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第一章:カビた魔導書で足の踏み場もない家

垣間見モーニングアフター

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 翌朝。目が覚めたときには、どうやらもう日が昇っているようだった。小屋の小さな窓には半透明の何か――たぶん羊の膀胱が張られていて、そこに角度の浅い木漏れ日が差し込んでいる。

 俺は毛布をはねのけてベッドから這い出た。女の姿は見当たらず、暖炉の火も消えてくすぶっている。何となく狐に化かされたような気分だ。
 といっても、べつにベッドが枯葉の山になったりはしていないが。

 さすがにこの家の暮らし向きでは、朝食まで期待するのは申し訳なさすぎるが、挨拶もせずに出て行ってしまうのも気が引ける。俺は靴を履きなおすと、背負い袋はベッドの足元に置いたまま戸口をでた。

 たぶん、家からそう遠く離れたところには行っていないだろう。そういえば家の裏手に小川があるとか言っていたから、水を汲みに行ったのかもしれない。
 そういえば、昨晩は気づかなかったがかすかにせせらぎの音が聞こえる。水汲みは重労働だろうし、手伝ってやるのが筋だ。俺は丈の低い灌木の茂みを縫って、水音のする方へ近づいた。

 不意に視界が開け、明るい空と広々した草原が目の前に現れた。ベンウッドの森にこんなところがあったとは。目を凝らして小川のほうを見回すと――予期しないものが見えた。

 水辺にぽつんと立った枯れ木か杭の上に、古ぼけたローブが無造作にかけられていた。そこから少し先、流れの緩やかな場所に、白い人影らしきものが有る。それに目の焦点を合わせた瞬間、俺は頭を殴られたようなショックと、続いて頭にカッと血が上るのを感じた。

 それは栗色の美しい髪を腰まで垂らした、裸の女だった。こちらからは背中しか見えないが、ほっそりとくびれた腰と白く丸い尻がどうしようもなく俺の目を射た。女、というにはいっそ若すぎて見えた。
 背中を曲げた姿勢と、顔を隠しみすぼらしい服装のせいで、昨晩はもっと年のいった相手だと思っていたのだが。

 不意に彼女が体をひねり、腕をひろげながらこちらへ向き直った。

(うわっ……!)
 
 いかなる古代の魔法か。俺はその場から動けなくなった。

 あばら家の魔女の正体は、妖精のような美少女だったのだ。くっきりした眉と長いまつげが目元の印象を強め、細く通った鼻筋が、小さなため息を吐きだす寸前の形に開かれた唇へとつながっている。
 形の良い胸と、その頂に飾られた淡い色の漿果ベリー。なめらかな曲線を描く腹に沿って視線が降りて行ったその先には、水面に触れるか触れないかの高さで風にそよぐ草むらがあった。

 まずい。気付かれないうちに茂みに引っ込まないと――だが、石化の呪いを破る俺の努力も空しく、彼女は顔を上げて俺の視線と出会った。
 小さな悲鳴とともに息をのみ、顔を赤らめ胸を隠す動作。ああ、こっちの文化でもやっぱりそうなのか――と、妙な感慨を抱いたその瞬間、彼女は何かに足を取られて水中に没した。

「やべえ!」

 流れが緩やかといっても、腰に達する深さ。パニックに陥れば容易に溺れる危険がある。俺は着衣のまま川に飛び込み、彼女の方へ泳ぎ寄った。

「いやっ、バカ! 覗き魔、変態――」

 水面に再び顔を突き出し、水にむせながら彼女が俺を罵倒する。だが腕を振り回してもがきながらも、水流に押されて元のように立ち上がれていない。

「あとにしろ! 今助けるから、おとなしくして体の力を……」

 どうにも痴漢めいた文言になってしまうのにうんざりしながら、俺はどうにか彼女を背中側からつかまえることに成功した。

「放し――」

「覗きは済まん、謝る! だから暴れないでくれ!」

 悪戦苦闘のあげく、どうにか岸に戻って息をついた。芝草の上に投げ出された少女の裸身を、極力凝視しないように目を背けながら、俺はローブを取りに先ほどの木のところまで駆け寄った。

         * * * * * * * 

 しばらくすると、彼女はようやく落ち着きを取り戻したようだった。

「あ、ありがとう……」

「いや、ホントすみませんでした。家でおとなしく待ってればよかったかも」

「とにかく助けてもらったわ。裸を見られたのは不本意だけど……まあ許してあげる」

 水汲みに来たついでに、ふと思い立って体を洗っていた、と彼女は言った。小屋までの帰り道、水桶は俺が運んだ。

 湯を沸かして、薄い香草茶を淹れた。それが彼女のだった。気まずさに二人ともほとんどしゃべらなかったが、彼女はカップを飲み干すと、そういえば、と切り出してきた。

「昨晩の話に出てきた、商人からもらったガラクタって、見せてもらえるかしら」

「構いませんけど、なんでまた?」

「ちょっと気になってね……私、魔道具の鑑定も少しできるから」

 それでは、と例の黒い鏡を取り出して手渡す。何となく地球で慣れ親しんだタブレットPCを思わせるサイズと形。そのせいでつい、半ば郷愁に惹かれるように選んで譲り受けたのだったが。

「あ。これ、多分いい物よ」

 ひとしきり裏表をあらため、両手で持って何ごとか念じたり、ガラス板の表面をこすったりした後で、彼女がそういった。

「ほら、見て……これ、この小屋の見取り図だと思う。多分、自分の周囲の様子を平面図で表示できるのよ。どれだけの範囲に有効かはわからないけど、迷宮を探索するような人たちには高く売れるでしょうね」

 手渡された鏡のガラス面には、不動産屋のチラシに載っているのとそっくりな見取り図が、紫色をした光の線で描き出されていた。

「本当だ……ああ、これが昨日わかってれば――」

 いや、と俺は首を振った。もしそうだったら、この魔女には出会えていなかったのだ。


 陽が高くなったところで、俺は魔女に連れられて再び街道に出た。このまま敷石のある所をたどっていけば、ケントスの街に出るという。

「途中で一か所、苔で緑色になった標柱のところで、敷石のある小道が東へも一本延びてるけど。そっちへは行っちゃだめよ。古い猟師小屋へ行く道だったんだけど途中で途切れてるし、落とし穴なんかの罠がまだ残ってる」

「気を付けます」

 至れり尽くせりだった。さて礼を言っていよいよ別れるというときになって、俺は急に妙なことが気にかかりだした。

「ところで小屋の横のあの大木って、なんの木ですか?」

「ああ、あれね。クルミよ。木が弱っちゃってもう実がならないんだけど、昔は秋になるとたくさんとれて、ずいぶんお腹の足しになった。油も取れたしね」

「クルミか……」

 頭の中で、もう少しで何かが組み上がるような、そんなもどかしい感じがあった。この少女を、あのあばら家のことを、このまま放っておくのがためらわれる――裸を見たからとか、そういうわけではない。断じて。

「変なことを言うようですが、多分また来ます……俺はソウマ。ソウマ・マエクラ」

 少女は不意を突かれたように一瞬黙ってこちらを見上げ、やがてかすかに微笑みながら答えた。

「シルヴィアよ。シルヴィア・オレインシュピーゲル」
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