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第二章:地下に拷問部屋がある悪名高い古城

ジュリア伍長の迅速すぎる仕事

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 さすがに気分が滅入ったので、俺はいったん地下室から上がった。
 漆喰に保水用の糊を入れておいたのは幸いというべきか。おかげで作業時間には少し余裕があるのだ。
 
「ああもう。勘弁してくれよこの城……」

 階段の入り口の前でしゃがみ込んで頭を抱えた。ごくありふれた明かりの魔法を灯してはあったが、地下室はやはり外よりは暗く、そこにあんなものが出ればいい気分はしない。
 おまけに今思い返してみればあの幼女、暗がりでも闇沈むことなく白く浮き上がって――いや、白く落ちくぼんで見えていた。

「あからさまにお化けじゃないか」

 まだ地下に戻る気にはなれなかったが、ともかく俺は顔を上げた。すると、ちょうど城門の方からシルヴィアが入ってくる来るところだった。
 
「ソウマ! どう、壁塗り進んでる?」

「え、あ、う……その、まあ準備は整ったかな。」

 まさか「お化けが出て怖いので作業止まってます」とは言えない。

「良かった。ジュリア伍長がね、図案まとまったから届けに来てくれたの」

「ホントに!? えらく早いな、夕方って話だったのに……何枚くらいあるんだ?」

「それがね、なんかもうこれしかないって絵柄が浮かんだんで四枚に落ち着いたんですって。男爵閣下は絶対気に入るはずだって自信満々だったわ」

「え、大丈夫なのかそれ」

 ちょっと不安になる。

「壁の四面――正確には三面と半分だけど、いい案が浮かばずにいた最後の一面が、今朝の事件のおかげで着想がわいたんだって。記録の仕事の合間だってのに、ものすごい勢いで仕上げてくれたみたいよ」
 
「はぁ、すっごいなそりゃ。漫画家にでもなったら大成できそうだ」

「マンガカ、って何?」

「ああいや、俺の生まれた国の言葉なんだけど……そうだなあ、銅版画をバカみたいに多用した、続きものの絵本を想像してくれよ。勇者の活躍や深窓の姫君の恋物語を扱ったようなやつさ」

「んー。難しいけどどうにかイメージできるかな……?」

「そういうのの物語と絵と版組みをいっぺんに考えて、製版する前の原画をものすごい速度で描いていく仕事なんだな、漫画家ってのは」

「へえ……そりゃ確かにすごいし、ジュリアさんならできるかもねえ。ま、とにかくここにその図案があるわけ。はい、これ」

「どれどれ」

 地下室の壁の比率に合わせて切ったらしい、長方形の大判草木が四枚手渡された。石畳の上に広げて観てみると、それはどれもなかなか壮麗なものだった。
 
 たわわに実ったブドウを穫り入れる農民たちとそれを足で踏んで絞るうら若い娘を描いたものあり、森の木々の間を縫って馬を走らせ、馬上からイノシシに向かって槍を繰り出す狩りの様子を描いたものあり。

 地下室の入り口隣に来る短い壁面には、女鹿を引き連れ酒樽を携えた酒の神らしきものの立像が配され、最後の一面には――幼女を左腕で縦抱きに抱え上げた甲冑姿の戦士が、彼女の足に掛けられた足枷の鎖を剣で鮮やかに両断したその瞬間が。
 
 どの絵も見事な出来栄え、ラフスケッチを発注したら細部まで細かく描きこまれた、クリンナップ済みの線画が届いたような感じだ。迷いの感じられない流麗な線で描かれたそれらの絵には、定規を当てて引いた細い線ですでに格子が切られていた。
 
「おお……これはすごい。何で衛兵とかやってんだあの人」

 ひとしきり感動した後で、俺は重大なことに気づいた。

「なあ。これをさ、これを俺が漆喰と鏝でレリーフにすんのか……?」

 ハードルの高さに眩暈がする。もうちょっとこう、中世前期辺りの感じの素朴な意匠でやってくれればまだ楽なのだが、ジュリア伍長の画風と技量は、ちょうどルネサンス期の工房に所属した絵画職人を思わせるものだった。
 
 風格や伸びやかさといった点では巨匠といわれる人々に比肩すべくもないが、注文にはそつなく応えて銭が取れる。そういうレベル。
 
「……つまりこれは、漆喰レリーフに仕上げる俺が相当頑張らないとダメってことだ」

「た、大変そうね」

 シルヴィアが酢を飲んだようなしかめ顔で俺の方を見た――もう数か月起居を共にしているだけあって、俺の得手不得手、内情の細かいところまでよく分かっておいでである。
 
「ま、まあ何とかなるだろ。格子グリッドはかなり細かく切ってあるし、石に彫るわけじゃないから少々しくじってもやり直しがきく。早速男爵閣下にも見てもらおう」

 モーリス氏に取次ぎを求めに、城塔キープの中に足を踏み入れる。すると、ちょうど見慣れない若い男が、たった今追い払われたといった感じで数人の取り巻きとともにそそくさと出ていくところだった。

 いつの間に来たのか――多分、俺が地下で幽霊に遭遇していたころかと思われるが。
 
「バカ者どもめが、二度と来るでないわ! 何度来ても殿には会わせんぞ」

 憤怒の形相で腕を振り回すモーリス氏だったが、俺の姿を認めると、急に申し訳なさそうな様子でぺこりと頭を下げた。こめかみの辺りを指で掻くしぐさが何とも弱々しい。
 
「どうかしたんです? 今の男は……」

「や、ソウマ殿。どうも御見苦しいところお見せしました。あれはアンガスと申しまして、私の妹の息子、つまり甥です。子供のいない男爵様に幼いころから可愛がられておったのですが、それを笠に着てあれこれと心得違いをした振る舞いが目立つようになりましてな」

 ああ、なんかよくある話の気配。サイアム男爵のような実権を大きく削られた貴族であっても、やはりその権力のある所には甘い汁にたかろうとする虫がいるのだ。

「はあ。大変そうですね……」

「だいぶ前に縁切りを言い渡したというのに、やれ金に困ったの、買い取って欲しいものがあるのと申しては、男爵様に会わせろといって訪ねてくるのですよ。いやはや、お恥ずかしい限りです。追い返すのもなかなか手間で……それで、何かご用でしたか?」

「ああ、図案が届きましたので、男爵閣下にご裁可を頂ければ、と」

「ふむ。拝見してもよろしいですかな」

「どうぞ」

 草木紙を渡すとモーリス氏の目が大きく見開かれ、場の空気が変わった。
 
「おお、これは……ちょっとお預かりして、男爵様にご覧に入れてまいります。少々お待ちを!」

 待つことしばし。モーリス氏は顔に満面の喜色を浮かべて戻ってきた。
 
「ありがとうございます。男爵様にはたいそうお気に召されたようで、すぐに取り掛かるようにとのことでした。今日はもう一つお体が優れぬゆえお目通りかないませんが、後日にでもこの絵師ともども晩餐にお招きしたいと仰せです」

 図案をこちらに返しながら、モーリス氏は特に幼女を助ける騎士の絵が男爵に感銘を与えた、と教えてくれた。

「ありがとうございます。絵師に伝えればさぞ喜ぶでしょう……では男爵閣下にはどうぞお大事に、とお伝えください。晩餐楽しみにしております、とも。私はさっそく仕事にとりかかるとしましょう」

 ありがたいというか、とんとん拍子に話が進んで気持ち良い。
 現場を見たいというのでシルヴィアも連れて再び地下に降りた。今度はあの幼女が現れることもないようだ。
 
 
 その後は途中で弁当代わりのパンをかじりながら、俺はサクサクと作業を進めていった。シルヴィアはそばで興味深そうに見ているが、手伝ってはくれる様子はなかった。

 魔法の照明が照らす中、荒っぽいレンガ壁が少しづつ白く滑らかな漆喰壁に塗り替えられていく。ところが、二面目――入って正面の壁を塗っている途中で、俺は奇妙な感覚に襲われた。
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