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第一章:カビた魔導書で足の踏み場もない家

根無し草のちょっとしたメリット

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 その後は特に道に迷ったり野宿したりすることはなく、ケントス経由で二日かけてクロープにたどり着いた。
 王国の西側は海運が盛んだが、数ある港町の中でもここは一二を争う大都市だ。
 出入りする船はおおむね十六世紀ころの西欧の帆船に似ている。ただし、ところどころに異世界ならではの風変わりな意匠や特殊な機構が使われていて、どれだけ見ていても飽きがこない。

 手紙の配送先は亜麻布リネンの問屋だった。依頼元の宿屋ではどうやら、シーツにする亜麻布のを臨時に仕入れたいらしい――近々なにか、大口の宿泊客でもあるのかもしれない。
 ともあれ、俺は報酬として銀貨四ディアスを手に入れた。同時に請けた他の依頼はなかったので懐具合はまだカツカツだが、ともあれこれで少しは行動選択に幅が出る。金銭とは自由なのだ。

 いつもだったら、この後はどこか適当な酒場を探して、連絡板コミュニティボードに張り出された雑役の依頼でも物色するところ。だが今回俺は、まっすぐに質屋へ向かった。

 何かというと、あのチェスの駒風の人形だ。見た感じ象牙とかそのたぐいの材質で出来ている。そのせいで、この町に着くまでは完全に換金用としか考えていなかった――だからシルヴィアにも鑑定を頼まなかったのだが。
 ここまで歩いてくる道すがら、例の黒い鏡の方を使ってみていうるちに、どうも駒の方もなにか魔法のアイテムではないかと思えてきたのだ。

 あの旅商人の言っていたことも引っかかった。なにせ、「北の迷宮に出入りしていた冒険者が流した質草」だ。この国で『北の迷宮』といえばまず、古都エスティナの悪名高い大迷宮『梯子ラダー』が頭に浮かぶ。

 二百年前の勇者が地力をつけるために挑んだものの、踏破できぬまま途中で放棄したという難物である。何が出てきても不思議はない。

「いらっしゃい」

 質屋の主人はカウンターの向こうからこちらを見上げ、興味ありげに僕の出方を見守った。

「鑑定を頼めるかな?」

「あー。もし武器や防具なら専門外だからな、系列の武具店へ行ってくれ。金貨三枚で鑑定書を作ってくれる……が、どうやらそういうんじゃなさそうだな」

「うん、武具じゃない。小さなものだよ」

「じゃあ銀貨一枚だな。見せてみな」

 銀貨一枚。今の俺にはいささか高いが、多分結果的には格安だろう。

「こいつを頼む」
 
 駒を一個、店主の前に置く。彼はふむ、とひと声唸ったあと、脇の柱に吊り下げた羊皮紙の大きな束を卓上に広げると、しばらくパラパラとめくった後でとあるページを僕に示した。

「これだ。象牙製の小さな人形とくればこの辺りだろうな。実際、似たようなものは良く見つかるんだ……簡単な合言葉コマンドワードで人間サイズに変化して、単純な命令を実行させられる低級なゴーレムさ」

「へえ!」

 本当だとすれば、結構な代物だ。

「嬉しそうな顔してるとこ気が引けるが、あまり期待しない方がいい。こいつはまず戦闘には使えない。荷物を運んだり挽き臼を回したりするくらいなら可能だが、その程度なら普通に駄獣や水車があれば事足りる……どうする? 売りたければひとつにつき、銀貨三枚は出すが」

 質屋のつまらなさそうな顔がひどくおかしかった。

 銀貨三枚は、だいたい日本円にして一万五千円くらいの感覚だ。つまりこの駒――作業用ゴーレムは、安物の家電製品一つくらいの価値ということになる。
 ここで換金してしまえばせいぜい七万円かそこら。それはそれなりに助かりはするが。

 売らなかった場合にできることを考えてみる。荒事に明け暮れる武闘派の冒険者には鼻で笑われるだろうが、それ以外の人間にとってはどうだ?

 質屋の台帳に載っていた合言葉が実際に機能するのを確認した後、俺は銀貨一枚を質屋に支払って足早に店を出た。興奮で走りだしそうになるのを懸命にこらえる。

 あの旅商人、もしかして福の神かなんかだったのでは。

 現物の建物から即座に見取り図を起こせる魔法の鏡に、疲れを知らず余計なこともしない労働力、ゴーレム五体分。完璧じゃないか。これを売るなんて、とんでもない。
 実際にはいろいろと他にも必要になるだろうが、とにかくこの二つがあれば、日本でのバイトの経験を生かして建築関係の商売ができそうだ。

 魔法も使えず剣もごく平凡な水準止まり。冒険者をやるにしても何か宮仕えをするにしても、俺にはちょっと力量が足りない。この世界で人並みに暮らしていくには、何か余人に思いつかないような手段を考え出すしかないと常々思っていたのだ。これぞまさに絶好のチャンス。

 森でシルヴィアと別れる時に感じた、予感めいたもどかしい感じはこれだったのだ。
 彼女の家を補修して、蔵書をきちんと管理できるようにする――その工事を手始めにすれば、道が開ける。そんな気がした。

         * * * * * * *
 

 さて。俺のようなやり方で旅から旅の暮らしをするのは、金銭的にはともかくとしてそれなりに利点もある。実のところクロープの街に来るのは五回目くらいで、街中にはそれなりになじみの店や顔があるのだった。

 質屋を出たあと俺が次に向かったのは、ネビル・カーブという裕福な材木商の店だ。これまでにも何度か、手紙の配送や倉庫の片づけ手伝いといった仕事を請け負ったことがあった。

 店先で案内を乞うと、都会暮らしでたるんだ感じの太ったエルフの番頭がネビルに取り次いでくれた。

「やあ、ソウマか。久しぶりだな……今は酒場に何の依頼も出してなかったと思うが――どういった用向きだ? 荷車の修理でも請け負ったとか?」

「いや……ちょっと相談に乗って欲しくて。あー、クルミ材って、どのくらいの価値があるもんかな?」

 日本にいたときに訊き知った範囲だと、高級家具や工芸品の材料として珍重されていたはずだ。どこぞの偉い人の椅子とか、猟銃の銃床ストックとか。

「クルミか……そりゃあ、原木の太さや樹齢によって全然値段が違ってくるし、現物を見ない事には何とも言えんが――もしかして、なにかいい仕入れの話が?」

「うん。持ち主の意思が未確認だから慎重に進めたいんだけど……ベンウッドの森、知ってるよな」

「ああ、あの辛気臭い森か。ちと遠いが――」

「クルミの巨木がある。根元の部分が、差し渡しざっと一ロッド(三メートル強)あるやつだ」

 ネビルの顎が呆けたように緩んで、ぱっくりと開いた。
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