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第一章:カビた魔導書で足の踏み場もない家

絵に描いたような魔女ハウス

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 経験上この季節なら、晴れた日はかなり遅くまで空は明るい――なまじそれを知っていたせいで、俺は判断を誤ったのだと思う。
 日没前の赤い光はまだ残っていたのに、森に入ってしばらくすると、空が全く見えなくなった。もう夜とほとんど変わらない。

「甘く見たか……」
 
 唇を噛みながら、背負い袋バックパックに収めたはずの小さな角灯を探す。それ自体は出てきたが――灯油の瓶がほとんど空に近かった。
 またしても、だ。例のトイレの一件で懲りたはずなのに、未だにこういう間の悪い失敗をやらかす。

「こりゃあ、途中で野宿も考えなきゃならんかな……」

 暖かい季節で助かった。火を焚いて地面にマントでも敷けば、どうにか快適に眠れるだろうか。
 
 だが、道を進むにつれてどうも足元の様子がおかしくなってきた。
 まばらでもそれとわかる程度にはあった、路面の敷石がすっかり姿を消した。胸や顔の高さに灌木の枝が張り出すようになり、張り出した太い木の根に足をくじきそうになる。もはやこれは、街道ではない。

 さいぜんまでギャアギャアと喚いていたカラスの鳴き声はいつの間にか静まり返り、どこかでガラス瓶の口を吹くような声がした。多分フクロウだ。

(だーっ、もっと早く足を止めて、野営の準備に移るべきだったよ!)

 わずかに梢から差し込んでいた残照もすっかり消えて、辺りはもはや真の闇に近い。観念して角灯に火を点けようと決意したその時。極相に近づいた森の下生えと、幾重にも重なった幹の向こうに、ぼんやりとオレンジ色の明かりが見えた。それほど遠くないように見える。

 鬼火ウィスプの類でないことを何かに祈りつつ、ゆっくりと歩いて近づいた。足元が暗いと危ないので、こちらの角灯も一応は点してある。進路がまっすぐ取れないせいか一度見失って頭に血が昇ったが、どうにか再び光源をとらえることができた。

 途中、足が再び敷石の感触を探り当てた。どうやらとんでもなく見当違いの方向へ歩いた後、戻ってきているらしい。街道のつづきらしいその道を越えてしばらく行くと、灯油ランプかろうそくか、ともかく人工の明かりが漏れる、小ぢんまりとした民家が目の前に現れた。

 民家、といったがどちらかというとこれは『あばら家』だろうか? だいたい六畳間を縦に二つ並べたくらい、棟の高さがせいぜい二メートルかそこらだ。
 壁は半割りにした丸太があったり、木箱から剥いできたような、おかしなところに釘穴が残った廃材だったりと、統一性がない。

 一番の特長はこの小屋全体が、直径三メートルほどの朽ちかけた大木に、寄せかけるようにして建てられていることだった。その幹から小屋の屋根にかけては地衣類や寄生植物、腐った落ち葉といったたぐいのものがずっしりと層をなして積み重なり、ところどころから得体のしれないキノコが顔を出していた。

 なんというか、おとぎ話の魔女が住んでいそうな家だ。だがともかくもここには明かりと人の気配がある。俺は迷わず、その扉をたたいた――壊さないように、注意を払って。

(……どちら様?)

 年齢のはっきりしない、女のかすれ声が聞こえた。俺はしゃべり方を一番丁寧なものに切り替えた。

「夜分にすみません、旅の者ですが、道に迷ってしまって――」

(変なことを言う人ね。街道はすぐそこよ? 夜だからわかりにくいとは思うけど……)

「ええ、来る途中で街道を横切りました。でもここはまた少し入ったところだし、何より、俺は角灯の油を切らしかけてて――」

「ちょっと待ってね」

 扉のすぐ向こう側へ、声が近づいた。ぎ、と軋む音とともに、扉がこちらへ向かって開いた。中から背中を丸めた姿勢の小柄な女が出てきて、手招きをした。

「どうぞ、お入りなさい。この辺りはそれほどでもないけど、森の深いところへ踏み入れると良くないものが出るから……オオカミとか、もっと悪いものもね」

「すみません、恩に着ます」

「かがまないと頭ぶつけるよ」

 おっと。俺は戸口の梁に気づいて身をかがめた。やはり、ずいぶんと天井が低い。

 女は古めかしいローブに身を包んで、頭からすっぽりとフードを被り、顔を隠していた。ランプの光が弱くてよくわからないが、袖口からのぞいた手を見る限り、肌にシミやイボは見当たらない。

 ただ油っ気に乏しい感じがする。おそらくは辛うじてまだ若いと言えるくらいの年だろうか?

「あなた、食事は?」

「まだです」

「そう……うちには大した食べ物はないけど、私の夕飯を分けてあげる。もしなにか食べるものを持ってたら、それも出してくれると嬉しいけど」

 ずいぶんギリギリの暮らしをしているようだ。俺は背負い袋バックパックを足元の土間におろし、中身をまさぐった。賞味期限の怪しくなった、保存食の固焼きパンがひとかたまり出てきた。

「こんな物なら……」

「ああ、これならまあ、十分ね」

 女は炉にかけた小鍋から、スープを二人分に取り分けた。肉と、何かのハーブの匂いがする。

「誰かと一緒に食事なんて、ずいぶん久しぶり」

 固焼きパンとスープをそれぞれの前に並べテーブルに着くと、女はそう言って喉の奥でくっくっと笑った。
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