走ってきて、疲れ切っている私を見て首を傾げる。
「リーシェ姉ちゃん疲れたの?ちょっと泳いだだけなのに体力ないなあ」
先ほど血相を変えて村に走ったことはもう記憶にないようだ。静かに狂気をのぞかせるリヒトくんを引き寄せて抱きしめる。恥ずかしがる声が聞こえたけどもう知るか。ぎゅっと抱きしめながらこの場所を汚す全てを消して元に戻していく。リヒトくんは私の拘束から逃れるのを諦めてたけど作業が終わったことを感づいた瞬間「ねえねえ」と話しかけてきた。
「リーシェ姉ちゃんどうしたの?なんか変だよ」
「……なんでも。ちょっと疲れちゃったんだ。今日はもう帰ろ?」
「しょうがないなあ」
「ありがと」
「……しょうがないなあ」
笑ってぐりぐりと顔を押しつけてくるリヒトくんを抱っこしたまま立ち上がれば、流石にそれは無理しすぎたみたいで身体がよろけてしまう。だけどジルドが支えてくれて、それどころか代わりにリヒトくんを抱っこしてしまった。
「……いまは俺が。リーシェさんは元気になってからにしてください」
「……はい」
「ジルド兄ちゃん凄い!凄い高いよ!ねえねえ肩車して!」
「ああウルセエな。分かった」
「あはは凄いや!」
楽しそうに笑う声が響く神聖な場所。満身創痍でボロボロの私達。
キラキラ輝く湖を見守る墓石の下でラシュラルの花が静かに揺れていた。
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